90:囚われていた少女
竜昇たちがその場に到着したときには、すでに静が敵の内の最後の一体を葬り去り、事実上十体はいたはずの敵を全て制圧した後だった。
「すげぇなおい……。あれ全部一人でやったのか?」
隣で城司の驚く声が聞こえてくるが、もはや竜昇はこの程度のことでは驚かない。
もちろん、静とて万能でもなければ絶対でもないということは肝に銘じておかなければいけない事実だが、しかし一方で静という少女が、状況によってはこれくらいのことができてしまうだけの力量を持つ人間であることも竜昇はここに来るまでにたっぷりと見てきているのだ。
そうして、周囲を見渡して驚く城司に替わり、竜昇は静の元へと駆け寄って彼女の状態をざっとではあるが確認する。
見たところ負傷した形跡もなし。それどころか息すら切らした様子もない。どうやら今回は、本当に十人の敵を圧倒する形で勝利を収めてしまったらしい。
「悪い、遅れた」
「いえ。なんとかなってしまったので大丈夫です。敵が囚人と看守で乱戦を起こしてくれたので思ったより楽でした」
左手の十手を腰に戻し、同時に右手の小太刀もその形態を同じ十手に変えて腰に差しながら、静は『それよりも』と言って視線を移す。
見れば、徐々に薄れて消え去り行く降り積もった砂鉄の向こうに、先ほど上の階から見えた問題の拘束衣の女性が転がっていた。
「とにかく彼女の拘束を解きましょう。ただし、味方とも限りませんので一応用心を」
耳打ちするようにそう言って、静は竜昇が頷き返すのを見てから一歩先に歩き出す。
恐らくその可能性を見越してなのだろう。
先を歩いていた静が彼女に声を掛けつつその身を抱き起すと、手足の拘束よりもまず彼女の顔を覆うマスクの方を解きにかかった。
「すいません竜昇さん、手伝ってもらえますか?」
言われて、慌てて竜昇も屈んで、静がマスクを外す間拘束された女性の両肩を支えることとなった。
対して、拘束衣の彼女の方も特に抵抗することもなく二人にされるがままになっている。
それが竜昇たちが自身を助けようとしていることを理解しているが故なのか、それともぐったりしたその様子からもはや抵抗する体力も残っていないが故なのかはわからなかったが、しかしそれについては考えずともほどなく明らかになった。
ようやく静が頭の後ろ側にあった留め金を外し終え、マスクが外されてその中にあった素顔が露わになる。
「……ぅ、……ん」
現れたのはまだ年若い、というか竜昇たちとそう変わらない年齢の少女の顔。
どうやらいきなり視界が戻ったことで光に目が慣れていないらしく、まぶしそうに目を細め、同時に猿ぐつわをかまされた口からかすかな声を漏らす。
拘束された先ほどの様子からわかっていたことだが、どうやらかなり衰弱しているらしい。見れば、彼女の頬には殴られでもしたのか、うっすらと痣の様なものも見受けられる。
と、痛ましいそんな姿に竜昇が声を失っていると、彼女の背後にいた静がようやく結び目を解いたのか、彼女の口の猿ぐつわをようやく外し終えた。
「――大丈夫か? 怪我もしてるみたいだけど……。俺の言葉は、わかるか?」
意を決して、竜昇は迷いながらもどうにかそう声をかける。
対して、少女の方はようやく周囲の明かりに目が慣れて来たのか、徐々に目の前の竜昇の方へと焦点を合わせて、そうしてようやく竜昇の言葉に対して頷いた。
「……う、ん……。わかる、わかり、ます……」
同時に、やはり疲労の色が濃い、かすれたような声でどうにかそう返事をする。
どうやら言葉は通じるらしく、その事実に竜昇は内心で少しほっとする。これで相手が言葉の通じない、あのハイツのような相手だったならば、竜昇は今後の彼女の処遇にかなり頭を悩ませなければいけない所だった。
とは言え、そんな竜昇の安堵は、直後の彼女の表情を見てあっさりと吹っ飛ぶことになった。
「……ぅ、……ッ、ぁ……、うぅ……」
ぽろぽろと、眼の前の少女の顔、その頬を次々と涙がつたい、とっさに彼女の方も視線を落とし、目元を前髪で隠すようにして表情を隠す。
とは言え、そんな虚勢も極限の緊張状態から解放されたばかりの少女にはいつまでも続けることは不可能だった。
「……ぅ、ッ……、あり、がとう……。ほん、とに……。助、けてくれて……ありがとう……!!」
前にいる竜昇の胸に、ほとんど倒れ掛かるようにして顔をうずめ、九死に一生を得た少女が涙ながらに嗚咽を漏らす。
反射的に戸惑う竜昇だったが、かといってそんな様子の彼女を無碍に扱えるはずもない。
助けを求めるように、本来の助けた張本人である目の前の静へと視線を向けると、静はまるで促すような視線を竜昇に対して送ってきた。
その視線にどうにか答えて、竜昇は胸の中の少女の頭に手をやって、なんとか安心させようと抱きしめ、なでるようにしながらどうにか言葉を紡ぎ出す。
「――大丈夫だ。もう大丈夫……」
気の利いた言葉でもなければ力強い言葉でもない。
それでも必死に紡ぎ出したそんな言葉を、まるで言い聞かせるように胸の中の少女に対して言い聞かせる。
その後、彼女が泣き止むまでのしばしの間、竜昇はまるで呪文のように、少女に対して同じ言葉を何度もかけ続けた。
できることなら少女が落ち着くまでそのままでいてやりたかった竜昇だったが、生憎とことはそう優しい展開にはならなかった。
竜昇と静が少女の相手をしている間、そのわきで周囲の警戒を引き受けてくれていた城司が、遠くから敵らしき二体の影が近づいてくるのを視認したのである。
慌てて竜昇が少女を抱え上げ、城司と静が周囲に残るドロップアイテムを回収。少し移動した先に中の囚人を連れ出したのか、扉が開けっ放しになっていた独房を見つけて、その中に隠れ潜んで通路を通る二体の敵をやり過ごそうと試みる。
奥のベッドに拘束されたままの少女を座らせ、部屋全体に【領域スキル】の魔力領域を展開、さらに【領域隠蔽】の技能を使用して室内の魔力を感じ取れないようにしたうえで、各々が魔法を準備して敵が踏み込んできた場合に備えて最大の臨戦態勢を整える。
息を殺し、それでも見つかる可能性は高いのではないかと踏んでいた竜昇だったが、しかし城司が見つけたと思しき二体の敵は竜昇たちが隠れ潜む独房にはまるで関心を払わず、驚くほどあっさりと独房の扉の前を通り過ぎ、足早に通路の先へと歩き去って行った。
「……ふぅ。どうやら行ったようですね」
「なんだあいつら。俺らの姿が見えてなかったのか?」
「あ、うん、どうもこの階層の
外を歩き去る敵二体に対して疑問の声を投げかける静と城司に対して、背後に控えていた竜昇の隣で、未だ拘束されたままの少女が弱々しい苦笑と共にそう語る。
話から察するに、その
もしかするとこの階層、牢の中にいる敵は外に対し、外にいる敵は牢内に対して、基本的には不干渉を貫いているのかもしれない。例外は先ほどの処刑の様な、何らかのイベントが発生するときだけなのか。
だとすれば、特に囚人がいないここの様な独房は、ある程度までは安全地帯として機能することになる。
「まあ、そう言うことならとりあえずは安全を確保できたと考えておきましょう。竜昇さん、とりあえず扉に【静雷撃】をお願いします。その間に私は、彼女の拘束をどうにかしますので。……いえ、その前にまず何か口にされた方がよろしいでしょうか」
「あ、あはは……。できれば、なにか飲ませてもらえると、嬉しいかな……。実はこうして捕まっちゃってから、しばらく何も口にしてなくて……」
「わかりました。ちょうどスポーツドリンクを確保していますから、今そちらをお出ししましょう」
そう言うと、静は荷物の中から言葉通りスポーツドリンクを取り出して、拘束されて動けないままの少女の口へとあてがい、ゆっくりと彼女に飲ませていく。
その様子を一度確認すると、竜昇も言われた通り、まずは扉に侵入阻害用の【静雷撃】をかけることにした。
今回は扉の前で見張りをする機会が多くなりそうだということで城司から魔力を受け取り、彼が触れても大丈夫なように接触発動の電撃を扉に仕込む。
「ああ、竜昇さんと入淵さんはそのまま外の見張りをお願いします。一応念のため、そのままこちらを見ないようにして」
「ん? いいけど、なんでまた?」
「いえ、彼女が着ているこの服、このままでは拘束を解いてもまともに動けそうにないのです。かと言って着替えもありませんし、一度脱がせてからある程度布地を手持ちのナイフで裂いて、とりあえず着ても動ける形に改造してしまおうかと思いまして」
なるほど、確かに言われてみれば、拘束衣というのはその目的上、拘束を外したからと言って動き回れるようにはできていない。
それどころか先ほど見た限りでは、袖の部分が胸の前で交差する形で完全に縫い付けられていて、静の言うような改造を行わないとまともに腕も動かせない構造だ。
「ただ、改造しようにも着たままではやりにくいですので、一度脱いでもらってすることになります。なので――」
「……ああ、了解。神に誓って振り向かないようにするよ」
静とそんな会話を交わし、竜昇は城司と並んで狭い独房の中、扉の向こうに注意を向ける。
背後から戸惑い、躊躇するような声と、それを無視して容赦なく服を剥ぎ取る会話が聞こえてきて、竜昇はその光景を想像しそうになって慌てて耳も塞ぐことにした。
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