孤独 - Anti virus

 赤い月。

 格子窓から差し込むその光は、コンクリートを打ち付けただけのがらんとした部屋でうずくまる少女を照らしていた。

 ……遠くから小さな足音が聞こえてくる。少女はびくんと身体を震わせた。

 音はゆっくり近づき……廊下に面した格子の前で止まる。

「……『シリアル137』」

 澄んだ、しかし幼い声がうつむいていた子供の背中を射る。

 少女はゆっくり振り返った。

「タスラム……」

 ──彼らにとっての絶対的な死の象徴。

 格子の向こうに立つのも、また彼女に良く似た、無機質な表情の少女だった。



   ***



「……ふう」

 ローレルは曲がったばかりの角から廊下の向こうを覗き込んだ。

 タイムはついてきていないみたいだ。

 ったく。ずっとそばにくっついていられるのも限度がある。

 そんなことを心の中で独りごちながら、ゆっくりと廊下を歩く。

 タイムのことは嫌いじゃない。ただ単に、自分にとって独りでいる時間がある程度必要ってだけのことで。

 突き当たりの扉の脇にあるセンサーに右手をかざす。

 『ピッ』と機械音が鳴り、静かに扉が開いた。

 中にはずらっと銃が並んでいる。ここは自分達専用の武器庫だ。

 ローレルは床にぺたっと座り込み、ぼーっと銃の群れを眺める。

 勝手に手に取ることはできない。以前、こっそり触ったらけたたましく警告音が響き渡って、人間達にがみがみ怒鳴られた。

 その時に『勝手に1人でこの部屋に入るな』と言われたけど、時々こうやって銃を眺めに来る。気分が落ち着くから。

 ──3分ほどぼんやりそれを眺めると、ローレルは立ち上がった。

 あまり長くそこにいてタイムに見つけられると、また別の独りでいられる場所を探さなきゃいけない。

 人間の気配がしないことを確認して、そっと武器庫を出る。

 足早に『武器庫へ行っていたと悟られない安全圏』まで出てきた時──聴き慣れた声を捕らえて、ローレルは立ち止まった。



   ***



「私が望んでここに存在している訳じゃないのにね……」

 檻の中の少女──『シリアル137』は呟く。

 『タスラム』と呼ばれた少女は目を細め──静かに言った。

「私も、望んで貴方を処理する訳じゃない。それが造物主の意思だから」

 『シリアル137』はうつむく。

「分かってる……私も貴方も、その『声』には逆らえない……」

 その身体に不釣合いな巨大すぎる銃身を『タスラム』は檻の中の少女に向けた。


「ごめんね」


 鋭い、高い音が小さく響いた。



   ***



 ローレルはゆっくりと付近を見渡した。

 この付近にはジンジャーの気配を感じない。……なら、この声はどこから。

 ……すぐ脇の扉が開く。

「あら、ローレル」

 ……名前は覚えてないけど、見覚えのある人間。

「あまりふらふらしてないで、部屋に戻りなさい」

 無言で頷きながら、閉じられた扉を見る。

 扉の隙間から一瞬見えたモニターの光──その中には、倒れたまま動かない少女と巨大な銃を手にして監視カメラを見上げるジンジャーが写っていた。

「……」

 さして気にした風もなく、ローレルはそのまま歩き出した。

 ──突き当たりの扉から、沢山の人間が溢れ出てくる。

 ローレルは立ち止まった。

 見慣れている人間より背丈も身体も大きい個体の群れ。いつも見慣れているのは女性と呼ばれる種で、一回り大きいのは男性というらしい──個体差はあるみたいだけど。

 何人か、ローレルの存在に気がついたようだ。

「何、まだ『あれ』使ってるの?」

「Code*Eの連中も酔狂だよな……稼動されてから1年以上経ってるっていうのに、まだ『特性』も発現しないんだろ? 予算の無駄だって」

 人間の群れはどんどん廊下の向こうへと消えていく。

 聴こえてないと思ってるのか、それとも聴かれても構わないと思ってるのか。

 群れがほとんどいなくなったところで、ローレルはまた歩き出した。

 彼にとってはどうでもいい、大差のない日常の風景だった。



   ***



 ローレルは部屋に戻るなり、自分の名前が書かれたロッカーを開け銃を取り出した。

 部屋の片隅にスペースを確保し、そのまま座り込んで自分の銃を分解し始める。

「何してるのー?」

 タイムが寄ってきて、ローレルの手許を覗き込んだ。

「……」

 ローレルの視線は眼前の分解された銃に集中している。

「あー、わかったぁ。マットの銃恰好いいから、いじりたくなったんでしょ」

「……施設のやつら、マットのあれと同じやつを頼んだらダメだって言った」

「だってそれ、どちらかというと単なる好みだし……」

「あのグリップ、すごく手のひらに馴染むんだ──」

 ローレルの手がぴたっと止まる。

「どうしたの?」

「……喉渇いた」

「調整水でいい?」

「砂糖山盛りにして」

「わかったー」

 タイムは頷いて、奥の扉へ向かう。

 入れ替わるように入ってくる影。

「タイム? どこいくの」

「飲み物取ってくるのー」

「いってらっしゃい」

 入ってきた人影はジンジャーだった。


 ジンジャーはローレルの目の前を通り過ぎようとして……足を止める。

 うつむいたまま銃の手入れを続けるローレルに話し掛けた。

「ローレル、タイムに甘えるのも程々にしなさいよ」

「……あいつが勝手に構ってくるだけだし」

「あんたね……」

 溜息をついて軽くねめつけるジンジャー。

 ローレルは視線を動かさず──ごく小さな声で呟いた。

「……隔離棟にいた?」

「知らない」

 間髪入れぬ答え。

「ならいい」

 ジンジャーはじっとローレルの頭を凝視して──すとっと隣に座り込んだ。

「……いなかったんだろう」

「うん、いなかった。気のせい」

 沈黙。

 気のせい、なんてことは在り得ないことを承知の上での言葉。

「……あの子達に話す?」

「──別に」

 その声の色はいつもと変わらない。

「……お前も僕と同じで独りってだけのことだ」

 ジンジャーが自嘲めいた笑顔を浮かべる。

「──有難う」

「……何が」

「いいのよ」

「……勝手にすればいい」

 ローレルの手は休むことなく動いている。

「あれ?」

 タイムがお盆に7人分の水を乗せて部屋に入ってくる。

 ドアを開けてくれた研究者に『ありがとー』といい、ローレルとジンジャーが隣り合って座る場所からちょっと離れた位置にお盆を置き、ローレルと銃の部品をはさんだ位置に座り込んだ。

「ジンジャーと話してるのって珍しいねぇ」

「……あんた結局全員分持ってきたの?」

 呆れたように言うジンジャー。

「うん。だって──」

「あーーー!」

 後ろからシナモンの大きな声がする。

「俺にも水~~~ !! 」

「俺にもー」

 水と聞いてつられて寄ってくるシナモン、セージ、マロウ。

 どたどた走ってきて自分の分を確保する。

「ね?」

 ジンジャーは穏やかに笑って……タイムの髪の毛をくしゃっと手のひらでかき回す。

 タイムはコップを2つ、ジンジャーに差し出した。

「……?」

「1つはミントに」

「うん」

 普段なら自分でミントに手渡すのに。

 そう思って、注意深くジンジャーは我関せずとばかりに銃をいじるローレルを見て──納得する。

 タイムの座っている場所。彼女はローレルの銃の部品がなくならないようにお盆や自分の座る位置を注意深く決めたのだろう。

 もっとも、タイムはローレルに限らず誰に対してもそういう形で気を配る子だ。

 「Kitten」は基本的に自分本位で考え、動く。自分達が成り立った経緯を考えればそれが自然であり──むしろタイムみたいな性格は珍しい。

「はい」

「ん」

 そっと置かれた調整水を脇に、銃をいじり続けるローレル。タイムはにこにこしながらその様子を見ている。

 ──ジンジャーは溜息をつくと、つかつかと近寄ってローレルの頭を軽く『ぐー』ではたいた。

「……」

 頭を押さえローレルは無言で顔を上げる。

「ジンジャー?」

 タイムが慌ててジンジャーを見る。

「あんた、水持ってきてもらったんでしょ? きちんとお礼をいいなさいよ」

「えー? ローレル、お礼言ってたよ?」

「お礼は他の人にもわかるように言ってこそ意味があるのっ。タイムもいいかげんローレル甘やかすのやめなさい」

「でもー」

 おろおろするタイム。

 ローレルはタイムをじっと見つめ……また銃に視線を戻し、ぼそっと呟いた。

「ありがと」

 はあ、とジンジャーは大きく息を吐いた。

「……何か気に食わないけど言っただけよしとしましょ」

 そのまま、すたすたと自分の定位置へ移動する。

 本当に。……なーんであんなんが気に入ってるんだか。

 ジンジャーは読みかけの本を拾い、栞をはさんだページを開き視線を落とした。

 本当はちょっとだけ、タイムがうらやましい。自分は、ああやって無邪気に仲間に懐くことはできないから。

 私が、彼らを害する可能性がある以上。



   ***



「おはよう」

 マットが入ってくる。もう、そんな時間か。

 ミントは読んでいた書籍を閉じ、じっと彼を観察する。

 あの人間が明日から戦闘と射撃技術の教官になると聞かされたのは昨日のことだ。

 ……そのことを告げたリュシィはすごく複雑そうな顔をしていた。

 不満なのか、と聞いたら『別に』、って言ってたけど。リュシィの『別に』は、イコール『どうでもいい』じゃないから。

 人間たちの中では、形式というものが重視されるらしく、僕たちはそんなもの押し付けられないからいいけど、マットが取った行動はどうやらそこに触れたらしい。今回の件はそれに関係があるのかもしれない。

 目の前をローレルが横切ってゆく。

「マット、『でざーといーぐる』」

「持ってきてないって」

「じゃあ、あのグリップはどうやったら手に入る」

「……グリップ? あれは特注だぞ」

「特注?」

「金を払って材料をあの形に削ってもらうんだ。あのパーツが売られているわけじゃない。……」

 ──あのローレルが人間に執着してるのは、驚くべき『事件』だ。まあ、あの銃に執着してるだけという話もあるが。

 ……こうやって見る限り、彼は他の人間と変わらない。施設に詰めている人間と比べれば筋力も身体能力も高いみたいだけど。

 驕りがあるわけではないが、その目的のためだけに製作された僕たちにもそれなりの自負がある。彼が僕たちに何を教えられるというのか。

 ミントは一旦閉じた本を再び開いた。

 考えても詮無いことだ。明日、彼の実力を見せてもらえばいいだけのこと。

 ただそれだけだ……



   ***



 7時30分。

 あの事件から5日が経ち、ここもようやく落ち着いてきたようだ。静かだった施設のカフェテリアも少し賑やかさを取り戻してきたように思える。

 買ったばかりの朝食を持って振り返った俺は、隅のテーブルに見覚えのある姿を見つけた。

「おはようございます」

「あら」

 アヤさんが顔を上げる。

 頬張っていたサンドイッチを飲み込むと彼女は広げていた雑誌を自分のほうに寄せ、どうぞと言った。

 俺はお邪魔します、と断って彼女の斜め向かいに腰掛けた。

「食べてから帰るの?」

「ええ」

 ここで食事を摂っていけば、あとは家に帰って眠るだけになる。

「先日はありがとう」

「いえ」

 コーヒーを一口含み、アヤさんが俺のトレイを見る。

「すごい量ね」

 ……そういえば、リュシュカさんにも言われたな。

「そんなに多い……ですか?」

「うーん……よくわからないけど。あまり男性と一緒に食事する機会もないから」

 彼女はそう言うと、残ったコーヒーを飲み干して立ち上がった。

「せっかく声かけてくれたのにごめんなさいね。そろそろ時間なの」

「いえ。お先に失礼します」

 彼女は広げていた雑誌を鞄にしまい、軽く礼をすると踵を返して歩いていった。

 俺はその後ろ姿をぼんやり見つめる。

 ──あ。

 数日前の記憶と視線の先のアヤさんの背中が、綺麗に重なった。

 あの時の既視感は間違いではなかったようだ。

 ──5日前の事件の時、廊下で俺に逃げるよう勧めた、あの女性だった。

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