廃墟にて - 闇が深くなるのは - The future remoteness
扉を開けて肌に触れた朝の空気は音を立てそうに冷たい。
外の洗面所で顔を洗い頭を上げた俺は、少し離れた位置に立って空を見上げているリュシュカさんを見つけた。
「おはようございます」
彼女はこちらを振り向いて、挨拶を返し──再び空に視線を戻した。
「今朝は空模様が怪しいですね」
言われて俺も空を見上げる。
薄い灰色。遠くには雲の塊が見えた。
「ああ……少し冷え込んでますね。今日の夜には降り始めるかもしれません」
昨日はやたら古傷が痛んだのでもしかしたらと思ってはいたが。
「……マットさん……寒くないんですか」
彼女がまじまじと俺を見つめる。……そう言えば起きたばかりで上に着ているのは薄手のTシャツだけだ。
「ちょっと寒いですね。でも目が覚めてちょうどいいです」
そう応えると、リュシュカさんがくすと微笑った。
「鍛え方が違うのかしらね。他の皆は慌てて上着を引っ張り出していたのに」
そう言う彼女も、いつもの服装にカーディガンを1枚羽織っていた。
「俺、寒さには強いんですよ」
そんな他愛のない返事をした時。
「……あの」
彼女は軽くうつむき、おずおずと切り出した。
「……昨日は巻き込んでしまって……ごめんなさい」
苦しさを押し殺したような表情で、彼女は言葉を続ける。
「……試験稼動中のアクセラに『殺人禁忌』を施さないまま人を襲わせるなんて……」
その声はかすれて、震えていた。
「油断していました……あの人ならやりかねないって、分かっていたのに──」
俺は彼──ラング博士について尋ねようか逡巡し──代わりに軽く微笑って答える。
「最終的に助かったのだから、いいですよ。……どちらにしてもリュシュカさんのせいじゃない。気にしないでください」
その途端、彼女はきっと睨みつけるように俺を見た。
「──笑い事じゃありません!」
即座に返ってくる言葉。……真摯な表情。
「あれは運がよかっただけです。あの衝撃をまともに受けていたら、内臓系に致命的な損傷を受けていたはずです……!」
……確かに軽症で済んだ事が奇跡に近かった。直感に従って後方へ回避を行なった訳だが、そうでなければ確実にその場で死んでいただろう。
しばしの沈黙のあと。
「……どうして貴方は」
彼女は大きく息を吐いた。
「本当に、貴方は自分のことはどうでもいいの……?」
ぽつりと零れる言葉。
「……え?」
「──いいえ、そんなことは問題じゃない。貴方は実際どちらでもいいのかもしれないけど、貴方のその行動によって私がやきもきさせられるのが嫌なの」
なぜそんなことを彼女が言うのか、分からないまま途惑う。
「……どうして怒らないの。雇った側の私がいうのは筋違いだとは分かっているけれど、貴方はその処遇について十分抗議できる立場にあるのに」
まっすぐな瞳で俺に問い掛ける彼女。
はぐらかそうとして──何故か目をそらすことが出来ず。
「今はまだ……」
ようよう言葉を搾り出した。
「……え」
「今はまだ答えが見つからないんですよ」
彼女は虚を突かれたような表情をする。
「マットさん……?」
「あ、リュシィ」
背後から子供達の声がした。
「御飯まだー? お腹すいたよぅ」
「ごめんなさい。今行くわ」
その声に返事をして……リュシュカさんが俺に視線を戻す。
「どうぞ行ってきてください」
俺が苦笑しながらそう言うと彼女は軽く頭を下げて、子供達を促し宿舎に入っていった。
──ごめんなさい。
その背中を見ながら、俺は心の中で謝罪の言葉を述べる。
彼女の言葉は素直に嬉しいと思う。あんな表情をさせたことは心苦しく思うけれど。
俺は曇り空をもう一度見上げた。
その色は少しずつ濃さを増しているようだった。
***
……何故、あんなことを訊いてしまったのだろう。
彼女は子供達の食事を盛りつけた皿を並べながら、心の中で一人ごちた。
子供達がいっせいに食事を始めたのを確認して、手近な椅子を引き寄せ座り込む。
年齢の割に幼い顔立ち、それに似合った素直で少し照れ屋なところ。
反面銃を持たせた時の顔つきは厳しくて、プロフェッショナルであることを見せつける。
人当たりはいいのに、肝心なところは軽く躱されて。
……こんなに苛つくのは、きっと彼の考えていることが分からないからだ。
無意識についた溜息がやけに大きく聴こえる。
ついこの間までは自分のことで精一杯だったはずなのに。
どうして私はこんなに彼のことを気にしているんだろう──彼を巻き込んでしまったからなのか……それとも。
***
訓練2日目。
「マロウ、タイム、シナモンは昨日の続きをそのまま。ミントとローレル、ジンジャーは少しずつ時間を縮めていくように」
子供達はおのおの了解の意を示し各自の位置へ散らばっていく。それを確認してから俺はセージを呼び寄せた。
「セージはこっちへ」
昨日他の子供達に行なった説明をセージに行なう。一日分の遅れを取り戻してやらなくてはならない。
午前中一杯集中して見てやったところ、大体他の子供達と大差ないところまで近付いてきた。
そのまま続けるように指示をすると、改めて他の子供達に目を遣る。
実力がとにかく際立っているのはジンジャーだった。
昨日のチェックの時。
「試射させてください」
唐突に言われ途惑ったが、俺はそのまま許可を出した。
ジンジャーは当初俺が定めた射撃位置から4倍の距離──最終目標の200メートル地点に立つ。
「本当にそこでいいのか」
ジンジャーは頷き、銃を構える。フォームは完璧だった。
そのまま慎重に1回、また1回とターゲットに向かって撃ち放つ。
『試射』と称した2発は当たらなかったが。
「固有誤差は判りました。……今から本番行きます」
俺は頷いた。
ジンジャーは標的に向かって射撃姿勢をとる。
何気ない動作だが──それは寸分狂わず標的に合わされる。
そのまま、水平にスライドさせながら連続して6発撃ち放した。
「……」
5秒……いや、4秒強か。ターゲットは、全て破壊され周囲に散らばっている。
思わず舌を巻く。ほぼ抜き打ちに近い状態で全弾命中か──改めて訓練など必要ないのかもしれない。
ひとまずジンジャーには正確さを維持した上で時間を縮めていくように指示し、他の子供達のチェックに入った。
次にローレル。ジンジャー程の派手さはないものの、命中させることを目標に堅実に腕を上げている。
その次はミント。続いてマロウ、セージ、タイム……あえて順番をつけてみたが、この3人は実力にあまり差はない。
──問題は。
ちら、とシナモンを見る。
「うう……」
……目を潤ませて、親の仇とばかりにターゲットをにらみつけながら銃を撃ち放つものの、全くヒットしない。
他の子供達が、全弾命中とは行かなくとも、かなりの確率で弾を当てられるようになったのに対して──シナモンは未だに的にかすらせることすら出来ずにいた。
「そんなにあせらなくてもいいんだぞ」
声をかけてはみたものの……あせるよなぁ。自分以外のやつはどんどん上達してくんだから。
……と。シナモンが銃を構えていた腕を、ぱたっと落とした。
「……? シナモ……」
悪い予感がする。
「ちくしょーぉぉぉ」
「おい、やめ……」
制止も間に合わず。
シナモンはグリップをつかんだまま野球のピッチャーのように大きく振りかぶり、銃を外壁の標的に向かって投げつけた。
銃身は50メートル先の標的に命中──その衝撃で暴発する。
「……」
あさっての方向に飛んでゆく銃弾。
俺はあまりのことに絶句したまま固まった。
が──すぐに気を取り直し、シナモンに向かって歩み寄る。他の子供達は呆然としたままだ。
「シナモン!」
やはり呆然としているシナモンの頬を、俺は軽く平手で打った。
「お前……やっていいことと悪いことがあるだろう!」
シナモンは最初何が起こったのか分からなかったようだが、やがて悔しそうに表情を歪めると……大声で泣き始めた。
「うわああん、マットが、マットが叩いたあ……」
俺は溜息をつく。そのまま、シナモンの正面にしゃがみ込んだ。
「あのなあ……いらいらするのはわかる。けど、癇癪を起こすのはよくない。ましてや、八つ当たりするのはもっと悪い」
シナモンが泣き顔のまま俺を見る。
「今回は運良く誰も怪我はしなかったけど……暴発した弾がミントやマロウ──他の仲間達に当たったらどうするつもりなんだ?」
「怪我……?」
俺は頷いた。泣く声が、だんだん小さくなってくる。
俺は軽く息を吐くと、苦笑いしてシナモンの頭をぐりぐりと撫でた。
「お前、自分が出来なくって悔しいんだろうけど──それでも俺が初めて銃を握った時より全然悪くないんだぞ。俺なんか、見当違いの方向に弾は飛んでくし、手が痺れてすぐに二発目なんて撃てなかったし、おまけに反動で後ろによろけたしな。仲間が背中支えてくれなかったら、尻餅ついてたんじゃないかな」
シナモンの表情が泣き笑いの表情になる。
「うわあ、マット、恰好わりーの」
「るせ」
頭を撫でていた手で、そのまま頭を小突く。
いてー、とシナモンは小突かれた個所をさする。
「……でも、マットはそれでも、あれだけうまくなったんだよな」
そのあと零れた言葉には、もう泣き声は含まれていなかった。
「ん?」
シナモンが頬を押さえる。そのまま、空を見上げた。
空から落ちてくる白い粒子を目で追って、手で掴もうとする。
……ああ、降って来たな。
「……冷たい……」
目を丸くして。──そうか、こいつらは雪を見るのも初めてなのか。
「なぁなぁ! マット、これ何?」
「『雪』だよ」
「『ゆき』……」
他の子供達も、上空を無心に見つめている。俺は時計を見て言った。
「ちょっと早いけど今日はここまでにするか」
その途端、マロウとセージとシナモンがこっちを振り返った。
「外で遊んでてもいい?」
「少しだけな。銃を片付けたら行ってきていいぞ。空が完全に暗くなったら部屋に戻ること」
「やったー!」
銃を所定の位置に戻すと、子供達は駆けていった。
計測を行なっているスタッフに向かって、本日の訓練終了を告げる。寒そうにしていたメンバー達はいそいそと計器にビニールシートをかぶせ始めた。
近くでラップトップに何かを打ち込んでいるリュシュカさんに声をかける。
「お疲れ様です」
彼女は『ちょっと待ってください』と前置きし、とんでもないスピードで入力を終わらせ、顔を上げた。
「──すいません、邪魔してしまいましたね」
「いえ。もう終わるところでしたから」
そう言うと2、3回何かのキーを叩く。画面に大きく『終了』の文字が現れ、消えた。
「マットさん、保育士目指したほうが良かったんじゃないですか」
「……まさか」
苦笑いしながら応えると、冗談めかした口調でリュシュカさんが言う。
「あの子達もすっかり懐いているみたいだし」
「──リュシュカさん」
俺は思い切って、彼女に訊ねた。
「あいつらのこと……嫌いなんですか」
「そんな訳、ないわ」
リュシュカさんはくすっと微笑う。……そして、子供達を見つめた。
「……あの子達が好きだから」
白い息を吐きながら、彼女は答える。
「ミント、ジンジャー、シナモン、タイム、マロウ、セージ、ローレル……」
呪文を唱えるように子供達の名前を連ねた。
「……ハーブは今でこそ科学的解明もされていて、その効用も研究されている。けれどきっと大昔の人にとっては食中毒を防いでくれる不思議な草であって、そして身を守る力を持つモノとして扱われていた……
私達の守り神になってくれますように──そんな願いを託して、あの子達にはハーブの名前をつけたんだそうです」
「……」
「でもそれは……育て上げたあの子達を戦場に送り込むということ」
彼女の気持ちを知ってか知らずか、子供達は目の前で無邪気に遊んでいる。
「どんなに美しい言葉を連ねたって……私達ラボのメンバーは偽善者の集まりです。それでもこの罪深い行為を続けなければ未来を切り開くことはできない」
リュシュカさんは俺のほうを振り返り──途惑ったように微笑う。
「そんな表情をしないでください……私達は既に覚悟の上ですし、それに……」
彼女はそこで言葉を切る。俺もあえて訊き返そうとはしなかった。
──それは、俺にも必要とされるはずの『覚悟』だった。
***
薄暗い部屋。
漂白された蛍光灯の光の中、同じ服装に異なる階級章をつけた人々が窓のない部屋で円卓を囲んでいた。
「……どういうことだ」
苛立つように机を指で叩きながら将校が解説を求める。肩章と襟章から、かなり高位に属する軍人と判断できた。
それに対し、報告者は淡々と答える。
「粒子、素粒子、重力子。あらゆるセンサーが反応を示さないと申し上げました」
すかさず別の将校が異議を唱えた。
「つまりは……USFE──南北米大陸は、現在地球上に存在していない……とでも言うつもりかね」
報告者は発言者をチラッと見て、あっさりと言う。
「『観測できないものは存在しない』、という現代科学の定義で言えばそうなりますね」
「何を馬鹿な……」
鼻白む将校達をよそ目に、報告者は解説を続ける。
「正確に言えば、観測できないのではなく、すべての計測波が飲み込まれているのです。これをご覧ください」
スクリーンに映し出される世界地図のコンピュータ・グラフィック。南北に伸びる大陸がその陸地の稜線に沿って黒く染め上げられている。
「原因は分かりません。衛星からの光学映像でも同じく黒一色。光子さえ飲み込まれています」
「いったい何が起こっているといるというのだ。我々の敵国は消滅したのかね? わずか2時間で国土ごと」
苛立ったように声が上がる。
「アロラウワか……予想よりも遥かに早かったな」
その声に一同が一斉に振り向いた。オブザーバー席に座るただ一人黒いスーツを着用した男性が放った言葉だった。
「猶予はなくなったようだ。code*Eの残る全工程を省略し、最終段階へ移行させるしかあるまい」
別の将校が食って掛かる。
「急すぎる! かの計画に失敗すれば我々にはもはや後がないのだぞ」
「猶予は既になくなったと言った」
間髪入れぬ男の言葉に将校は気圧されたように黙り込んだ。
「最悪の場合、数ヶ月中に『躯体』が目覚める。『蝕』はその前兆にすぎん」
「しかし……」
「試験段階とは言え、既に1体を除いて予定数値に達している。問題はない」
「机上の空論だ! ……実戦データさえまだ」
「──試してみればいいのでは」
異質な若い声が言う。
「何だと?」
沈黙の後上がった異議の声を遮るように青年は言葉を続ける。
「我々に必要なのは、倣岸にも人の身で上位領域に居座るあの存在に対抗する手段です。……執行者の能力を試すには同じ執行者をぶつけるのが一番でしょう」
「まさか……」
「『アクセラ』を『Kitten』にぶつけます。そこで生き残った、より優秀な方を選択すればいい」
ざわ、と空気が鳴る。
「我々が求めたものは、神々をも焼き尽くす新たなるゲヘナの火なのですから」
若い将校はスーツの男性に視線を向ける。
「好きにすればいい」
男性は立ち上がり、すっと部屋を出て行く。
会議の終了が告げられ、将校達は次々と席を立っていった。
***
夕暮れ時。
若い将校は看板のない店の扉を開け、ゆっくり奥へ入っていった。
薄暗いバーのカウンターの奥に腰掛ける。
「お疲れ様です」
隣に座る男がさり気なく声をかけてくる。
「提案してきましたよ。──ラング博士」
若い将校が応えた。そのまま、カウンターの店員に酒を注文する。
「有難うございます。ようやく彼女らの実力を見せつけることができる」
ラングが嗤う。若い将校は苦笑いしながら言った。
「頭の固い老人方は『人間の尊厳』という幻想に捕らわれすぎていますからね」
目の前にグラスが置かれ、酒が注がれていく。
「所詮奴らは『夜』の末端──利権に群がるしか能のない、産軍複合体の恥部と垢だけが積もってできたような連中に何ができるものか」
「確かに」
「……さて、私は約束を果たした。……ならば貴方もそれに応えてくれるべきだと思うが」
若い将校がグラスを軽く揺らしながら言う。
「分かっていますよ」
ラングは言った。
「『アクセラ』をお貸しいたしましょう。──来たるべき日のために」
***
そこから数百キロ離れたラボの一室。
ノックの音がする。
「はい」
ラップトップのキーを叩きながらアヤは返事をした。
扉が開き、中に入って静止する靴音。
アヤは顔を上げ慌てて立ち上がった。
青年が正面で敬礼していた。
「安全保障局からです」
感情を込めぬ声で青年が告げる。
「緊急の依頼あり。明日出頭されたし。以上です」
「……分かりました」
青年は頷き、静かに部屋を出ていった。
足音が遠ざかる。
アヤは再び椅子に座り込み……電話をとり素早くボタンを押した。
数コールののち応答した声に問う。
「ツヅキです。……ミラー博士を呼んでもらえるかしら」
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