廃墟にて - 地図にない場所 - Invisibility zone

 11月某日朝。

「おはようございます」

 入り口で誰とはなしに言った挨拶に、返事が返ってくる。

 最近はこのラボでの認知度が高くなったのか、俺は他のプロジェクトのメンバーからも挨拶を返されるようになってきた。──同じ職員と名はついても『臨時』ではパートタイマーと変わらないということか。

 俺は施設のセキュリティ・ルームに顔を出した。

「今日は朝からですか」

「ええ」

 守衛の言葉に簡潔過ぎる返事をして、カウンター正面の電子ロッカーを開ける。

 ルーム脇の扉。そこから向こうへ持込を禁止されているものは守衛の目の前でロッカーにしまい、書類にサインをする決まりになっている。俺は自分の銃を入れて電子ロッカーに鍵をかけると、必要書類にサインして部屋を出た。

「おはよう」

 アヤさんが通りすがりに声をかけてくる。相変わらず、鮮やかな笑顔だ。

 施設は24時間稼動。ラボのメンバーは自分達の状況に合わせて9時、13時、19時、21時、1時、5時のシフトでそれぞれの業務に従事している。

 立て込んでいる時などは1時に業務終了、休憩室で仮眠をとったあと5時から勤務ということもあるらしい。過剰勤務の調整はまとまった長期休暇などでつけられるようだが、この施設での業務の成果がまだきちっとした形で発表できていないこともあり1週間以上のまとまった休暇を取った者はいないそうだ。

 背中から守衛の声がする。

「ツヅキ博士、郵便物が届いてますよ」

「ありがとう」

 アヤさんは守衛からそれを受け取り、表書きをじっと見つめる。

 ……ふと、アヤさんの顔から笑顔が消えた。

 憂いを秘めた、硬い表情。──やがて零れ落ちる小さな溜息。

 アヤさんは手紙をファイルにしまい込んだ。

「……」

「訓練は今日からだったわね」

「はい」

 こちらを振り返った彼女の顔には、既に憂いの影は微塵も残っていなかった。

「手伝いにラボのメンバーとは別に6名ほど用意しました。彼らも同行をお願いするわ」

 今回アヤさんは同行こそしないが、指揮形態としては俺の上司にあたるため、今回の訓練についても管理権限及び責任が発生する。

「はい。着替えたらすぐに行きます」

 軍関係者は業務中制服着用が義務付けられているが、この施設は軍の機密であることから通勤時は私服を着用することになっていた。

「それじゃ、また後で」

 そういうとアヤさんは俺の横を通り過ぎていった。


 いつもの部屋の扉を開けると、子供達は着替えの真っ最中だった。

「……あ、悪い」

 反射的に回れ右。

「外にいるから、準備ができたら呼んでくれ」

 返事の合唱が背中に当たった。

 所在なげに廊下の壁にもたれかかっていると、リュシュカさんが廊下の向こうからやってきた。

「あら、マットさん。どうされたんですか」

「あ、いや……まだ準備できてなかったみたいで」

「準備……?」

「着替え中なんですよ」

「……ああ」

 そう言って、リュシュカさんは俺の斜め前に立った。

「そうでしたね、ごめんなさい。今までそういうこと配慮する必要がなかったから……今後は対処します」

「すいません」

 苦笑いすると、笑顔が返ってきた。

 以前より、笑顔が柔らかく感じられるのは気のせいだろうか。

「ところで……」

 なぜここへと問おうとしたところ、ほぼ重なるようにリュシュカさんの言葉が返ってきた。

「ああ、そうでした。私も訓練に同行しますので」

「……はい?」

「え?」

 ……ほぼ同時に喋り出したから、お互いの聞き返す言葉まで重なってしまった。

「一緒に、ってことですか」

「なんでしょう?」

 またもや重なる言葉。

 しばし沈黙が漂う。気まずい。

 ──リュシュカさんが手のひらを差し出した。俺はそれを「お先にどうぞ」の意味だと解釈して、話し出した。

「すいません。同行されるんですか」

「一緒についていくことを同行っていうんじゃないかしら」

 リュシュカさんがくすっと微笑う。

「……そうですけど……さっきアヤさんと顔を合わせたとき、何も聞いてなかったから」

「それは当然ですね。……ああ、そういえばマットさんには私の本来の業務について話していなかったんでした」

「……本来の業務?」

「マットさんには申し訳ないんですけど、ラボのメンバー以外に教える訳にはいかなかったので」

 いかなかった、か。ということは正職員になってしまった現在は問題ないという訳だ。

「私、技術部の所属だとしかお話をしてなかったと思うんですけど──その中でもあの子たちのメンテナンスを担当しているんです」

「……」

「……あの子達のことは、もう先輩から聞いてますよね」

「ええ」

 事前に、俺はアヤさんから『訓練を行なうにあたっての打合せ』と称してあいつらについての説明を受けていた。

 確かに重大な秘密には違いなかった。……既に人間が思考する人型機械を完成させていたということは。

 人間の代理として戦争に従事するための自律思考兵器。ヒトを模倣したその『構造』は結果として外見を人類に酷似させ、個体差を持ち、思考し、成長する──


「ただ、やはりメンテナンスという仕事はトラブルシューティングの要素が強いので……普段そちらは開店休業状態なんです。そのかわりに、あの子達の実験の時間以外には他のフォローに廻っています」

 あの子達に関わる情報をなるべく取り込んでおきたいですし、と彼女は微笑う。

 なるほど。今回の訓練は、初のラボ以外での実験にもあたる。となればいざと言うときのための人間も立ち会うのが当然だろう。

 部屋の扉がそっと開いた。

「マット」

 セージがドアの隙間からこちらを見上げている。

「みんな準備できた」

「ああ、わかった」

 俺は扉を大きく開いて、リュシュカさんに先に部屋へ入るよう勧めた。


 アヤさんと今回の訓練に同行するというラボのメンバー20名、外部スタッフ6名の到着を以って俺は今回の訓練の説明を始めた。

「じゃ、『訓練』の間はラボの外にいくの?」

「ああ」

 子供達がちょっと目を大きくしている。聞けば外出は全くの初めてではないらしいが、そのときは3時間、しかも用件がすむなりさっさと帰ってきてしまったということで、こんな長期になるのは初めてらしい。しかも今回は泊りがけで1~2ヶ月くらいになる予定だ。

「とはいっても、遊びに行くわけじゃないからな」

 念のため釘を刺してみる。だが聞いていたのかいなかったのかシナモンがこっちへよってきて上着の裾を引いた。

「ねぇねぇ、どんなとこ、どんなとこ?」

「俺も初めて行くんだが」

 目の輝き加減に苦笑する。

「……落ち着け。こっちへ来い」

 マロウが寄ってきて、シナモンを俺から剥がして元の位置へ引きずっていった。……喧嘩しているところばかり見ていたけれど、意外に面倒見がいい。

 アヤさんが腕時計に目を落とす。

「……そろそろ時間ね」

 座って説明を聞いていたスタッフ達が次々と立ち上がり、部屋から出てゆく。

「リュシィ、定時報告は忘れないようにしてね」

「はい。──では、行ってきます」

 リュシュカさんがアヤさんに軽く会釈した。俺は子供達に声をかける。

「行くぞ」

 リュシュカさんと子供達を先に部屋から出し、最後に俺はアヤさんに敬礼した。

「では」

「……頼むわね」

 アヤさんの小さな声に、俺は頷いた。



   ***



 移動は車だった。運送業者に偽装した大型トレーラーを8台使用し、通用口から出発する。

 機材その他に5台。人間運搬に3台。時間差を置いて2台ずつ搬送を行なう。

 という訳でリュシュカさんと子供達と俺は積荷として後ろのカーゴに乗り込んだ。「荷物」である分、軍用車よりかは丁寧に運んでもらえるだろう。


 走り出して数十分。

 子供達はじっとしているのにも飽きたのか、用意されていた玩具で遊んだり、本を読んだりしている。

 俺はというと──何だか落ち着かなかった。

 全ては既に納得済みのことだというのに、このざわめきは一体何なのか。


「……現地まではどのくらいですか」

 俺はリュシュカさんに尋ねた。

「5時間くらいのはずです。……ええと」

 リュシュカさんが地図を取り出し、開く。上品な細工のしおりが見えた。

「確かここだと思います」

 指差した個所を覗き込む。海岸近くの平野部。

「……白いですね」

「ええ」

 道も何も描かれていない。再開発予定地区だろうか。

「仮設の指揮所や休憩所は到着してからの建設作業になりますが、完成するまでの宿泊には既存の建物が利用できるようです」

「よかった。屋根があるのは御の字です」

 俺がそういうと、リュシュカさんがくすっと笑った。

「今回の訓練は一時的なラボの移転のようなものです。施設を以前同様──セキュリティについては以前以上のものにするために突貫工事中ですから、臨時でサブプロジェクトを起こさなければラボのメンバー達を遊ばせている状態になってしまいます」

 ……その原因を作った俺は、何となく中空を見上げてしまう。──と、足に何か引っかかった感触。

「いてて……」

 足許を見ると、セージが座り込んでいる。……そのまま立ち上がって走り出そうとするその襟首をひっ捕まえた。

「なーにをやってる」

「離してよー」

「車の中で走り回るな」

 カーゴの中には椅子が用意されているが、こうなるのを見越してか中央に広いスペースが確保してあった。俺達の座ってる位置はそのスペースの後ろにある。

 退屈し始めた子供達がとうとう走り回り始め──俺の足にひっかかって転んだ、という訳だった。

「だって、追っかけて来るんだもんー」

 言い訳するセージに、抗議するシナモン。

「あー、ずるいー。俺達のせいかよー」

「……『俺達』っていうな、お前だけだ」

 さらに突っ込むマロウ。しゃーねーな。

 俺はセージの身体を抱えて前方においてある長椅子に移動した。

 隣にセージを座らせると、そのままその身体を左腕で固定する。

「離せよー」

「こうでもしないとお前大人しくしないだろうが」

 全身で抵抗するセージ。だが体格差がある。セージはふくれたままそのうち大人しくなった。

「……マットさんは平気……なんですね」

 リュシュカさんが目を丸くして俺を見る。

「──え? ……ああ」

 彼女の言葉に、俺は改めてこいつらの正体について思い出した。

「今は平時ですから、一般的な人間の子供と同じレベルまで力は落としてありますが」

「……もしかして、そうじゃなかったら思いっきりやばかったですか」

 訊くと、リュシュカさんは『ええ』と答える。

「……他のラボのメンバーは戦闘ステータス時の能力を目の当たりにしていますから、危険はないと分かっていても自分達からは子供達に触れたりはしないんですよ」

 さみしそうに言う彼女。そういえば、外部スタッフを含め今回の参加人数は30余名にもなるのに子供達と一緒にこのトレーラーに乗っているのはリュシュカさんと俺だけだ。


 ……ああ、そうか。


 俺はざわめきの理由を理解した。

 ラボのメンバーはこいつらを『兵器』として認識している。だが俺は面倒をみなければならない子供達としてこいつらと出会った。だからこいつらの正体を知っても違和感が増すばかりで──

 これから始まる訓練の過程で、それを思い知らされるときが来るのかもしれない。

 そして。

「……リュシュカさん」

 もう1つ抱えているざわめき。

 言葉を選びながら、慎重に切り出す。

「──この間のラボへのハッキングというのは……どうなったんですか」

 瞬間、リュシュカさんの表情の温度が下がった。

「問題があるのなら、訊きませんけど」

 俺は言葉を添える。

 彼女はしばらく黙りこんでいたが──こちらから視線をそらせたまま、やがて口を開いた。

「現在も調査中です。同時に、システム・セキュリティの再構築も行なっています」

「……」

「恐らく主犯は外部の者でしょうが、内部に協力者がいた可能性が高い」

「……内通者が?」

「使われていたのは私のIDでした」

 リュシュカさんが唇を噛む。

 酒の席での言葉を思い出す。彼女の『もっと怒っていたこと』というのはそのことか。

「──すいません、不快にさせて」

 彼女は『え?』という顔でこちらを振り向いた。

「そんなこと……マットさんのせいじゃないんですから」

「……しかし」

 リュシュカさんが、横に首を振った。

「もう、気にしないで」

 そのまま、彼女はゆっくり目を伏せる。

「……有難う」

 ──言葉の意味が分からず、俺は彼女を見つめる。

「内部だけで事が収められたからよかったけど……これでラボに深刻な被害が起きていたら私の処分はどうなっていたのか……想像もできないわ」

 淡々と、話す彼女。

「言い訳はしたくはないけど……あまりに色々なことが同時に起こりすぎて──自分だけじゃなく先輩や他の人達の立場もあるし、言い損ねていたの。……だから、今しか言えないと思う」

 リュシュカさんが、手を差し出した。

「私を助けてくれて、有難う」

 ……その手を、軽く握り返す。

「こちらこそ」


 不意に、左腕に重みが増した。

 腕に抱えっぱなしだったセージが、何時の間にか眠ってる。

「……ったく……」

 この寝床も何もないところで、転がしとく訳にもいかないしな。

 長椅子に寝かすか……などと考えていたら、シナモンがこっちに寄って来た。

「?」

 セージにくっつくように、俺にもたれかかり、そのまま目を閉じる。

 おい。

 続いて、マロウがその隣にくっつくように、シナモンにもたれかかる。

 おいおいおい?

 ……そのまま眠ってるし。

 左腕が完全に固定されてしまった。

 逆方向へ振り向くと、ミントもジンジャーもローレルもタイムも、こっくりこっくり船を漕いでいる。

「あらあら……」

 リュシュカさんがくすくす微笑う。……本当に猫みたいな奴らだな。

 俺はしばらく動くことは諦め、これから始まる訓練のことに思いを馳せた。



   ***



 ……それから数時間後。

 ブレーキのかかる気配に俺は顔を上げた。

 トレーラーはゆっくりと速度を落としてゆく。

 ──身動きが取れなかったせいでかなり身体が固くなっていた。

 やがてトレーラーは軽い反動とともに静止する。

 運転席の扉の開閉音が響き、カーゴの外から運転手の声が聴こえた。

「到着しました」

 ほぼ同時に開くカーゴの扉。

 射し込んだ自然光の刺激に、子供達も次々と目を覚ましたようだ。

「着いたのー?」

 あふあふと大きなあくびをして、身体を伸ばしている。

 俺もかちこちになった身体を伸ばそうと、車の外へ降り立った。

「……」

 かすかな──だが覚えのある匂いが、鼻を刺激する。

 周辺に目を遣った俺は、呆然とその光景に立ち尽くした。


 ……降り立った大地は、見渡す限りの黒と灰だった。

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