廃墟の魔法遣い - Exist transition

 郊外に程近い小さな廃ビル。壁の塗装は剥げ、乾ききって床に落ちている。


「元はオフィスビルですかね」

「さあな」

 まるで人気のないその建物を、セダンから降りたった2人──クレイグとシンは見上げた。

「それにしても……せっかくいいスーツ着てるんですからちゃんとしてくださいよ」

 シンは隙のない着こなしをしているが、クレイグは襟元を緩めている。

「俺はネクタイ嫌いなんだよ」

「『きちんとした恰好を』と言ったのは隊長でしょう」

「だからちゃんとしてきただろうが」

「……」

 亀裂の入った扉を開く。

 正面にはエレベータがあるが、スイッチ類を叩いても反応がない。

「……動力系が死んでるな」

 クレイグは付近を見回し、奥に非常階段らしき印の描いてある扉に気が付いた。

 防火扉も兼ねたそれは錆も手伝って異様な抵抗を感じさせる。中へ入り手を離すと軋んだ悲鳴を上げた。

 照明は隙間から差し込む淡い光しかない。シンはライトを取り出し、床に向かってスイッチを入れた。

「……本当にこんな場所にいるんでしょうか」

「望みは薄いが、当てもないしな」

 小さく呟いた筈の声がエコーを伴って響く。──2人はコンクリートの破片を踏みつつ階段を上り始めた。


 博士の移送に約1ヶ月。よってタイムリミットも約1ヶ月。

 『彼』の情報はほぼ皆無だった。事前調査で大学のネットワークから始まり色々なルートをたどったが、手に入ったのは入学当時の顔写真のみ。以後の記録はなし。

 故郷の町とやらにも出かけてみた。だがそこにあったのはできたばかりの集落で──移住を始めた人々が瓦礫を撤去しながら細々と暮らしているという状態だった。

 聞けば爆撃により町そのものがなくなったのだと言う。生存者はなし。

 調査は振り出しに戻り──彼らは当初の予定だったSCへ直接やってきた。

 SCには『夜』も『騎士』も干渉しない。……理由は定かではないが隠れ家としては最適と思われる。無論、これはクレイグの直感によるところが大きい訳だが。

 ともかく彼らはSCの都市中心部にある宿泊施設をフロアごと借りて、そこを拠点に地味な聞き込みを開始した。

 そうしてようやく得た1つの情報がこのビルだったのだ。


 破片の砕ける小さな音を混ぜながら上へと向かう。

 各階の部屋を調べ回り──

「ここが最後か」

 最上階の扉を開く。そこには部屋が1つあるきりだった。

 ドアチャイムを押す。──が、予想通り無反応。

 クレイグは扉をノックした。……合間を置いてもう一度。

「誰もいないようだな……」

「無駄足でしたかね」

 軽く唸りながら、彼は扉のノブに触れた。──が、そっと手を放す。

「──戻るぞ」

「……?」

「作戦ならまだしも、俺たちは博士の希望で教え子とやらを連れてきて欲しいと頼まれてきただけだ」

「はい」

「博士の希望を再確認してからでも遅くはないだろう」

 クレイグは踵を返し……シンは途惑いつつそれに従った。



   ***



「……」

 走り去る車を最上階の窓の死角から見下ろし、人影が安堵の息を洩らす。

 ……今日の訪問者は追跡者ではなかったようだ。日差しの差し込む場所へと現れた影は20歳そこそこの青年に見えた。

 風を入れるため、扉の感知装置を解除して開け放す。

 足許で小さな紙片が舞った。

「……?」

 床に落ちたカードサイズのそれを拾うと、──青年はそれをじっと見つめた。

 少し厚みのある紙に、名前と電話番号が無機質にタイプされている。

 どうやらそれは居留守を使われた相手からの伝言のようだった。落とした振りをして置いていったのだろう。

「……なるほど」

 青年はカードを胸ポケットにしまい、軽く笑う。

 ──そういえば、最後に笑ったのはいつだったか。

 軽く目を伏せ、束の間過去に想いに耽る。

 ……が彼はすぐに面を上げ、本棚の片隅に置いてあったハンドヘルドを手にとり、テーブルに乗せてキーを叩き始めた。



   ***



 車が走り出すとクレイグは大きく息を吐いて、シートからずり落ちるようにもたれかかった。

「……隊長?」

「──参ったぜ」

 目を細めたままクレイグは呟き、黙り込んだ。

「そういえば、何で止めたんです?」

「……あの扉か?」

「ええ」

「……」

「面倒な手続きは全部後から、の隊長らしくない行動でしたね」

「抜かせ」

 部下の軽口を受け流し、またもや沈黙する。

「──博士の教え子だって言うなら……そういうことも有りなのかね」

 ふてくされたような言葉。

「……罠、ですか?」

「ああ。何が仕掛けてあったのかまではわからんがな……いやーな感じがした」

「隊長得意の『勘』ですか」

「まあそんなところかな」

「──『お前も10年戦場走れば分かる』、でしょ?」

「人の台詞かっさらうなよ」

「3年も言われ続ければ真似してみたくもなりますよ」

 クレイグは軽く笑ったがすぐ真顔に戻った。

 そのまま時間を確認する。

「もう15時30分か……ホテルに戻ろう」

「了解です」

 シンはハンドルを切り、ハイウェイへ進んでいった。



   ***



 到着した頃には、既に日はかなり傾いていた。

「頼む」

 ホテルのフロントにシンが白いカードを差し出す。

 ホテルマンは頷いて、受け取ったカードを手にしてクレイグ達とともにエレベータホールへ同行した。

 そのまま一緒にエレベータに乗り込み、コンソールのカードリーダーにカードを読み込ませる。

 エレベータは音もなく目的の階へと昇っていった。

 このホテルの最上階は25階。──だが彼らが使用しているのは存在するはずのない28階だ。

 彼らの表の顔は大手の警備会社。そのグループ企業は巨大ホテルチェーンを経営しており、こういった『隠し部屋』は世界各国での活動の拠点として利用されていた。

 ホテルマンは吐き出されたカードを取ってシンへ返却する。シンは目礼でそれを受け取り、エレベータを降りた。

「どうしますか」

「今日はもう終わりだ。──俺はもう疲れた」

「では失礼します」

 シンは敬礼すると、隣の部屋に消えた。

 クレイグも自分の部屋に入り、上着を脱ぐとばさっと椅子の背もたれに放り投げる。

 そのままベッドに座り込んだ時、ノックの音がした。

「何だ」

 不機嫌に返事をする。

「失礼します」

 SCに連れてきた若い兵士の1人だった。

「来客です」

「客……?」

 そんな馬鹿な。このフロアにはホテルマンが案内でもしない限り一般の宿泊客は入ってこれないはずだ。

「そう言えば分かる……と」

 若い兵士はおずおずと答える。歯切れが悪い。

「通したのか?」

「ミーティング用の部屋にいます……その……」

 はっきりしない言葉にいらついたクレイグは若い兵士を押しのけて急ぎ足で歩き始めた。

「隊長 !? 」

「構わん。自分で確認する」

 そのままミーティングルームの扉を開ける。

 ──『彼』は扉に背を向け、窓の外を見ていた。

 無造作に結ばれた長い黒髪が細く開けられた窓から入る風に絡まり揺れている。

 青年はゆっくり振り向いた。

 それは、クレイグが見た入学当時のあの青年の写真と同じ──恐らく年の頃は20歳前。あれから少なくとも10年近い年月が流れているはずだが、髪の長さこそ違え彼はその写真と寸分違わぬ姿のままそこに立っていた。

「アルフレート=ジーリング……か」

「その呼ばれ方は懐かしいですね。私の生まれた国では『アルフレッド』ですが呼びやすいほうで構いません。警備会社──いえ、傭兵組織『プルートニク』大尉(ハオプトマン)・キアラン=クレイグさん」

 青年は穏やかな声で答えた。


 表情こそ変えなかったが、クレイグは驚愕していた。

 ──あの時置いてきたナンバーは、連絡専用のダミーの電話番号だ。

 彼らの表の顔である大手の警備会社。その中に隠された傭兵組織──『プルートニク』の名は各国の要人クラスしか知らないはずだった。

「どうかなさいましたか」

 青年の言葉で我に返る。

「……いや失礼。わざわざ訪ねて頂いて有難い」

 ぶっきらぼうにそう言うと、クレイグは部屋の中へ入り、扉を閉めた。

「興味が湧いただけですよ。幾らでも方法はあるでしょうに、メッセージだけを残していった訪問者にね」

 青年の目がまっすぐクレイグを射る。

「しかもどうやら『夜』でも『騎士』でもないらしいとくれば、尚更」

 その視線を真っ向から受け止め、クレイグは訊いた。

「──どうしてそう思う?」

「あの連中ならそんな回りくどいことなどせず私のいる街ごと焼き払ってますよ。私を完全に殺せる確信を持っているなら、ね」

「……」

 その言葉は自信なのか──それとも。

 沈黙したままのクレイグに、ジーリングが言った。

「今度は私がお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「……どうぞ」

 そう答え、クレイグは仕草で応接の椅子を勧める。ジーリングは軽く頭を下げ、ソファに腰掛けてから尋ねた。

「私の名前をどこで知りましたか」

「……」

 続いてクレイグも真正面に座る。

「あの計画の破棄が決定してすぐ、『騎士』は直接の関係者で私を除く全員を抹殺しました。──彼らの手から逃れるためには自らに関する情報を消去し、地下にもぐるしかなかった」

「ああ、探し出すのに苦労させられたよ」

「そして『夜』は別の打算から独自に私を探し出そうとしている。私の名とそれに付随する情報について知っている者は『夜』と『騎士』の息のかかった組織しかないはず。……一体どこから」

 ──ジーリングの問いに、クレイグはひとまず安心した。この短時間で我々のことを調べることはできても、カウフマンの件についてまではたどりつくことはできなかったようだ。もっとも時間の問題だったのかもしれないが。

 クレイグは軽く目を閉じ──そして答えた。

「まず我々が貴方を探していたのはある人物から頼まれたからだ。名前はその依頼主から」

「頼まれた……?」

 予想外の言葉だったのか、ジーリングが軽くたたずまいを直す。

「ああ。貴方を助手に欲しいそうだ」

「助手……」

 青年はうつむいて考え込み──ぽつりと言った。

「──依頼主はカウフマン教授ですか」

「……どうしてそのように?」

 内心の動揺を抑えつつ、クレイグが問う。

「勘、みたいなものです」

「……」

「数日前GKで起きたF製薬ラボへの国籍不明機による空爆。使用された弾頭は地下施設破壊用USFE製バンカーバスター。同時刻、公にはなってはいませんが国境付近での軍用装甲車への襲撃事件。続いて公式資料の上では『存在しないはず』の軍機密施設へのハッキング。──もっともこの件については、そもそも大きな被害を与える気がなかったのか極小出力のECMバラージによる若干の電子機器への被害と施設セキュリティの封鎖のみで終わったようですね。機密情報の漏洩した痕跡は見つからなかったそうです。……ああ、弾頭未搭載の超長距離ミサイル誤射というのもありましたね。

 これら全てが、ある事象を隠蔽するための陽動だと仮定すれば──」

「……」

 内心舌を巻く。どのようにしてこれだけの正確な情報をこの短時間で得たのか。

 ジーリングは言葉を続ける。

「カウフマン教授が『夜』をパトロンとした研究機関に参加していたことは知っていました。先生と私には大学の教授と大勢いる学生のうちの1人という繋がりしかありませんし、『騎士』がもし教授と私との繋がりに気がついても『夜』の中にいる人間には手出しできなかったはずです」

「同じ大学の教授は他にもいただろう」

「私は大学在籍中にある計画に参加するため休学してしまったのでね。あまり先生たちの名前を覚えていないんですよ」

 ジーリングは軽く笑うともう一度クレイグの顔を視線でとらえて言った。

「そこまで確認するからにはそれが答えだと思っていいですね」

 ……やられたか。

「お好きなように」

 とは答えたものの──心の中で舌打ちする。

 彼がどれだけの情報をつかんでいるのかを知りたくて耳を傾けていたのだが、それが彼に確信を抱かせてしまったようだ。

「状況はわかりました。教授の移送が終わるのはいつになりますか」

「察しがいいな。予定では1週間後だ」

「1週間後ですね。……ではその頃に私から直接教授の許に伺いますよ」

「待て」

 立ち上がったジーリングにクレイグが言った。

「我々は博士に出来うる限りのことはする、と約束した。博士の助手を勤めることを了承するなら、我々はお前の身柄を確実に博士の許に届けねばならない」

「とは言っても……こちらにも都合と言うものがあるんですよ」

 ジーリングが困ったな、という表情をする。

 クレイグも譲るわけに行かず、食い下がった。

「我々の目の届かない場所で『夜』や『騎士』の手が及ばないとも限らないだろう」

「どちらにせよ、彼らが本気になったら貴方達では手に負えませんよ。それに──彼らに私は捕まえられません」

 確信めいた言葉。

「我々を信じろとはいわない。だが──」

「例え万能に見える組織にだって予想外のことは起きる。──『だから』彼らは私を捕らえられない」

「……」

「そして、貴方達にも私を止めることはできません。何故なら──」

 ごと、と音がする。

 反射的にクレイグの意識は音のした方向に捕らわれ──。

「私は『ここにいながらにしてどこにも存在しない者』ですから」

 床に落ちた本を視線の片隅で確認し、もう一度意識を目の前にいる相手に戻す。

 ──目を疑う。

 そこに彼の姿はなかった。……まるで最初から訪れた者などいなかったかのように。

「……!……」

 注意深く周囲を観察し、窓際に歩み寄る。

 窓の外には夕闇が広がっているばかりだ。

 クレイグは書棚から落ちた本を拾い上げ──凝視する。

 背表紙は数センチ。振動で真横に倒れることはあっても到底書棚からは落ちそうにない厚み。

 それをもとあった場所に収め、廊下へ出た。

 先程の若い兵士を探す。

 兵士は2つほど廊下を曲がったところで歩哨の任務を続けていた。

「おい、お前」

「は、はい!」

 兵士がびくんと背筋を伸ばして返事する。不始末を責められると思っているのだろう。──硬くなっている様子を見てクレイグは溜息をついた。

「……別に怒ってる訳じゃないからそうびくつくんじゃねーよ」

「はい……」

 そう返事したものの、若い兵士は表情を硬直させたままだ。

「奴はいつ、ここに来た?」

「15時過ぎ……そう、10分くらいだったと思います」

「15時10分?」

 思わず訊き返す。

「間違いないんだな」

「はい、15時に歩哨任務を交代してしばらくしてからです……」

「……」

「しかし自分はあの男がエレベータから出てきたところを見ていないんです」

「……どういうことだ」

 このフロアの廊下はT字型に伸びている。どの廊下からもエレベータの入り口は見える。

「気が付いたらあの男がいたんです。自分は問い詰めようと思い声をかけたところ、これを見せられて……」

 そう言って若い兵士が胸ポケットから何かを取り出す。

 それはクレイグが郊外のビルにわざと落としてきた、彼の名前とダミーの電話番号をタイプした紙だった。

「あの男は『隊長に呼ばれたのだ』と言って……ここで待っていてよいかと確認されて」

「承諾したのか?」

「……どうしてだか自分にも分かりません。もうその時にはあの男を不審者とは思わなくなっていたんです」

「……そうか。──もう行っていい」

 半分安堵半分途惑い気味の表情になった若い兵士を下がらせ、クレイグは自室に戻って椅子に座り込んだ。

 廃ビルを訪れたのが14時。最後の部屋を調べようとして諦め、あの場所を出立したのが15時。

 そしてハイウェイを使って戻ってきたのが18時だ。

 距離と時間を物理的に無視して奴はそこに現れた。『プルートニク』の歩哨を手玉にとって。

 そして──自分の前で霧のように消えてみせた。

「……『魔法遣い(マギウス)……』」

 クレイグは呟き──頭の中で大きくかぶりを振る。

 何て非科学的な単語。

 だが彼の使った奇術を解く理屈を、クレイグはすぐに思いつけそうにはなかった。


 その時、扉が鳴った。

「……入れ」

「失礼します」

 シンが書類を持って入ってきた。

「隊長、例の機密施設から経過報告が上がってきてます」

「見せてくれ」

 クレイグは書類を受け取り、目を通し始めた。

 視線がある一点で止まる。

「何だシーヴァーズの奴ここに詰めてたのか。……悪いことをしたな」

 悪びれずに呟く表情にシンが反応した。

「──誰です、その名前は」

 顔を上げ、シンの問いに答える。

「俺が一時期出向で、士官学校の教官をやってた時の候補生だ。今は『プルートニク』の一員になってる」

「……隊長の弟子って訳ですね」

「ああ」

 クレイグは報告書に視線を戻した。

 文面を追う表情が少しずつ愉快そうな顔になる。

「……ふふん。さすがは俺の弟子だ」

「──隊長が覚えてるくらいだから、さぞかし優秀なんでしょうね」

「技術的には、な。……あの怪我さえなかったら今回の作戦にも使いたかったんだが。……ああ、だめか。あいつはGKの仕事しか請け負わないんだった」

「……珍しい人ですね」

「自分の感情と行動に嘘をつけない人間なのさ。──好意は持てるが『戦争屋』には向かない」

「そりゃ不器用なことで」

「全くだ」

 そういってクレイグは報告書をシンに返す。

「まあ、ここへのちょっかいは陽動の1つに過ぎない。それが幸いっちゃ幸いだな」

 シンは返された書類を手のひらで揃え直しながら言った。

「隊長も身内には甘いですよね」

「仕方ねーだろ、……協力者のこともあるし」

 苦笑してクレイグは居心地悪そうに椅子に座り直した。

 奴のことは気になるが、それだけを悩んでる暇はないのだ。

 ──あの魔法遣いが敵か味方かわからない存在であっても。

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