119:叫び

 かつて言われた言葉がある。


『詩織ってさ、どっか私たちに心開いてないよね』


 それはトモダチだと、そう呼ぶべき相手から言われた、そんな言葉。


『なぜあなたは、そんな大事なことを黙っていたのですか?』


 それは非難し、咎めるように言われた、そんな言葉。


『――なんで、私たちと同じにならなかったの――?』


 そしてそれは涙ながらに言われた、彼女から詩織に向けられた最後の言葉だった。


 そんないくつもの言葉が、今でも胸の奥で響いている。


 鳴って、響いて、胸の中のその内側に、いくつもの痕を刻んでいる。






 戦闘と混乱が加速する。

 囚人と看守、二勢力に分かれた黒い影たちが、眼前の敵を目がけて己の武器を振り回す。

 火打ち石を核に炎の猫を生み出すもの、首切り斧を振り回す者、仮面をつけてチェーンソーを構える者、氷の猟犬を操る者、特攻服を纏いドスを抜く者、棘のついた金棒を叩きつける者、服の各所から大量の紙幣を撃ち出す者……。

 他にも様々な、多種多様な衣服と武装に身を包んだ囚人と看守達が、まるで周囲のものは全て敵だと言わんばかりに暴れまわり、その混乱に拍車をかける。


 そんな戦場の片隅、まだかろうじて戦闘に巻き込まれていないギリギリの位置で、渡瀬詩織は呆然と立ち尽くしていた。


「……どう、して。……それ、それは――」


 凍り付いた喉が、ようやくそんな言葉を絞り出す。

 渡瀬詩織には聴覚以外の、より厳密にいうなら【音響探査】以外の索敵能力がある。

 竜昇によって行われたその指摘は決して間違ったものではない。それどころか、主観的な部分はともかく客観的には恐らく相当に正しいだろうことを知っているからこそ、図星を指された詩織は碌な言葉も口にできずに立ち尽くしていた。


 何かを言わなくてはと、そう思っているのに何も言葉が出てこない。

焦る心に反して体がついて来ないもどかしい感覚。そして詩織がそんな焦燥に震えている間にも、時間は刻一刻と過ぎ去って、詩織の状況をより悪い物へと変えていく。


「ヒントはいろいろありました。一番間近でフジンと戦ってる静でも気付けないような音を、いくら聴覚を強化できるとは言えああもはっきりと察知できていること。

 動いているものだけならともかく、空中に“制止している”はずの苦無の存在すらも看破できたこと。

 ものすごい騒音の中でも、詩織さんが敵の位置を補足できていたことなんかもそうでしょうか。

 それがどういった索敵能力なのかはわかっていませんがが、少なくとも音以外の“なにか”があるのだろうことはなんとなく想像がつきました」


 だからというわけではないのだろうが、詩織の『どうして』というその言葉に応えるように、竜昇が冷静な口調でそう根拠を口にする。


 指摘されてみれば確かにその通りだった。

 指摘されて、それでようやく詩織は、自分の隠し方がいかにお粗末だったのかを嫌というほど思い知った。


 そして同時に疑問にも思う。

 自分の隠し事は露呈した。これはもう、到底言い逃れなどきかない状況だ。

 だというのに、この期に及んでなお、詩織自身が“一番恐れていた言葉”を、竜昇が一言も口にしないのはなぜなのか。

 そこまで自分の隠し事を、背信を看破しておきながら、それをこうも穏やかな口調で話せているその理由を。


「……なんで、それを許せるの――?」


 そうして、気付けば詩織は、その疑問を直接言葉にしていた。

 言葉にして、なおも怒りをあらわにする様子の無い竜昇に、震える声でもう一度詩織は言葉を紡ぐ。


「なんで……。私のことを、責めないの……?

――私は竜昇君や、詩織さんや、城司さんに隠し事をしてたのに。どうしてそれを許せるの? そんな相手を、どうして一人だけ逃がそうなんて、そんな風に考えられるの……?」


 それは先ほど、詩織が最初に投げかけたのと同じ問い掛け。

 だが違う。詩織が自分のことを隠して、そのことを竜昇が知らないと思って投げかけた時とは、その質問の意味合いが大きく変わる。

 だって知っていたというのならなおさら、そんな自分を庇う理由が詩織にはわからないから。


「――私はッ、自分にできることを、ずっと……隠してた。本当はもっと早く、いろんなことをみんなに話すべきだったのに……。そうしていれば、もしかしたらこんな状況にならなかったかもしれないのに……!!」


 助けてもらったのに、守ってもらったのに、それでも詩織は自分に何ができるのかをずっと秘匿し続けた。

 このパーティーのためにベストを尽くしていなかった。

 自分が秘密を打ち明けていれば回避できたかもしれない事態があったのに、それをわかっていてなお、詩織は自身のことを打ち明けることを躊躇した。


 今ごろになってはっきりと思う。そんなのはもはや、裏切りと同じではないか、と。

 味方にとって不利に働く行為を、そうとわかって働いていたのならばそれは間違いなく裏切りだ。


 そう思ってしまうから、詩織には明日をもしれない命を救ったのにその相手に恩返しもせず、裏切りに等しい行為を働いていた詩織を、なおも守って戦えるという竜昇の心理がわからない。


「なんで、私は――、何も返してないのに。ずっと私はッ、みんなに――」


「――最初に詩織さんの手紙を読んだとき思っただ。もしかしたら俺達はこの先、他のプレイヤーと出会って、何かの拍子にその相手と対立するはめになるかもしれないって」


 気付けば何を言っているのかもわからない、ぐちゃぐちゃの思いしか口にできなくなった詩織に対して、それまで沈黙を守っていた竜昇がようやく口を開く。

 相変わらずその口から語られるのは詩織を糾弾する言葉ではなく、しかしそれとは別方向に聞き逃せない剣呑な内容だった。


「――え、他のプレイヤーと、対立……?」


「土台無理な話なんですよ。いくら同じプレイヤー同士だったとしても、それで無条件に協力関係を築けるわけがない。

 誰だって自分の命が大事だし、危険なことはできうる限り自分から遠ざけたいと思う。

 城司さんがそうだったように、自分の命よりも優先したい事情を抱えた人間だっているかもしれない

 そもそも事情もものの考え方も違う他人同士がこんな命がけの戦いの場に集められて、それで対立が起こらないことの方があり得ない」


「ありえ、ない……?」


 戸惑う詩織をよそに、竜昇は迷いの無い声と表情でそう断言する。

 それは、詩織にしてみればかなり意外な言葉だった。

 なぜなら、少なくとも詩織には竜昇たち三人が、自分などよりよっぽどうまくやっているように見えたから。

 味方を警戒する様子など、これまで竜昇たちの間からは一度も感じたことが無かったから。

 けれどそんな詩織の考えを、竜昇ははっきりと、しかし穏やかなままで否定する。


「確かに詩織さんの言う通り、最初からお互いを信頼し合って、手の内も全部明かして共闘出来たら、恐らくそれが最善だったんでしょう。実際、詩織さん以外の二人とは“運良く”話が運んで互いの手の内を明かしあうことができました。

 けど、こんな命がかかったような場所で、初めて会った他人に自分の命すら左右する情報を打ち明けるなんて、みんながみんなできるとは思えない」


 それは、言ってしまえば前提としてのものの考え方の違いだったのだろう。

 最初からすべてを明かすことが最善で、その最善を皆が尽くすべきだと考えていた詩織と、皆がそう動けるわけではないと弁えていた竜昇との違い。


(ああ、そっか……)


 そこまで考えて、ようやく詩織は、竜昇がなぜああも他人のために自分を危険にさらすような真似ができたのか、その理由に思い当たった。


 言ってしまえば、竜昇は最初から覚悟を決めていたのだ。

 自分達以外にもプレイヤーがいると知ってたその時に、竜昇はそのプレイヤーたちと対立が起きることを覚悟して、同時にその対立を回避するために代償を支払う覚悟を決めた。

 仮にその代償として支払うものが自らの安全だったとしても、それは信頼関係を築くために必要なことだと割り切った。


 その覚悟があったから、竜昇は、赤の他人である城司や、その娘の華夜のために自らを危険にさらせる。

 出会ったばかりの詩織のことを気遣って、背中に庇って戦える。

 なぜなら彼は、それがこのビルで共に歩むために必要なものなのだと知っているから。


「――それに詩織さん、詩織さんはさっき自分の手の内を“隠してた”って言ってましたけど、あなたは決して俺達に手の内を隠してなんかいませんでしたよ」


「――え? で、でも、私は、みんなにいろんな、言ってないことが――」


「それは単に“言えなかった”だけで、隠していたことにはなりませんよ。隠すって言うのは、もっと自分本位に割り切って行うものです。

 けど、詩織さんは必要なことはちゃんと話してくれた。この階層を攻略するのに必要な【音響探査】のことは話してくれたし、聴覚以外で得た情報も、俺達が危ないとなったら知らせてくれた。ちゃんと隠すことよりも、全員の安全を優先してくれた」


「そんな、そんなのは……」


 そんなのはこじつけだと、自分はそんなことまで考えていた訳ではないと、そう反論しようとして、しかし詩織は一つのことにはたと気づく。


 確かに詩織は自身のことを話せずにいたが、では明確に何かを意図して隠していたのかと言えばそう言う訳でもなかったと。


(だから、なの……?)


 そして同時にもう一つ理解する。

 竜昇はこの期に及んでなお、詩織が自身のことを打ち明けなかったその事実を、悪意によるものだとは疑っていないのだ。

 ただ詩織のその隠し立てを人として当然の弱さとして受け止めて、その弱さを当然のものとして容認してくれている。


(……!!)


 そうと気づいて、とっさに詩織は自身の心を押さえるように目を伏せる。

 確かに自身のことを打ち明けることができなかったのは何らかの悪意があってのことではない、詩織自身の、ただの弱さによるものだ。

 だが、それでもその弱さが招いてしまった結果があるのだ。それは本来、絶対に都合よく許されていいものではない。


 けれど、それでも。

もしも目の前のこの少年が、詩織のその弱さを、悪意から来るものと、そう見ずにいてくれるなら――。


 もしも他の人間に合わせられなかった自分を、他の人と異なってしまう自分を、それでも、悪いものとして見ずにいてくれるなら。


(もしそうであってくれるなら、私は――)


 思い、ふと詩織はすぐそばにある混乱の渦中、その少し外れた場所にある、一つの物品の元へと視線を向けた。

 先ほど敵に襲われたその際に、偶然見つけた、まるで天の采配のようにそこにある“それ”を見て――。


「――魔力の、音が聞こえるの。ずっと昔から――、それこそ、このビルに入るより前の、小さいころから――」


「――え? 詩織さん――?」


「誰かが魔法を使おうとすると音が聞こえる。

 ずっと何の音なのかわからなかった……。このビルに入って、魔法を実際に見て、魔力を感じて、そこから必ず音がしてることに気付くまで」


「お、と……?」


 唐突な告白に、眼の前の竜昇が目を白黒させるのをその目で見ながら、しかし詩織はそれでも自分の秘密を目の前の少年に対して打ち明ける。

 ずっと自分を苛んで来た、ずっと自分と周囲との間に溝を作ってきたその秘密。

 竜昇がその存在を察知しながら、具体的なことまでは推測できていなかったその秘密を、今詩織は、自ら彼に対して口にする。


「――!? 詩織さん――!!」


 直後、背中に慌てるような竜昇の声を受けながら、しかし詩織は剣を引き抜き、眼の前の乱戦のその渦中へと向かって走り出していた。

 自身が保有スキル、【功夫スキル】の肉体強化技である【錬気功】を使用しての全力疾走。

 素早い走りで一気に敵陣目がけて疾走して、相争う敵達の、その中央へと一息のうちに潜り込む。


「【大輪華】――!!」


 飛び込んだ次の瞬間、詩織はその全身を回転させて、手にした【応法の断罪剣】で力限りに周囲の敵達を斬り捨てる。

 剣に魔力を纏わせてその剣で円を描くことにより、まるで大輪の華を咲かせるように周囲に広がる円形の斬撃を放つ【華剣スキル】の技を使用して、詩織は周囲にいる敵達のその注目を一気に自分へと引き寄せる。


 案の定直後には、詩織が飛び退いたその後に、直前まで詩織がいたその地面に大量の紙片が刃物のように突き立った。

振り返ると、制服を着ているにもかかわらず、服の袖から大量に紙幣を撃ち出してくるという、看守なのか犯罪者なのかどちらとも分からない一体の敵がこちらにその袖口を向けて立っている。


 続けて行われる攻撃の予感に詩織はすぐさま飛び退こうと試みるが、しかしそんな詩織の動きよりも、その看守の真上に雷球が現れる方が早かった。


設置セット――【雷撃ショックボルト】――!!」


 同時に、壁際で竜昇が自身の前にある雷球目がけて電撃を撃ち込み、それによって一瞬拡大した雷球が即座に光条となって発射される。


 まるで星と星を線でつないで星座を作るように。放たれた光条が次の雷球へと着弾し、それが即座に次の雷球へと走る光条へと変わって、それらが繰り返されることで直線にしか撃ち出せない雷球が敵の群衆の真上を迂回する。

 詩織を狙う看守の、その真上の雷球へと一瞬で雷の星座が繋がって――。


「【六芒星線雷撃ヘクサ・アステリズムボルト】――!!」


 ――次の瞬間、真上から極太の光条が降り注ぎ、看守の頭部の核をその下の胴体部分ごと飲み込んで消滅させた。

 その閃光に目を細める詩織に対し、術者である竜昇からの鋭い声が飛んでくる。


「急いでッ、走れ詩織さんッ――!!」


「――っ!!」


 行われた援護に、しかし詩織は助けてくれた竜昇に対して礼の言葉を叫び返すことができなかった。

 本当は何かを言いたかったのに、いざ言おうと思ったら胸を満たす思いが多すぎて言葉にならなかった。


「【仇花】――!!」


 言われた通りに走り出し、進路上にいたチェーンソーを振り回す敵を、背後からの奇襲で一息の元に寸断する。

 バラバラになって崩れ落ちる敵を横目に見ながら、詩織はさらに剣を構えて、目的のものがあるその場所へと障害となる敵達を斬り捨てながら突き進む。


 竜昇とてこの状況、詩織が何を思って敵陣ど真ん中に飛び込むような真似をしているのかわかっているわけではないだろう。

 今でこそ何体かの敵を不意打ちで屠ってはいるが、しかし普通に考えれば詩織の行動はあまりにも無謀で、見ようによっては破れかぶれになった詩織が勝手な突撃を行っているようにだって見えるはずだ。


 だというのに、竜昇はその可能性を疑わないでいてくれた。

 詩織の動きなどなんらかの根拠はあったのかもしれないが、それでも竜昇は詩織の行動に、何らかの理由があると信じてくれた。


 その事実が、詩織の胸を温かい思いで満たしてくれる。


『詩織ってさ、どっか私たちに心開いてないよね』


 かつて言われた言葉を思い出す。

 それはこのビルに入って少しして言われた冷たい言葉。

恐らく言った方も、そのとき初めて気づいたという話ではなかったのだろう。

 以前から薄々感づいていて、それがこのビルに入ったことを皮切りに、表に出て来ただけの話だったのだろう。


 実際その通りだ。

 渡瀬詩織という人間には、他の友人たちと共にいながらも、どうしてもどこかで一歩引いて、心を開けず、どこか輪の中に溶け込めずにいたところが確かにあった。


 それは恐らく、自分が聞いている音が他人には聞こえないのだと、そう気づいた時から始まった詩織という少女の性だったのだろう。

 そう、渡瀬詩織には、幼いころから自分にだけ聞こえる、しかし正体のわからない謎の音を聞いてしまうという体験が頻繁にあった。


 【共感覚】というものがある。

 これは言ってしまえば感覚の混戦とでもいうべき特性で、例えば『色聴』と呼ばれる共感覚の持ち主ならば、音を聞いた際に同時にその音に色を感じるという、他人とは異なる感覚を持っている。


 幼いころから詩織がずっと聞いてきたその音が、この【共感覚】によるものなのではと疑いを持ったのは、詩織がこのビルに足を踏み入れた後の話だ。

 正確には、以前にも【共感覚】が疑われたことはあったが、そのときはいったい何の感覚とつながっているのかわからず、結局は違うのではないかと、そういう予想で決着してしまっていた。


 ところがそんな状態が、奇しくもこのビルに入ったことで一転する。

 ビルの中で魔法染みた力を目の当たりにし、詩織自身もそうした力を使うようになったことで、それまで知らなかった既存の五感のどれとも違う第六の感覚、魔力とでも呼ぶべきその力を感じ取る感覚の、その存在が今頃になって発覚したのだ。


「――ッ!!」


 背後から聞こえる音に身を翻す。

 聞こえた音は魔法そのものよりも気配は微弱な発動前の魔力の音だったが、しかし魔力を気配だけではなく音としてもとらえられる詩織には、普通ならば意識できないほど微かな魔力も音という追加情報が加わることで敏感に察知できるようになっていた。

 案の定、次の瞬間には青白い冷気でできた猟犬が背後から迫り、詩織がとっさに跳び込んで盾代わりにした囚人が代わりにその攻撃を喰らって凍結する。


(動物型だけど召喚獣の音じゃない。術者から見えなければ逃げられる――!!)


 聞こえる音から即座にそう判断し、詩織はそのまま続けて付近の乱戦の間をすり抜けその向こう側へと姿を隠す。

 周囲から聞こえる魔力の音はその属性と同じで様々だ。高い音もあれば低い音もあるし、そもそも魔法というものがいくつもの術式を重ねて形を調節するものであるためなのか、完成した魔法はいくつもの音が重なってまるで一つの音楽のようにさえ聞こえている。


 魔力を感じた際に、それが音としても感じられる共感覚。

 それこそが、長年詩織を悩ませていた謎の音、それを聞き取る詩織の聴覚の正体だった。

 ビルに入って、いくつもの命の危険を潜り抜ける中で、ようやく詩織は物心つくころから抱いてきた、自身が聞き続けていた奇妙な音の、その正体にたどり着いた。


 今にして思えば、詩織は自分の聞く音の正体を知ったその段階で、そのことを共にこのビルを攻略するパーティーメンバーに話しておくべきだったのだろう。

 自分は魔力を音として聞くことができるのだというその事実を、幼いころからずっとおかしな音を聞き続けていたのだという事実と合わせて、最初から打ち明ければよかったのだろう。

 だが、頭ではそれが最善と思えるその選択を、その時の詩織は躊躇した。

 いざ話そうとしたその段階で、過去に音について話そうとしたときの苦い記憶がよみがえり、それが詩織に自身が聞く音について話すことを躊躇させた。


 結局詩織は自身の秘密を言い出せないまま、やがて全く別の理由から、詩織の隠し事はパーティーメンバーたちに露呈した。

 露呈して、そして詩織はそれによって思わぬ糾弾を受けることとなった。


『なぜあなたは、そんな大事なことを黙っていたのですか?』


 当初詩織は気付いていなかったが、詩織の共感覚は魔力という攻撃の予兆を察知するうえで非常に有用だ。

 しかもその共感覚は【隠纏】のような、魔力の気配を隠す魔力にも作用していて、例え【隠纏】の魔力で他の魔力を隠していても、詩織にはなにも無いことを装っている、そんな魔力が音という形で認識できてしまう。

 自分以外の人間の感覚など知りようもなかったために他人に指摘されるまでそうとは気づかなかったが、どうやら詩織は他のメンバーでは気付けない魔法すら、発動のその段階から事前に察知することができていたらしい。


 結果、問い詰められて自身の感覚を告白した詩織は、他のメンバーたちから非難を浴びる。

 厄介なことに、直前に気配を隠した魔法によって奇襲を受けて危険な状態に陥っていたことも悪い形で働いた。

 場合によっては怪我人や死人が出ていたかもしれないその状況で、詩織だけがその攻撃を察知できてしまったがゆえに、詩織は身勝手な理由で自身の情報を隠して、その場の全員を危険にさらした戦犯のように扱われてしまったのである。

 幸いにしてその場は黙っていたことを注意される形で決着したが、しかしその出来事は詩織と他のメンバーとの間に溝を残す形になってしまった。


『――なんで、私たちと同じにならなかったの――?』


「無理だよ――」


 耳に蘇る言葉に、敵の隙間を駆けながら詩織は微かにそう返答する。

 そう、無理なのだ。幼いころから他人と違う感覚を背負って、それに悩まされてきた詩織には、もう他の人間と同じような考え方などできはしない。

 他人には聞こえない音を聞き続けてきた詩織の価値観は、すでに常人のそれとはどこかずれてしまっている。

 自分と他人の間に決定的な溝があることを自覚してしまっているがゆえに、詩織は他人と同じように物を考えることができないし、目の前の相手にどこか気を許すことができずにいる。


 けれどもしも、そんな自分を許してくれるなら。


 同じになれない、どこか違ってしまっている自分を、悪いものとして見ずにいてくれるなら。

 そんな相手に対してならば、詩織は自分の秘密を打ち明けて、同じように命を賭けられる。


(来た――)


 背後から音の塊が幽かに迫る。

 それはいくつもの魔力おとを掛け合わせて、さらにそれをなにも無いように見せるための魔力おとで隠した、そんな音色。

 聞き覚えのある、自らの姿を初めあらゆる情報を魔力で隠し、最後にその魔力の感覚すらも隠したはずの隠形の音色。


 背後から追ってくる数体の看守の中に紛れ、自身の命を狙い近づくその音を確かに認識しながら、遂に詩織は敵集団の中を走り抜けて目的の場所へとたどり着く。


 背後へと振り返り、同時に足元にある“それ”を空中へと蹴り上げる。

 持っていた【応法の断罪剣】を手放して掴み取るのは、懐かしくさえ感じる手になじんだ感触。


 それはそうだろう。なにしろこれは本来詩織の持ち物なのだから。

初期装備として入手して、以来改造を施しつつも使い続けたそれは、先日この階層で看守たちに捕らえられ、その際に奪い取られるまで間違いなく詩織が使い続けた武器だった。

 幅が広く湾曲した刀身を持つ中華風の片手剣。一般に青龍刀などと呼ばれるその剣の、まるで天の采配のようなこのタイミングでの帰還に感謝しながら、詩織はその剣を片手に踵を返し、背後に迫る敵の群れの、その先頭に立つ金棒を手にした看守型目がけて走り出す。


 視界の端で、竜昇が自身に迫る敵集団に向けて右手を突きつけているのが見えた。

 どうやら先ほど詩織を援護したことで他の敵達に目を付けられてしまったらしい。

 敵集団のほとんどが、竜昇と、そして詩織のいる方向に向かっているのを続けて確認し、詩織は全力の魔力を自身の剣へと注ぎ込む。


 刀身が唸りをあげる。

 静の【嵐剣スキル】のように風を操ることによる音ではない。

 刀身が空を切る微かなはずの音が、はっきりと耳に聞こえるくらいにまでその音量を拡大されたことで聞こえるその音色。

 手にした青龍刀、【青龍の喉笛】の持つ【増幅ブースト】の効果によって、名前通りにその技が増幅ブーストされていることを音によって確認し、詩織は敵を目がけて全力で剣を振り上げる。


「【迅雷撃フィアボルト】――!!」


 壁際でついに竜昇が自身の魔法を発動させて、放たれたその輝きによって詩織の視界が真っ白に染まる。

 雷が敵陣を焼き尽くすのを見ながら放つのは、自身に向かってくる敵達を一掃するための、渡瀬詩織の【音剣スキル】、その最大の一撃。


「【絶叫斬】――!!」


 その瞬間、詩織が降り下ろした青龍刀が敵の金棒に接触し、その激突音が爆発的な音量にまで拡大されて眼前の敵達を粉砕する。


 竜昇の放った【迅雷撃】と交差するように。

 まるで竜の咆哮のごとき収束爆音波が、看守の背後にいた敵達を、そこに紛れた音ごと呑み込み、掻き消し、蹂躙する。


 叫びのような青龍の咆哮が、監獄全体をその声によって鳴動させる。

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