147:似通った二人
(どうしてこうなったんだろう……)
手近な自販機から飲み物を購入し、それを持ってベンチへと腰かけながら、意識の片隅で詩織はぼんやりとそんなことを考える。
現在詩織は、内緒話をしましょうという、言葉に反してあまりにも堂々とした静の宣言に半ば流されるようにして、彼女に言われるがまま、その内緒話のための準備を着々と整えていた。
ちなみに飲み物を入手する際、恐ろしいことに静はその方法として、自販機を破壊して中身を取り出すという非常に過激な手段を考えていたらしい。
静に言わせれば、ビルの中に閉じ込められているこの状況で、中での飲食に金までとられるというのは癪だからというのがその理由らしいのだが、それにしたとて驚かされる過激さと容赦のなさである。
最終的にその案は、自販機の破壊は現在詩織たちが習得しているような、魔法的な力を使っても困難かつ面倒という理由で頓挫したのだが、逆に言えばそうした理由が無ければ、間違いなく静は自販機の破壊という手荒な手段に訴えていただろう。
詩織としては、そんな過激で容赦のない相手に、よりにもよってケンカを売ってしまったのではないかと思わされて正直内心びくびくしていたのだが、しかしそんな詩織の内心の恐れに反して、先ほどから静から伝わって来る気配は酷く友好的なものだった。
それこそ先ほど、彼女の行動に一方的なケチをつけるような真似をしたことを考えれば、怒りや敵意を向けられてもおかしくないはずなのに、しかし静からは詩織に対する、負の感情のようなものが一切感じられないというちぐはぐさ。
その理由がよくわからずに混乱する詩織に対して理由が開示されたのは、幸か不幸か、詩織が静の目の前の席に座ってすぐのことだった。
「実を申しますと、詩織さんとはいつかどこかでお話ししてみたいと思っていたのです。私と詩織さんには、なんというか、通じるものがあるように思っていましたので」
「――え、通じる、もの……?」
唐突に語られたその言葉に何と返していいかわからず、詩織の内心が先ほどまでとは全く別の混乱に満たされる。
実際、詩織にしてみれば、
まるで一+一の答えが十七万だとでも言われたかのような、意外などという言葉でも到底足りない、予想だにしていなかったそんな言葉。
加えて言うなら、当の詩織自身には彼女の言う『通じるもの』の心当たりがさっぱりないというのもその混乱に拍車をかけていた。
通じるものどころか、詩織自身は静のことを、自分とは何もかも違う、違いすぎる相手だと、そう認識していたというのに。
「え、えっと、静さん。そんな風に言ってもらえるのはうれしいんだけど、私と静さんの間に通じるもの、なんてあるかな……? 正直少し、その、ピンとこないんだけど……」
怒りを向けられる覚えはあっても、シンパシーを抱かれる理由はない。
何かの間違いなのではと言外にそう告げて、内心で静がなんらかの訂正を行うのではないかとびくびくしながら予想していた詩織だったが、しかしその予想に反して当の静の方はあっさりと首を横に振って、そして到底聞き逃せない決定的な一言を口にした。
「――いいえ、通じるものはあると思いますよ。
たとえば、自分自身のことを、周りとはどこか違う
「――え?」
何気なく放たれたその一言に、思わず詩織の胸の内で心臓がドキリと跳ね上がる。
まるで胸の内に隠した核心を貫くような、あまりにも鋭いその指摘。
けれど、それを行った本人は何か特別なことを言い当てたといった様子はなく、むしろこの程度、わかり切った前提だと言わんばかりに平然と話を続けてくる。
「なん、で……」
「それは分かりますよ。なにしろ私も同じでしたから。
自分の中にある、他人との決定的な差異を知るが故に、自分のことを周りとは違う、ある種の異物であると認識している……。
己の持つ感覚が、他の方々に理解されないとわかっているから、そうした方々と自分の間に隔絶のようなものを感じている。
自分という人間の特異性を、周りにバレないよう押し隠しながら生きている」
ほとんど絞り出すような、かすれた声しか出せなかった詩織に対して、静はよどみのない淡々とした口調で、自販機で買った飲み物を口に運ぶ余裕すら見せつつそう語る。
それはまるで、なんでもないただの事実を語るような、そんなあまりにも気軽な口調だった。
いったいなぜそんなことを気軽に語れるのかと不思議になるくらい、小原静という少女は自分の根底にある価値観を、平然と語って聞かせてくれる。
(――ああ、でも……)
同時に、詩織は静の言う『差異』や『異物』という言葉に、どこかしっくりくるような、納得にも似た感覚を覚えていた。
自分の感覚を信用していない、と彼女は言った。
自分の感覚はズレていて、そのことを自分自身が一番自覚している、とも。
確かに詩織自身、小原静というこの少女には、どこか自分達とは違う、異質な何かを随分前から感じていた。
それを具体的に何と呼べばいいのかはわからなかったが、しかしわからないながらもハッキリと感じられてしまうがゆえに、詩織は正直なところ、静に対して苦手意識のようなものを持っていたのだ。
けれど、そんな詩織とは対照的に、どうやら静は詩織に対して全く逆の感慨を持っていたらしい。
すなわち、自分の同類に向けるような、シンパシーとでも呼ぶべき感情を。
「昨晩、【魔聴】について打ち明けていただいた時からどこかでお話ししたいとは思っていたのです。以前ほど切迫してその機会を求めていた訳ではありませんが、やはり同じような方と会える機会など、人生の中でそうそうないのではないかと思っていたものですから」
「どう、して……」
「はい?」
「どうして、その、求めなくなったの……? その、同じような人と会う、機会を……」
口にしてから、詩織はどこか聞きたかったことと違うことを問いかけてしまったような、そんな感覚を覚える
とは言え詩織自身、では彼女に対して本当は何と問い掛けたかったのか、それがはっきりとわかっているわけではない。
それに、実際彼女が同類を求めなくなったその理由に、興味を抱いていたというのも確かなのだ
そう、興味を惹かれてはいたのだ。
あるいは、抗いがたい魅力のようなものを感じていた。
自身の同類を名乗るこの少女が語るその言葉に。彼女の歩んできた、今の彼女を作り上げるに至ったその道のりに
「そうですね……。改めて聞かれると少し困ってしまうのですが……。やはり竜昇さんと出会ったことが大きかったでしょうか。……ええ、竜昇さんに、『隣を歩く』と、そう言ってもらえたことが……」
(……あ)
静の言葉を聞きながら、詩織はふと、静がどこかうれしそうな、今まで見たことのないような柔らかな笑みを浮かべているのに気が付いた。
そしてその表情を見ただけで、詩織にもなんとなく、それが静にとってどれだけ大きなことだったのか、その感覚が理解できてしまう。
だってそれはきっと、あの監獄の中心で、詩織の弱さの結果ともいえる行動を、竜昇に受け止めてもらえた時の感覚と、きっと似たものだと思うから。
そう考えると、そういうところは確かに通じるところがあるかもしれない。
そう考えながら、しかし詩織は同時に、それとは全く逆のことも思っていた。
「……ねぇ、静さん。静さんは、もし竜昇君に出会えなかったら、ううん……。もしも竜昇君がああいう人じゃなかったら、どうしてた?」
「竜昇さんがああいう人でなければ、ですか? それは、具体的にどういう部分について……?」
「えっと、私たちのことを、否定しないでいてくれるところ、とか……」
「そうですね……」
詩織の問いかけに、静は特に気を悪くした様子もなく、ありえない仮定をシュミレートするようにわずかに考え込むような様子を見せる。
やがて導き出されるのは、本人よりも詩織の方が先に予想できてしまったような、ある種彼女らしい解答。
「もしも竜昇さんがああいう人で無かったら、という仮定でしたら、私もこうして共には行動していなかったかもしれませんね。……ええ、流石にこの状況下、ある程度共に行動することはしたと思いますが、やはりどこかで別れて一人になっていたかもしれません」
その答えに、詩織は内心で『やはり』と納得したような感覚を覚える。
その回答は、あくまでも竜昇だったからこそ静とここまで歩んでこれたのだというそんな回答であるとともに、詩織と静の決定的な違いを示す発言だ。
ここに来て、静のそんな言葉を聞いて、詩織はようやく先ほど、自分が彼女に対して言いたかった言葉の、その正体に思い至る。
何のことはない、気付いてしまえばそれはひどく簡単な事実だった。
「……静さん、さっき静さんは私のこと、なんていうか、同類、みたいに言ってくれたけど……。やっぱり静さんと私は違うと思うよ」
「――おや、そう、でしょうか……」
「……うん」
意外そうに首をかしげる静に対して、詩織は自分にしては珍しい、はっきりとした確信をもってそう頷き返す。
確かに通じるものはあるのだろう。
同じように自身の異質さを理解して、それゆえに同じように自分という存在を異物として認識していた静と詩織は、それこそスタート地点という意味ではある種共通するものがある。
けれど、たとえスタート地点が同じだったとしても、静と詩織とでは、その後進んだ方向がまるで違う。
話していてわかった。静は詩織と違って、
自らが異質な存在であることを理解して、自分を異物であると認識しながら、静という少女はそうした己の特異性を恥ずべき事とは思っていないのだ。
一応彼女にしたところで、周囲に合わせる必要性くらいは理解しているのだろう。
彼女自身、自分の特異性を隠していたという話ではあったし、人間として社会で生きていくためにはどうしたところで周囲と歩調を焦る必要があることを理解できていたから、だからこそ彼女は己の特異性をこれまで隠して生きて来た。
けれど、それは必要だから隠しているというだけで、彼女にとってはそれ以上の意味があったわけではない。
その感じる必要性はもしかしたら切実なものだったかもしれないが、それでも彼女は己が特異な存在であることを、恥ずべきことだとは微塵も思っていないのだ。
それこそが、小原静と渡瀬詩織の決定的な違い。
結局のところ、彼女は知らないのだ。
詩織が常々感じ続けてきた、自らが異質な存在であることへの劣等感を、静は知らない。
ならばそれは、たとえスタート地点が同じだったとしても、もはや同じものとは言えないだろう。
だってそれは、言ってしまえば詩織が歩まなかった、歩もうとすら思わなかった道だから。
(――ああ、けど)
そう考えながら、同時に詩織は自分の胸のうちに、これまで感じたことのない未知の感慨があふれてくるような、こみ上げてくるような不思議な感覚を覚える。
自分も静のようになろうとは思わない。
そもそもなれるとは思っていないし、正直に言えばそうなりたいともあまり思っていない。
けれど、こんな生き方もあったのかという、そんな感慨が今、詩織の胸の内に確かに息づいている。
まるで視界が開けたかのような、道などないのだと思っていた暗がりに、光がさして道が見えたようなそんな感覚。
そんな感覚に胸の内を満たされて、それに対して何を思うべきなのか、詩織が困惑しつつも己のうちで見つめ直そうとした、その瞬間――
「――ッ!?」
「――!!」
――と、まるで詩織の内側で起きかけたその変化を阻むように。突如、あまりにも無粋なアラーム音が周囲一帯に鳴り響く。
「この音って……」
音の発生源は静が腰に付けたウェストポーチ。ただし鳴り出したその音は、別に持ち主の意思を受けてこうして詩織の感慨に横やりを入れてきたわけではない。
それを示すように、当の静は一瞬その音の発生に眉をひそめると、すぐさまその中に入れられたスマートフォンを取り出して音の理由を確認するべくその画面を操作する。
否、そもそも操作する必要など最初からあったのかどうかも定かではない。なにしろ静も詩織も、この局面で鳴り響くアラーム音の、その理由にすでに見当がついている。
「まったく、大事な内緒話の最中だったというのに」
やがて、その推測を証明するように、静が無粋な横槍を咎めるような言葉と共にスマートフォンの画面を詩織の方へと晒して、否応なく詩織は己の予感が当たっていたことを理解する。
その画面の中に表示されていたのは、詩織自身、半ば予想していた通りの言葉。
『アラタナくえすとヲジュシンシマシタ』
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