163:難題の先に見るもの
「――どう、したいって……、私が……?」
突然話を振られたことで、否、本来するべき表現を使うなら
すでに話は自分一人の問題ではなくなったと思っていた。
事態の決定権は自分の掌からあっさりと飛び発って、自分はそれを掴もうともしないままその行先を見つめている――、そんなつもりになっていた。
けれど今、手放したはずの決定権が、思わぬ形で詩織の手の中へと戻って来る。
飛び発ったはずの問題が、手の届かない所にあったはずの決着が、しかし今目の前の――、頼りなく揺れる詩織の手の中へと。
「そうです。詩織さんは、あの人たちとのどのような決着を望みますか? どうしたいと、どうしてほしいと、思いますか?」
「どうしたいって……。どうして、欲しいて……」
そんなことを言われても困る、と、詩織が内心声にならない悲鳴をあげる。
自分がどうしたいかなど、これまで詩織はずっと、まともに考えてこなかなかった。
自分のような人間が、主張して、その主張を通していいなどとは今まで思ってもみなかった。
だというのに、今竜昇はそんな詩織に対して、平然とその希望を問うてくる。
自分で決めるでもなく、静の決断を尊重するでもなく、なにも望むことなどないような詩織へと、その決定権を投げ渡してきている。
(私がどうしたいかなんて、そんなの――)
――わざわざ問いかけるようなことはせずに、竜昇達で決めてしまって構わないのに。
そんな思いを抱いて、実際に詩織がそれを口にしようとしていたちょうどそのとき、まるでそんな詩織の言葉を先回りするかのように、竜昇が続く言葉を口にしてきた。
「――はっきり言ってしまえば、詩織さん。誠司さん達との話し合い、その決着の形を俺達の方で決めてしまうことは――、できます。詩織さんに決断を求めずに、俺や静でその形を勝手に決めて、まとめやすい形に結末を設定してしまうことは、そう難しい話じゃありません」
「だ、だったら――」
「けどこの場においては、それじゃあ意味がないんです。
この問題はあくまでも詩織さん達五人の問題で、問題の当事者はあくまでも詩織さんなんです。俺達じゃない」
「……!!」
いっそ突き放すようにきっぱりと、竜昇は詩織に対してそう宣言して見せる。
まるで詩織の内心を、その甘えを見透かすように。
自分たちはあくまでも部外者であって当事者ではないのだと、当事者はお前なのだと、そう詩織に対して真っ向から突きつけてくる。
「もしもこの先あちらのパーティーと行動を共にするとなった場合、当然ですが前回と同じことを繰り返さないことが、俺達があの人たちに求める絶対条件になります。
そしてそのためには、どうあってもあの人たちに詩織さんとのことについて、 けじめをつけてもらう必要がある」
「けじ、め……?」
「そう、けじめです」
思わず反芻したその言葉に、竜昇が思いのほか強い様子でそう頷き返す。
「それだけは、あの人たちとやっていく上で絶対に譲れない条件だ。
――理由はどうあれ、あの人たちがやってしまったのは絶対にやってはいけないことだった。
心情的な問題を抜きにしても、この先のことを考えた場合、あの人たちには罪を認めて、何らかの形でその償いをしてもらう必要がある」
もしもこの問題をなあなあで済ませてしまったら、この先仮に誠司たちのパーティーと関係を修復できたとしても、竜昇達が彼らを信用しきることはさすがに難しくなるだろう。
詫びれば許されるという問題ではないが、しかしそうした“けじめ”がつけられているのといないのとでは、相手を信じるうえでも明確にその判断の根拠が違う。
「――けど、その償いあくまでも詩織さんに対してのものでなくてはダメなんです。だってそれを俺達が決めてしまったら、それはもうけじめでもなんでもない、あの人たちのかつての行いを盾に、俺達が要求を押し付けるだけの行為になってしまうから……。
決着の形を、求めるべきけじめの形を決めるのは、部外者である俺達じゃなくて、あくまでも当事者である詩織さんでなくてはならない」
「……あ」
そこまで言われて、詩織はようやく竜昇の問いかけのその意味を、ようやくと言ってもいいこのタイミングで理解した。
竜昇は何も、詩織に対する優しさでこんな問いを投げかけているわけではなかったのだ。
否、もしかしたらそうした意図もあったのかもしれないが、今こうして詩織に対して決着の形を決めるよう求めてきたのは、あくまでももっと別の意図と、そして思惑から来る判断だ。
言ってしまえば竜昇は、詩織に対して彼女にしかできない
庇護の対象としてではなく、あくまでも背中を預け、生死を共にする相手として、今竜昇は詩織に対して、その答えを求めている。
「――だから詩織さん。あの人たちに求める、あの人たちの償いの形は詩織さんが決めてください。
具体的なことでなくてもいいんです。詩織さんが、あの人たちに望むことさえ明確にしてくれれば」
同時に、ここまで言われたことでようやく詩織も自身について一つのことを理解する。
なんだかんだと言って、結局のところ詩織も心のどこかで甘えていたのだ。
仲間である誠司たちに、自分を許してくれる竜昇達に、そして何より、周囲との差異を抱えた自分自身に。
そしてそうであるならば、言うなればこれもまた、これからともに戦っていくために、
彼らに頼りすがって生き延びるのではなく、共に並んで歩き、戦える存在になるために詩織がつけなければいけない、そんなけじめ。
そしてそうであるならば、流石に今この時だけは、詩織とて彼らの厚意に甘えているわけにはいかない。
「――私が、みんなに、望むこと……」
「そうです。詩織さん、あなたはあの人たちに、なにを望みますか?」
「――わた、し、は――」
眼を閉じて、初めて詩織は己のうちに問い掛ける。
自分という人間の望みを、これまでずっと押し殺さねばならないと思ってきたものを。
自分と他人との間には決定的な違いがある。そのことを、幼いころから詩織は嫌というほど痛感させられながら生きて来た。
自分には他人には聞こえない音が聞こえて、そしてそのことを周囲に訴えても決して他人からはいい顔をされなかった。
嘘つき呼ばわりされたことなど数限りない。気味悪がられたこととて何度もあった。
そういった態度を見せずにいてくれた両親にしたところで、こちらはこちらで何らかの病気の可能性を疑って、多大な心配と原因究明のための負担をかけた。
言ってしまえば詩織にとって、自己主張とはそのまま他人に対して負担をかける行為だったのだ。
『例えば詩織さんの場合、自身の異質さを自覚しているがゆえに、なにかがあった時に悪いのは自分なのだとそう考えてしまう傾向があるように見られます』
思えば先ほど、静が言っていた言葉通りだったのだ。
自分がズレていると知っていたから、いつしか自分の全てが間違っているような気がして、他人に何かを求めることができなくなっていた。
自分のなにが間違っているかわからないと思っていたから、だから起きる不都合のその全てが、自分が原因で起きているような、そんな感覚にとらわれた。
――けれどこのビルに来たことで、奇しくも正体不明だった己の中のズレは、【魔聴】というその正体を現した。
漠然としていた他者との間にあった齟齬はその詳細を暴かれて、そして自身が何を恐れていたのかも、抱えていた思い込みも、その全てが静の言葉によって白日の下にさらされた。
そして今、詩織の目の前には、詩織自身の望みを正面から問うてくるものがいる。
ならば今、真に詩織がこの場所で、口にしなければいけないことはなんなのか。
中崎誠司に対して――、
先口理香に対して――、
馬車道瞳に対して――、
そして及川愛菜に対して、求め、欲していたことは、一体なんであったのか。
考える。
考える。
考える。
考えて、そして――
『――なんで、私たちと同じにならなかったの――?』
――耳の奥底にこびりついたその言葉に、胸の中の感情を強く、確かに刺激されて――。
「――ちゃんとぉ……、わかっで、欲じがっだぁ……」
――気付けば詩織は、己の奥底にあったその思いを、酷くグシャグシャな言葉にしていた。
伝えなくてはいけない、大切な言葉だとわかっていたのに、実際に口にしたその言葉は酷くみっともなくて聞き取りづらい声だった。
それでも、詩織は鼻をすすり、息をどうにか整えて、自身の中の叫び出したいほどの思いを言葉に変える。
「知っで、欲しかっだ……。理解ッ、して――、欲し、かった――。悪気なんかなかったんだって、ただ臆病になってただけなんだってことを……。理解して、認めてッ、許して――、欲しかった……」
自分に何の責任もなかったなどとは思わない。
それでも、ただの悪者として否定しないでいて欲しかったのだ。
例えそれがこの極限状態のビルの中では、どれだけ難しいことだったとしても。
それが例え酷くわがままな望みだったとしても、詩織の心は一切の容赦なくそんな虫のいい望みを抱いてしまう。
そして、どんなに無視の良い望みだったとしても、今だけは――。
「――あなたの望み、確かに聞き届けました」
――身勝手なその願いに耳を傾けて、否定することなく受け止めてくれる人がいる。
「……聞いての通りだ、静……。
俺は、やっぱりちゃんとあの人たちの理解を得て、そのうえで関係性を修復するところまで持って行きたいと思う。静のことだけじゃなくて、詩織さんのことまで、全部……」
「……まったく、欲がないようでかなりの無茶を言いますね……。わかっているのですか、お二人とも……。
理解を得ると言えば聞こえはいいが、竜昇がやろうとしているその行為は、すなわち彼らが静や詩織を攻撃する際に掲げたその理由、大義名分を根底から否定する行為だ。
それはすなわち、彼らの行いは悪行であったのだと、彼ら自身に直接突きつける行為に他ならない。
当然、そんなことをすれば相手からの感情的な反発は必至だ。
たとえ理性の部分でそれを納得
かと言って、問題が問題だけに生半可な方法では過ちを認めさせるようなことができるはずもない。
「どう考えても難題ですよ。それも一歩間違えば、そのまま決定的な衝突を起こすことになりかねない。それでも、やるというのですか?」
「ああ。それでも、やる」
静の問いかけに対して返答する際、竜昇は一切迷う様子を見せなかった。
「そこまでやって、初めて俺達はこのビルの中での活路を見出せると思うから、だから俺はこの機会を逃さずに、きっちりとここで勝負に出ておきたい。だから――」
「――わかりました」
と、言葉を続けようとする竜昇に対して、静はもう十分だとばかりにそう言って、その口元を微かに綻ばせる。
それは本当に楽しそうで、うれしそうな、思わず見惚れてしまうくらいのそんな微笑み。
「まったく……。本当は竜昇さんが無謀なことをするようなら、それを止めるのもパートナーとしての役割と、そう思っていたんですけどね……」
「静……、それじゃあ――」
「ええ――。その方針、乗りましょう。
なによりも、その選択ならばゲームマスターの思い通りにならずに済むというのがとても素敵でした。いい加減、誰かの掌の上で踊らされるのにもそろそろうんざりしていたところです」
強気に笑う静の言葉でもってして、いよいよこの階層でのパーティーの方針が決定される。
先に待ち受けるは無理難題。
選んだ道は、最も困難が予想されるそんな道。
それでもこの場のそれぞれが、今この場所で挑むと決めた。
先に待ち受ける苦難の先に、活路を見出し手にするために。
「ああヒトミさん、……そういえば、今晩は貴方が見張りの日でしたか」
部屋の前まで戻ってすぐ、もう夜の寝る前だというのにキッチリと装備を整えている瞳を見て、先口理香は思い出したようにそんな言葉を口にする。
毎晩必ず一人は立てている不眠番、その支度を整えた瞳の姿に、いろいろと忙しく動き回っているうちにもうそんな時間になったのかとそんなことを考えつつ、理香は自身が習得した【観察スキル】の知識をもとに、眼の前に立つ馬車道瞳の、その思考と感情をそれとなく見据えて推し量る。
先ほど誠司と共に捕虜を連れて戻った後、彼女はその誠司から、自身の暴走をとがめられてお説教を受けていたはずだが、こうして見た限りでは現在の彼女にそれを引きずっているような様子は見られなかった。
ただし、まったく不満の類を抱いていないわけではないようで、その不満は誠司に対するものというよりも、どちらかと言えば誠司の手を煩わせるもろもろの存在に向かっていると思しかった。
中崎誠司と関係を結んだ結果、信頼を通り越して崇拝の域に達してしまった彼女の誠司に対する感情は、基本的に誠司にとって害になる存在を決して許さない。
いっそ忠犬染みた、しかし決して誠司の言うことに忠実とも言えないこの相手は、実のところ理香にとってはかなりの部分で付き合いづらい相手でもあった。
「そういう理香さんは今戻り? こんな時間までどこで何してたの?」
「いえ、例の捕虜の方の尋問と、そのあとは誠司君に頼まれて、一緒に行動していた彼の召喚獣を外まで。今頃は誠司君がその召喚獣を操ってあちらの方々の――」
「ああいいよ。そのあたりはいろいろ言われても、めんどうだし」
一応の報告はしておこうかと考えていた理香に対して、瞳は本当に興味なさそうに、いっそあくびでもしかねないそんな表情でそう返答する。
馬車道瞳は基本的に誠司のやることに異論をはさまない。
彼女にとって誠司の判断は常に正しく、それ故に彼がすることにいちいち疑問や興味を挟まないというのが彼女のスタンスだった。
元々の、このビルに入る前の彼女の性格がそうだったのかまでは定かではないが、少なくとも現在の瞳の価値観では誠司の判断が絶対の価値基準としておかれていて、かくいう理香自身に対する彼女の態度も、誠司が信頼しているから自分も信じるといったような、あくまでも間接的な信頼関係にとどまっている節がある。
まあとは言え、こんな話とてもう今さらだ。
理香としては、自分自身での思考を放棄した瞳の態度には思うところがないでもなかったが、あのアパゴとかいう男への尋問がうまくいっていない現状、下手に自身で考えられて理香自身の働きにまで不満を持たれても困る。
それよりも今は、どちらかと言えば彼女と、そして誠司の方の問題を解消しておく方が肝心だ。
「ところでヒトミさん、今夜のことですが、なんでしたら私が見張りを変わりましょうか?」
「んえ……? それはありがとうだけど、いいの?」
「ええ。少し一人で考えたいこともありますし、誠司さんの方も召喚獣の操作や各種装備の手入れでお疲れでしょうし、思えば瞳さんも結構ご無沙汰だったかと思いますので、忙しくなる前に少し甘えてもよいのではないかと」
理香のその言葉に、瞳がさっと頬を赤らめて、しかし同時にまんざらでもなさそうな顔を理香に対して見せてくる。
「ちょっ、リカさんッたらもぅ……。けど、いいって言うなら、お言葉に甘えてもいいかな」
「ええ、そうしてください。ついでに誠司君に、いい加減休むよう言っていただけると助かります。なにぶんできることが多いせいで、どうにもあの人は多くのことをやろうとしすぎますから」
「うん、おっけ」
そう言って、瞳は理香と立ち位置を入れ替わるようにして、誠司もいる室内へと軽やかな足取りで入っていく。
室内にはもう一人、及川愛菜もいるはずだが、彼女はこの階層に来てあの状態になってから夜はかなり早くに寝てしまい、朝まではちょっとやそっとでは起きてこない。恐らく室内では、誠司と瞳がしばらく二人だけの時間を過ごせることだろう。
「……ふぅ。本当に、いろいろとままならないものです」
まばゆく輝く電灯を眺めつつ、理香は少しだけ壁に寄り掛かり、吐息と共に目を閉じる。
恐らく明日からはまた忙しくなるだろう。
状況は予断を許さず、この先どうなるのかもまるで読めない。
特にあの、小原静という奇妙な少女のこととなるとなおさらに。
「……大丈夫です。ちゃんと私は、最善の手を選んでいる……。この判断で間違っていない……」
眼を開いて、同時にメガネの位置を直しながら、理香は自分に言い聞かせるようにそんな言葉を小声でつぶやく。
誰に聞かせることもない、普段は念入りに隠した彼女の本音。
それをただの一言漏らすだけで済ませ、理香は今度こそ自信が今すべき、考え事へと自身の思考を巡らせる。
それがどんな選択だったとしても、最善の手段を選び続ける、そのために。
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