第12話 影の行方
路地に入ると待ち構えていたもう一人の私が話しかけてきた。
「もう喋ってもいいよ」
喉の辺りがすっと楽になる感覚がした。
「ねえ、これは何?どうなってるの?答えなさいよ!!!」
「文句を言うのは勝手だけどさ……まずは自分の置かれている状況ってやつを確認したほうがいいと思うよ。まあ、もう手遅れなんだけどね」
私の体のほうを指差しながら、からかっているような口調で言う。私はそれに釣られるように自分の体に目をやる。服装はさっきまで着てたものと明らかに違っていた。しかし、見覚えはあった。そして、決定打は目にかかるくらい深く被ったフードだった。
「もしかして……入れ替わった……の?」
信じられない、信じたくないという思いで一杯だったがそれ以外には考えられなかった。同時に、目の前にいるのはいつか増やした『私』なんだと理解した。
「消えて!」
とっさに口に出すが、消える気配は全くなかった。
「なんでよ?お願いだから、早く消えなさいよ!!!」
目の前の私は私を見ながら嘲笑っているような表情を浮かべていた。私は何度も何度も試すが目の前の私は消えることはなかった。
私の心は折れかけていて、焦りと混乱の度合いは最高潮に達していた。
「ねえ、なんで『私』が消えないのかって不思議に思っているんでしょう?」
その問いかけに体がびくっっと反応する。
「もう気付いているとは思うけど、今はあなたが『私』なのよ。言っている意味は理解できるかしら?」
早い段階で気付いていて、理解はしていたが認めたくなった事実をはっきりと突きつけられる。そして、現実を見るため足元に目線を落とした。そこには私にあるはずの影がなかった。
「ねえ、何で入れ替わったの?あの本には入れ替わる方法までは書かれていなかったわ。それに、そもそも私は『私』を全員消したはずよ!!!」
目の前の私は大げさに首を横に振る。
「そもそもそこが間違いなのよ。あなたは全員消してなんかいなかったのよ」
「どういうことよ?あなたは誰なの?」
私は『私』のことを思い返すが、どんなに思い出してもちゃんと全員消していた。
「まだ気が付かないの?私はあなたが一番最初に作ってバイトに代わりに行かせた『私』なのよ」
「だから、その『私』はちゃんと消したわ。さらに増やした『私』をバイトに行かせて、公園のベンチにいた『私』でしょ?」
「だから、それが違うのよ」
目の前の私は笑いをこらえるのに必死そうだった。
「ど……どういうこと?」
「分かりやすく説明してあげる。私は公園の物陰でまず一人『私』を増やしたのよ。そして、その増やした『私』に増やす方法を教えて、さらにもう一人『私』を増やさせたのよ」
目の前の私はさながら完全犯罪を成し遂げ恍惚の表情で事件の全容を語る犯人のように雄弁に語る。
「そして、その一番最後に増えた『私』に、私が増やした『私』からバイトに行ってほしいとお願いしてもらったのよ。そのあと私が増やした『私』には下手に逃げようとしたりすると消すと脅して、私の代わりにベンチでくつろいでもらっていたのよ。そこにあなたがやってきたわけよ」
「じゃあ、私があなただと思って消した『私』はあなたが増やした『私』だったとでも言うの?」
「そうよ!大正解」
皮肉たっぷりの満面の笑みを私に向ける。
「ちゃんと思い出してみなさい?ちゃんとあの『私』は言っていたはずよ」
あの時の『私』がどういう言動をしていたか脳をフルに使って思い出す。そして、思い当たる言葉に行き当たった。
「私は増やした『私』にバイトに行ってとお願いして、その後は言われた通りずっとここにいたのよ」
思わず口に出していた。
「そう。私はそれを近くで聞いていたから少し焦ったんだけどね。でも、あなたは頭に血が上っていたのか、それとも話を最後まで聞いてなかったのかは知らないけど、気が付かないでくれて本当に助かったわ」
「そんな……」
しかし、それだけの言葉で全容を掴めるわけがないと思った。
「それに、あの消された『私』はあなたに自分がどういう存在なのかをちゃんと伝えようとしてたじゃないの」
「まだ何か見落としてたって言うの?」
「ええ。あのとき消された『私』は、あなたのことを私だと最初思い込んでいて、違和感に気付いて足元の影を確認していたのよ。そして、自分は本体のあなたには頼まれていないと伝えようとしたのよ。残念ながらあなたはそのどちらにも気付いてなかったけどね」
私はショックのあまり膝から崩れ落ちた。
「気付かなかったのは私の落ち度だけれども、その話おかしくない?」
「何がおかしいのかな?」
私の反応を楽しむように囃し立ててくる。
「あの本には、増やした『私』には増やす方法の記憶がないってあったわ。それなのに、何であなたは新しく増やせたりできるのよ?」
「バカなの?よく思い出してみなさいよ」
最初に作った『私』の見ている前で新しく『私』を増やしたことがあった。
「……でも、あれだけで……?見てただけでしょ?あなた」
「それは半分正解。確かに増やしているところを見れたのは大きかったわ。その前に私があの本を読んでしまったことで色々と知っちゃったからね」
本を見たときに増やし方を知り、私が実践したのを見て覚えたということなのだろう。
「じゃあさ、何で入れ替わったのよ?入れ替わってしまう危険性は書かれていたけど、方法までは書かれていなかったわ!!!」
「それは簡単よ。あなたの持っている鞄の中を見ればいいのよ」
言われて初めて鞄を肩から掛けていることに気が付いた。鞄を開け中を見るとあの本が入っていた。
「なんであなたがこの本持っているのよ?」
「あの日の次の日かな、家に忍び込んで私が持っていったからに決まってるじゃない。他の日にも時々食事とかのために忍び込んではいたんだけどね。まあ、それはいいから、表紙を見てみなさいな。今のあなたになら読めるでしょ?」
言っている意味はさっぱり分からなかったが、言われた通り本を取り出し、表紙を見る。
《影を追え》
そこには文字がはっきりと印字されていた。表紙は確か擦れたようになって読めなかったはずだ。
「何で読めるの……?」
本を開いて擦れて読めなくなっていた箇所を探す。しかし、擦れている箇所は全く見当たらなかった。本の後半のあの焦りと恐怖に満ちていた箇所に擦れた場所があったことを思い出しそのページを開く。
『複体は影を求めている。』
『助手が半月消さずにいた複体に「お前の影をくれ」と言われた瞬間二人が入れ替わったように見えた。』
擦れた箇所なんてなく、全てがすんなりと読めてしまった。さらにこれらが書かれていた後のページの何も書かれていないと思っていた箇所の余白部分にもぎっしりと書き込みがあった。
そこには複体側からの研究成果が書かれていた。そして、複体が指で何度もこするとそこは普通の人の目には擦れたように見え、複体には読めるが普通の人には読めなくなることを発見し、それを利用して研究を進めてきたということが書かれていた。
私が今こうして普通に読めるということは、私自身が複体……ドッペルゲンガーになった証拠でもあった。
「ね、わかったでしょ?」
へたり込む私を見下ろしながら楽しそうな声で話す。
「じゃあ、そろそろ加奈たちと合流しないとさすがにまずいわよね。今日は食事会……なんでしょ?」
「何で知ってるの?」
「だって、バイト先の近くで加奈にばったり会って聞かされたからね。でも、私の存在をあなたに知られたくないから他人のフリして無視したけどね」
「あれは加奈の見間違いじゃなかったのね……えっ?バイト先?」
もう驚くことはないと思っていたがさらに追い打ちをかけられる。
「そう、バイト先。ああ……あなたはクビになったと思い込んでるのね」
「どういうこと?なんでクビになったことまで知ってるのよ?」
「クビになる一部始終を私は見てたからね。物音を立てたときはちょっと焦ったけどね。で、次の日に山田さんにもう一回謝りにいったのよ。土下座して、泣きつくようにして謝ったら簡単に許してくれたわ。男って本当にちょろいよね。まあ、あなたが普段真面目に働いてたのも許してもらえた一因なんだけどね」
バイト先から給料を振り込まれてないことや、明細が届いていないことに全く気が付いていなかった。色んなことが短期間で起こったことと、学校が楽しくてすっかり忘れてしまっていた。
「それよりさ、いつから沙織さんとあんなに仲良くなったの?どちらかといえば苦手なタイプで好きじゃなかったよね?なのに、今日もだけど……最近ずっと一緒にいるわけよ?」
「沙織が大切な友達だからに決まってるでしょ」
もう声を張り上げて反論する気力も残ってなく、力のない声で答える。
「なるほどねえ……今は沙織って呼んでるのね。知らなかったわ。だから、私があなたじゃないって気付かれたのかしら」
「あなたいつ沙織に会ったのよ?」
「先週の週末かな。夜の公園でたまたまね。あのときはうまく誤魔化そうとしたんだけど、『あなたが本物の麻衣っていうなら、影を見せなさい』なんて言いだすんだもん。だから、そこで逃げちゃったのよね」
次々に話が繋がっていく。
「じゃあ、沙織は気付いていたのならなんで私にそのこと話してくれなかったのよ?」
「それは少し考えればわかるでしょ?そんな話、普通なら信じるほうがどうかしてるのよ」
それもそうだった。私は体験しているから信じることは出来るが、そうじゃない人に話しても意味の分からない冗談にしか聞こえない。加奈がそうだった。
沙織は変なことを言って嫌われたくないと考えたんじゃないだろうか。沙織の性格と人付き合いの不器用さを考えるとそういう結論に至った。でも、それだと沙織は……
「沙織はこの自分を増やす方法を知っていたことにならない?」
また思ったことが口に出る。
「そうよ。沙織さんは知ってるわ。というより、今のあなたと同じね」
「同じ?……まさか沙織が増やした自分と入れ替わってるとでも言うの?」
「まさにその通りよ。きっと夏休みに入れ替わったのね」
うんうんと頷きながら、一人で勝手に納得している。
「何でそんなことまで分かるのよ?」
「夏を境に不自然に人が変わったからよ。きっと自分を増やして話す練習でもしてたんじゃないかしら?もしそうだったら、最高に笑える話よね」
クスクス笑っているが、それが不愉快でしかなかった。
「それでも、入れ替わったという証拠にはならないわ!」
「それがわかるのよ。あの子は影が違う。入れ替わった人の影は不自然に少し欠けているのよ。あの本の擦れたところに隠された文字のように普通の人には分からない感覚だろうけどね」
私は言葉が出てこない。嘘だと言いたくても反論する材料がない。
「じゃあ、沙織があの電話の日以降ずっと私と一緒にいたのって……」
「沙織さんは私からあなたを守っていたつもりじゃないのかな。入れ替わる隙を与えないようにね」
何も見えていなかった自分が恥ずかしかった。もう少しちゃんと話をしていれば、もう少し深く物事を考えていたら……そんな後悔ばかりが浮かんでは消えた。
目の前の私は鞄から携帯を取り出し、何かを確認し始める。
「さすが私ね。今日の予定もしっかりメモされてるわ。じゃあ、そろそろ本当にお店に行かないとね」
そう言うと路地の出口のほうに歩き始めた。
「待ってよ……私はどうすればいいのよ?」
目の前の私は立ち止まり、私のほうに顔だけ向け、静かな声ではっきりと言う。
「消えればいいじゃない」
その瞬間に私の全ての感覚と意識がなくなった。
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