創作活動研究部活動日誌 ~麻雀黙示録編~
日原武仁
麻雀しよう!
【注意】
・この作品は麻雀小説です。
・完全に麻雀を知っている人向きに書いてあるため、ルールや用語の説明は一切ありません。
・麻雀以外でも楽しめる部分はありますが、それでもやっぱり麻雀が中心です。
・投稿の関係上、字牌は漢字、萬子は一、二等の漢数字、索子は1、2等の算用数字、筒子は①、②等の丸数字で表しています。
・以上のことを踏まえた上で、本作を楽しんで頂けたらと思います。
新年も明けて年が変わり。高校一年の三学期が始まって一週間が過ぎた。
冬休みボケもさすがに治り、ようやく生活態度や習慣が「学校のあるもの」に身体が慣れてきた。冬の寒さは変わらずに厳しいが、それを除けばいたって平穏な毎日が当たり前のように過ぎていく。
そう、平穏で当たり前の日常だ。それはつまり、言い換えればこういうことになるのかもしれない。
「退屈だ」
リサイクルショップで購入した、型落ちの大型電気ストーブで程よい温度に暖められた部室の中、イスで背筋を伸ばすような格好をしながら永島絵梨華(ながしまえりか)はぽつりと呟いた。
腰を超えるほどに長い黒髪をポニーテールでまとめた、長身で眼鏡をかけた理知的な美人。それが彼女の第一印象だ。つり目気味で冷たいナイフのような容貌の絵梨華は多くの場合、近寄り難い雰囲気を纏っているのだが(しかもそれは本人が意識して作っていることでもある)、今の面に浮かぶの酷く気怠そうなものだった。
「なんだって一月は行事がないんだろうね。これでは我が作研も部活のしようがないじゃないか」
作研とは、創作活動研究部の略称だ。創作と名の付くありとあらゆるものを体験・経験し、その活動を通して得られる物を研究・調査していくのが部活動の趣旨である。と、こう言えばもっともらしく聞こえるのだが、早い話、興味を持ったことや面白そうなことを手当たり次第に節操無くやっていこう、ということに他ならない。
「今の時代、真の最終回や完結編に続編は映画でやるものなのだ!」
という、部長である絵梨華のよく分からない号令の下、様々な属性を持たせた小さなコインを使い、色々な特徴を持ったメイドに変身して悪と戦うという『仮名メイドORZ(オォズ)』というおバカ特撮映画(とある動画投稿サイトで発表したところ、三万再生を記録する程度の出来で人気だった)を撮った春。
「ああぁ。どうしてケータイ小説ってこんなにもセツナイのかしら……」
と、スマホの液晶を見ながら涙を流した部員がきっかけとなり、全員で小説を書いてとある日本最大の即売会(コピー誌で百部制作。これまた見事に完売。これにもまたドラマがあるのだが、それはまた別の話)に参加した夏。
「ふわー……、ギターってかっこいいですぅ……」
と、音楽雑誌を見ていた部員の呟きが原因で『ガールズ・ティータイム・モンスター(略してガルティモ)』という、いまいち音楽の方向性が分からない名前のバンドを組み、文化祭(そしてこれまた好評で、ヴォーカルを務めた部員に非公認のファンクラブが出来、それに端を発する事件もあったのだが、それもまた別の話)で発表した秋。
そして冬を迎えたのだが、今までのように何かビビッとくるような、興味や関心を引くようなきっかけを得られず、絵梨華は悶々と、漫然と退屈に身を焼いているのだった。
「クリスマス、忘年会、お正月、初詣、新年会。年末年始を遊び倒したけれど、確かに部活としての活動を今年はまだしてないわね」
ファッション雑誌を読みながら榊亜季(さかきあき)は同意を示す。
ソバージュの入った茶色がかった髪は肩をくすぐるくらいの長さ。雑誌の表紙を飾るようなトップモデル並みに整った、潤んだ瞳で見上げれば十人中八人以上の男子は亜紀のお願いを聞くであろう美貌の少女である。ちなみに、本を作るきっかけとなったのが彼女だ。
「いいじゃん、こういうのも。いっつも創作的なことやってるとネタとか気力が尽きるっていうし。充電期間ってやつ?」
のんびりと気楽そうに言うのは御子柴美里(みこしばみさと)。
髪は短く活動的で、しなやかな筋肉に裏打ちされたスタイルは綺麗の一言に尽きる。中性的に整った容貌は可愛いと言うよりはカッコいいという形容がよく似合い、同性の後輩からモテるタイプ、というのが美里の外見である。そしてガルティモのヴォーカルを務め、ファンクラブ騒ぎの渦中にあった人物でもある。
美里は手にしたトランプを適度にシャッフルすると、自分に五枚、向かいに座る相手――御簾間彩(みすまあや)に五枚を配る。
ゆるいウェーブの入った背中まで届く茶色がかった髪に、美人とも可愛いとも言える絶妙なバランスの整った容姿。メリハリのあるスタイルで、特に胸のボリュームは他の追随を許さない。よく言えば爛漫、悪く言えば無邪気で、目を離すとふわふわと風船のようにどこかへ飛んでいっていってしまうのではないかと思ってしまうような不思議で、それでいて掴み所のない印象の少女である。余談だが、ギターに興味を持ち、一時的なバンドを結成するに至った要因を作ったのが彼女だ。
美里は自分の手札を見、次いで彩へと話しかける。
「チェンジは何枚にする?」
「……うー、三枚です」
彩は手札を見つめ、その可愛らしい顔に真剣なものを浮かべながらしぼり出すような声で答えた。それもそのはず、彩はこれまでで四連敗していた。一回につき百円を賭けているため、現時点ですでに四百円の支出である。
「じゃ、あたしは二枚」
彩にカードを配り、続いて自分の手札をチェンジする。
「コール」
美里は宣言し、手元の百円硬貨を一枚前へと出す。
「コールです!」
彩はやや大きめで、若干明るめの声で宣言し、美里に同じく場に百円を出す。その表情からは少なからずの自信が見てとれる。どうやらいい役が来たようだ。
「オープン! エースのスリーカードです!」
どうだ! と言わんばかりに手札を開ける彩。その表情は勝利を確信しているものだ。
「残念。今回もあたしの勝ちだよ」
ニヤリとした笑みで美里は手札を場にさらす。
「……っ! フルハウス……」
絶望したように彩は呟く。そう、美里の手札をジャックが二枚、キングが三枚のフルハウスだ。
「ううう……。美里ちゃんは強すぎですぅ……」
悔しそうにそう言って、彩は手元の百円をずずいっと美里の前へと押し出した。
「たまたまだって。こういう一発勝負的なギャンブルはその時の運で決まっちゃうじゃん。あたしはその流れに乗っただけだよ」
毎度ありー、と付け加え、美里は場のカードを集めると手慣れた手付きで揃え、シャッフルする。
「もう一回やる?」
「もうポーカーはいいのです。もっと別ので遊びたいです!」
ぷうっ、と頬を膨らませ、彩はそっぽを向いてしまう。
「ふむ。ならば麻雀をしようか」
それまで黙って二人の勝負を見ていた絵梨華が、唐突にそんなことを言い出した。
「ここには四人いるし、麻雀のセットもある。ポーカーに比べ、決着がつくまで少々時間がかかってしまうが、一発勝負的な運に左右される要素が少なくなるのも確かだ。私の退屈も紛れるし、色々都合がいいと思うのだがね」
「……最後の一言が本音で最大の理由のくせに」
ちょうど雑誌を読み終えたのか、やれやれと嘆息しながら亜季は本を閉じる。文句を言いつつ彼女もやる気のようだ。
「あたしは何でもいいよ。今日の勝負運はついてるみたいだし」
「彩さんも麻雀でいいですよ」
「決まりだ。では早速準備をしよう。みさみさとあややは机とイス。あっきーはマットの用意を。私は麻雀牌を棚から出す」
言われた彼女達はそれぞれ返事をすると、各自準備に取り掛かる。ちなみにみさみさは美里、あややは彩、あっきーは亜季のことを指す。絵梨華は人をあだ名で呼ぶのが癖なのだ。
――この時、絵梨華に背を向けていた三人は気付かなかった。絵梨華の顔に邪な、まさに「計画通り」とでも言わんばかりの表情が張り付いていたことを。そして、スマホで誰かにメールを打っていることにも誰一人気づいてはいなかった……。
◆
程なくして、キャンプで使うような折畳み式の机の上に麻雀マットを敷き、その四方にイスを並べた簡単な麻雀卓の準備が整った。
「場決めは掴み取りでいいね」
絵梨華はケースから東、南、西、北の字牌を取り出し、裏返して適度に混ぜる。
「これにしまーす」
真っ先に手を伸ばした彩が引いたのは東。
「じゃあ、これにしようかしら」
次に亜季が選んだのが北。
「よっと」
美里が人差し指でひっくり返した牌は南。
「念の為に」
最後に絵梨華が残った西となり、全員の場所が決まった。
それぞれの席に着くと、牌をマットの上に全て出し、サイドテーブル代わりのパイプイスの上に各自の点棒を分けていく。
「レートはどうしようか」
じゃらじゃらとゆっくり洗牌しながら絵梨華が切り出した。
「ノーレートでいいじゃない。どうせ暇つぶしなんだし」
「いやいや、ただ漫然と打つだけではいささか盛り上がりに欠けるというもの。元々これはみさみさとあややの勝負に私達二人が混ぜてもらった格好だ。暴牌が二人の勝負に水を差すとも限らない」
「そんなことしないわよ。わたしだってやるからには真剣に打つし」
「だがしかし。自分自身に関わる制約が何もなければ、ここ一番というところで甘えが出てしまうかもしれない。私も当然真剣に打つが、ここはひとつ、確固たる緊張感が欲しい」
「ラスには罰ゲームをさせるとか?」
「それでもいいがこれは麻雀だ。相応しいものがいいだろう」
「相応しい、って……一体何よ」
言っている意味が分からないという顔で亜季が訊くと、絵梨華は少しばかりのもっともらしい溜めを作り、口元に笑いを閃かす。
「そんなのは決まっているだろう? ――脱衣だよ」
「脱衣ぃ?」
突飛とも言える絵梨華の提案に、亜季は呆れたような、小馬鹿にしたような声を出す。
「古来より麻雀と言えば脱衣。脱衣と言えば麻雀と言われる程にこのふたつは切っても切れない間柄だ」
人差し指を立て、したり顔で話す絵梨華。亜季は額に指を当て、げんなりとした声を出す。
「……分かったわよ。どうせ反対したところで屁理屈を並べるだけだろうしね。いいわよ、もう脱衣でも何でも。どうせここにはわたし達四人しかいないし。緊張感なんてないと思うけど、あんたが満足するならそうしましょう。時間がもったいないし」
話はまとまったと言外し、亜季は卓へと手を伸ばして山を積もうとする。
「待ちたまえよ。まだ準備は終っていない」
「準備?」
亜季は眉をひそめる。と、その時だ。部室のドアが静かに開いた。
「おーい、永島。急用ってなんだよ」
のんびりした声と共に入ってきたのは一人の少年だった。
「お、大河くん!?」
その姿を見た瞬間、亜季が驚いたように立ち上がり、半ば裏返りそうな声で少年の名前を呼んだ。
やってきた少年は大河望(おおかわのぞむ)。四人のクラスメイトである。平均的な男子高校生より十センチ程背は高いのだが、それほど大きいという印象を受けないのは、均衡のとれた体格をしているからかもしれない。モデルのように華があったり、俳優のように派手な顔の作りでは決してないが、人懐っこい犬を思わせる容貌には人を惹きつける不思議な魅力があった。
「おう、榊。ショートホームルームぶり」
望は手を上げて軽く挨拶する。と、その視線がテーブルへと向けられた。
「なんだ、お前ら麻雀やってたのか。だったら俺も混ぜてくれよ。二着抜けでいいよな?」
楽しそうにそう言って、テーブルへと近づいていく。
「のぞむん。君に来てもらったのは観客になってもらうためだよ」
望に自分流の愛称で呼びかけ、座ったままで絵梨華は目的を告げた。
「…………!」
それに真っ先に反応したのが亜季だ。彼女は「ちょっと、絵梨華……」と小声で非難をぶつけようとするが、それを無視して絵梨華は続ける。
「我々はこれから脱衣麻雀をする」
「なん……だと……!」
巫女が神から託宣を告げるように厳かな声で告げれたら言葉に、望は身をのけぞるようにして驚愕する。
「女子しかいない中で脱衣をしたところで勝負らしい緊張感なんてどこにも生まれない。だから男子の観客としてのぞむんを呼んだのだ」
望に向けて、というより、その場の全員に説明するように絵梨華は話す。
「とは言え、さすがにその辺にいる有象無象の男子ではさすがに困る。私達とそこそこ仲が良く、それなりに信頼が置ける者でないとな。様々に鑑みた結果、白羽の矢が立ったのが――」
「俺ということか……」
絵梨華の視線に応え、言葉を引き継ぐように理解したと頷いた。
「だから待ってよ、絵梨華!」
亜季が声を荒らげる。その声音は戸惑いと怒りが半々だ。
「そんな話は聞いてないわよ!」
「無論だよ。話していないのだから」
言い訳するどころか、しれっと絵梨華は答える。
「始める前に言っただろう? 緊張感が欲しいと。それ故に脱衣をすると。繰り返しになるが、女子しかいない中で脱衣をしても緊張感なぞ生まれるべくもない。それ故にのぞむんにお越し願ったのだ」
「だからって……!」
大河くんにすることないでしょう! と続けそうになった言葉を亜季は飲み込んだ。
人選は間違っていない。いや、彼以外に呼べる男子はいない、というのが正しい。癪な話であるが、絵梨華の言う通りなのだ。ただ、そのことを事前に話さなかった、教えなかったことこそが大問題なだけで。
やる前に告げてしまえば、亜季はきっと、絶対に反対する。だから、それを防ぐために絵梨華は言わなかった。そして何より、亜季には『あの理由』があるのだから、望の前で脱衣なんてもっての外だ。
(ここで反論したところで絵梨華はのらりくらりと屁理屈を並べてこねるに決まってる。ならいっそ、ここはやつの話に乗って、逆にやり込める……とはいかないまでも、脱がないようにした方が得策か)
亜季は思案し、結論を出すと美里と彩を見る。
「あんた達二人はいいの?」
「抵抗が無い訳じゃないけど、下着と思わず水着だと無理矢理思い込めばなんとか。それに大河だからな。意識する必要もないだろ?」
「彩さんは別に問題ないのですよ。大河君ですし」
ねー、と二人揃って顔を見合わせる。
「……信頼されてると思っておくよ」
見られても平気=男として、異性として見られていないということであり、拡大解釈気味に捉えれば、恋愛の対象になっていないという意味にもとれる。そんなことを思い知らされ、複雑な男心をそのまま面に出すように、少しばかり引きつったような苦笑いを浮かべてしまう望だった。
「さてさて。話はまとまったようだね」
頃合いを見計らい、絵梨華が一同を見回した。
「それでは早速始めよう。のぞむんもしっかり観客を頼んだぞ」
「おうよ。任せておけ。本当はあまりこういうのはやりたくないんだが、頼まれたのなら仕方ない。しっかり観客としての務めを果たさせて頂く所存だ」
キラッ、と歯が輝くようないい笑顔でそんなことをのたまう望である。やる気充分らしい。
「親決めをしよう。二度振りだ」
絵梨華は東を引いた彩にサイコロを手渡した。
◆
【創作活動研究部 脱衣麻雀ルール】
・東風戦のアリアリルール。
・二五〇〇〇点持ち、オカ・ウマ無し。
・赤は五萬、五筒、五索が各一枚。
・配給原点から計算し、トータルで四〇〇〇点の減点毎に一枚の脱衣(靴や靴下は両足で『一枚』。ピアスやペンダント等のアクセサリー類は衣服に含まれない)。
・脱ぐ衣服は点棒支払い者の任意の場所。
・八〇〇〇点の加点があれば脱いだ衣服を着ることが出来る(ただし、持ち点が二五〇〇〇点以上になっても衣服はプラスされない)。着ないことも選べる。着る着ないの選択は加点があった時のみ。
・箱下計算無し。
・リーチ棒で脱衣ラインが変わる場合、その局が終了した時の点数で判断する。
・ラスは無条件で一枚の脱衣。
◆
作研のメンバー全員、あたり前のことだが学校指定の制服姿である。白いブラウスの上にえんじ色の短ランのようなブレザーにスカートで、足元は靴下に上履きという格好である。これにブラジャーとパンツが加わり、合計で七種類の衣服を身に付けていることになる。つまり、トビもしくは持ち点九〇〇点以下でラスになると、問答無用で全裸になってしまうということだ。最悪を避けるためのデッドラインが一〇〇〇点となる。ここが、この麻雀の大きな肝のひとつでもあるのだろう。
「今度こそ美里ちゃんに勝ちますよー」
「あたしだって負けないよ。流れはまだこっちのもんだ」
手馴れた手付きで山を積みながら、彩と美里は笑い合う。
「おっと。二人共私達がいることを忘れないでくれよ。足元をすくってしまうぞ。なあ、あっきー?」
「そうね。気を付けたほうがいいわよ?」
素早い動作で積みながら、絵梨華と亜季は軽口を叩いた。
「サイコロ振りまーす」
仮仮東である彩が、自山に軽く当てるようにサイコロを投げる。
出目は三・三の右六。
「そいや!」
仮東となった美里が掛け声をあげながらサイコロを振る。出目は一・三の左四。
「起家になりましたー」
どこか嬉しそうにそう言って、彩はプレートをマットの右端に置いた。これで東家(親)・彩、南家・美里、西家・絵梨華、北家・亜季となる。
「いいドラになって下さいよー」
彩がドラ決めのサイコロを振る。出目は一・六の対七。
「はいよ」
絵梨華が自山を七トン切り離し、牌を人差し指で器用にめくる。表示牌は六筒。ドラは七筒だ。
それから各自の配牌が終わり、いよいよ勝負が始まった。
◆
「リーチでーす」
東一局、八巡目。親の彩が牌を横に曲げた。
【親・彩 捨て牌】
南三⑧九7①北 リーチ牌:1
「このままにしておくと一発でツモられる気がするから、うん。チーしとこう」
下家である美里が1を鳴き、123とさらして九を打つ。
ちなみに、この時の美里の手牌はこうだ。
46三四六七八八発発 鳴き:123
シャンテン数の変わらない鳴きである。
先の台詞から分かるとおり、美里は流れ論者だ。最初からあった発の対子は暗子にならず、他家からポンも出来なければ、上家からチー出来る牌もこぼれてこない。その上、早い巡目での親のリーチだ。これらの状況から美里は自分の流れに乗れてなく、アガリ番でも無いことを確信した。
(こんな風に自分が良くない時、ってのは強運麻雀のあーちゃんに分がある。全体の流れはまだ分からないけど、一発でアガられたら確実にあーちゃんに流れが行く。それだけは阻止しないとね)
「相も変わらずあややは手が早いなぁ」
そんなことを言いながら絵梨華は牌をツモる。引いた牌は⑦。
ツモ牌を入れた彼女の手牌はこうだ。
四六七八九②③⑦⑦⑦⑦⑧⑧⑨
(素直に捨て牌を読むなら二三四のメンタンピン三色。入り目でなければ三の早切りから二―五が本線か。山にゴロゴロいそうな待ちだね)
他家の河をぐるりと眺め、「ふむ」と絵梨華は一呼吸。
(逃げる手はいくらでもあるけどせっかくのドラ槓子。ギリギリまで攻めてみましょうか)
そうして、絵梨華が切ったのは⑧だ。
この手牌だと、デジタルや牌効率打法をかじった人なら四に手をかけてしまいがちになる。だが、四切りだと受け入れは六・九・①・④・⑥・⑧・⑨の七種二十牌だが、⑧切りなら四・五・六・九・①・②・③・④の八種二十四牌となる。厳格なまでの牌効率打法。これが絵梨華の打ち方の大きな特徴のひとつだ。
「みんな現物切りか。まあ、そうよね。親リーなんだし」
亜季は牌をツモる。持ってきたのは①で、亜季の手牌はこう。
赤五七九①②③⑧⑨129東発南
(絶好の引きなんだけれど)
ツモった牌を組み込みながら思案する。
(素直に手役を見るなら最終形はチャンタ三色ドラ一。なんだけれど……多分ドラはどこかに固まっている……)
亜季は⑧に人差し指を置き、
(ここに全然『力』を感じ無いのが何よりの証拠。それにこの赤にも嫌な感じがしっぱなし。きっと彩の当たり牌ね)
亜季の打ち方は感覚というのか感性というか。右脳による直感的なものに拠るところが大きい。他人には説明し難い、センスや感性でもって麻雀を打つ。
(仕方ない。この局は放棄。聴牌出来れば良し、ね)
胸中でため息を吐き、絵梨華に合わせるように⑧を打った。
「むー。みなさん固いのですよー」
「親の、しかも強運の彩のリーチだからなぁ」
軽口を言いながら巡目は進んでいき――
「ツモりましたー」
十三巡目。彩が五をツモって手牌を倒す。
「リーチ・ツモ・ピンフ・タンヤオ……あやー、裏ドラ無し。二六〇〇オールです」
三四四五六②③④23466 ツモ:五
「はい、三〇〇〇。四〇〇バック」
(思った通り、鳴かなければ一発で高目の二をツモられてた。そう簡単に流れはいかせないよ)
自分の手牌に流れてきた二を視界の隅に入れながら、美里は千点棒を三本渡す。
「安目で良かった良かった」
(やっぱり二―五待ちか。あややは生まれ持った運に任せて――と言うよりは性格か。素直に打つから読みやすいんだけど、それだけにアガられたらデカい。まだまだ注意しないとね)
絵梨華は点箱から二六〇〇点を丁度で払う。
「はい。二六」
(五は当たり。そしてくっつかない。分は悪いわね)
孤立した赤五を見て、内心嘆息しながら亜季は点棒を支払った。
◆
続く東一局一本場は、美里が「東・ドラ一」の六〇〇・一一〇〇をアガリ、誰も服を脱がないままに進んだ東二局の十一巡目。
「そろそろ誰かに脱いでもらわないと面白くないね」
そうだろ? と観客の望に軽く視線を投げると、絵梨華が手牌から出した⑤を横に曲げた。
「リーチだ」
宣言し、千点棒を卓上に出そうとする。
「確かに服を脱ぐみたいよ。ただし、あんたが、ね。――ロン」
そう言って、亜季は牌を倒す。
「タンヤオ・赤・ドラ一。五二〇〇よ」
「あいたた。まさか最初に脱ぐのが私になるかな」
少しだけ悔しそうな顔で絵梨華は亜季に点棒を渡す。
「これでマイナス八四〇〇点。いきなり二枚か」
やれやれと首を振り、ゆっくりと席を立つ。
「まずは一枚」
絵梨華は言い、ブレザーを脱いだ。
ここまでは普通だ。次は靴を脱いで終わりだろう、とその場にいる全員が思った。しかし、絵梨華が手をかけたのは、全員がまったく思いも寄らない部位だった。
「二枚目だ」
絵梨華は口元に小さな笑みを閃かせる。それから手を腰元へと持っていき――スカートのホックとファスナーを外してみせた。
「なっ!?」
驚きの声を発したのは誰だっただろう。その場の全員が目を丸くし、絵梨華の足元に落ちたスカートを凝視する。
「何も驚くことはないだろう」
絵梨華は腰をかがめ、ことさらゆっくりとした動作で――まるで自分の姿を見せつけるような動きでスカートを拾う。
「『脱ぐ衣服は点棒支払い者の任意の場所』なのだから」
絵梨華はブレザーとスカートを腕にかけ、部室の隅にあるハンガーラックへと吊るす。
「どうだい、のぞむん。我らの脱衣麻雀は楽しんでもらえてるかな?」
絵梨華はくるりと一回転。ブラウスの裾が翻り、半分しか見えていなかったローズピンクの可愛らしいパンツが、おへそと共に数秒間だけ顕になる。
「……意外にあっさり脱ぐんだな」
絵画や彫刻などの美術品を見るような顔で、絵梨華の上から下をまじまじと眺めながら望は腕を組む。
「なんだい? 私が約束を守らないとでも思っていたのかい?」
「そうじゃねぇよ。普通、脱ぐなら脱ぐで少しは恥ずかしがったりするもんじゃん。そういうのが全然なかったからな。堂々とスカートを脱がれた、っていう驚きが真っ先に来て、なんつーか、女子が目の前で脱ぐことに全然ドキドキしなかったんだよ。すげーもったいなことをした気分だ」
「それは悪いことをしたね」
くっくっく、とおかしそうに喉元で笑いながら絵梨華は自分の席に戻る。
「聞いたかい、諸君。のぞむんは我らの恥じらいをご所望だ。靴を脱ぐ時もそのことを頭に入れて脱衣するように」
「はーい」
元気に彩は手を上げて返事をし、
「ま、努力してやるよ」
ニヤニヤした笑みを浮かべて美里が応え、
「…………」
亜季は何も言わず、ただ厳しい目で絵梨華を見つめた。
「私の親で再開だ」
宣言するように言い、絵梨華はサイコロを振る。
◆
「リーチ」
七巡目、絵梨華からリーチがかかった。
(ツモ切りリーチ?)
南家、亜季は牌をツモりながら絵梨華の河を見る。
【親・絵梨華 捨て牌】
白東9③二北 リーチ牌:南
(ダブ東の早切りから早いとは思っていたけど。ツモ切りか……)
少しばかり眉をしかめながら亜季は自分の手牌を見る。
三四五六八九③④⑤2344 ツモ:赤5
(ドラは⑦。絵梨華の最終手出しは二。これだけだと待ちが絞りづらいわね)
亜季は当たりそうな三、四、④、⑤、4を親指の腹で撫でていく。
(特に反応無し。まっすぐいくか、安全運転で現物を抜くか)
次いで亜季は北家・美里の河に目を向ける。
【北家・美里 捨て牌】
北1①西九⑥
(前々巡に美里が九を切ってる。東風戦のこの巡目で親。両面ダマの見逃しはないわよね。なら、これは通る)
亜季は手牌から九を掴み、河へと捨てた。
そして牌が離れるその刹那――亜季の指先に静電気のような痺れが走った。
(え!? 今の感じ……!)
思った時には遅かった。
「ロン」
無情にも、絵梨華の手牌は倒される。
二三四七八①②③⑤赤⑤234
「リーチ・一発・ピンフ・赤。一二〇〇〇点」
呆然とする亜季に、絵梨華はニヤリと笑ってみせた。
「三色への手変わりを待っていたんだけどね。変化がないのでリーチしてしまったよ。一発でアガれてラッキーだ」
ははははは、とわざとらしく声を上げて笑う絵梨華だ。
(やられた……!)
亜季は両手を握り締め、厳しい顔で絵梨華の手牌を凝視する。
(その手で手変わりを待つなんてどこの素人(タコ)よ。即リーの一手じゃないの!)
そして、亜季は確信する。
(やっぱり絵梨華は私を狙っているのね……!)
ぱっと見で考えるなら、一手変わりで二三四の三色になるので絵梨華の言い分は正しいように見える。だが、その一手が変わる巡目というのはおおよそ六巡から七巡だ。そして、それはイコールでアガリ牌が場に出る確率でもある。早い巡目、しかも親であるなら子の手の進行を止めさせ、押さえつける意味でもツモ狙いの即リーが最も有効な戦法だ。
それだと言うのに、絵梨華はダマテンし、当たり牌を見逃してまで二巡待ち、ツモ切りリーチを行った理由。それは手変わりなんかではない。誰かが九萬を切りやすくするためだ。相手の手を進ませて行きやすくする。即リーであったなら、亜季は現物を切って降りていたに違いない。本来の打ち方である感性に頼らず、理で打ったために招いたフリコミ――というのはさすがに酷か。これは純粋に、絵梨華の作戦勝ちなのだから。
「これでマイナス一〇〇〇〇点。二枚の脱衣だね」
点棒の受け渡しが終わった後、絵梨華が目元に楽しそうな笑みを浮かべて亜季を見る。
「……分かってるわよ」
「恥じらいも頼むよ」
「うっさい」
亜季はちらりと望に目を向ける。望は腕を組み、しっかりと亜季の方を見つめていた。ただ、その瞳にも表情にも、やましいものや下心をまったくを感じない。純粋に観客として――悪い言い方をすれば、動物園で動物を見るような目をしていた。
(何よ。仮にも女が――わたしが脱ぐんだから少しはドキドキしなさいよ……!)
漠然とした苛立ちを感じながら、亜季は少しだけ乱暴に上履きを脱ぐ。そしてそのまま靴下に手をかけようとし――不意にその手を止めた。
(少し、イジワルしてやれ)
どうしてそんなことを思ったのか分からない。ただ、自分を見て望が平静でいるのが気に食わない。
亜季は薄く口元に笑みを浮かべると、そのまま望へと顔を向けた。
「大河くん。ちょっと手伝ってもらえないかしら」
「手伝うのは構わないけど、何を手伝えばいいんだ?」
手伝うことが思いつかない望は、小さく首をひねりながら亜季へと歩いて行く。
「んー? もちろん。だ・つ・い・の」
「はあ!?」
望の反応を楽しむような小悪魔めいた笑顔で、一文字一文字を区切るように言葉を紡ぐ。
「大河くんも見てるだけじゃ暇でしょう? だ・か・ら、少しは参加してもらおうかなぁ、と思って」
「参加って……」
さすがに予想外の展開だったのだろう。オロオロと首を左右に振り、助けを求めるように絵梨華を見る。
「ルール的には何ら問題はない。存分に手伝うといい」
ニヤニヤした笑いを浮かべ、太鼓判を押されてしまう。
「しっかりな」
「がんばれー」
美里も彩も、なぜだか声援を送ってきた。
「それじゃ、大河くん」
しびれるような甘い亜季の声に、思わず背筋がビクっと震える。
壊れたロボットのようなぎこちない動きで振り返れば、笑みをたたえた亜季がイスの上で右足を抱えるように片膝をついていた。ついついスカートに目がいってしまうが、素敵な布地は上手く隠されており、もどかしいやら残念やら安堵するやら、酷く複雑な気持ちになる。
「靴下、脱がせてもらえる?」
望の引きつった固い表情を楽しむように、亜季は甘えるような声で手伝いの内容を口にした。
◆
(これは……どういう状況だ……?)
望は混乱の極みにいた。放課後、部活に行こうと思った矢先に絵梨華から『急用がある。すぐに部室に来てくれ』というメールに呼び出されて来てみれば、用事というのは脱衣麻雀の観客になってくれというものだった。
健全で一般的な高校生であり、ギャルゲやエロゲを人並みには嗜む望は最初、「これはなんのエロゲだ!? フラグか!?」などと思いつつ、四人の美少女のあられもない姿が見られるかもしれないチャンスを逃すものかとふたつ返事で了承したのだ。
望は観客だ。被害の及ばぬ安全なところから眺めているだけの傍観者。そうであったはずだ。そうでなければならないはずだ。それなのに――どうして今、自分は当事者になっているんだ……?
当事者、というのは言葉が違うかもしれない。麻雀を打って何かを賭けているわけではないからだ。ただ彼は――追い詰められていた。見る側から見られる側へ、いつの間にか望の立場は逆転していた。
(なぜ榊は俺にこんなことを手伝わせる……?)
そもそもそれが分からない。何か彼女の気に障ることをしたのだろうか? 己の行動を振り返りながら考えるが、それらしいことに思い当たらない。亜季との付き合いは高校に入ってから今までの約九ヶ月間しかないが、こんなふうな小悪魔めいた行動は見たことがない。少しばかり気の強い気性で、ファッション誌の読者モデルのような容姿にも関わらず、どちらかというと古風で奥ゆかしいタイプの性格だと思っていたのだが……。
(……ああ、そういうことか)
唐突に理解した。
これは罠だ。絵梨華達四人が仕掛けてきたいたずらだ。ドッキリだ。
おかしいと思っていたのだ。いくら他の男子より親しいとは言え、普通の女子高生が脱衣麻雀を見てくれ、なんていうはずがない。それこそ出来損ないのエロゲではないか。
これは初めから仕組まれていたのだ。きっと四人は、自分をからかって遊んでいるのだ。
(そうくるならこっちにも考えがあるからな)
決意すると、望は大きく息を吸った。
◆
(ふふふふ。慌ててる慌ててる)
オロオロする望を眺め、小悪魔のような笑顔の下で亜季は内心満足そうにほくそ笑む。
(まったく。こんな美人がこれから生足になろうとしてるのに、関心なさそうな顔をしてるのが悪いのよ)
亜季だって年頃の女子なのだ。例え靴下とはいえ、好きな男子の前で脱ぐにはそれなりの覚悟が必要なのだ。
そう。亜季は望が好きだった。正確には、他の男子の誰よりも意識している、というのが正しいのだが、好きだという気持ちがあることには変わりがない。
それだというのに、件の男子はまるで平然としている。そんな不公平はありえないし、許せない。望には自分と同じくらいにはドキドキしてもらわないと割りに合わない。そのための『手伝い』なのだ。そして、それは効果抜群だった。
(もっとドキドキしなさい。そしてわたしの魅力に気付くといいのよ)
当初の思いとは違う感情に目覚めつつあるような気がしないでもないが、とにかく亜季は妖艶とも言える笑みを崩さずに望を見る。
「ふう……」
望は不意に大きく息を吐くと、亜季の足元に片膝を着いた。そして伺うように恭しく亜季の顔を見つめる。彼の顔に動揺や困惑はなく、ただただ静かで、物腰の柔らかそうな笑みが浮かんでいる。
「足、出しな。脱がせてやるよ」
「え……? ええ」
急に望の様子が変わったことに戸惑いつつも、今さら後に引けない亜季はスカートに気を付けながらそのまま足を前へと出す。
望は亜季のきれいな足を包み込むように、右手をふくらはぎ、左手をすねへと持っていく。
「……ぁ…………ん」
亜季のくちびるから、吐息とも嬌声とも取れる声が小さく漏れた。
望の左手でゆっくりと、黒いソックスが脱がされていく。おそらく滑らないようにするためだろう。ふくらはぎは望の右手でがっちりと、常に二本の指でつまむように押さえられている。では、他の指はどうしているのか、と言えば……動いているのだ。ピアノを演奏する音楽家のごとく、時に弱く優しく。時に強く荒々しく。リズムを持って、亜季のふくらはぎに絶えず刺激を送ってきていた。
(やだ、な、に? この感じ……)
それはとても複雑な感情だ。一言で表すのなら気持ちいい、だろう。マッサージを受けているような心地良さに加え、気になる男子に触られているという心情もプラスされ、身体が熱くなってくるような、それでいて切ないような。ひどく曖昧でもどかしく、頭の芯が痺れていくような感覚。
(ちょ、だ、だめ……このまま、だと……)
思わず身体が固くなってしまう。そしてそれは望にも伝わったのだろう。ふくらはぎへの刺激が無くなった。
(は、はあ、お、終わったぁ……)
安堵の息を吐く。しかし、それはそれで少しばかり残念な気もしている亜季だった。
このまま続けられた確実に変になる。実感し、確信した亜季は、望にもう手伝わなくてもいいと伝えようとして――
「…………っ!」
新たに走り抜けた快感に、再び身体を固くした。
当然、その原因は足にあった。足の甲と足の裏。両方を力強くしごくような刺激がたまらない。
慌てて足元に目を落とせば、ソックスの裾をくるぶしまで下ろした望が、足の甲をこするようにして脱がしにかかっていた。
外から見ると、どこもおかしいようには見えない。だが、親指と人差し指を巧みに使い、足の甲と足の裏を押さえつけるようにしていることに加え、指の付け根にくると一際強く指の腹を押しこんでくる。くすぐったさと痛さと気持よさ。これらが一度に、しかも何回も押し寄せてくる。
身体を固くし、顔を俯かせ、歯を噛み締めるように口元をきつく引き結ぶ。油断したら出てしまいそうになる声を必死に抑えこむ。
(もう、や、やめ……!)
地獄のようで天国のような時間が過ぎるのを祈るようにひたすら待つ。時間にしたら数分も経っていない。しかし、亜季にしたら永遠にも等しい時間が流れていく。
「左足終わったぜ。次は右足だ」
不意に聞こえた望の声に、はっと我に返る。
「も、もういい。いい、いいわ。ありがとう」
早口にそう言って、亜季は右足を守るようにイスの奥へと引っ込める。
「……そっか」
望は立ち上がり、脱がした靴下を床に置くと元居た自分の場所へと戻って行った。
「さあ、続けましょう。次の局よ」
素早く残りの靴下を脱ぎ、上履きに乗せるように畳んで置くと、何かを振り払うように声を出して卓へと向き直る。
「なかなかやるじゃないか」
自分の後ろに戻ってきた望に、絵梨華は肩越しに振り返りながら小さく笑いかける。
「よく言うぜ、仕掛けてきたのはお前らのくせに」
鼻白みながら望は言い返す。
「それよりお前はいいのかよ。服、一枚は着れるんだろ?」
「ん? ああ、そうだね。別に寒くはないし、このままでもいいかと思っているよ。それに何より、のぞむんだってこのままのほうがいいだろう?」
「別に。好きにしろよ」
「では好きにさせてもらってこのままだ。ところでどうだったあっきーの足は。形はきれいだし、肌はすべすべだったろう?」
「知るかよ」
不機嫌そうにそっぽを向く。しかし、その頬に赤みが差しているのを絵梨華は見逃さない。
ふふふ、と小さく笑いながら絵梨華は卓に向き直ると、ドラ決めのサイコロを振った。
(確かにきれいな肌ではあったな……)
身体の横に無造作に垂らした手を握りながら、望は亜季の足の感触を思い出す。
彼は中学からずっと陸上部であるため、男子にしても女子にしても、それなりに「足の形」というものを見てきている。彼の知る足というのは走るために特化、もしくは訓練されたものだ。脂肪の少ない、筋肉に裏打ちされたしなやかな足。肉体美というものを顕現しているような、そういう足を数多く見てきた。だから、今さら亜季の生足を前にしようがどうも思わない。そう、望は思っていた。だが実際、それは幻想だと思い知らされた。その幻想は思い切りぶち殺された。
美脚、というのだろう。しなやかという点では、彼が今まで見てきたものとほとんど変わらない。だがそこに、女性らしい柔らかさというものが加わるだけで、こんなにも印象が変わるのか。顔には微塵も出しはしなかったが、軽いショックを覚えた望である。
そして何より、触り心地が最高だった。上質な絹に触っているような感触、とでも表現すればいいのだろうか。すべすべのさらさらで、それでいて張りがあって柔らかい。自分の足とは確実に、今までマッサージしたことのある女子の陸上部員の誰とも違う。まさに「女の子」の足だった。
(あんまりにも触ってて気持よかったから、ついつい入念にマッサージしちまったんだよな)
本来の予定では、いたずらの仕返しとばかりに足ツボマッサージの如く、痛くなるようなツボを指で押し、涙のひとつも目の端に浮かべてもらうつもりだったのだ。しかし、結果はといえば、今までの部活動で培ってきたマッサージスキルを全開にしてしまっていた。運動での疲労が溜まっていない彼女の足に、一体どれだけの効果があったかは分からないが、それなりに気持ち良かったのではないかと望は思う。
(まあ、いいさ。やり返す機会はまたあるだろう)
気持ちを切り替え、望は卓上へと目を向けた。
◆
(ふむふむ。そこそこにはお互いを意識してくれたのかな?)
打牌しながら絵梨華は思う。
(のぞむんにはもう少しあっきーのことを意識してもらわないとね。見ている私が面白くない。だからここであっきーにもう少し脱いで欲しいんだが)
牌をツモる。持ってきたのは七。
【親・絵梨華 手牌】
六七八八八赤⑤⑤⑥456678 ドラ:4
(あっきーの点数は一五〇〇〇点。二〇〇〇以上で一枚。七七〇〇以上で二枚。親満に振り込めば三枚の脱衣だから、私がリーチをかけたら九割方は降りてくるはず……)
絵梨華は⑤に人差し指を持っていく。
(まだ七巡目。普通に打つならダマの場面。だけど、ここは確実に服を剥ぎに行く……!)
「リーチ!」
宣言し、絵梨華は赤⑤を横にした。
(あっきーから出るのがベストだけど、ここはツモって四〇〇〇オール、裏が乗っての六〇〇〇オールでも問題ない)
そんなことを思い、絵梨華は千点棒を卓上に置いた。
(赤⑤でリーチ、か)
亜季は牌をツモリ、絵梨華の河を見る。
【親・絵梨華 捨て牌】
南1三①⑨西 リーチ牌:赤⑤
(普通に読めばギリギリまで②③赤⑤か、赤⑤⑦⑧の形。でも、①⑨を切ってるから①―④、⑥―⑨はあり得ない。なら、赤⑤は孤立牌で、もうひとつの何かの孤立牌があって、そっちにくっついたことによるくっつき聴牌)
自分の手牌へと目を戻す。
444579②④二三四七八 ツモ:②
(筒子は全て通る。素直に行くなら④切りなんだけど……)
手牌に②を入れ、④を摘む。
(ビンビンに嫌な感じがしてたまらない。これが当たりだとすると赤⑤⑤⑥からあえて赤⑤を切ったことによるハメ手のリーチ。そしてそれは赤を切っても打点は問題ないということ。メンタンピンドラ一の親満。下手したら四五六の三色まである、か)
亜季は④を放し、9に手をかける。
(せっかくのドラ暗子。ここは自分の感覚を信じて進むのみ!)
決意し、9を場に放つ。
「セーフ」
絵梨華はおどけたように、両手を小さく水平に振ってみせる。
「じゃ、それポン」
美里が鳴き、亜季の河から9を取る。
「親リーの一発目に無筋の9。榊も手が早そうだからね。鳴いておくよ」
南を切る。
「聴牌、ということかな?」
「さてね」
絵梨華は山へと手を伸ばし、そのまま③をツモ切った。
それから数巡後――
「ツモ」
七を引き、牌を倒したのは美里だ。
「北赤赤。一三〇〇・二六〇〇の一本付けは一四〇〇・二七〇〇」
「さすがみさみさ。逆転トップだ」
アガれなかったことより、誰一人脱がせられなかったことを残念に思いつつ、点棒を渡しながら絵梨華は言う。
「今のところはね。これが次も続けばいいんだけど」
全員から出された点棒を箱へと置きながら、油断はしない美里であった。
迎えた東四局(オーラス)。ドラは7。
(ラス親なのはいいけれど)
配牌を取りながら亜季は考える。
(トップの美里との差は一七六〇〇点。一回で決めるなら七七〇〇の直……じゃあダメか。満直ハネツモ条件)
理牌しながら亜季の思考は続く。
(連荘を視野に入れるような甘い考えはダメよね。親は続けてアガるためでなく、大きい手をアガるためにあるんだから。けれど、)
ちらりと横目で絵梨華を見る。
(トップを取れないまでも、こんな場を作った絵梨華に一泡吹かせ、一矢を報いたいのよね)
【親・亜季 配牌】
一二四七八九②④⑤246南北
(悪くない。一通と二三四か四五六の三色の両天秤。早そうだけど、自分がいいときは他家もいい。油断は禁物ね)
亜季が北を切り、オーラスが始まった。
◆
亜季の手は順調だった。
次巡に五をツモリ、打②。三巡目に八をツモって打南。四巡目、六を引き入れたところで亜季の手が止まった。
(四五六の三色に取るか、一通に取るかだけど)
思案し、卓上の全員の河をざっと見る。
(字牌と老頭牌ばかりで関連牌は出ていない。四巡目ということを考慮すればそれも当然か。ならここは、)
亜季は一、二、2、4、6と、順番に親指の腹で触っていく。
(索子にパワーを感じない。わたしのところには来ないということね。なら)
亜季は6を切る。
(最高形は萬子の一通清一色。最後の親だし、より高く高くってね)
そんなことを思った矢先――
「やれやれ、ようやく入ったよ。リーチ」
絵梨華がリーチを宣言した。
「あううぅー。早いのですよー」
「あたしからの三九〇〇直か、ツモって一三〇〇・二六〇〇か満貫出あがりがトップ条件。きっちり作ってそうだなぁ」
彩は嘆き、美里は逆境が嬉しいかのように楽しそうに笑った。
「ホント、手がよく入ること。羨ましいわ」
軽口を叩きながら亜季はツモる。持ってきたのは⑥。
【親・亜季 手牌】
一二四五六七八八九④⑤⑥24
【北家・絵梨華 捨て牌】
1東南 リーチ牌:⑥
(これといったヒントは無し。素直に考えれば⑥の側テンだけど……)
そこまで考え、亜季は小さく頭を振った。
(この巡目で当たり牌を読もうとするのが無理ね。ここはもう、自分の感覚を信じて打つしかない。それに、)
ほんの刹那、望の顔を見る。
(大河くんが見てるんだもの。最後までわたしらしい麻雀を打つだけよ)
そうして、亜季は4を切った。
(さすがあっきー。最後まで押してくる気だね)
絵梨華は亜季の、己を信じたぶれない打ち方に感心する。ちなみに、絵梨華の手牌はこうである。
【北家・絵梨華 手牌】
①②③赤55578四四北北北
トップになれる、出アガリでも満貫の手だ。
亜季の『感覚』は的中していた。四五六の三色に必要な5は絵梨華に暗子で、引くことはまず出来ないだろう。チーしようにも、絵梨華が引き入れたらカンされてしまう。三色に向かっていたなら九割以上の確率でアガれず、最悪として6での放銃もあったかもしれない。しかし、三色を見切り、なおかつ6を先切りできた。流れはやや、亜季に傾きつつあるのかもしれない。
(分の悪い勝負になっちゃったかもね)
嫌な予感にチリチリしながら、内心で苦笑する絵梨華だった。
六巡目に亜季は④を入れ、打2。七巡目で⑦を引き入れ――
「リーチよ」
八を切って宣言した。
【親・亜季 手牌】
一二四五六七八九④④⑤⑥⑦
(やられたね)
絵梨華は小さく口元だけで寂しく笑う。亜季は一発でツモる。これは予感ではなく確信だ。
(誰だって好きな人の前でカッコイイとこ見せたいもんね)
きっとその気持ちが亜季を勝利へと導くのだ。
(私がツモる……訳ないし)
と、絵梨華が諦めていたところ――
「ツモ、です」
「……は?」
不意に聞こえた声に、思わず目が点になる。
「ツモのみ。三〇〇・五〇〇です」
見やれば、いつの間にか彩が牌を倒していた。
「やりましたー。彩さんがトップですよー! わーい、やっと美里ちゃんに勝ちましたー!」
わーいわーい、と両手を上げて、彩は満面の笑顔で喜んだ。
「……やられたわね」
苦笑して、亜季は深くイスに背中を預け、
「さすが彩ね。ここ一番の勝負強さには敵わないわ」
あーあ、残念、と大きく伸びをした。
一発でツモるという感触はあった。けれど、結果はツモすら回ってこなかった。
(少しはいいところ見せられると思ったんだけどな)
ラスになったことより、そっちの方が悔しい亜季だった。
【東風戦終了】
一位:彩 三二四〇〇点
二位:美里 三〇九〇〇点
三位:絵梨華 二三六〇〇点
四位:亜季 一二一〇〇点
「それでは諸君。二回戦といこうか」
自分の手牌と山を崩し、軽く洗牌しながら絵梨華が言った。
「二回戦?」
思わず間抜けな声で聞き返す亜季。
「当然だろう? なんのための東風戦なんだい。より多く打つためだろう?」
「それはそうなんだけれど……」
まさか二回目があるとは思っていなかった亜季が、釈然としないものを抱えて難色を示す。
「ならば次からは普通のルールにしよう。脱衣は無し。のぞむんも含めた五人の勝負。二着抜けでどうだい?」
「あたしは構わないよ。打ち足りないし、このままあーちゃんに負けたままじゃ終われないしね」
「彩さんもいいのですよー。返り討ちにしちゃいますから」
美里と彩の同意を得、絵梨華は望へと顔を向ける。
「のぞむんはどうだい?」
「俺の方も問題ないさ。普通に麻雀が打てるならそれでいい」
「だ、そうだけど?」
絵梨華は意地の悪い笑顔で亜季を見る。
「分かったわよ。やるわよ」
降参とばかりに、亜季はため息混じりに賛同した。
「それでは改めて場決めをしよう。白を引いた者が抜け番だ」
絵梨華は卓から東、南、西、北、白を探し、手元に集めてかき混ぜる。
「おっと」
思わず勢いが余ったのか、牌のひとつが絵梨華の指を抜けるようにして床に落ちた。
「もう、何をやってるのよ。そんなことしたら麻雀の神様に怒られるわよ」
亜季はイスから立ち上がり、予想外に飛び跳ねて壁際で止まった牌を拾う。
「そういえばあっきー。まだ清算が済んでいなんじゃないかな?」
「清算? 点棒なら払ったじゃない」
背後から聞こえる絵梨華の声に、亜季はじゃがんだままで答える。
「そっちではないよ。こっちの――脱衣の方だよ」
「え?」
その声が、まるで耳元で言われているかのように、妙に近くで聞こえたことに疑問を感じたときには遅かった。
牌を拾って立ち上がった瞬間――ストン、と足元にスカートが落ちた。
「………………え?」
「ほほう。ライムグリーンか。なかなか可愛らしいパンツじゃないか」
気付けば、腰を落とした絵梨華がすぐ間近で自分のパンツを眺めており、唖然とした顔で望が自分の腰あたりを凝視している状態なわけで……。
「――――――!」
声をあげる間もなく瞬時に全身が沸点を超え、すぐさまブラウスで隠すようにその場にぺたりと座り込む。
「――――――ッ!!」
言いたいことが幾百も頭の中を駆け巡るが、それら一切の全てを羞恥と怒りが埋め尽くし、泣いているような怒っているような真っ赤な顔で目の端に涙を溜め、亜季は絵梨華を睨みつけることしか出来ない。
「『ラスは無条件で一枚の脱衣』。忘れていたようなので強制執行させてもらったよ」
微塵も悪びれることなく、それどころか顔いっぱいにニヤニヤした、ナルラトホテプもかくやと言わんばかりの笑みを浮かべて絵梨華はしれっと言い放った。
「……ああ、そう……」
亜季は奥歯を噛み締め、肩をわななかせながらスカートを掴んで立ち上がる。
「それはどうもありがとうね……!」
引きつった顔で礼を言う。
掴みかかって殴ってやりたい。今日という今日はガツンと物理的な痛い目を見させてやりたい。海より広い亜季の心も、ここらが我慢の限界で、堪忍袋の緒が切れる寸前だ。
だけど、と亜季はギリギリで思いとどまる。ここでキレたら絵梨華の思う壺だし、そして何より、そんな醜態を望に見せるわけにはいかない。さらすわけにはいかない。彼の前ではきれいで、凛とした女でいたいのだから。
「卓に着きなさい、絵梨華! 今度こそ、今日こそギャフンと言わせてあげるから!」
「望むところだよ。返り討ちにして、目にもの見せてあげよう」
二人は睨み合い、火が着きそうなほどの火花を散らす。
「お二人とも仲が良いのですよー」
「まあ、仲がいい……んだろうなあ……」
彩は笑い、美里は苦笑う。
そして望はというと、
(永島がピンクで榊がグリーンか。二人とも意外にパステルな可愛らしい下着を穿いてるんだな。読モ系美少女と知的系美人の二人だから、もっと派手で原色なやつでも似合うと思うんだけどな。まあ、外見と好みは別問題ということか)
などと、白いブラウスにパンツ姿で睨み合う二人を眺めながらそんなことを考えていた。
創作活動研究部。本日の活動はまだ終わらない。
創作活動研究部活動日誌 ~麻雀黙示録編~ 日原武仁 @hinohara77
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます