148:後手の焦燥

 時間は少し遡る。


 静が護符の設置のために詩織を連れ出していった後、残された竜昇は城司の護衛として入浴エリアに残り、そろって打たせ湯に打たれていた。

 しきりによって隔てられた打たせ湯コーナーの一角で、上から落ちてくる湯を浴びながら竜昇が考えるのは、やはり静と、彼女に連れられて行った詩織のことだった。


(まさかあの二人がともに行動するとは……)


 意外ともいえる取り合わせに、流石に竜昇もそんな感慨を胸に抱く。

 探知用の護符を設置するにあたり、詩織に装備させていた【天舞足】を使うというプランは竜昇自身考えていなかったわけではなかったが、しかしそれにあたって、まさか静が行動を共にすると名乗り出るとは思っていなかった。


 なにしろ二人は、先ほど静の行動をめぐって衝突しかけた間柄である。それを抜きにしても、詩織はどうにも、静の存在を苦手としているような様子だったし、そんな詩織に対して静の方も、積極的に関わっていこうとはしていなかった。それだけに、静の方から申し出たとはいえ、あの二人が一緒に行動しているというのは少々意外というか、ある種予想外と言っていい事態である。


(まあ、流石に焼きを入れに行ったって訳じゃないだろうしな……)


 先ほどの二人が衝突しかけたことを思い出してふとそんな考えが頭をよぎったが、しかし静はそう言ったことをあまり根に持つようなタイプではない。むしろさっきの今で詩織と二人きりになろうというその神経は、そういったことへの無頓着さの表れともいえるのではないかと、そんな風にすら思えているくらいだ。


(まあ、あるいは……。もっと単純に俺と城司さんをセットにすることで、俺がある程度休めるようにしようって言う意図だったのかもしれないけど……)


 昨晩静に休むように勧められたことを思い出して、なんとなく竜昇はそんな可能性さえもありうると考える。

 もちろん、それがメインとまでは思わないが、逆に言えばメインではなくとも、ついでの目的として、静が竜昇を休ませようとしているというのは十分にあり得る可能性だった。


 正直、そんなことをしている場合ではないような、焦りに似た思いもないではないが、しかし静の言う通り、休めるときに休んでおくことが必要なのも確かではある。


(それにこれは、ちょうどいいと言えばちょうどいいとも言えるしな……)


 肩へと落ちてきていた流水を頭で受けるようにしながら、竜昇は今のこの状況をそんな風に思い直す。

 確かにゆっくりと休めるような場合ではないというのも確かだが、しかし実のところ竜昇としても、先ほど静から明かされた一連の事実について、一度ゆっくりと考える時間を取りたいとは思っていたのだ。


 とは言え、今この場で竜昇が考えようとしている命題の中に、先に静によって明かされた問題のうち、スキルシステムについての考察だけは存在していない。

 というのも、先ほどまで静達と行っていた話し合いの結果、竜昇達は今晩、誠司たちむこうのパーティーとの会談の中で、判明した一連の事実を伝えると決めて、そのためにスキルシステムについてはかなりの考察と分析を済ませてしまっているのだ。


 もちろん、まだまだ懸念事項や考えるべきことがらがないわけではないが、それは今考えても仕方のないことや、あるいは誠司たちを交えたうえで考えるべき問題が大半だ。これ以上の考察は今晩の、誠司たちとの会談で彼らにこちらの考察を伝えた、その後の話になって来る。


 そんな中で、ではこれから、一体何を考えようと言うのかと言えば、それは静が見破ったもう一つの問題、精神干渉系の魔法とそれに耐性を持つプレイヤーの存在についてである。


 一応、現状ではこの話もまだ確固たる物的証拠があるわけではない、あくまでも状況からの推測の域にある話であるわけだが、しかし竜昇は、自身が感じる実感と状況から見て、静の推測は恐らくそう間違っていないだろうという確信を持っていた。


 だがそうなって来ると気になって来るのは、朝方聞こえたという精神干渉系のものと思われる魔力の音が、このビルに来る前にも外で頻繁に聞こえていたという詩織の証言だ。


 詩織によると、件の魔力の音はビルの出現直後に頻繁に聞こえていた他、それ以前にもかなり前、それこそ詩織が物心つくころから不定期にたびたび聞こえていたのだという。

 詩織の魔聴は、魔力の属性によって聞こえてくる音がはっきりと異なるという話だったから、恐らくこのビルの外で聞こえていた魔力というのも、今朝聞こえたという精神干渉系の魔力と同じものであることはほぼ間違いない。


 だがそうなって来ると、この【不問ビル】が現れるよりかなり前から、竜昇達が暮らしていた外の世界では精神干渉系の魔法が、それこそかなりの頻度で使用されていたということになってしまう。


 ビルが現れてからのものについてはまだいい。

 いや良いか悪いかで言えば間違いなく悪いのだが、それでも【不問ビル】の出現した後に関してならば、その魔力が一体なんの目的に使われていたのか、それについてだけはある程度推測が付けられる。【不問ビル】という、超巨大建築がいきなり町中に現れておきながら、ほとんどの人間がその存在を【不問】にしているというその事態は、間違いなく精神干渉系の魔力の存在があっての現象であるはずだ。


 ではそれ以前、【不問ビル】が現れるよりもずっと以前から使われて、そのたびに詩織を悩ませ続けていた同質の魔力は、いったい何のために使われたものだったのか。


(魔法がある世界観で精神干渉って言うと……、事件が起きた時にその隠蔽に人払いや暗示みたいなものを使うのが王道だけど……)


 慣れ親しんだ漫画やアニメなどの、フィクション世界における魔法の王道的な使われ方を思い出して、ひとまず竜昇は現状考えうるもっとも平和的な使われ方を考える。


 詩織の証言から考えて、竜昇達が生きていたビルの外の世界に、竜昇達が知らない【魔法】なる技術が存在していたことはほぼ確実だ。

 そして、そうした魔法的な秘匿技術が存在するフィクション作品の世界に置いて、そうした技術を秘匿し続けるために、事件が起きた際に人払いや暗示による記憶操作などと言った魔法を使って、事件そのものを隠蔽したうえで事件に対処する、というのもまた、そうした世界間の中でよく使われる設定だ。

 実際、これまでに判明している精神干渉系魔力の持つ性能を考えれば、そうした事件の隠ぺいなどにこの魔力が使えないとは到底思えない。むしろ巨大ビルの出現という特大の異常事態を何の騒ぎにもならないよう抑え込んでいるあたり、この魔力には間違いなくそれができるだけの力があるとみるべきだろう。


 だが一方で、この魔力の存在を知り、扱うもの達が、その使用法をそれだけ・・・・で済ませていたとは到底思えない。


 何しろ現状判明している事実だけで考えても、竜昇たちのような例外を除けば、大抵の人間をかなり自由に操れるような魔法なのだ。

 仮に【不問ビル】への興味を奪った魔法だけに限って考えても、使い方によっては人一人を大勢の人間の前で殺してもそれをたやすく隠蔽できてしまうだけの力があるし、この階層で城司達に使われただろう現状認識を阻害する魔法など、その応用範囲の広さはちょっと考えた程度では想像しきれないほどである。


(こんな魔法、使い方をちょっと考えれば街一つどころか世界が取れるぞ……)


 なにも世界丸ごと、この精神干渉魔法の影響下に置く必要もない。

 政治や経済、それらの重要な決定を行う場所などで使用すれば、それだけでも社会を好き勝手に動かすことができるはずなのだ。


 そんな危険な魔法が、実際には世界の平和のためだけに使われていましたなどと言われても、少なくとも竜昇には到底それを信じることはできない。

 この【不問ビル】のゲームマスターと外で精神干渉を行っていた何者かが同一の存在なのかすら現状ではわからないが、しかしこの魔力が持つ巨大すぎる危険性(かのうせい)を、これまで誰も気づかなかったということはどう考えてもないはずだ。


(それに気になるというなら、俺達に備わっているとみられる精神干渉への耐性、それがいったいいつから・・・・備わっているのか、って部分もだな)


 精神干渉系の魔力は、基本的に詩織の【魔聴】のような特別な感覚でも持っていなければ察知できない。

 これは魔力に耐性を持っていると思しき、竜昇達プレイヤーであっても例外ではなく、恐らく精神干渉の結果として察知できないのではなく、魔力の性質そのものが、【隠纏】などに使われる魔力同様、察知しづらいものになっているのだろう。

 そしてその場合、竜昇達がこの精神干渉系魔力の存在を察知できる唯一の方法は、恐らく己の持つ魔力への耐性によって精神干渉の影響を免れ、異常な反応を示す他人の存在を観測した場合だけだ。

 けれど、果たしてどうだっただろうか。

 これまでの人生、竜昇の周囲で、あそこまで不可解な反応を見せる人間が、果たして存在していただろうか。


(……どうにも、心当たりがないな。単に俺が見逃していただけなのか、俺が察知できない場所で異常が起きていたのか、それとも俺が精神干渉への耐性を獲得したのがごく最近で、それまでは異常を異常と感じられなかったのかは定かじゃないが……)


 あるいはほかのメンバー、それこそ、昔から音として精神干渉魔力の存在を察知していた詩織などならば、もしかしたらそれらしい心当たりがあるのかもしれないが、どうやらこれは今竜昇一人の記憶だけで判断するのは難しそうだった。


(やっぱりこの問題も、あとで他のメンバーに聞いてみるしかないか……)


 疑問への答えが出せない現状に忸怩たる思いを抱えながら、竜昇は一度立ち上がって首を振り、頭から浴びていた水気の一部を振り払う。


 どうにも先ほどから、竜昇の中で自分が後手に回っているような、そんな嫌な感覚が付きまとってぬぐえない。


 あるいはそれは、先ほど静が自分の知らない所で、危険と苦労を引き受けてくれていたことが判明したことも関係しているのかもしれない。


 竜昇としては、別に静の行動に反感を持っているわけではないし、またある種の対抗意識のようなものを燃やしているつもりもないのだが、しかしどうにも自分が静と比べてこの階層で何もできていないような、あるいは最善を尽くせていないような感覚が、胸の内でどうにも拭い去れない思いとして付きまとっているのだ。


 常に先に起きうる事態を想定し、それに対して先手を取り続ける。

 たとえ目の前の危険を引き受けることになったとしても、その先で起きうる最悪の事態を事前に潰して回避する。

 それは言うなれば、竜昇がこの【不問ビル】での生き残りを図る上でいつのころからか見出し、心がけるようになっていた、竜昇なりの生存のための必勝戦略だった。


 そもそも、互情竜昇という少年はそれほど突出した能力を持っているわけではない。

 詩織の【魔聴】のような特殊な感覚を持っているわけでもなければ、警察官だったという城司のように【不問ビル】に踏み込む以前から戦うために役立つ技能を身に着けていた訳でもない。

 無論静のような、理由のわからない異常な才能など当然のように持っておらず、とりわけ劣っていることこそなかったものの、しかし素養という意味では竜昇は凡庸そのもので、他の三人に並び立てるような能力はまるで持ち合わせていなかった。


そんな凡庸そのものと言っていい竜昇が、それでも彼ら彼女らと肩を並べて戦ってこられたのは、常にこの先起こりそうなことや、敵の行動などをできうる限り予想して、それに対して対策を打つように心がけてきたからだ。


 幸い、ここまでそれは比較的うまくいっていた。

 あるいは、そうした癖をつけるようになったころに、【魔本スキル】という、魔本を使うことで思考能力を底上げできるスキルを手に入れていたこともそれを大きく後押ししたのかもしれない。【増幅思考シンキングブースト】や【分割思考ディバイドシンキング】と言った、特殊な形態の思考を可能にする魔本という武装は、しかしただ意識を接続しているだけでもその思考能力を底上げしてくれて、竜昇の積み重ねる思考の絶対量をそれだけ増加させてくれている。そうした魔本の存在は、常に考えられるだけ考えておくという竜昇の確立したスタイルに非常によく合っていた。


 けれど今、竜昇はこの先に起きうる悪しき状況を想定しておきながら、それに対してどうにも己の考える対策を打てずにいる。

 対策を打つより先に状況の方が動いてしまい、どうにも自分が後手に回っているような、そんな感覚に常に付きまとわれている。


無論竜昇とて、惰性で物事を先延ばしにしているわけではない。

 竜昇が現在後回しにせざるを得ないと判断している問題は、相手の存在など、大概がなんらかの今できない事情を抱えているものばかりで、それゆえに竜昇自身、下手な焦りは禁物であるということも重々理解しているつもりだ。


 だがその一方で、どうしても自分が貴重な機を逸しているというそんな感覚から抜け出せない。

 凡庸な自分という人間がつかめる、非常に希少な勝ち筋を見逃してしまっているのではないかというそんな感覚。

 その感覚がどうしても竜昇の中で、焦りに近い感覚をくすぶらせている。


(焦りは禁物、って言うのは、わかっているつもりなんだけどな……)


 そう思いながらも、竜昇がどうしても先ほどから向こうのパーティーの事情が気になってしまうのは、やはり先ほどの詩織の様子を見ているからだろうか。


 彼女と誠司たち他のパーティーメンバーの関係性。その中に竜昇達の知らないなにかがあったのは、先ほどの詩織の様子から見て恐らく間違いない。あるいは誠司たちがこちらとの共闘体制に躊躇しているその理由も、その何かが大きく関係している可能性もある。

 だが一方で、それが果たして軽々しく首を突っ込んでいいことなのか、それとも第三者の仲裁が必要な事態なのかがさっぱりわからないというのが問題だ。


 これでもし、彼ら彼女らの方から何らかの事情を話してくれれば問題も進展するのだが、あの様子ではそれも正直望み薄と言ったところだろう。仮にこちらから聞いたとしても、あの様子では果たして答えてくれるかどうかもわからない。それどころか下手に聞くと、かえって態度を硬化させて関係性がこじれる危険性すらあると来ている。


(……ああ、くそ……。やっぱり、相手がいるって言うのは難しいな)


 吐息を一つつきながら、竜昇は打たせ湯から別の場所に移り、改めて考えをまとめることにする。

 実のところ、城司に誘われるままに使ってみた打たせ湯だったが、今の竜昇では痛いばかりであまり気持ちがいいとは思えなかった。どうやら打たせ湯を気持ちよく使うには、もう少し竜昇自身が年季を重ねる必要があったらしい

と、そんなことを考えていて、ふと一つのことを思いつく。


(そう言えば、城司さんならこういう場合どうするんだろう)


 隣のブースで同じように打たせ湯を使っているはずの城司のことを考えて、竜昇は改めてこれまで考えていなかった手段に思い至る。

 現在、城司は朝方の精神干渉系のものと思われる魔力の影響で正気を失っている状態だ。

 だがその症状はあくまでも現状認識に影響をきたしているだけで、見ている限りでは人格まで影響を受けているようには思えない。

 ならばもしや、今の状態でもこういった人間関係にまつわる相談ならば、竜昇などよりよほど長く生きた彼の大人としての見識を借り受けることができるのではないかと、竜昇はそんなことを思いついたのだ。


(この機会に一度相談してみるのもありか……? もしかしたら精神干渉の性質を探る手掛かりにもなるかもしれないし……)


 それは言ってしまえば、本当にただの思い付きだった。

 問題を解決するためというよりも、行き詰ってしまったがゆえに打開策を求めた結果出て来た、ダメ元程度のただの思い付き。


 だがどんな理由であれ、この時城司に声をかけようと、そう考えられたこと自体は、後になって考えれば非常に幸運だったかもしれない。


 ポコポコと、空気の泡が漏れ出す音がする。

 城司には相談してみようと覗き込んだ隣のしきりの向こう側、城司が先ほどまでの竜昇と同じように、座ってお湯に打たれているはずのその場所で、しかし上から落ちて来たお湯は城司の肩や背中などを打つことなく、代わりに一塊の水塊となって、城司の頭部を丸ごと包んで呑み込んでいる。


 ゴポリと一つ、一際大きな気泡が口から漏れる。


「城、司さん――」


 まるで気持ちよく打たせ湯を使っているような安らかな表情で、しかし自身の命を吐き出すように気泡を漏らしながら、入渕城司が一人静かに溺れていた。

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