91:独房にて着替え中

 びふぉー。

 そして、あふたー。


 救出した少女から静が拘束衣を剥ぎ取り、剥ぎ取った服をまともに動ける程度にまで改造し終えて、ようやく竜昇たちが振り向くことを許されるまでにはそれから三十分ほどの時間が経っていた。


 静に服を剥ぎ取られて、その間独房の中にあった毛布をかぶっていたらしい少女がようやく服を着ることを許されて、そうしてそれによって振り返ることができるようになった竜昇がその出来栄えを確認しようとして、そこにいた少女の格好に思わず目を剥いた、というのが今の状況である。


 肩が露出している。どうやら静は、服に縫い付けられ、体の前で交差する形に腕を拘束するその袖を丸ごと邪魔なものとみなしたらしい。その袖口は肩の部分からバッサリと切り落とされていて、彼女の着る服は完全なノースリーブになっていた。


 そしてもう一点、静が動きやすくするために、改造を施した個所が問題だ。

 その箇所自体の問題は竜昇自身ある程度予想はしていた。

 拘束衣というのはその性質上着用者の動きやすさなど考えていないため、貫頭衣状のその服の裾は広くなく、ベルトで縛らなくとも足を十分に広げるような動きはとりづらいのである。

 歩くことはできるかもしれないが、足を大きく動かして走ることはできない。

 だがそれでは、常に戦闘の可能性を念頭に置かなければいけないこの不問ビル内では困る訳で、静がその問題を一体どうやって解決するつもりなのかは密かに疑問だったのだが、あろうことか静は裾の両側を切り裂いて、スリットを入れることで解決したらしいのだ。


 まあ、考えてみればその結論以外に回答はない。

 相手が異性であることを無視したうえでの仮定として、竜昇があの拘束衣の改造を任された場合でも恐らく同じ結論に至っていただろう。実際それ以外に方法などないだろうし、静が施した改造の仕上がりも、使われる生地の硬さや地味さなどを無視すれば、どちらかと言えばコスプレに近いものではあるがチャイナドレスの一種としてみることもできる。


 ただしこの場合、静の入れたスリットは必要以上に深すぎた。


 動けるように改造された拘束衣、それを改めて着ることになった少女の姿は、明らかにスリットが深すぎて白い太腿が大胆に露出し、ほとんど腰のあたりまで露わになって下着が見えていないのが逆に不思議なくらいだった。

 本人もそのことには気づいているらしく、振り向いた竜昇たちの視線から露出するその場所を隠そうと、ベットに座った状態のまま顔を赤くし、必死に裾の部分を引っ張って露出した部分を隠そうとしている。


 しかもその横で上半身スクール水着の静が立っているというのだから質が悪い。


 端的に言うならば、ひどくいけない場所に来てしまったような、そんな錯覚を覚える。


「……なんつうか、事情を知らない人間に今のこの状態を見られたら、即座に俺は豚箱にぶち込まれそうな、そんな光景だな」


「落ち着いてください入淵さん。ここは既に豚箱です」


 妙に達観した声でそう口にする城司に対して、竜昇は目の前の光景から目をそらしながら必死に冷静さを装ってそうツッコミを入れる。

 実際目の前の光景は完全にいかがわしい店のそれだった。しかも彼女たちの実年齢を考えれば、完全に法に触れるだろうそんな店である。いい年の大人である城司はもちろんのこと、下手をすれば未成年の竜昇すらぶち込まれそうな、そんな犯罪的な光景がそこには有った。少なくとも周りからの自分を見る目は、この光景が明るみに出ただけで確実に変わることだろう。


 だというのに、そんな空間をコーディネイトしてくれた張本人である静は、何ら気にした様子もなく今も淡々と作業を進めている。


「さて、と。竜昇さん、入淵さん。頼んでいたものはできていますね?」


「お、おう」


「ほらこれ」


 静にそう言われて、竜昇と城司は視線を戻すことに躊躇しながらも服の改造中に彼女に頼まれていたものを差し出す。

 二人が依頼を受けて作っていたのは、もちろんというべきか保護した少女の分の思念符からなる呪符のセットだ。

 【雷撃ショックボルト】に【静雷撃サイレントボルト】、【迅雷撃フィアボルト】に【鉄壁防盾ランパートシールド】と現在共有化が図られている呪符を新たに増えた一人分丸ごと用意した形である。


「けどよう、それ、どこに持つんだ? その拘束衣よく考えたらポケットすらないだろう?」


「ああ、それは大丈夫です。服のあちこちにたくさんベルトが付いていましたし、袖は先が縫い合わせられているのでそのまま袋として使えます。なので――、少し立ってもらってもよろしいですか?」


 城司の質問にそう答えながら、静は少女を立たせてその腰に拘束に使われていたものと思われる長いベルトを巻き付ける。

 続けてそこに短くなった拘束衣の袖、そのなれの果てを括りつけると、なんとなくではあるが腰に付ける道具袋の様なものが出来上がった。


「あとは……、やはりこちらは素早く引き抜ける場所がいいですね」


「ひゃぁっ――!?」


 呟き、あろうことか静が少女の服の、ただでさえ露出の激しい裾部分を横に払って太腿に触れる。


 少女が悲鳴をあげる中、男二人が慌てて後ろを向くが、そんな反応すら静はまるで気にした様子が無い。


「利き手は右手で大丈夫ですか? そうですね……。それなら狙いをつけることも考えて【雷撃】の呪符は右足側にしましょう。逆に一番素早く引き抜けなくてはいけない【鉄壁防盾】の呪符は左足に……」


 背後から聞こえるそんな言葉に、ようやく竜昇も静の意図を理解する。


 要するに彼女、両太ももにベルトを巻いて、そこに一番発動速度を重視しなければいけない二種類の呪符を差し込むつもりなのだ。

 そのやり方には全く容赦がなく、恐らく羞恥心が薄いだろう静の尺度での行動であるため正直配慮が足りないとは思うものの、それでも一応彼女が戦闘に置いて生き残りやすいようにという、静ならではの独特すぎる思いやりの様なものはあるらしい。


 と、そこまで考えたところでようやく竜昇は一つ重要なことに気が付いた。


「そう言えば、ポケットが無いって言うなら持ち物とかはどうなってるんだ? まあ、武器とかが無いのは見ればわかるんだけど、その……、解析アプリが入ったスマホとかは……」


「え、あ、それが……。気が付いた時にはもうなくなってたみたいで……。たぶん捕まって、この格好にされたときに取り上げられちゃったんだと思うんだけど……」


「――なんだって?」


 ふと気付いて発した問いかけへの答えに、竜昇は思わずその危機的状況に絶句する。

 ここまでこの不問ビルの攻略を進めてくる中で、竜昇が絶対に必要なものと感じていたものは解析アプリが搭載されたスマートフォンだ。

 それ以外のアイテム、スキルカードの類は、まあ、それはそれで生命線だし、どれか一つ欠けていてもここまでたどり着けたかはわからないが、しかし他のドロップアイテムで代替できなくはないし、何よりも後からでも手に入れるだけの余地がある。


 だが、スマートフォン、特にそれに現在搭載されている、この【不問ビル】内でメニュー画面の役割を果たす各種アプリは話が別だ。

 解析アプリが無ければドロップしたアイテムの有力な情報が一切得られないのはもちろんのこと、新たにスキルカードを取得してもそれを習得することがそもそもできなくなる。


 事態は深刻だと、竜昇が彼女の陥っている状況に頭を抱えようとしていたとき、背後の静がさらに、別の意味で深刻な事態を竜昇へと告げて来た。


「それどころではありませんよ。どうやら彼女、この拘束衣を着せられたときに身ぐるみはがされてしまったようで、彼女自身の持ち物は下着一枚残っておりません」


「――ブッ!?」


「ちょッ、ちょっと――!?」


 冷静に、しかし同時に無頓着が故の冷酷さで告げられたその事実に、竜昇が思わず息を詰まらせ、背後の彼女があわてたような声をあげる。


「なんで言っちゃうの――!? それもこんな男子、男の人たちの前で――!!」


「いえ……、そのくらい事態は深刻なのだと、そういう話をしたかったのですが……、何かまずかったでしょうか?」


 ほとんど悲鳴のように抗議の声をあげる少女に対して、羞恥心というものに対してほとほと無頓着な静がそんなことを言う。


 竜昇としては、静のその珍回答に絶句する彼女の表情でも想像していればまだ紳士的だったのだろうが、生憎とこの時竜昇の脳裏をよぎったのは全く別のイメージだった。


(持ち物が下着一枚ないってことはあの拘束衣の下にあるのは……)


 拘束衣以外持ち物が全くないということは、つまりあの拘束衣の下には彼女は何も身に着けていないということである。

 つまり上もノーであり、下もノーであるということである。だとすれば深すぎるスリットから何も見えなかったのも当たり前で、さらに下だけではなく上もノーであるということは、すなわち腕の交差によって先ほどまで隠されていたあの胸元の大きなふくらみの中身もまたノーであるわけだ。さらにさらに、今静が太腿にベルトを巻くために無造作に払っている裾の下はすなわちノーであるわけだから、もしもあの時、いや、今現在であろうとここで振り返ろうものなら――


「――おいおい少年、振り返るなよ」


「うぉッハァッ――!! ノォォォォォオオオッ!!」


 一瞬にして脳内駆け巡っていた危うい思考の暴走に、隣で同じように背中を向けていた城司が水を差す。


「どうかしましたか?」


「い、いや、なんでもないッ――!!」


 幸いにして、城司の声が小さかったせいか後ろの二人には竜昇が声をあげた理由がわからなかったらしく、静から訝しげな視線を向けられ、問いかけられるだけで済んだが、本当に振り向いてしまっていたら流石に危なかった。

 いくらなんでも、こんなことでせっかく築き上げた静との関係性や、まだ不確かな四人の間に亀裂を入れたくはない。


「おうおう、やっぱり年若い少年にはああいうのは目の毒だよな」


「……ぅ、ッ……、他人事みたいに面白がってますね……」


「そりゃお前、俺はもう嫁さんも娘もいるいい大人だからな。そう言うのを律するのも隠すのも、大人のたしなみって奴で習得済みですよ」


 面白がるような城司の態度に悔し紛れに文句を言うと、城司は肩をすくめながらそう返答して来る。


「まあとは言え、その嫁さんの方にはすでに先立たれちまってるから、正確には娘もいるいい大人、ってことになるんだけどな」


「え……?」


 さりげなく言われたその言葉に思わず視線を向けると、城司の視線が独房の外へ、真剣なまなざしで向けられているのが見て取れた。

 ただ外を見張っているというだけではない、まるでそこに手掛かりになるものが通ればそれを見逃さないとでもいうかのようなそんな視線。その様子を目の当たりにして、竜昇は否応なく先ほどまでの浮ついたような気分を改めさせられる。


(娘もいるいい大人、か……)


 彼の視線の理由は明白だ。

 なにしろ今、彼の娘である華夜の捜索は否応なく中断を余儀なくされているのだ。

 城司の家族構成についてはこれまでの話から推察するしかないが、恐らく娘の華夜の名前以外が話に出てこない所を見ると他に子供がいる訳ではないのだろう。


 妻と死に別れたという彼に、恐らくは唯一残されたのだろう一人娘。

 そんな一人娘がこの危険な【不問ビル】の中で、どこの何物とも分からない男に誘拐されているというのだから、彼自身がどれだけ、それこそ大人のたしなみで感情を隠そうとも、内心では常に気が気ではない状態なのは想像に難くない。


 かと言って、城司としても今回保護した彼女を放って一人で探しに行くという選択肢は選べない。

 そもそもここまでの道中、この階層での攻略がうまくいっていたのは竜昇たちと三人だったからという部分も多分にあるし、そもそも今回保護した彼女の存在が入淵華夜の行方を追う上で大きなヒントになる可能性も捨てきれない。


 今すぐ部屋を飛び出したいという衝動と、今のこの時間は必要な時間なのだと自身に言い聞かせる理性のせめぎ合い。

 彼が大人としての仮面で隠しているだろう葛藤を想像し、竜昇は改めて自身の思考を現在の状況と今後の方針へとシフトさせることにした。


 考えてみればここまでずっと静と二人で攻略を進めてきた竜昇たちにとって、同じプレイヤーの立場であると思しき人間に二人も出会えたというのは大きな前進だ。

 一応以前にも考えたように、プレイヤー同士の争いに発展する危険性は十分に警戒しておかなければならないが、二人ともこちらが相手を助ける形で出会った関係上こちらに対する印象は悪くない。

 現に城司の方は、城司自身がこちらに警戒していなかったことも相まってか簡単に手のうちの情報を交換し、目的に若干の差異はあれど共闘体制を確立するに至っている。

 できることなら新たに出会うことになった彼女とも共闘体制を確立し、彼女の習得しているスキルの情報や、彼女があの状況に至っていた経緯など、このビルの謎を解くカギになるかもしれない情報をできる限り共有しておきたいところだった。


 と、そこまで考えて、竜昇はようやく自分たちが彼女の名前をまだ聞いていないこと、そして自分たち自身も彼女に対してきちんと名乗っていないことに気が付いた。

 これでは関係も何もあった物ではないと、背中を向けたまますぐに名前だけでも問いかけることにする。


「そう言えば、お互い名乗るのもまだだったな。えっと俺は、互情竜昇。そっちの彼女が小原静さんで、こちらが入淵城司さんって言うんだけど――」


「――ひぇっ、あ、ああっ、そ、そうッ、そうだったね。えっと、私は――」


一体静は何をしているのか、若干上ずった声でそれでも少女は自分の名前を三人に対して告げる。

 今の今まで聞きそびれていた彼女の名前。

 実際、一度も聞く機会の無かったその名前は、しかし竜昇と静にとっては決して知らない名前ではなかった。


「私は、渡瀬詩織わたせしおり。網川高校に通ってる二年生で――、ってそれは今はどうでもいいか。改めて、助けてくれたことの御礼を――、うひゃぁっ!!」


 名を名乗り、礼の言葉を述べようとしていた詩織が唐突に悲鳴をあげる。

 無理もない。彼女にしてみれば、自分が名乗ったとたんに裾をまくりあげてベルトを巻き付けていた静の手がいきなり止まり、さらに竜昇も驚いたように振り返るというそんな事態になったのだから。


「――見えたッ!? ねえ今絶対見えちゃったよねェッ――!?」


 静のそばから飛び退いて、裾の部分を押さえて彼女――詩織が真っ赤になって悲鳴をあげるが、しかし生憎と竜昇の思考は全く別の方向へと逸れていた。


「渡瀬、詩織……?」


 静と視線を合わせて、次の瞬間には二人で荷物を探って、手掛かりになるかもと持ち去っていた“それ”を取り出し確認する。

 二人がそろって見直したのは、竜昇たちが二番目に攻略した深夜の学校、その購買部に残されていた一通の手紙。


「……やはり」


 揃って手紙に視線を走らせて、名前を確認した静が呟きを漏らす。

 渡瀬詩織。聞き覚えがあると思ったその名前は、予想通りあの学校の中に残された、悲鳴のような手紙の差出人の名前だった。

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