廃墟にて - 殺人禁忌 - Disturbed arm

 与えられた仕事をこなすべく動き回る。

 自分に言い聞かせる。今日をやり過ごせばよいのだから、と。

 だが、そんな彼女の思いをあざ笑うかのように、男はいつも彼女の前に立ちふさがる。

「久しぶりだな、リュシュカ=ミラー博士」

 彼女は振り返る。

 目に入ったのは、銀縁の眼鏡と冷徹な笑みの男。そして佇むように寄り添う、銀髪の少女。

「──どうも。あまり参考にはならないでしょうが好きなだけご覧になっていってください」

 男はくっと喉を鳴らして嗤う。

「歓迎の言葉とは思えんな」

「歓迎してませんから」

 言い捨てて『では、』と立ち去ろうとする彼女の背中に、男の言葉が突き刺さる。

「相変わらず、うまいこと人間の中に紛れ込んでるじゃないか人形」

 彼女は硬い表情で、自分を『人形』呼ばわりするその男の名を呟く。

「──ラング博士……」



   ***



 遅めに入ったカフェテリアはほぼ満員だった。

 食事を終え立ち上がったグループと入れ替わるように座り、食事を始める。

 ふと視線を上げると、昼食を持って席を探している2人組の片割れと目が合った。女性は俺の使っているテーブルを指して尋ねる。

「こちら、空いてます?」

「どうぞ」

 返事をすると、2人組は俺の正面と隣の席に腰掛けた。……あれ?

 このテーブルは4人席ではなく8人席だ。単なる相席なら対角線の向こう側とかに座らないか?

 その疑問はすぐに氷解する。正面に座った女性が俺に話し掛けてきたからだ。

「……あの」

「はい」

「マティアスさん……ですよね」

「……はい」

 返事は少々怪訝になったかも知れない。一体どこから俺の名前を拾ってきたのか。

「あたしはカタリナです」

「私、マリエっていいます。二人ともオペレーション担当」

「……よろしく」

 形ばかりの挨拶をする。そういえば俺、ラボで名前を知っている人、5人もいないんだよな。

「ところで……それ、全部食べるんですか?」

「はぁ、まぁ」

 この問い、ここのところしょっちゅう聞いているような気がするんだが──俺、そんなに大食いですか。

「ところで1つお聞きしたいんですが」

「ん?」

「私の名前をどこで」

 2人の表情が真顔になった。……やがて。

「やーだ、マットさん。面白すぎます」

 唐突にけらけらと笑うカタリナ嬢。……俺は無言でコーヒーに口をつける。

「だって、マットさんこの施設の職員の中で唯一の男性なんですよ? 覚えるなってほうが無理ですよ」

「ああ、そうでしたね」

 今回は外部スタッフが参加しているので多少緩和されてはいるが、それにしてもこの食堂に座っている8割が女性だ。──技術者という職業のせいもあるのだろうか。独特の雰囲気を醸し出している。

 何にしても落ち着かない。早めに食べて、行くか……

 そう思って食事のペースを上げかかった時。

「ね、今日すごく小さい子来てなかった?」

「いたいた。銀色の髪のすごく可愛い女の子。二研の新人みたいだけど、随分幼いわよね」

 その言葉に気を取られる。

「あ、マットさんは知らないですよね」

 マリエさんが助け舟を出してくれる。

「見学者が来るというのは聞いていたんですが……そう言えば、男性が来てましたね。銀縁眼鏡の」

 俺が答えると、カタリナさんが言った。

「ああ、ラング博士のことね」

「ラング博士……」

「二研の有名人よ。研究が命の、いわゆる『マッドサイエンティスト』ってタイプ」

「二研……」

 知らない単語が立て続けに出てきて、途惑う。

 俺の表情を読んだのか、マリエさんが補足してくれた。

「二研というのは、ここと同じcode*E計画の一つを担う機関で、新しい自律思考兵器を開発しているの。ただ、うちと違うのは」

 彼女は微かに言い淀む。

「開発に使用している素地が違うの。私達はKitten──人間を模したものを作ったのに対して、彼らは人間をベースとした自律思考兵器を目指している」

 ……人間をベースとした?

「我が国の最重要機密だから一般の人は誰も知らないわ。だからここへ来たばかりのマットさんは知らなくて当然」

 カタリナさんが言う。

「最初は一研が人間以外の動物、二研が人間、三研が生物以外、という分けられ方をしていたの。ただ、動物も人間もつまるところは進化の過程で分岐した、元は同じ物でしょ。だから分けるのが無意味ということになって一研と二研は統合されて、今は一つになっているの」

 説明を聞きながら、俺の心は『人間をベースとした』という言葉の禍々しさに捕らわれた。

 不意に、思い出す。リュシュカさんが見ていたあの男──その隣に寄り添うように立っていた銀髪の少女。

「ラング博士も、普段あれだけ三研に対して色々言ってるわりには毎回見学に立ち会うわよね」

「あたし、あの人は彼女が欲しいんじゃないかって思ってるんだけど」

「ええ? だっていつも突っかかってるじゃない」

 ……不意に話から置き去りにされたような。

「それは関係ないわよ。だって彼女、ミラー博士の娘じゃない。ある意味最強のコネクションだと思わない?」

 ……ミラー博士? リュシュカさんじゃない、もう一人の。

「……あの」

 勝手に盛り上がる2人の会話に何とか割って入る。

「何?」

 とくに気に障った様子もなく、カタリナさんが言う。

「……ミラー博士って、誰ですか?」

 カタリナさんとマリエさんは真顔になって、顔を見合わせた。そのまま、また笑い出す。

「ごめんなさい……ミラー博士を知らない人がいるとは思ってなかったわ」

 ひとしきり笑ったあと、カタリナさんがようやく応えた。

「……いえ」

 ……モノ知らずは自覚しているんで笑われるのは構わないが、注目を引いてしまうのには閉口する。

「──『ヴィルヘルム=ミラー』。3年前に生理学・医学賞を与えられて全世界的に有名になった、わが国の遺伝学の権威的人物よ。国内ではそれ以前から知る人ぞ知る高名な化学者」

 3年前か……俺、戦場に出かけてていなかったからな……半分負け惜しみのようなことを思う。

「……そして、二研の名誉顧問でもある。つまり、ヴィルヘルム=ミラー博士はラング博士のいるラボの一番上に位置する人間な訳」

 ああ、それで『最強のコネクション』ということになる訳か。俺はようやく理解する。

「……だとしても、かなり見込みのない線だと思うんだけど。うちのミラー博士はご尊父のことあまり好きでないみたいだし、ラング博士のことだってあんなに嫌がってるじゃない」

「いいんじゃない? ラング博士は研究命の人だし。別に彼女の愛情が得られなくったって」

 会話は再び噂話に移行していった。……さすがにここいらが限界か。

 半分残っていたコーヒーを喉に流し込み、席を立った。

「……失礼します」

 『またねー』という感じで手をひらひらと振るカタリナさんと大人しく頭を下げるマリエさん。

 しばらくはごめんだな、と思いながら俺は軽く頭を下げ、カフェテリアを後にした。



   ***



 そのまま俺は宿舎に戻ってきた。

 扉を開けようとして──聴き慣れた声に気がついて視線をむける。

 リュシュカさん──そして、先程彼女を凝視していた男。そして隣で佇む少女。

「どうした。──言葉も忘れてしまったのか」

「謂れもない中傷を語る人に返す言葉などありません」

 剣呑な雰囲気。

 ただ事でないのは一目瞭然だった。しかし、何も事情をしらない俺が間に入るのは気が引ける。

 その時。小さな石が男の銀縁眼鏡をかすめた。

 石が飛んできた方向を目で追う。──セージが怒りを抑えこんだ表情で男を睨んでいた。


「……ここの実験体は人間に対する礼儀作法すら仕込まれていないのか」

 落ちかけた眼鏡を正しながら彼は言う。

 一歩踏み出す男。固くなった表情のまま、それでも退かずセージとの間に立つリュシュカさん。男はそのまま彼女のほうに詰め寄っていく。

 俺はとうとう、男と彼女の間に割り込んだ。


「何だ、お前は」

 詰問するような男の声。

「ただの職員ですよ。子供達の保護者でもありますけど」

「……保護者?」

 男は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐに納得した表情を浮かべる。

「君か、第三種に配属された軍人上がりというのは」

「そうですが」

 応える俺に、男はくっくっと嗤う。

「──災難だったな、いいように利用されて」

「何のことでしょう」

「……はっ。ピュグマリオンか……愉快な事だな」

 彼は嘲る口調をやめない。

「いい加減にして下さい」

 背中からリュシュカさんの抗議が聴こえる。

「騎士が現れた途端強気にでるか」

「ラング博士……!!」

 悲痛にも聴こえる彼女の声。俺は彼女を制して、男に言う。

「セージが行なったことは確かにこちらの手落ちです、謝罪しましょう。ですが抗議を通り越した非難をうける筋合いはないはずです」

「──アクセラ」

 男の声と同時に銀髪の少女が動いた。

 俺の手首を取り、男から引き離そうとする。俺は一瞬それに逆らおうとして──その予想外の力に身体を引いた。

 間髪を入れず、少女は右足を軸に左足をすさまじい速度で踏み込んでくる。そのままの体勢から信じられない速度で肩を俺に突き入れた。

 回避しようと無意識に大きく後ろに飛びすさる。だが、間に合わない。

 受身をとった俺の身体は数メートル後方の石塀にぶつかり、強制的に止められた。

 みぞおちへの衝撃と背中の痛みで俺は一瞬呼吸を止められ──そのあと派手に咳き込んだ。

「優秀だな……彼女の膂力を体捌きだけでこうも殺せるのか。まだ改善の余地があるな」

 興味津々といった男の声。

 同年代の少女、いや人間の規格さえ大きく上回る速度と力。類推するまでもなく理解した。銀髪の少女──『アクセラ』と呼ばれた少女こそが、二研の自律思考兵器なのだと。

「ラング博士……! まだ実験段階のモノに殺人禁忌を与えてないのですか!?」

 前方から聴こえる、リュシュカさんの抗議。

「──それがどうした」

 どろりと絡む、声。

「実戦投入されれば、大量に人を殺す。それが一人二人増えようが同じことだ」

 言葉を失う彼女。

 男はそんな様子を冷ややかに見ていたが、やがて言った。

「……まあいい。お互い未調整の状態でやりあっても面白くないだろう。……行くぞ、アクセラ」

 男が踵を返す。少女は返事もなくそれに従った。

 その背中をただ見送る。……ようやく呼吸が整ってきた。

 リュシュカさんが慌ててこちらへ駆け寄ってくる。セージは先程と同じ位置にずっと立っていた。

「マットさん、大丈夫ですか、頭打ったりしていませんか?」

「大丈夫です」

「身体は? どこか痛めてませんか?」

「ええ」

 身体の埃を払いながら立ち上がった。

 ……踵を返した右足に違和感を感じる。受身をとったものの完全には防げなかったようだ。

 とはいえ、歩く程度なら支障はない。

「──ごめんなさい」

「何がです」

 問い返す。……彼女は『いえ』と応えて、セージの名を呼んだ。

「私、この子を連れていきます。とりあえず向こうから正式な抗議が来る前に対処しないと」

「はい」

 リュシュカさんはセージを連れて指揮所に向かう。

 その背中を見送って、俺は溜息をついた。

 『実戦投入されれば、大量に人を殺す。それが一人二人増えようが同じことだ』

 ──男の言葉が、胸の奥を焼いた。


 午後の訓練中。

 リュシュカさんとセージの姿はなかった。

 そして……『見学者』の中にあの男と銀髪の少女の姿もなかった。



   ***



 訓練の終了時間は17時。

 宿舎に戻ってくると、リュシュカさんは食事用のテーブルにうつむきながら座っていた。

 開いた扉の音にはっと顔を上げ──ぶつかった視線に、微笑む。ただその笑顔には力がなかった。

「リュシィ、どこいってたのー?」

 まとわりつく子供達に『ごめんね』と謝りながら立ち上がり、冷蔵庫から子供達の食事を取り出し、並べていく。

 だんだん見慣れてきたが、さすがに甘い物ばかりの食事というのは奇妙な感じだ。

 椅子に腰掛け、膝を無意識にさする。……今のうちに足の調子を見ておくべきか。

 立ち上がり階段を登ろうとしたとき、リュシュカさんが声をかけてきた。

「あ……2階に用事ですか?」

「ええ」

「……あの」

 彼女が躊躇いがちに言う。

「セージ、反省の意味で一人で置いているんです。体面上、仕方なくて」

 ……ああ。セージはずっと宿舎の2階にいたのか。

「俺、2階に用事があるんですよ。自分の荷物も上に置いてあるし」

「あ……じゃ、しょうがないですね……マットさん」

「はい」

「セージの様子、見てきてくれますか」

 視線を斜め下に落として言う。──やはり自分をかばってくれた行為を責めなければならないのがつらいのか。

「わかりました。……ところでリュシュカさん」

「何でしょう」

「『ピュグマリオン』って、どういう意味ですか」

 俺がその問いを口に乗せた途端。

 リュシュカさんの表情が真顔になり──見る見る間に赤く染まっていく。

 え?

「……知りませんっ」

 うつむいたまま彼女は踵を返し、そのまま宿舎を飛び出していく。勢い良く閉まる扉。去っていく足音。

 え……え?

 今の反応が解せない。──俺、何かまずいこと訊いたのか?

 しばらく悩んで、答えを思いつかず諦め……俺は違和感を感じる右足を気遣いながら、そのまま階段を昇った。



   ***



 2階には部屋が2つある。

 自分の荷物のある部屋の方は、扉が開け放してあった。……ということは、セージはもう1つの部屋にいるのか。

 あとで声をかけてやろう。俺は部屋に入って扉を閉じた。

 部屋はかつて人が住んでいた時のまま、薄く炭化している。ベッドには丁寧にシーツを折り込んであった様子が見られた。

 ベッドの上に敷布を乗せ、そのまま腰掛けて準備を始める。

 右側のズボンの裾をたくし上げて、俺はゆっくりと義足を取り外した。

 この『足』は、大腿部の筋肉の動きから内蔵のコンピュータが連動する動きを判断し伸縮する。まだ実験段階のものを『モニター』というカタチで製造元の企業から貸してもらっているものだ。

 神経には接続していないので感覚はないはずだが、時々痛みを感じるのは『幻痛』というやつかもしれない。


 ──きぃ。

 軋んだ金属音に、俺は振り向いた。

 ばたん。

「……いってー……」

 そこには扉から中を覗き込んだ姿勢のまま床に倒れ込んだセージの姿があった。


「……何してるお前は」

 恐らく壁の向こうから音がするのに好奇心を誘われたんだろう。

 自分の姿が見つかったのに気まずさを感じているのか、倒れ込んだ恰好のまま俺の顔を凝視している。

 思わず苦笑いが出そうになるのを抑え込んで。

「入れよ」

 そういうと、すこし途惑っているような声でセージが訊ねた。

「……マットも、『悪いこと』したのか?」

「え?」

 訊き返すと、セージが言った。

「──俺、人間に石投げたから、しばらく一人でじっとしてろって」

 軽く息を吐く。

「……いいから入れ。扉は閉めて」

 おずおずと立ち上がり、扉を閉めるとセージはこちらに寄ってきた。

「そっちに座って」

 ベッドの向かいを指す。作業をするために敷布は広めに敷いてある。

 子供には大きすぎるベッドに、セージはよじ登るように登り──俺が何をしているのか気がついたようだった。

「すげー、マット! 人間て足外せるのか!?」

 セージは目を丸くして外した義足に見入っている。

「外せないよ」

 苦笑しながら接続部分を注意深くチェックする。

 ──よかった、破損にまでは到ってない。少し調整するだけでよさそうだ。いざというときの代用品は持ってきているものの、ようやく馴染んできたものをオーバーホールに出すのはつらい。

 調整を始めた俺の手許を見ながら、セージが訊ねた。

「じゃ、マットのはどうして外れるの?」

「ここから下を失くしたんだ」

 右足の膝を指差す。

 失くしたのに気がついたのは長い昏睡から目覚めた後だったけれど。


『……そんなに死にたいか?』

 朦朧とした意識の中で聞こえた言葉。

 あの時は、いっそここで終わりにしてしまおうか──そんな気持ちが俺の意識を占めていた。

 恐らく母親は悲しんでくれるだろう。けれど彼女の家族は俺だけじゃない。

 誰かにかかる負担とか悲しみ、そういったものを全て意識の外に放り投げて甘っちょろい倦怠感を味わっていた時その声は俺に問い掛けた。

『なら、死ねばいいさ。だがな。

 救世主(メシヤ)の言葉を真似するつもりもないが、目の前の出来ることから逃げ出そうなんて奴に救いがある訳がないだろう。

 大体、死を正当化できるほどの生をお前は果たしたと言えるのか』

 立ち上がる気配。自分を見下ろして決断を迫る声。

『選べ。──死に逃避して安寧を得るか、生きて自らの人生に償いを課すか』

 目が覚めた時、この義足は企業との契約が完了した状態で俺のそばにあった。

 その一見突き放した問いは俺の意識を死からそらし──俺は自分に罪と共に生き続けることを義務付けた。


 セージは義足を調整する俺の手許をじっと見ていたが、やがてぽつりと言った。

「……俺、ちゃんと『人間に攻撃しちゃいけない』って知ってる。知ってるけど……」

 声のトーンを下げて、呟くセージ。

「……俺、あいつ嫌い」

 唇を噛む横顔。

「あいつ?」

「ロベール=ラング」

 ラング。……ロベール=ラング。

 『ラング博士……!!』

 リュシュカさんの声が脳裏に蘇る。

「リュシュカさんは何か言っていたか?」

「──『ごめんね』って」

 微かに震える声。

「俺わかんない。何でリュシィが謝るんだよ」

 ……ああ。

 セージの横顔に、幼い頃の記憶が引き出される。

「あいつ、リュシィのこといじめるし」

 堰き止めていた想いを一気に吐き出すセージ。

「リュシィ、あいつに何か言われたあとはいつも苦しそうな顔してる……

 俺、あいつがリュシィに何言ってるのか全然わかんないけど、嫌なこと言ってるんだろうって思う。なのにリュシィは『やめて下さい』って言うだけで、全然あいつに言い返さない」

 かすれるように吐き出される言葉。

「でも、リュシィ、絶対俺達の前じゃ嫌な顔しないんだ。いつも、『何でもないのよ』、『大丈夫』って……

 絶対あいつ、リュシィのこと馬鹿にしてんだ。けど俺達、あいつに怪我させちゃいけないって頭の中で決められてるし、ずっと悔しくって苦しくって……リュシィのこと、馬鹿にするな、って」

 そこまで言うと、セージは座り込んだ姿勢のまま膝に顔を埋めた。

 セージのその感情が例え人の手によって調整されたものだとしても、俺にとっては等身大の子供のものとしか思えず。

「うん。……悔しいな」

 後ろ頭を見下ろして、俺は返事をする。

 子供の時。女手一つで俺を育ててくれた母親は、酒場で働くウェイトレスで。それが原因で謂れのない中傷を同級生からぶつけられたこともあった。

 殴り合いになって相手に怪我をさせた俺は母さんに晩御飯を抜かれたけど。厳しく怪我させたことを叱ったあと、『ごめんね』と涙を零しながら俺に謝っていた後姿を覚えている。

「でも、やっぱり人に石を投げるのはよくないな」

「……うん」

 返事は小さく、聴こえた。

「……なあ、マット」

「ん?」

 セージが顔を上げて、俺に訊ねる。

「リュシィのこと、護ってくれる?」

 まっすぐ、俺の顔を覗き込むセージ。

「そしたら俺。約束するから。……もう、あんなことしないから」

 自然と笑みが零れる。

「わかった。出来るだけのことはする」

 俺はセージにそう応えた。

 その約束の言葉が、あとで大きな意味をもつことも知らず。


 風はその冷たさを増す。12月が近付いてきていた。

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