【3】そして僕は神様をやめる

 僕と橘一家の四人で『ドデッかに』を思いっきり堪能した翌日の放課後、僕は親友の吉田修太郎と学校のトイレにいた。

 いわゆる連れションってヤツだ。


「威、お前ホントに神サマやめるのか? それ、みなもちゃんは知ってんの?」


 隣でズボンのチャックを下げている男子生徒バカ、吉田修太郎が心配そうに言った。その語気には幾分静止の意も含んでいたが、そんなもんで僕の決意が変わってたまるか。


「しっ。誰かに聞かれたら困んだろが。

 ……先に言ったらプチ殺されっから言ってない」


 あの『恐怖の女王』に言えるか、んなもん。

 この計画がバレたら僕は、メリケンサックを装備したみなもに鉄拳を以て粛正される。


『プチ殺される』とは、即ち半殺し《ハーフ・デス》。

『ブチ殺し』なら、全死フル・デスなのは言うまでもない。


「いや、後で言ってもフルボッコだと思うが……」


 僕の唯一の親友は、低いトーンで怯えるように言った。

 僕の身を案じているのが、震える声音からも分かる。


 ――カノジョ《みなも》は僕に強いるんだ。


 国防のかなめ、皇国の守護神、この世で唯一の抑止力、

 超絶ヒーロー的存在、『イクサガミ』になれ、と。

 大切な女性のお願いだ。出来ることなら叶えてやりたい。


 ――――だがッ、断るッ!


 僕がもし『イクサガミ』になってしまったら、首賭けても彼女を絶対幸せに出来ない。最愛の女よりも国を護ることを強いられるんだ。


 いくら今は平和で安全だからっていっても、軍に拘束される。

 そんな生活はイヤなんだ。


 親父や兄貴の家庭がどうなったかを、間近で見てる僕が言うんだから間違いない。

 そんなの、許せないだろう?


たけるさぁ、あした出雲大社いずもたいしゃでナントカって儀式すんだっけ? 人間に『帰化きか』するヤツ」

「やっと儀式に応募出来る年令トシになったんだ。どれだけこの日が待ち遠しかったことか」


 この儀式を受ければ、僕は生物学的にも「人間」になれるんだ!

 みなもにバレずに人間になってしまえばこっちのもの。


 卑怯だって?


 何とでも言え。


 みなもの幸せの前では、いかなる手段も合法化されるんだ。

 ……僕の中ではね。


「気持ちは分かるけど、みなもちゃんがキレ――」

「もう飛行機のチケットだって取ってあんだぜ。今晩、こっちを発つ!」


 僕は吉田の言葉を遮った。

 奴のツラが露骨に心配のステータスをピコピコ表示してるが、そんなもん知ったことか。


「お前、愛だな」

「生き様だよ、クソッタレ!」


 僕らはしばし睨み合い、……そして、盛大に吹いた。


 今日はこの後、駅前に出来たカフェのスイーツバイキングでみなもをもてなした後、近くの公園で作戦を実行する予定になっている。


 告白をすっとばして、プロポーズをするつもりだ。

 成功率は五分五分な気もするけど、指輪の現物を見せればあいつだってウンと言うかもしれない。


 そしたら後の祭りさ。

 休み明けの僕はもう、人間さんになっている。



 ☆



 トイレを出た僕は、みなもの待つ校門へとダッシュした。

 昇降口を出て、校庭を横切って、僕は校門の門柱に寄りかかるみなもを見つけた。


 僕は、大きく息を吸い込んで、気持ちを落ち着けようと試みた。

 ……失敗。


 そして、ポケットの中で、ソレの柔らかな感触を確かめる。

 ……まだ落ち着かない。


 しかし時間はない。もう一度、その感触を確かめた。

 ……よし!


 短く起毛したベルベットに包まれた小箱の中身は、みなもに渡す婚約指輪…………。



  ― ― ― ―



 でも、あのあと僕は、出雲行きの飛行機には乗らなかった。



 兄貴がドジったんだ。



 ヤツの乗った戦艦「ゆきかぜ」が沈んだ。



 いったい海で何があったのか。あの南方琢磨が乗っていたっていうのに――。



   ☆ ☆ ☆



 スイーツをみなもに腹いっぱい食わせた後、公園でのプロポーズに挑んだ僕を待っていたのは、ひどい顛末だった。せっかくいい雰囲気になったのに、いきなり海軍のいかつい兵士が五人ほど乱入してきたんだ。

 僕が覚悟を決めて、さあ指輪を渡そうって時にだよ!


「な、何なんですか、貴方たちは! 僕、軍には行かないことになってたでしょう!?」


 僕は、ついうっかり、みなもの前で軍に入らないことを言っちゃった。

 でも、みなもはポカンとして気付いてない。


「悪かったな。事情が変わった」


 海兵たちの背後から割り込んできた男が言った。

 どこかで聞き覚えのある声と、ガッチリとした体に海軍士官の制服を身につけたその人は――


「もしかして、難波……さん?」

「おう。この姿では、初めまして、だな。南方威君」

「「ええ~~~~~~~~~ッ!?」」


 僕とみなもは同時に声を上げた。

 だって、え? いつも近所で見かけるあの難波さんが海軍中尉?

 どうなってんだ?


「あんなことがなけりゃ、ずっと近所の宅配屋の兄ちゃんでいられたんだけどな」

 バツの悪そうな顔でそう言うと、難波さんはポリポリと頭を掻いた。


「あんなことって、一体何があったんですか?」

 と、僕は難波さんに詰め寄った。


「一昨日の夜遅く、ゆきかぜが沈んだ」


「はぁ―――――っ?」


 僕は思わずのけぞった。

 仰いだ空には少しスリムになった満月が昇っていた。

 後で知った。

 兄貴が失踪したのは満月の晩だと――


「なんで沈むんですか。兄貴が乗ってたんでしょ!」

「威、ホントに沈んだから、難波さんたちが来たんじゃん」

「あ、それもそうか……」


 冗談でこんなことしないよな。でも、信じられない。


「とにかく時間がない。続きはあっちで話す。

 悪いが二人とも、一緒に来てくれ」

 難波さんは、そう言いながら、ちょっと強引に僕の肩を抱いて公園の外の方に歩き出した。



 この事態が僕の人生にとって、取り返しのつかないルート変更イベントだと気付いたのは、軍港で乗せられた軍用ヘリの窓から、皇都の夜景が見えたころだった。

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