語らい - Revelation
翌日。俺は約束の時間に施設のカフェテリアで2人を待っていた。
「お待たせ」
背後から声がかかる。
「いえ」
飲みかけのコーヒーを持って立ち上がる。
アヤさんの後ろでリュシュカさんがちょこっと頭を下げた。
2人とも比較的カジュアルな服装だ。通勤服は私服のため軍服以外の服装を全く見たことがないわけではなかったが、いつも見慣れているスーツ姿ではないのにちょっと驚く。
「じゃ、行きましょうか」
「はい」
俺は手早く食器を返却口に預けると、2人の後ろに就き従って歩き出した。
***
連れてこられたのは、一風変わった外見の店だった。
「個室取っちゃったけど、構わないでしょ?」
「はい」
ツヅキさんが店の扉を開け、中の店員と言葉を交わす。大分席が埋まっているように見えたが、すんなりと中へ案内された。
「──良く来られる店なんですか」
奥の個室に腰掛けて、尋ねる。
「父の友人の店なの。だから私も子供の頃からの馴染み、って訳」
成程。改めて店内を見回すと、アジア系の割合が比較的高いように思えた。
こちらから声をかける前に店員が寄ってくる。ツヅキさんが俺に訊いた。
「マットさん、飲み物は何がいいかしら」
「ウイスキーがあれば」
「ウイスキーとカシスオレンジ、それからビールお願い。料理はお任せするって伝えておいて」
彼女がそう言うと、店員はさっとメモして厨房に戻っていった。『お任せ』って……一体何が出てくるんだろう。
「……けっこういけるクチ?」
「まあ付き合い程度には」
無難な答えを返すと、彼女が大まじめに言った。
「プロジェクトのメンバーはあまり飲める人間がが少なくて。なかなか飲み仲間もできないわ」
「単に個人主義なだけな気もしますが」
「あら、飲むのが好きな人間は何のかんの理屈をつけて飲みに行きたがるものよ」
……真実だな。
そんなことを言っているうちに、酒と人数分の小さな器に入った料理が届く。
「好き嫌いは?」
「ないですけど……一体これ何ですか」
野菜なのは分かる。分かるけど……見慣れない物体。
「うーん……何といったらいいかしら。日本の野菜を軽く味付けして煮たもの」
「はあ……」
料理を思わず凝視する。
ツヅキさんは器用に2本の棒を操って料理をつまんでいる。リュシュカさんは──あ、やっぱり棒を使ってる。
器用だ……
「『箸』っていうの。聞いたことない?」
「……あ、アジア圏で使われてる道具ですね」
知識だけだけど。
「みんな見て面白がるから教えるんだけど、マスターしたのはリュシィだけだったわね」
「慣れるとフォークよりいいですよ。突き刺さなくていいし」
……そういうものか。
「あ、別に私達は使い慣れてるから使ってるだけだから。フォークでもスプーンでもいいわよ? 実際他の客はみんなそうしてるしね」
仕方がないので、とりあえずフォークを使って料理をつまんでみる。
……面白い味だ。薄め味付けだけど、歯応えがあって美味しい。
「この付近は割と日系が多いのよ」
俺が料理を食べ始めてほっとしたのか、ツヅキさんが話し出す。
「ただでさえ故郷の味に飢えているものだから、味付けだけでもと日本風の料理を作り始めたらしいの。日本食は健康食とも言われてきたから、その人気とあいまってこんな具合」
成程。
そのあと順に料理が出てきたが、どれも微妙に味が違う。普段の食事は買出し専門で自分でやることと言えばパンをトーストにするか野菜をちぎるくらいしかしない俺としては、なかなかに珍しかった。難を言えば、フォークではちびちびと食べる感じになることか。
食事の間は公の話は一切なかった。
「……あの」
料理が少なくなってきたところで、勇気を出して自分から切り出してみる。
「何?」
「お2人は──よく一緒に食事とか行かれるんですか」
「ああ」
ツヅキさんが微笑み──リュシュカさんが答える。
「大学時代の先輩なんです」
ああ、そういえば昨日リュシュカさんは彼女のことを『先輩』と呼んでいた気がする。
「コネで優秀な人員を掴むのも人事の特権よ。……ああ、アヤって呼んでいただいて構わないわ」
「アヤ、さん」
発音してみる。どこの国の名前だろう。
「呼びにくいかもしれないわね。祖父母が日本人なの」
日本か。──USFEの同盟国だ。もっとも2世代前なんていったらまだ世界はかなり平和だった時代のはずだからそんな不思議なことでもない。
リュシュカさんのことも名前で呼んでいるわけだし、これからアヤさんと呼ばせてもらうことにする。
「ところで……局長から話は聞いてると思うんだけど」
アヤさんが唐突に切り出した。
「ええ」
「何か、問題あるかしら? ……マットさんの言うところの『不正』はこの場は置いといて。水掛論になるから」
とうとう来たか、という感じだった。
「──あくまでも俺のことを考えてってな言い方でしたけど、要は脅しでしょう」
「まあ、ね」
……否定しないし。
「綺麗事を言っても貴方を説得できないのは分かってるのよ」
そういいながらアヤさんがグラスに氷を入れて渡してくれる。
「けれど、あそこは『公』なの。だから建前以上のことは話せないわ。どこに誰の耳があるか分からないもの」
俺はお礼を言って、自分で水割りを作った。
「だからそれ以上突っ込んだ話をするなら、こうやって場を設けるしかない訳」
代わりにアヤさんのグラスにビールを注ぐ。
「局長さんの言い方ではちょっと説得される気は起きませんね」
「ありがと。……うーん、まあ仕方ないわね。いいわ、あの人は無視しちゃって」
……はい?
「あの人は軍上層部側の人間なの」
「ええ……と、つまり……」
「交換人事よ。軍人側と科学者側の」
ああ。
俺は納得する。要は自分達の息のかかったお目付け役をお互いの陣営の要職に就けることで監視しあっている、と言う状態か。
「だから、彼は別に内情のことも把握してないし。せいぜい何か起こった時に怒鳴り散らすくらいしか出来ないのよ」
……それは把握させてないだけなのでは。そんな考えも浮かんだが、とりあえず突っ込まないでおく。
「私が知りたいのは、貴方の本音」
アヤさんが真摯な表情で俺を見る。
「本音……ですか」
問い返す俺に、彼女はええ、と言った。
「それがわからなければ、貴方を説得しようがないもの」
「率直ですね」
苦笑して応えると、アヤさんもつられたように苦笑いする。
「局長の言葉は建前に感じられたかもしれないけど、私もリュシュカも貴方には助けられたと思っているの。だから軍上層部などに貴方を売り渡したくない」
「……」
「貴方がそれを潔しとしないならそれはそれで仕方ないけど……説得できないなら、せめて納得したいのよ」
俺はグラスをテーブルに置いて──軽く微笑って答えた。
「──何も難しいことないんです」
融けた氷がからん、と音を立てて沈む。
「俺は、戦争に子供が絡むのが嫌なんですよ」
アヤさんはしばらく黙り込んで──言った。
「……あの子達がただの子供じゃない、というのは気付いているわよね。……それでも?」
「ええ」
ウイスキーを一口含むと、俺は言葉を続けた。
「幾ら理屈を並べ立てようと、戦争は『大人の都合』にすぎません」
「でも、あなたはその戦争を職業にしている訳よね」
「ええ、そうです」
「矛盾してない?」
「──そうですね。ただ、俺の世代で戦争が終わるなら……俺が軍人を続けることで誰かが1人戦争に行かなくて済むのなら」
「理想論だわね」
「ええ。『夢』です」
俺は苦笑する。
「それでも──何もしないで自分を責め続けるよりかは建設的だと思ったんです」
アヤさんはそれ以上追及してこなかった。
俺は、ほっとする。これ以上の話になるなら──開けたくない蓋をこじ開けなくてはならない。
あれは俺にとっては忘れてはならない『罪の記憶』。他人に懺悔するようなものでもなく……また許されるべきものでもなく。俺1人が抱えていればそれでいい。
──会話が途切れたところで俺はリュシュカさんのほうへ目を向けた。
アヤさんに話しかけられている間、相槌すら入ってきていなかったのでずっと気になってたのだ。
……リュシュカさんは黙々と出てきた料理を食べていた。トールのタンブラーに注がれた酒の量が半分も減ってないところをみると、あまり強くないのかもしれない。
普段見慣れた軍の制服と違い、私服を着た彼女は新鮮だった。何と言うのか……可愛らしい。年上である彼女に言っても誉め言葉には聞こえないだろうけど。
不意に、彼女のフォークを持つ手が止まった。
リュシュカさんと目が合う。大きい瞳に見据えられて、俺はついどぎまぎする。
『マットは、リュシィのこと好き?』
唐突にタイムの言葉を思い出してしまう。……えーい、落ち着け、俺。
リュシュカさんが急に立ち上った。
「──マットさんっ」
「……はい」
思わずかしこまって返事する。……あ。
何だか、目が据わってるように見えるのは気のせいですか。
「そこに座りなさい」
「座ってますけれども」
「座ってるのに、何でそんなに大きいの」
「すいません」
……そんなこと言われても。と思いつつ相手は女性だし上司なので謝ってみる。
「大体。生意気なのっ。年下なのにー」
いや、生意気はともかくとして年下はどうしようもないですし。
「童顔だし」
いや、それも。……やめよう。悲しくなってくる。
「……アヤさん」
助けを求めて、『先輩』のほうを振り返る。が、アヤさんは澄ました顔で残った料理をつまんでる。
俺はひたすら謝り続けながらも、何となく個室で良かった、と思った。よその客にからまれるより──
まさか。このために個室……取ったんだろうな……
半分諦めが入った時。
「……どーして、あんなことしたのよ」
急に声のトーンが下がった。
「……」
「そーよ。私、怒ってたのよ」
悔しそうに。──つらそうに。
「あの時もっと怒ってたことがあったからそっちを優先しちゃったけど、私マットさんのことも怒ってたんだから」
その言葉とは裏腹に、彼女の顔は泣きそうで。
「どーしてよ。あんなことしたら自分が不利になるって、分かりきったことじゃない。なのに、さくさくと行動しちゃってさ。
私達がそれで助かったって、マットさんが犠牲になっちゃうんじゃ私どうしたらいいのよ。来てくださいってお願いしたのは私なのに」
彼女はとうとう大粒の涙をこぼし始めた。
「そうよ。大体あの日マットさんがラボに来ちゃったのは私が伝言を忘れたせいだし。そのあと電話するのも忘れちゃったし。私がちゃんと連絡さえ忘れなければマットさんをこんな目に遭わせることもなかったんだわ」
小さな泣き声が微かに聴こえる。
「なのにこのバカは、平気そうに笑ってるし。どうして私が、やきもきしなきゃならないのよ。私だって、自分のことで精一杯なのに」
彼女の問いに対する答えは見つからなかった。代わりに。
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にした途端。リュシュカさんの身体が前へ傾いだ。
慌てて立ち上がり、身体を受け止める。
「……相変わらず、カクテル半分でよく効くこと」
リュシュカさんの後ろで黙って事の顛末をみていたアヤさんがぼそっという。
「……アヤさん?」
リュシュカさんを向かいの椅子に寝かせ上着をかける。
そのまま、自分の飲み物を持ってアヤさんの隣に腰掛けた。
「この子ねえ、いつも自分の中に溜め込んじゃうほうだから。時々こうやってガス抜きに連れて来るのよ」
「……はあ」
「けど、今日はここまで本音が聞けるとは思わなかったわ」
「分かってたんだったら……先に教えといて下さい……」
脱力する。
「悪かったわね。ここはご馳走するから勘弁して頂戴」
「いや、そういうわけにも……」
「もともと、私が設けた席だもの。気にしないで」
にっこり笑われると、それ以上反論はしづらい。後でもう一回交渉しよう。
「この子、貴方には結構心を許してるのね」
──アヤさんは不意に意外なことを言った。
「……不機嫌な顔ばっかりさせてますけど」
俺がそう反応するとアヤさんはだからよ、と言う。
「彼女、他人と思ってたらどちらかというと笑顔で武装するから」
そんなものだろうか。
「──でも」
アヤさんの表情がちょっと呆れ気味になった。
「……言われ放題言われた側は幸せそうな顔してるわよ?」
「……笑って……ます?」
「笑ってる」
俺は苦笑して、グラスに残った酒を飲み干した。
そのままウェイターにウイスキーの追加を頼む。
「心配してもらう言葉をもらったのが久しぶりなんです」
俺の言葉にアヤさんは少し考え込み──
「……立ち入ったようなことを聞くようだけど、ご家族は?」
と訊いた。
「母親は居ますよ。しばらく会ってないですけど」
「会ってない……?」
「再婚したんです」
ウェイターが置いていった新しいグラスに氷を入れ、ウイスキーを直接注ぐ。
「俺が士官学校卒業する頃にいい男性ができて……引き合わされた時に、あ、この人ならお袋まかせてもいいやって思えたんで──それ以来ですね」
「それっきりなの?」
「お袋は一緒に暮らそうって手紙くれますけど──もうその男性との間に子供もいますから」
アヤさんは神妙な顔をして言った。
「……見かけに寄らず苦労人だわね」
「そうでもないです。好きなように生きてるだけですから」
アヤさんは頬杖をついて上を向く。
「本当に、みんな不器用だこと」
グラスを指先で持って軽く回して。何時の間にかアヤさんはビールからカクテルに切り替えていたようだった。
「ねえ。こう考えてみてくれないかしら」
ウェイターが追加の品を置いて、空になった容器をかっさらってゆく。
「私は、貴方があの子達に正確な技術を教えることで、あの子達が生き残る確率は格段に上がると思ってる。……そして、余分な犠牲を出さない確率もね」
俺は溜息をついた。
「……ツボ押さえてますね」
「伊達に人事を担当してるわけじゃない、ってことよ」
アヤさんがくすくすと笑う。
「それに私の言葉だけじゃ貴方は動かないと思うわ。……貴方がその気になったのなら──説得したのは、この子よね」
俺はそれには答えず──ロックに口をつけた。
***
……あれ。
リュシュカは目を覚ます。
身体を動かしてないのに、何か景色が動いてる。
何でだろう……
「……っと」
いきなり声が頭上からした。
「びっくりした。──いきなり動いたら危ないですよ」
え。
慌てて顔を上げる。
「目、覚めました?」
……硬直する。
見覚えのある顔が至近距離にある。──私、マットさんに運ばれてる?
「さ、覚めましたっ」
軽くパニックに襲われ、うつむく。
「すいません……あの、下ろしてもらえないですか」
「はい」
くすっと笑った気配。
急に身体に重力が戻ってきた。ちゃんと着地できたものの、ヒールのせいで少しよたつく。
「大丈夫ですか? ……もしつらかったら、つかまっててください」
「……はい」
大丈夫です、と言おうとして──実際不安定なので、おとなしく返事をする。
記憶をたどる。先輩と一緒にマットさんと食事行って──
……途中が飛んでる。そういえば先輩は?
「あ、気が付いた?」
少し離れたところから先輩の声がした。
「ハイヤー呼んで来たの。時間が時間だからちょっと到着までにかかるって言ってたけど、あともう少しで来ると思うわ」
先輩が、はい、と私のバッグを渡してくれる。
……ああ。お酒飲んで、意識を飛ばしたのか。自分の中で納得して──急に不安になる。
「マットさんっ」
「──はい」
……何だろう。今の『間』は。
「あの……」
「はい?」
「私、変なこと言ってませんでした?」
マットさんは目を丸くすると──少し赤くなって、いえ、と答えた。……そのリアクションは、何。
「……本当に?」
「ええ」
「遠慮してる、とかじゃなく?」
「……ええ」
──これ以上食い下がるのも変なので、黙り込む。……あとで先輩に訊いてみよう。
「あ」
先輩が声を上げた。それとほぼ同時に、目の前に黒のセダンがすっと停車した。
「じゃマット君、ありがとう。また明日、よろしくね」
先輩は私にハイヤーに乗るように促す。私は途惑いながらも待たせるわけに行かず、とにかくお礼を言った。
「あの……ありがとう。運んでくれて」
「いえ。また明日」
マットさんはそう答えると、私たちに軽く手を振った。
***
2人を乗せたハイヤーが遠く、小さくなった。
大きく息を吐く。思いのほか、俺は緊張していたようだ。
外の気温は少し高く──これなら酔い覚ましに歩いて帰るのも悪くなさそうだ。
俺は自分の家に向けてゆっくりと歩き出した。
あの時。
『私、変なこと言いませんでした?』
リュシュカさんの問いに。
変に恐縮されるのが嫌だったのもあるけれど。……俺は彼女が怒ってくれていたことが嬉しくて。
彼女がぶつけた言葉を自分の中で大事にとっておきたくなったのだ。
……まあ、アヤさんが隣で聞いていたとか、童顔と言い切られたことについては不問にしておいて下さい。
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