208:試練よりの生存者

 光の奔流が押し寄せる。

 雷が、熱が、衝撃が、圧力が。

 莫大な力を注ぎ込まれた破壊の力が一瞬のうちに水上を突破して、その向こう、舞台上にいたアパゴ一人を、その周囲ごと巻き込む形で蹂躙する。


 電気によるダメージを緩和する。

 絶縁性と電熱への耐性を幾重にも付与し、肉体そのものの強度と耐久力を底上げし、さらには手にした武器を槍へと変えて床に突き刺し、その槍に誘電性を付与してエネルギーを逃がして、他にも思いつく限りの、ありとあらゆる耐性を幾重にもかけて、それらに瞬間的なブーストをかけて効果を底上げし、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて――。


耐えて、耐えて、耐えて、耐えて――。


耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐え続けて――。


 そうして、アパゴはついにその極大の攻撃に耐えきり生き延びて、しかし同時に生き延びることしかできなかった。


「――……見事」


 熱によって半分溶け落ちた手の中の武器から手を放し、背後の壁に体の半分をめり込ませながら、かろうじてアパゴは自身の口でそう呟く。


 確かにアパゴは敵からの攻撃に耐えきった。

 耐えきって、かろうじて人間一人を焼却せしめる攻撃の中で命を繋いだ。

 命を繋いで、しかしアパゴは生き残ることしか叶わなかった。


 アパゴのすぐ目の前に、焼け焦げ、破壊された床の周囲に降り立つ形で、先ほどまで相対していた少年たちが舞い降りる気配がする。


 もはや舞い降りたのだろうということしかわからない。すでにアパゴの視力は損なわれたまま戻らず、回復する見込みがあるのかも定かではないのだから。


「まだ、息があるんですね」


「ある、とも……。だが、それだけだ」


 どこか悼むような声色に微かに口元を歪めながら、アパゴは紡ぐべきと思う言葉を死に瀕した体で絞り出す。


「賞賛、しよう……。間違いなく貴公らの力は、某を上回るものだった……」


 もはやアパゴの体は戦うことは叶わない。

 今のアパゴは体の各所が焼けただれ、臭いから察するにどこか炭化しているところすらある。

 全身を襲った電気によって既に感覚すら怪しく、意識を保てているのが逆に不思議な状況だ。


 本当に、ただ命を繋げたというだけで、もはやアパゴの体は既に死に体だ。

 もはや碌に動くことすら敵わない。戦うことなど到底不可能と言う、そんな状態。


「この戦は貴公らの、勝ちだ……。誇るがいい。貴公らは我らに、世界最高峰とうたわれた二十七人のうちの二人に勝ったのだから」


「勝ったって言うのなら、俺達の勝ちだって言うのなら教えてくれ。お前らが戻る拠点はどこだ――? あのハイツって奴は、俺の娘を一体どこに連れて行ったんだ――!?」


 そうして、末期の言葉を残そうとするアパゴに対して、この敵達の中で唯一アパゴと同年代の男が詰め寄るようにそう問いかける。

 アパゴにしてみれば、ぶつけられる言葉は今初めて知ったような、そんな事情ばかりの問いかけだったが、それでもその問いの内容である程度の事情は理解できた。


「なるほどな……。まさか奴もすでに退けられていたか。恐らく単独で行動しているだろうとは思っていたが、すでに退けられているとあっては立場もあるまい……。これであ奴も少しは他と共闘する気になればいいのだが、な……」


「おい教えろ……!! お前らが戻るとしたら場所はどこだ!? お前らはいったいどこに拠点を築いてやがる……!!」


「その質問には答えてやれんよ。我らとて世界を背負っているのだ……。それに、一枚岩とは言えずとも、味方を売るのは義にもとる」


「世界……?」


「――なんだ、それすらもそちらは知らずに戦っていたのか」


 問い返す竜昇の言葉に、アパゴはどこか呆れたような、しかしどこか納得したかのようなそんな反応を微かに見せる。

 そんな反応の後に彼が見せたのは、どこか憐れみと怒りがないまぜになったかのような奇妙な表情。


「知らぬというならこれから先は覚悟しておくといい。貴公らがいかなる理由で戦うにせよ、我らの道行きを阻むというのなら、それは世界の滅びに加担する行いだ……。

 我らはいわば、その滅びゆく世界を背負う二十七人……。残る者達が、そうやすやすと敗れ去るとは思うなよ……」


「……!!」


 その宣告に、とっさに竜昇は何かを言おうとして、しかし何も言葉を返すことができなかった。


 アパゴと言う男が竜昇達の戦いをいかなる理由によるものと考えているかは知らないが、実際のところ竜昇達に確たる闘う理由があるとは言い難い。


 一応城司などは娘である華夜を取り返すという目的こそあるものの、基本的に竜昇達プレイヤーはただ降りかかる火の粉を払うようなつもりで戦ってきたというのが実情なのだ。


 それが悪いことなのだと思うつもりはないが、しかし言葉にできない、罪悪感にも似た感傷が胸の内でわだかまる。


 譲ることのできない絶対的な闘う理由、それを持った相手を、なんの覚悟もないまま状況に流さるままに退けてしまったような、そんな気がして。


(なんなんだ一体……。俺達は、一体何と戦わされてるんだ……!!)


 話していてわかった事実として、アパゴ達もまた竜昇達の立場をよく理解していない節があるようだったが、厄介なのは彼らが竜昇達のことを単に理解していないだけではなく、おのれの敵対する何か、恐らくはこのビルに潜むゲームマスターの手先か、迎撃戦力だと思っている点だ。


 あるいは、その部分の誤解さえ解ければ更なる話を聞きだし、話し合いの余地が生まれるのかもしれないとそう考えたのだが――。


「――話過ぎたな。やれやれ、死に損なって敵に情報が渡ったとあっては、他の戦士たちに申し訳が立たん」


「ッ、おい待て、まだお前には聞きたいことが山ほど――」


「悪いがこれ以上話すつもりはない、よ」


 そう言って、アパゴは城司が止める間もなく手刀の形にした手を胸へと当てて、直後にその手に魔力と力を込めて己の胸板を突き破る。


「――ぅっ」


 竜昇達が息を呑む中行われたのは、己で己の心臓を割り裂く、まごうことなき自決の行い。


 全身を焼き焦がされて戦う力を失い、敵に捕らわれ情報を奪われることを拒絶したその男は、竜昇達が何かを問う前にあっさりと自らの命を絶ち切った。


「――なん、だ、それはぁッ……!! ふざけんなァッ――!!」


 目の前で起きた死に城司が絶叫するが、もはやすべてが手遅れだった。


 自身がめり込んだ壁にもたれて立ったままの、まるで生きているような状態で、しかし確かにアパゴは自らの手により完全に死亡していた。


「――なん、なんだよ……。いったい俺達は、誰にっ、なにを相手に戦わされてんだよ……!!」


 胸の内の感情に耐え兼ねて、思わずそんな言葉を吐き出した竜昇だったが、しかしその問いに応えられるものはもはや誰もいない。

 城司と二人、アパゴの死体を前に何もできぬまま立ち尽くして、しかしそうしていたのは実際にはほんのわずかの時間のことだった。


「お二人とも……。アパゴさんは――、とりあえず倒すことはできたようですね」


 そんな言葉と共に、舞台へと繋がる通路の方から、静と詩織が互いに相手を支え合うようにして竜昇達のいる方へと歩み寄って来る。


 相手が静であったが故にそこまで心配はしていなかったが、やはりというべきなのか、彼女の方も無事にこの場へと合流しに来ることができたらしい。


 とは言え、かなりの無理をさせた彼女に対して、竜昇が報いるだけの成果をあげられなかったというのもまた事実だ。


「すまない、静……。もう少しのところだったのに、こいつから話を聞き出す前に、自決されてしまって……」


「いえ、それを言うなら私も同じようなものですから。私の方も、あと一息のところであのハンナさんと言う女性を取り逃がしてしまった」


「え?」


「あん?」


「……?」


 何気なく言われたその言葉に、静以外の三者が反射的にそれぞれ声を漏らしてそう反応する。


 続けて問いを投げかけるのは、年長者故かいち早く我に返ったらしい、大人の城司。


「あー、ちょっと待ってくれ。静の嬢ちゃん、今取り逃がしたって言ったか? 仕留めちまった、の間違いじゃなく?」


「ええ、はい……。逃げられてしまいました。恐らくはこの一つ下の階層に、あの方がここに来たときに使ったと思しき、舞台裏にあった扉を使って」








 傷口を押さえて薄暗い通路の中をひた走る。

 衣服は全身ずぶ濡れで、纏っていたマントすら水に流され失った酷いありさま。

 それでもかろうじて命を繋いで、文字通り這う這うの体で逃げ延びて、ハンナ・オーリックはその階層を逃れるように移動していた。


(く、屈、辱――。ええ、そうよ、屈辱だわ)


 あの瞬間、落ちてくる水の触手を目の当たりにして、ハンナは間違いなく自身の死を確信していた。

 自分はあの触手に叩き潰されて死ぬのだと直感して、自身を守り切れなかったあの不甲斐ない野蛮人に胸の奥底で呪いの言葉さえ吐きかけた。


 だが結論から言えば、その呪いの言葉を吐きかけた相手こそが、あの時ハンナの命を救っていた。

 恐らくは本人も無自覚に。けれど意識的に、ハンナを守るという役目を自分自身に課していた、それゆえに。


 あの瞬間、ハンナを叩き潰すはずの水の触手は、しかし実際には接触の瞬間に触手内部へとハンナの体を取り込んで、そのまま体内の流れに乗せてハンナの体を階層の出入り口の方へと押し流していたのだ。


 恐らくハンナの死体が無いことに逃走を察知したのだろう。

 あのオハラの少女も逃走に気付いて後から追ってきていたが、しかし少女に追いつかれるその前に、ハンナは舞台裏にあった一つ前の階層へとつながるその出入口へと、半ば強制的に水流に流し込まれていた。


(あ、ああ――、ホントに、なんて、野蛮で、乱暴な蛮族の思考なのかしら――!!)


 自身を殺すはずだった【試練獣】がハンナを救った理由は明白だ。

 恐らくは戦闘のさなかに、あの【試練獣】の中に、何かのきっかけで内部に取り込んだアパゴの記憶が移植されていたのだ。


 それ以前にハンナが植え付けた、敵の言葉で言うところの『テイム』のための記憶が作用した可能性もないではなかったが、もしもそうならもっと明確に、あの【試練獣】はハンナに従うそぶりを見せていたはずである。


 となれば、やはり考えられる結論はただ一つ。

 そしてその唯一の結論は、ハンナにとって最も癇に障る、屈辱的な答えでもあった。


 なにしろそれは、他ならぬあのアパゴの中に、最低限ハンナを守ろうという意識があったということなのだから。

 それが例え命じられたが故の使命感であったにせよ。

 こちらを守る気などないのだと、自分を見殺しにするつもりなのだとそう信じていた、信じようとしていたその相手に守られたというその事実に、ハンナは耐え難い屈辱を感じて思わず唇をかみしめる。


(許、さない……!! あの男、これで自分だけ死んでいたら、絶対に許さない)


 胸の内で激しい感情が荒れ狂う。

 そもそもあの時、アーメリア達が戦いに赴いた時に一兵たりとも兵を出さなかった僻地の蛮族だというのに、なぜ今さら自分を助けるような真似をするというのか。


 そう思いながらも、ハンナは自身の手当てをする間も惜しんで、とにかく戦力の立て直しを図るために手の中で何枚もの栞を生成し、暫定的な戦力確保を図るために新たな【試練獣】を探し求める。


 単純にもほだされたという訳ではない。ただ共闘関係にあるその相手を、無暗に見捨てるような真似はするものかと言う、そんな意地のような感情で。


 そんな想いとともに進み続けて、不意にハンナの体がその意に反して足を止める。


(――?)


 自身の中の誰かの記憶が何かに反応して、とっさにその場でハンナの意思を置き去りに身を翻そうとして、しかしその寸前に背後からあまりにも軽い衝撃が襲ってきた。


「――あ、え――?」


 感じる違和感に自身の胸元を見下ろして、そこから生えた血塗られた刃が目に映って、その鈍い輝きの中に、ハンナ自身の呆然と驚く顔が微かに写り込んで――。


「――く、ぁあああッ――!!」


 次の瞬間、反射的にハンナが自身の周囲に魔弾を生成し、それらを背後へと次々と打ち込んでその攻撃の主を爆砕する。


「ぅぁああああっ、ああ、ああああああっ――!!」


 背後から吹き付ける爆風によろめきながら、なおもハンナは自身の周囲に魔弾を生成し、それらを闇雲に背後の空間へと打ち込んで、そこにいただろう何者かを至近距離からの連続射撃で完膚なきまでに粉砕する。


「――く、……あ、かっ――、ハァ――、あ、あ……」


 そうしてひとしきり魔弾を撃ち終えて、己の法力を吐き出しつくしたハンナがようやくよろめき膝を着く。


 胸を背後から貫く、アーメリアが使っていたのと同系統の刃物の存在に、ハンナが混乱しながらもこの状況を打破する適切な知識を検索する。


 貫かれた痛みが、傷から生まれる熱が、刃の冷たさが、死にもつながる実感が、状況の理解と共にいっぺんにハンナの脳裏へと押し寄せてきて、彼女の脆弱な精神を一辺の容赦もなく蹂躙する。


 ただしそんな中でも、彼女の中にあるかつての従者の知識と技能は、主である彼女自身を決して見捨てない。


(患部被害状況、精査――。体組織の断絶、出血箇所確認――。縫合と、止血を――)


 自身の胸に手を当てて連続で法力を流し込み、それによって被害状況を読み取って、すぐさまハンナは背中に手を回して刃を引き抜きつつ、断絶した組織を法力から作った糸で縫合、その部位の治癒を促進し出血を最小限に抑えていく。


 ほどんど暴走状態に近い精神で最適な応急処置を施すハンナに対して、投げかけられるのは先ほど爆砕したはずの背後からの声。


「やれやれ……。ようやく一人になって隙ができたかと思ったが、有する知識のことを考えれば少々甘く見すぎていたか」


「――ッ」


 聞こえる声に、ハンナは傷の手当てもそこそこに、まだ出血が収まらない状況の中で、引き抜いたばかりの刃物を手にしてその声の方へと振り返る。


「――、あ、あんたは――」


 振り返って、そして思わずハンナはその姿に瞠目した。

 その相手が全くの未知の相手だったから、ではなく。

 むしろその逆、その相手がハンナにとって、ある意味でこれ以上ないほどよく知った相手であったからだ。


「――なんで、なんであんたが、ここにいるのよッ、【神問官】――!!」


「やはり、その記憶も引き継いでいたか、オーリックの末裔よ」


 そうしてハンナの絶叫に応えるように、暗がりの中にいたその男が一歩を踏み出し、より鮮明にその姿を明るみに晒す。


 現れたのは恐ろしいほどに整った容姿をもつ、まるで聖職者のような法衣を着た一人の男。

 先ほど至近距離から魔弾を撃ち込んだというのに、その身にはどう見ても怪我の一つもない。そしてその容貌はハンナの記憶にある通り、成人であること以上に年齢を感じさせない、老成したような雰囲気と若々しい容貌を併せ持った、まさしく神が作った芸術品のような男の姿がそこにはあった。


 ハンナにもはっきりと見覚えのある、しかしそれゆえにあってはならないはずのその姿が。


「――なんで、アンタがここにいる……。アンタは、あの時消滅したはずだ……。役目をはたして……、アタシたちに【神造物】を明け渡した、そのときに……!!」


 ハンナの住む世界において、たびたび歴史上に現れる【神造物】と、その担い手を選ぶ【神問官】。

 しかし担い手と【神造物】の物語こそ数あれど、【神造物】を人へと明け渡す【神問官】の物語は、皆一様に同じ最後によって締めくくられることになる。


 それはすなわち、役目を果たしての、選んだ担い手の前での消滅。


 それこそが、死することなき命を持ち、ふさわしい担い手が見つかるまで【神造物】を手に何百年でも世界をめぐる彼ら彼女らの、唯一にして絶対と言ってもいい最後なのだ。


 それはハンナに、厳密にはハンナの先祖に【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】を渡した【神問官】とて例外ではなく、彼は【神造界法】の記憶を始祖へと植え付けたその際に消滅していた、はずだった。

 だが――。


「消滅したはず、か。随分と白々しいもの言いだな。

実のとこころ、お前達とて薄々感づいていたのではないか? 自分たちの持つ【神造物】は何かがおかしいと。君たちの始祖の身に起きた選定に、なにか違和感があることに」


「――ッ!!」


 投げかけられた問いかけに、ハンナは思わず息を呑んで言葉を失う。

 それは相手の物言いを侮辱と感じたからではない。ある意味ではその逆、この男の言うことが、そのままハンナの図星をついていたからだ。


 そう、違和感ならずっと感じていた。

 それこそハンナだけではなく、ハンナにたどり着くまで代々継承してきたオーリックの先祖たちその全員が。


 例えば、相手に自身が持つものが【神造物】であると直感的に理解させる【賛美句詠唱】を行った際に、それを受け止める人間の間でその理解度に大きな個人差があったことだとか。


 親から子に、知識の継承を行った際に、親と子の両方に【神造界法】の知識が同時存在してしまうという、言うなれば【神造物】の複製ができてしまうことなど、不可解に思う要素は実のところいくつもあったのだ。


 これまでは、自分たちの持つ【神造物】が実態を持たない『技術の知識』であることが理由なのだろうと、自分達を無理やりに納得させてきていたが。

 それでも、どこかで不安を覚えていた一族の者達は、【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】の継承に【神造物】が本来持つ、指名した者への自動継承の機能を使わずに、【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】の力を利用した知識そのものの受け渡しと言う形をとり続けていた。


 けれど今、目の前に現れた男の存在とその発言によって、ハンナは先祖代々受け継いできた不安が、的中したことを思い知る。


「お前は――、お前はあの時、あたしたちに偽物を掴ましたのかッ――!!」


 そう言って激高し、問い詰めるハンナの言葉を、しかし男は特に動じることなく、冷めた視線で淡々と受け止める。


「ただの偽物ではないよ。君たちに渡したのは言ってしまえばコピーデータ、オリジナルの【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】の複製品だ。【神造物】としての特有の性質こそ失っているが、それでも遅れて条件を満たしたものが得る品としては、十分に破格の性能を有していたはずだ」


「遅れて、条件を……?」


 淡々と語られるその言葉の中で、ハンナはもう一つ別の事実に気付いてその目を見開く。

 それは敬虔な神の信徒であるならば、本来考えることもおぞましい最悪の可能性。


「――も、もう一つ、気づいたことがあるわ……。

記憶情報である【跡に遺る思い出(リバイバルメモリア)】を複製するなんてそんな真似、そもそもその【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】そのものを使わなければできるわけがない……」


 導き出される答えは、あるいは【神造物】の複製と言う以上に本来は忌避するべきある種のタブー。

 できる出来ない以前に、そもそもそれをやって良いという発想自体があり得ない、神をも恐れぬ悪魔の所業。


「あ、あんたは――!! 【神問官】の身でッ、神より預かる【神造物】を着服したのか――!!」


 自身が行き着いたその回答に、ハンナは怒りと言う以上に驚愕の感情で目を剥き、眼の前の敵を問い詰める。


 これが人間であるならば、不当に【神造物】を得ようとする輩は残念ながらいる。

 【神問官】の試練を経ずして、非正規な方法で【神造物】を手にしようとする唾棄すべき犯罪者。そんな輩であれば、残念ながらその存在をハンナ自身も知っている。

 けれどまさか、神の使徒である【神問官】その人が、そんな不正に手を染めていようとは――。


 そう思い動揺するハンナの目の前で、しかし当の【神問官】は表情を変えぬまま首を振る。


「……着服などではないよ。

そも、我ら【神問官】による【神造物】の担い手の選定は半ば自動的な行いだ。本人の意思や認識に関わらず、ふさわしい者が目の前に現れれば、その瞬間に我々は我々自身の意思に関係なく、その者を【神造物】の担い手として認定する。

たとえ当の【神問官】本人が、その条件を知らされていなかったとしても、だ」


 激高するハンナに対して、あくまでも男は淡々と、自分たちの性質についてハンナも知っているそれ等の事実を語り聞かせる。


「私の時もそうだったよ。私は、自身がその神が定めたその適正を持ち合わせていると気づいたその瞬間、己の意思とは無関係に己自身を神より預かる【神造物】の担い手として認定していた。

 唯一違う点があるとすれば、それは使命を果たせば消え去るのみの神問官(われわれ)が、自身を持ち主と定めたがためにその消滅を免れたことくらいだ」


「……それがッ、目的だったんじゃ、ないの……? 自分が消えたくないから、それを免れる、そのために――」


「無論、自らに課せられた担い手の条件がわかっていればそれもできただろうが、生憎と私がそれを知ったのは【神造物】を得たその後だ。

 【神問官】によっては人々に課す試練の内容からそれを推察できる者もいるようだが、生憎と私の試練はそれがはっきりとわかるようなものではなかったのでね」


 証拠などなに一つとして示せぬ話でありながら、微塵の疑いも差し挟ませない説得力を伴う口調で、【神問官】の男はそう語る。

 あるいは、ハンナがそう感じてしまったその理由は、眼の前にいる男がどこか怒りを覚えているように思ってしまったのが理由かもしれない。

 表情を変えず、口調も淡々としたものであるにもかかわらず、ハンナにはこの男がどこか自身の語る言葉のどこかに怒りを覚えているように、そう感じられた。


「理解できたかね? 私の選定に私自身の意思は一切介在していない。

 もしも介在したものがあるとするならば、それこそ君たちが言うところの、神の御意志と言うものなのだろう」


「――ッ」


 意地の悪い冗談でも言うような、どこか皮肉の入り混じったそんな言葉を、しかし男は微塵の笑みも浮かべずに淡々とそう語る。


 そしてそんな言葉に、ようやくハンナは反発するように何かを言わねばと我に返った。

 なんとしてでもこの相手を否定しなければという、そんな衝動によってどうにか自分を立て直して、そしてどうにかその思考が相手にぶつける言葉の、その糸口を見つけ出す。


「――けど、そう、そうよ……。それでも、あ、あああアンタには、使命を全うする選択肢だってあったはずよ。

 それこそ、あたしたちがあんたの目の前に現れたその時に……!!」


 そう己で口にして、ようやくハンナはこの敵への活路を見出したような気がして思わず口元に笑みを浮かべる。


「――え、えええ、そうよォッ!! あの時あなたには、間違いなく私たちに【神造物】を、本物【跡に遺る思いリバイバルメモリア】を明け渡して、本来の使命を全うする選択肢があった……!! なのにどうして、どうしてあの時、アンタは自らが不当に得た【神造物】を明け渡すことをしなかった……!? やっぱりあんたは、我が身可愛さに己の使命を――」


 と、そこまで言って、そこでハンナはこの相手について、自身がとんでもない思い違いをしていたことをようやく自覚する。

 目の前の男の量の瞳を、そのうちで燃える感情を、ようやく直視し、見たことで。


「――ああ、そうだとも。確かにお前の言う通り、あの時私には選択肢があった。

 あの時私は、初めて自分の意思で神問官として使命に殉じるのではなく、人として生きることを選んだのだ」


「――な……!?」


「故に、私はすでに貴様達が呼ぶような、【神問官】というその名を名乗っていない。

 すでに私は、神に造られながらも一個の人として生きるこの身を、【神造人】と、そう称して生きている」


「ッ……!!」


 恥じることなく、そう静かに言ってのける相手の姿に、ようやくハンナは理解する。

 この相手はダメだと、眼の前のこの男はあらゆる意味で、ハンナ程度でどうにかできる相手ではないのだと。


「最後だ。なつかしき思い出話のついでに、最後にもう一つだけ教えておこう」


 そうして男が手の中に生み出すのは、アーメリアの記憶に従い構えるハンナに合わせたような一振りの刀。


「すでに使命に背を向けて、己のために【神造物】をものにした私だが、【神問官】としての視点で見ても【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】の使い手として貴様らの始祖サリナ・オーリックよりも私自身を選んだことは間違いではなかったと思っているよ」


「な、に――」


 一歩、また一歩と近づきながら、男が語るのはハンナに引導を渡すための非情なる言葉。


「神造の理論の中から、物質組成の要素エッセンスを抜き出して義体生成や仮想錬金に応用したというのはたいしたものだ。

 記憶による自我への浸食を防ぐために、術者の記憶領域に改造を施す技術を確立したのも悪くない。

 だが悲しいかな、世代を経て【跡に遺る思い出リバイバルメモリア】を継承しただけのお前たちには、始祖であるサリナ・オーリックが満たしていた担い手としての条件が決定的に欠けている」


「だ、まれ……!!」


「なぜならば、この【神造物】を持つにたる資格とは、他者の記憶に触れて、なおも自身を保てる精神性であるからだ。

 記憶の奔流を受け止めて、なおも流されることなく、飲まれることなきそんな人格こそが求められる素養だ。

 その点で言っても、私とおまえたち、どちらがこの【神造物】にふさわしかは、わざわざ考えるまでもあるまい。

 取り込んだ記憶に自我を食いつぶされて、己の記憶領域を切り分けることでどうにかこの【神造物】と付き合っている、そんなおまえたちと比べては――」


「黙れぇぇェェェッ――!!」


 投げかけられる侮辱の言葉に耐え兼ねて、ハンナが命に係わる自身の傷すら無視して、周囲に魔弾を生み出し次々と掃射する。


 口元からあふれる血液にかまいもせずに、自身の中で繋げたあらゆる記憶を束ねてこの相手を滅殺してやるとそう心に決めて――。


「見るに堪えない狂騒だ」


 次の瞬間、滑るような見事な歩法を駆使して、男がハンナの前にいた。


(――あ)


 音が消える。ハンナの喉が凍り付く。

 そうして思考が硬直するその間に、かつてオーリックの一族に繁栄のきっかけをもたらしたその男が、まるでその過去を清算するかのように、滑らかな動きでハンナの心臓にその手の刃を突き立てた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る