M.H. V.S. M.H.H.

朝月

一.抗争

 室内に独特な臭いが漂っていた。

 饐えた――ものではない。

 汚臭――でもない。

 ――煙だ。

 その芳醇な香りは片隅に置かれた簡易的な燻製器から放たれたものだった。

 細かく砕かれたサクラの木片がぐずぐずと燻煙を吐き出している。

 きい、と音を立てて燻製器の扉が開かれた。既に十分な時間が経過していたのであろう。軍手を填めた男がにんまりと顔を歪め中に手を入れた。

「嗚呼。これこれ、これだよ。うまそうだなあ」

 骨の付いた大振りな肉を取り出す。大きさから推察するに恐らくは大腿部だろう。

 牛か豚かと思いたいところだが、肉牛のそれにしては小さすぎるし豚にしては長すぎた。

 では何か、と問われれば。肉への造詣が浅くともそれなりに知恵を絞って答えるとするならばそう、鹿肉、だろうか。

 すらりと伸びるその大腿はジビエと言われれば確かに。草原を駆けるために引き絞められた力強さのようなものを感じる。

 飼い慣らされた家畜のそれとは、一線を画していた。

「親父っさん、出来ましたぜ。若い方でしたっけ?」

 つなぎの上部だけを脱ぎ、タンクトップ一枚でパイプ椅子に腰掛けた男が答える。

「サブ、確かに肉は若ぇ方がいい。だがよ、お前ぇのは若ぇってんじゃなくって幼いっちゅーんだよ」

 答えた男が紫煙を吐き捨て灰を落とす。

「ですがね親父っさん、俺は脂がだめなんでさァ。勘弁してくだせぇ」

 サブと呼ばれた男はしきりに頭を下げながら、燻された肉を手際よく取り出していく。大きめの肉塊を慣れた手つきで切り分け皿の上に盛りつけていった。

 洒落たつもりかレタスを敷いて彩りを添えている。明らかに二人分ではない。この場にいない人間の分だろう。

 一連の作業はお世辞にも台所とは呼べない場所で行われていた。炊事場ではなく工場の片隅とでも呼ぶのが相応しい。

 実際そこは木材加工用の簡易的な作業用のプレハブ小屋だった。

 亜鉛鍍鉄板に覆われ、採光用に填め込まれたガラス以外は無機質な青銀白の一色である。その奥の、工作機械群によって入り口から死角となる位置に、彼らが寛ぐための休憩スペースがあった。サブが作業をし親方がくつろいでいるのがその場所だ。

 椅子や机が乱雑に配置されている。大きさや材質、形状、メーカー、何もかもがちぐはぐな、統一感のない空間。彼ら各々が物を持ち寄って作ったのだろう。

 他にも将棋盤や囲碁盤が置いてあるのを見るに、彼らの趣味が伺える。もっとも、それらは木くずや埃を被っていたため最近は別の遊戯に没頭しているようではあるが。

 この、サブが丁寧に扱うアルミの燻製器も作業員の趣味が高じて持ち込まれたものの一つであった。肉は燻製が一番旨いのだとそう豪語する彼の言が誰にも受け入れられず、業を煮やして持ち込まれたものだった。以来獲れたての肉はこうして燻製にされている。

この材木加工場は山中にひっそりと佇んでいた。無論周囲の山々は彼らの所属する組合の所有である。

 なるほどとなれば彼らが新鮮な肉をそれなりの頻度で仕入れられる理由にも頷ける。いかな人工林とはいえその全てが人の手の入った領域という訳ではないのだ。そちら側に住む獣たちの徘徊と遭遇する機会も多いだろう。

 きっと彼らはそんな獣たちを狩っているのだ。

 加工場に銃器やそれらを管理するための厳重な保管庫、もしくはそれに準ずる設備がみあたらないので、どうやら罠猟を基本にしているようであった。

「おう! サブ! 仕上がったみてぇだな!」

 日はもう落ちかけている。仕事を終えたのだろうか。外から引き上げてきた作業員達が続々とスペースへ集まってくる。皆この晩餐を楽しみにしていたのだろう。ひと際体の大きな男がクーラーボックスを引き下げて最後に合流した。中身は当然、ビールだ。

 男達が手に手に缶を持ち、乾杯の音頭で開栓時の小気味よい音を立てる。汗水を垂らして働く彼らにとって、この宴会はささやかながらも決して小さくはない楽しみだったのだろう。皆々顔を綻ばせ、腰に手を当て中身を呷る。

 だが彼らがそれ以上の酔いを楽しむことは叶わなかった。

 ガシャリ、と嫌な音を立てながらガラスが割れる。

 カンコンと高く響く音が後に続いた。

 催涙弾だ。

「総員応戦準備!」

 突如として投げ込まれた金属管から勢いよく噴煙が撒き散らされる。あまりに唐突な事態であったが男達の行動は素早かった。慣れていると言ってもいいだろう。

 でなければ彼らは特殊な訓練を受けたゲリラという事になる。素朴な一般人が唐突に投げ込まれた兵器へと対応できるはずがない。彼らが通常な存在であれば、即座に倒れ込み床を転げ回る無様な姿を晒すことになっていたはずだ。

 だが、そうではない。親方の一声は極めて鋭く響き渡り、覿面の効果を発していた。

各々が手近な工具を手に取り一目散に外へ向かい駆けている。鉈、あるいはジグソー、サーキュラソー、果てはチェーンソーと、その武装も多岐にわたる。鋸がその大半を占めるのは職場の関係上仕方がないことであろう。

 結果として投げ込まれた催涙弾を被った者は一人もいなかった。被害という意味では折角の楽しみを邪魔されたのだから、無かったとは言えないのだろうが。

 だが彼らに敵対する――このような行為は敵対以外の何者でもないだろう――存在ははじめから彼らが回避することを予想していた様だった。外へ飛び出そうとしていた男達が一斉に倒れ込む。

 矢だ。体中に無数の矢が刺さっている。幾人かはそれが致命傷となってしまったようだった。

 外には黒いスーツの軍団が男達を待ち構えるようにして横陣を敷いていた。各人がクロスボウやアーチェリー等の遠距離装備で武装している。

 作業場の男達は状況を瞬時に理解したのだろう。動ける者は全員が素早く移動し、積み上げられた材木の物陰に身を隠す。

 倒れ込んでいた者、足を射貫かれ移動速度が低下していた者に容赦なく追撃の矢が放たれる。

 端的に言って良い腕だった。隠れ遅れた男達は正確な一撃をその身に受け、絶命した。

 残った男達も材木の陰に釘付けにされた。物陰から少しでも様子を伺おうものならば、即座に矢が叩き込まれる。投擲武器を持たない彼らはなすすべがなくなっていた。

 黒スーツの軍団は、圧倒的に有利な状況であるにも関わらず陣を解こうとはしない。突撃の気配もない。

 それはもしかしたら有利だからこそ、であったのかもしれない。陣を変更し現状が変化すれば、その先にあるのは有利な状況だけとは限らない。

 現場は膠着状態へ陥っていた。

 もしかしたら、はじめからこれが狙いだったのかもしれない。


  * * *


 そこから幾何か離れた路上。

 アスファルトで丁寧に舗装された道路に数台の車が停車していた。

「……どうやら膠着したようね」

 スモークガードの内側から状況を観察していた少女が呟きをもらす。

 黒いセーラー服に身を包む凛とした顔立ちの少女だった。制服を着ているということはまだ十代なのだろう。

 しかし彼女の落ち着いた雰囲気はその年齢にそぐわないように思えた。

「どうされるので、お嬢」

 彼女の傍に控えていた小栗鼠を彷彿とさせる幼気な少女が口を開く。

 問われて少女――今日月きょうげつ明子あかるこ――は瞑目する。

彼女らが敵対する人種は『マン・ハンター』。追い立て、追い詰め、絶望の淵を味あわせる。その過程にこの上ない快楽を見出したどうしようもなく救いがたい人種。

 いや、最早彼らは人でない。その枠を逸脱している。

 人の輪を外れた人ならざる者たち。

 故に彼女らの行う殺戮はその単語――『殺』という単語――が用いられることはない。

 ただ無機質に、駆除と呼ばれる。

 彼女らの駆除行為は周到に練られた計画の元に行われるものであった。マン・ハンターは社会の裏に深く潜み、獲物を仕留めるその瞬間まで決して表に顔を出さないからだ。

 潜む獣を狙う狩人もまた、獣と等しく森に身を潜める。彼らを追い詰めるには狩人も獣と化さねばならない。

 つまり彼女らもまたハンターにならざるを得なかったのだ。手練手管で人々を闇に引きずり込むマン・ハンターを憎む彼女らもまた。

 ハンターを狩るハンターに。

 『マン・ハンター・ハンター』に。

 明子は再びその視線を外に向けた。

 マン・ハンター共は己の持てる全てを用いて行われる『狩り』に愉悦を見出している。奴らの戦闘能力は平均して高い。

 もし黒服の男たちが迂闊に接近しては討ちに遭ってしまうだろう。

 しかし遮蔽物に身を隠す奴らをこのまま飛び道具で仕留めることはできない。

 包囲殲滅には数が足りない。彼女らM・H・HマンハンターハンターM・Hマンハンター達と比べて圧倒的に少ない。これでも動かせる最大の人員を動員しているのだ。

 このまま状況が膠着したままであれば、本作戦の指揮を執る本郷は撤退を命令するだろう。そうなれば相手へ一方的に損害を与えた結果となり、作戦としては上々の成果となる。

 少女明子はそっと膝上のギターケースを指でなぞると、再び深い思考の海に身を委ねた。分析する。今のことを。今までのことを。これらかのことを。

 ――このまま撤退したとしても、組織として見れば作戦は成功なのかもしれない。

 漸滅戦。

 少しずつ削っていけば、いずれはなくなる。

 そういう、作戦。

 しかし。

 抑えようのない憎悪が明子の内側から溢れてくる。

 明子はこのまま感情の生みだす激流に身を任せれば取り返しの付かない結果を招くであろうと理解していた。

 理解はしていた。

 だが、それでも。

 ガリガリと音を立ててギターケースに爪を立てる。葛藤に思わず割れんばかりの力が込められていたのだ。

 激情を懸命に抑える明子の指にそっと柔らかな指が絡められる。

 傍付きの少女、今留日いまるび栗子くりこの指だった。

大きな瞳を潤ませて、栗子は言外にその旨を伝える。

 お嬢の思う事こそが、正義なのです。

 二つ年の違う幼馴染である栗子の視線を受けて、明子は落ち着き取り戻す。

 弱者を嬲り罪なき人々の命を奪う奴らを一匹たりとも生かしては置けない。だから、殺す。明子は冷静な頭でそう繰り返した。

 非常に明確で矛盾のない理論だ。姉は関係がない。

 明子は何度も繰り返した。

 害獣は駆除する。害虫も等しく駆除する。そうしなければ我々の生活に支障が出てくる。故に駆除する。人ではないものが人に仇をなす場合は駆除という行為が許されるのだ。そう。姉は関係が無い。

 彼らは人ではない。故に駆除という行為が許されるのだ。殺人ではない。私が斬るのは人ではないのだ。許されている。駆り除くとは言うが、繁殖する前に根絶やしにしなければ鼬ごっこに終着するのは自明なことだ。やるからには徹底しなければならない。

 そう、でなければ無間にこの地獄の中で沼田うつことになる。

 姉さんがどうとかじゃない。そうしなければ、ならないんだ。

 明子は必死に論を組み上げる。そこに感情の入る余地はない。あってはならないのだ。


 明子は、決断した――

 さて、ここで突然ではあるがこの悲哀で激情的な少女明子の運命を読者自身の手で決定することが許されているとお伝えしよう。

 明子は飛び出すべきか、せざるべきか。

 無論その判断は神に委ねてもよい。例えば手元にコインや賽があればそれを振るなどすることによって。しかし、その場合でも責任はあなたが取らなければならない。

 準備は宜しいだろうか。

 選択の時である。


 1. 明子は飛び出す事を決意した。

 2. 明子は激情を飲み込み留まる事を決意した。


 選択をなされた後は、それぞれ該当する結末へと移動して頂きたい。もし指示に従わなかった場合、一切の保証を受けつけないので注意されたし。

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M.H. V.S. M.H.H. 朝月 @asathuki

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