204:極限技巧者の力技
クラゲの樹と化した水の怪物、その動きに変化が現れたのは、城司が樹から撃ち込まれる氷の砲弾を自身の盾で防ぎ始めて、少ししてからのことだった。
竜昇や詩織、そして静の三人が人形やそれを使う女と相対するその間、敵の注意を引き付けて、場合によっては三人を狙う砲弾を防ぐ役割を請け負っての綱渡りのような戦い。
ただでさえ規模の大きい敵からの攻撃に【鉄壁防盾】をはじめとした大技を連発することでどうにか抗して、それでもいよいよ限界が見え始めてきたその時に、不意にその変化は訪れた。
『ォォォォオオオオぉォぉォぉおぉォォォオオオオ――』
クラゲの樹が放つ、どこか空虚な空洞を通る風のような音が急に乱れて、同時に水でできたその体がゼリーのようにプルプルと震えて、やがてクラゲの樹の上半分が、地上から水を吸い上げていた幹の部分を丸ごと放棄し、巨大な鯨のような形状へと変わって、城司たちの頭上を飛び越えてその向こうの壁面付近へと落ちていく。
「――ォわ――!!」
周囲一帯に激しい水しぶきがまき散らされて、同時に幹を形成していた水と鯨の水、一時的に制御を離れたそれらが激流となって城司たちへと襲い掛かる。
「城司さん――!!」
そんな危機的状況に、とっさの判断で竜昇が急ぎ駆けつけて、身に纏った雷の衣を半そでに変えて伸ばされた手が城司のその手を掴み取る。
同時に城司の全身を覆う、相手の体重を消し去る魔力の感覚。
「こなクソッ――!!」
間一髪、激流に飲まれる寸前に竜昇が勢いよく地面を蹴りつけて、体重の消えた男二人の体が、大地を離れて広い空中へと跳びあがる。
「ああ、なんだって言うんだ一体……」
「おい竜昇、嬢ちゃんたち二人はどうした」
「城司さん、竜昇君――!!」
足元を見下ろして呻く竜昇達の音に、空中に足場を築きながら詩織が二人と合流すべく急いで駆けあがって来る。
どうやら彼女の方も、あの激流に間一髪飲まれずに済んでいたらしい。
「とりあえず詩織の嬢ちゃんは無事か……。静の嬢ちゃんの方は――、ああ、まあ、あの娘ならこれくらいの窮地、自力で何とかするか」
「まあ、静なら恐らく心配はいらないでしょう。詩織さん、相手にしていた人形の方は……?」
「そっちはなんとか倒すのが間に合ったよ。そうしたら、ちょうどあの鯨が跳ねるのが見えたから――」
「それなら状況はこっちと同じか。となるとあと気にすべき問題は――」
竜昇が何かを言いかけていたちょうどそのとき、足元の水中から先ほどのクラーケンが水面を突き破って表れて、その大量の触手を滅茶苦茶に振り回してあたり一帯を破壊し始める。
なにかを狙っているとも思えない、まるで強引に力を振り回しているかのようなそんな動き。
「なんだありゃ、いきなりどうしたって感じの暴れっぷりだぞ」
そう城司が呻いた傍から、クラーケンの触手は今度は自分自身の、本体が潜んでいるはずの胴体部分を攻撃し始める。
水でできた触手が水でできた肉体そのものを貫いて、その中身を横薙ぎに振り払って、まるで自分自身を寸断しようとしているかのような動きを見せて――。
「――あ、いた――!!」
「え?」
「なに?」
「あの胴体の中、今触手が攻撃したあたりで、あのアパゴっていう人がすごい速さで泳いでる――!!」
「ハァ――!?」
そんな馬鹿なと、反射的に男二人で詩織の指さす方へと目を凝らす。
そして見た。
水でできた怪物の体内で、先ほど確かにその内部へと飲み込まれ、溺れて力なく漂うばかりになっていたはずのアパゴが、今はその水の体をかき分けて猛烈な速度で泳ぎまわっているという信じがたい光景を。
押し寄せ荒れ狂う水の流れを体一つで遡る。
あらん限りの加護を施した、鍛え上げた肉体の性能にものを言わせて。水の流れに乗って断続的に襲ってくる、氷でできた迎撃の刃すらも皮膚一枚ではじいて、押し寄せる水流の中をアパゴは中央に向かって泳ぎ進む。
一度は水の体に飲みこまれ、おぼれたと見せかけていたアパゴが再び動き出したのは、偏に水を操るこの敵の注意が外の敵に向かっていると判断したが故だった。
クラゲの樹となった敵が外の竜昇達を氷の砲弾で攻撃しているその隙をつき、太い幹のようになった水流を上に向かって泳ぎ進む。
もとより、樹の幹のような体構造は下から水を吸い上げるための器官なのだ。
水の流れにそのまま乗って行けばよかっただけに、上に向かって進むのはただ漂っているだけでもそう難しくなかった。
問題は上部のクラゲのような水塊の中に侵入した後、小石程度の大きさしかない敵本体をどのように見つけ出すかという点だったが、それについては他ならぬアパゴ自身の侵入が敵に察知されたことで解決した。
迎撃のためにアパゴにたたきつけられた水流、それに入り混じる氷の刃に対して、まだ手持ちとして残していたそれをかざして、破壊させたことで。
(あまり付き合って愉快な相手とも言い難いが、やはりこの作戦に組み込むだけの価値があの女にはあったな)
自身の記憶を封じた、いざという時自分自身の記憶で自分の記憶を上書きするための記憶の栞。
見ようによってはドッグタグにも見えるそれを、迎撃のために撃ち込まれてきた氷の刃によって破壊させ、生まれた光の粒子がその攻撃の主目がけて一直線に飛んでいく。
(見つけたぞ)
封じられている記憶の性質上、ハンナが行っていたようなテイムの効果こそないだろうが、それでも破壊した者に向かっていくその性質は敵の居所を暴くのには有用だ。
自身を葬るための攻撃を平然と加護を宿した体で受け止めて、攻撃と状況を逆に利用して、アパゴは暴いた敵の居所目がけて一直線に泳ぎ出す。
オーラに物理的な性質を持たせて手足に水かき状の膜を張り、強化した筋力にものを言わせて濁流の流れに逆らい遡る。
気を抜けば水圧に流されて体外に排出されてしまいそうだったが、この程度の流れであればアパゴは幼少期に経験済みだ。
森に住まい、自然を相手に生きてきたアパゴ達ジョルイーニの部族にとって、森の中央を流れる川での水泳は幼き時分の遊びの一種でさえある。
(銛、とは言わずとも槍の一本もあれば、それこそ幼き頃の魚とりそのものだったのだが、なっ――!!)
広い水の体の中を瞬く間に泳ぎ切り、アパゴはかすかに見えた赤い光へ向かって己が手刀を振り下ろす。
だが、敵もおとなしく攻撃を受けてくれるほど甘い相手ではない。
自らの体内ともいえる水中で、核たる敵本体はさらに水で小魚の肉体を形成し、自らの体の中を泳ぐことでアパゴの手刀を回避し、今度は自ら作った流れに乗って急速にアパゴから距離をとる。
(逃がしはせんよ――!!)
流れに乗って、アパゴは再び核を内包した魚を追って荒れ狂う水中を泳ぎ回る。
敵は恐らくは水中を逃げ回ることで、呼吸のできないアパゴが溺れるのを待つつもりなのだろう。
実際、その考え自体は間違ってはいない。
いかに自身を加護で強化し、生半可な攻撃では傷一つ付けられない圧倒的な耐久性を得ているとは言っても、空気のない水中で無呼吸での活動をし続けるには流石に限界がある。
そういう意味でも水の体を用いて溺れさせるという判断をしたこの水の怪物や、それを目論んでいた竜昇の判断は至極正しいものなのだ。
少なくともアパゴと言う敵の攻略法と言う意味で、窒息死を狙うというのはそこまで的外れな発想ではない。
ただしその一方で、真に窒息による打倒を狙うのであれば、たかだか数分程度水中にアパゴを閉じ込めただけではそもそも不足だ。
自身の体に加護のオーラを纏わせて、それによってあらゆる能力を強化できるアパゴにとって、水中での活動時間を引き延ばすこともまたそう難しいことではないのだ。
仮に、このままあの核の魚が水中を逃げ続けたとしても、今のアパゴならばあと十分はこのままの速度で追い続けることができるだろう。
そして、歴戦の戦士であり、水中での活動にも慣れたアパゴを相手に、あの小魚が十分以上も逃げ回ることなど不可能だ。
当然、アパゴが倒れるまで逃げきれないのであれば、アパゴを水中に閉じ込めて窒息を待つという水の怪物や竜昇達の目論見も、文字通りの意味で水泡に帰すことになる。
(発想は悪くない……。だが目論見が甘かったな)
逃れようとする敵の意識に反応したのか、アパゴ達を包む巨大な水塊が再び魚類の形をとって宙を跳ぶ。
竜昇達、この階層で出会った人間の敵手の真上を軽々と飛び越えて、対岸の床や壁を粉砕しながら、制御を離れた水によってあたり一帯を押し流す。
水の触手がぶち込まれてくる。
先ほどまでの単純な殴打とは違う、中にいるアパゴを流れの中に捕らえて、外へと押し流そうとするかのようなそんな動き。
常人であればなす術もなく押し流されて外へと放り出されていたかもしれないが、アパゴに対してそれは大した効果を生み出さない。
全身を包む強化の加護に加えて流体操作の加護を発動。押し寄せる暴風の魔力すらも受け流す凪の守りが濁流による圧力を軽減し、その隙に手足を絶え間なく動かして核の魚へと距離を詰めていく。
砕かれた瓦礫が砲弾代わりに流水に乗ってぶつかってきたがその程度脅威と呼ぶにも値しない。
接触破壊の加護を拳に宿して殴りつけ、粉砕した瓦礫を流水諸共かき分けて、逃れようと必死に泳ぐ小魚を自身の手の届く範囲に捕捉する。
(手間をかけさせられたが、これで終わりだ)
逃れられぬよう捕獲と流体掌握の加護を自らの手に加えて、アパゴは逃げる核を内包した小魚をその手で容赦なく掴み取った。
「……でたらめだ」
繰り広げられるその光景に、竜昇は半ば呆れの感情からそんな言葉を発していた。
そうしている間にも、体重の消えた二人を宙を奔れる詩織が引っ張る形で移動して、どうにか水の来ていない半壊した海岸の一画へとたどり着く。
「――おい、ヤバいぞ、このままだとあのボス討伐されちまう……」
「いえ――、だめです……」
着地と同時にすぐさま動き出そうとする城司だったが、しかし竜昇はそんな城司の動きをすぐさま手で制して待ったをかけた。
「――もう、間に合いません」
次の瞬間、巨大な水塊の中でアパゴがボスの核を握りつぶし、同時にかろうじて形を保っていたクラーケンの体がただの水へと戻って崩れ落ちる。
あたりから水を集めに集めて、海を模したプールの許容量を遥かに超える量となっていた水があたり一面に広がって、竜昇達のいる海岸付近にまで増加した水量が一気に押し寄せてくる。
「これでもうあの敵を倒すのにフロアボスの力は頼れない……。つまり俺達は、あのデタラメな相手を自分たち自身の手で倒すよりほかに選択肢が無くなった」
「――ハッ、冗談が過ぎるぜ……。あんな奴、いったいどうやって倒せって言うんだよ……」
見せつけられた理不尽なまでの力量に、さしもの城司からも気圧されたような、明らかに動揺した様子のそんな声が伝わって来る。
実際それは、同じように背後でその光景を見ていた詩織にしてみても同じことだろう。
一度は倒れたと思った相手にああも一方的に、同じくどう倒せばいいのかと頭を悩ますような強敵を屠り去られてしまったのだからその反応は当然だ。
けれど、否、だからこそ。
直後に竜昇は、あえて強い口調で背後の二人に対して、その言葉をはっきりと口にして見せる。
「手は、あります……!!」
不安や懸念を胸の内で押し殺し、それらを悟られないように気を付けながら、必死の虚勢を己の態度に念入りに貼り付けて。
「時間と、手間はかかりますが、それでも……。ここに来るまでの間に、あいつを倒すためのできる限りの準備はしてきました」
見据える先に現れるのは、その身に莫大な数のオーラを纏って、一歩一歩海から陸へと上がって来るアパゴの姿。
「腹を、括ってください。今からこの場で、あのデタラメな男を俺達の手で倒します」
「……うん」
「――ハッ、上等」
竜昇の言葉をどう受け止めたのか、幾分力を取り戻した声で二人が応じて、直後に竜昇は身に纏う雷の衣の、その背から伸びる翼のようなマントを大きく広げて輝かす。
最後の敵と最後の戦いを目の前に、相対する四者がそれぞれ激突の瞬間を待って身構える。
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