54:背後の気配

 すぐ近くに誰かの気配を感じる。


(……これは?)


 おぼろげな意識の中でその感覚を自覚して、静の意識は急激にはっきりとしたものになってきた。

 同時に、今の自分の状態を瞬時に把握する。自分は今眠っていて、そして夢を見ているらしいことを、静はその夢の中にありながら瞬時に自分の状態として把握した。

 なにしろ、現実の静自身は現在負傷中の身である。

 一応竜昇の【治癒練功】で治癒を促進してはいるものの、体力の回復を図る意味でも治るまでの間眠っていた方がいいと、そんな判断で数時間の眠りについてのこの現状だ。


(まあ、あまりゆっくりもしていられないのですが……)


 現在保健室で足を止めている静たちだが、しかし現状はこのままひとところに留まることを良しとはしていない。

 いつまた敵が現れるかもわからないというのが理由の一つだが、それ以上に問題になるのは食料の問題だ。先ほど眠りにつく前にはそろそろ朝の十時を過ぎようとしていたのを確認しているが、そうなってしまうともう半日以上、二人はまともに食事をとっていないことになる。

 いきなり命に関わる事態とまでは言えないものの、怪我をして栄養を必要としている現状、食料は早めに確保しておきたいところである。まあ本音を言えば、そろそろいい加減空腹のピークが来ているという、そう言う問題でもあるのだが。


『お……いた……。眠……る奴の意……ゃな…………いさね』


(――!?)


 そんな考えを巡らしていて、静はふと耳元で、あるいははるか遠くのどこかで、そんなつぶやきがなされたような、そんな気配を感じて振り返る。

 否、夢の中に居るに近い現状、静の意識は酷く朧気だ。振り返るも何も肉体の感覚がある訳ではなく、意識だけが闇の中に浮かんでいるようなそんな現状である。


『ハハ……。朧……のはあんた…………識じゃなく……覚だけ……うに』


 どこか笑うような、そんな声が意識に届いて、静はますます自分の意識がはっきりしていくのを感じ取る。

 先ほどから感じていた誰かの気配。てっきり眠る自分のそばにいる竜昇のものなのだろうと思っていたのだが、聞こえてくるこの声は竜昇とは全くの別人だ。

 だが夢の中だからなのか、声の特徴というものがどうにもうまく認識できない。


『……と、そろ……お目覚めの時……よう……ら、大……ことだけ伝え……こうか』


 否、認識できないどころか声が遠ざかっていくような、そんな感覚さえある。これは自分が目覚め始めているのかもしれないとそう感じて、静はその声が言うことを何とか聞き取ろうと意識を研ぎ澄ました。

 それでも聞き取ることができたのは、結局最後に放ったたったの一言。


『早く使……おく……。せっか……れをあんたに……てあげ……だからさ』


 いったい何について何を言っているのだと、そう問い返したい静だったが、生憎と声は意識から遠ざかるばかりで、こちらから問い掛けることさえままならない。

 それでもどうにか、何か一つは掴んでいけないかと、そう思って意識の感覚だけで己の手を声へと伸ばして――。


 ふと気付けば、意識の自分の手の中に、黒く輝き、中に回路のようなラインをいくつも走らせた、一つの石刃が握られていた。







「起きたか、小原さん」


 自分の体をゆすられるような感覚に、未練がましく眠りにしがみついていた意識が引きはがされるようにして覚醒する。

 なんだかずいぶんと目を覚ますのに手間取ったような気がする。実を言えば静は結構寝起きがいい方と自覚していたのだが、今日はいったいどうして、こうも眠りにしがみついていたのか。


「どうかした?」


「いえ、今何か……」


 なにか小骨が喉に引っかかったような、大事なことを忘れているようなそんな気分になっていたが、しかし静にはどうにもその感覚の正体がわからない。

 そして、いざ思い出せないとなった時、静の思考の切り替えは極端に速い。すぐさま静は己の中の、その朧げな感覚の正体の追及を諦めると、目の前の竜昇がわざわざ自分を起こした、その理由をすぐさま問うことにした。


「すぐに出発の準備を整えてほしい」


 警戒の色を顔に出したまま、竜昇はそんな言葉を口にする。


「さっき何かが外を歩く音が聞こえた。たぶんまた敵が出たんだと思う」






 敵が来ていると、そう聞いた後の静の動きは早かった。すぐさまベットから跳ね起きて枕もとの十手を掴むと、音もたてずにベットから降りてすぐさま靴を履く。

 慌てるあまり物音を立てるような愚も起こさない。音を殺すようにしてウェストポーチを腰につけると、服こそボロボロのままではあるものの、すぐにでもこの場を出発できるだけの準備を整えた。


「小原さん、これを」


 自身も鞄を肩に担ぎながら、竜昇は静が寝ている間に作っておいた思念符と、そしてもう一つ作っておいた一本の武器を手渡した。


「さっき話し合った時に言ってた奴だ。一応小原さんが寝ている間に作っておいた」


 声を潜めてそう告げながら竜昇が渡したのは、静が眠りにつく前、今後のために作戦などを話し合った際に発案された一振りの石槍だった。

 石槍とは言っても、その実態は保健室の掃除用具入れの中にあった自在箒の、先端のブラシ部分を外して、その先に件の【神造物】なる石刃をテープで強引に取り付けただけの急造品で、一応しっかりと固定されていることこそ確認しているものの武器としてはないよりもマシという程度の代物である。


「一応テープでの固定はしっかりやったつもりだけど、とはいっても材料が材料だ。強度的にも、あんまりあてにはしない方がいいかもしれない」


「それについては考えがありますのでご安心を。ありがたく使わせていただきます」


「体調はどうだ?」


「正直あまり芳しくありませんね。怪我の方は胸の傷まで含めてとりあえず塞がりましたが、その分体力をごっそり持っていかれた感じがします」


 静からの返答に、竜昇はわかっていたこととはいえどうにも苦い感情が胸に芽生えるのを感じ取る。

 肉体の治癒を促進し、怪我や疲労の回復を通常よりもはるかに早く促進することができる【治癒練功】だが、しかしその効果はあくまで“回復の促進”であって怪我を直すのはその人間の体の、自然治癒力そのものだ。

 当然、治癒に際してはそれ相応に体力を消耗するし、失われた血液が戻る訳でもないから、足りない血は当然本人が自分の体の中で作り出さなくてはいけない。そうなって来ると治癒に際しては何らかの形で体力を回復する必要が出てくるのだが、そもそも食事もろくに取れない現状では体力の回復そのものが困難だ。せいぜい睡眠を摂らせて体力の消耗を抑える程度で、本格的に体力の回復を望むならどこかで食事をとって必要な栄養素を体の中に取り込む必要がある。


 とは言え、それは今いくら言ってもどうにもならないことだ。

 現実問題として今竜昇たちの元には食料はないし、替わりに竜昇たちの近くには明確に危険な敵がいる。


「それで、敵はどこに?」


「外の下駄箱のあたりをうろついてる」


 恐らくは竜昇よりも早く同じ結論に至ったのだろう。静の方はすぐさま己の思考を切り替えると、渡した即席の石槍と十手を両手に携えて、バリケードが積まれた扉前へと歩み寄り、両開きの扉の窓から気配を殺して外を覗き込む。


 現在竜昇たちがいる保健室は、一階の廊下の突き当りに位置する場所に存在している。

 扉の位置も廊下を進んだ正面に位置していて、そのため、扉の隙間などから向こう側を覗くと廊下を一直線に見ることができるのだ。

 そして今。先ほど竜昇が二宮金次郎像と対決した下駄箱付近に、一体の巨大な存在がなにやらうろついていた。


「あれは……、光る牛、でしょうか……?」


「やっぱりそう見えるよな」


 下駄箱付近を動き回るその姿を視認して、竜昇はその存在をどう解釈すればいいのかしばし迷いを覚える。

 現れた敵のその姿は、まさしく光る牛というのが相応し異様な外見だった。

 紫っぽい、若干暗い色の光に包まれた牛のシルエットが、何かを探すように下駄箱付近をのっそりのっそりと徘徊している。

 否、その外見はただの光というよりも――。


(――電気か?)


 牛の姿を観察し、その光の感じに目を凝らしていて、竜昇はふとその光の正体、あるいは性質とでも呼ぶべきものが竜昇自身の発する電撃のそれと似通っているような印象を抱く。

 よくよく神経を研ぎ澄ましてみれば、牛から感じる魔力の感覚も、どこか竜昇の電撃の魔法に似通っているように思う。

 だとしたらあの牛の輝きは、言ってしまえば雷属性の魔法を全身に纏っている故のものなのかもしれない。


「どう思いますか、互情さん。あの牛、先ほどから何をしているのでしょう?」


 そんな風に竜昇が敵と思しき存在の性質を分析していると、先ほどからの牛の動きを観察していたらしい静が声を潜めたままそう問いかけてくる。


「なにを……? 様子から言って、臭いか何かでこちらを探しているんじゃないか?」


「臭い、ですか。確かに、牛だって獣である以上、人間よりは鼻が利くのかもしれませんが……。どうにもあの牛、先ほどから同じ場所をうろうろしてばかりで、次の行動に移るような、そんな様子が見られないのが気になっているのですが……」


「同じ場所をうろうろ……?」


 言われてみれば、先ほどからあの牛は同じ場所をうろうろするばかりで、こちらの様子をかぎつける様子もなければ、手掛かりなしと見て諦めるような様子もない。

 普通一か所を調べて収穫が無ければ捜査の範囲を広げるなどしてもよさそうなものなのに、あの牛の思しき敵の行動にはまるでそれらしき兆候が見られないのだ。


(奴の目的は、こちらを探しているわけじゃない……?)


 考えてみれば、ここまで明確な魔力の気配を周囲にふりまき、光り輝く体で目立つように闊歩しておいて、捜索というのもまた変な話だ。

 もちろん、姿形や存在感だけで捜索が目的ではないと断じることはできないが、しかしこうして竜昇たちがその気配を察して警戒してしまったように、あれでは自らの存在を周囲に教えてこちらに逃げるだけの猶予を与えているようなものである。


(もしもあの存在感に意味があるのだとしたら……?)


 ふとそんな考えが頭をよぎる。

 目立つ体を隠そうともせずに、あの敵がああしてひとところをうろついている理由は何なのか。

 あの場所を守っているのではないかという考えは、残念ながらすぐに否定された。先ほどあの場所で戦いはしたが、あそこに何か重要なものがあるようには思えなかった。

 となれば後考えられるのは何か。

通路の封鎖。それはあるかもしれない。

徘徊型の敵で、あの周囲がその範囲になっている。いくらなんでも範囲が狭すぎてそれは考えにくい。

あと何か考えられる理由があるとすれば――。


――陽動。


(……!!)


 その可能性に気付いて、竜昇は一瞬、自分の頬を冷たい汗が伝うのを感じてゆっくりと首を後ろの方へ回していく。

 背後には特に気配も感じない。

 なにもいない、大丈夫だと、そう自分に言い聞かせながらも、どうしてもいやな予感がぬぐいきれずに己が背後を振り向いて――。


 見れば竜昇の足元、その一メートルほど先の床の上に、一匹のネズミが虚ろな視線をこちらに向けて存在していた。


(……!?)


 声も出さずに驚きを覚える。いったいいつからそこにいたのか。否、相手がこのネズミほどの大きさともなれば小さな隙間からでも侵入できるのだ。恐らくは通風口かどこかを通って後ろから回り込んできたのだろう。


 うつろで、濁ったネズミの眼と視線が交わる。このネズミは何かが違うと直感が告げている。外見的には普通のネズミと変わらない、そんな生き物であるはずなのに、目の前のネズミからは一切の命を感じないのだ。

 ヤバい、という、そんな直感が頭をよぎる。

 同時に目の前のネズミが身を沈めて、見つめる竜昇の顔面目がけて、勢いよくその四本の足で飛び上がり――。


 ――直後、竜昇の真横から伸びた石槍にその胴体中央を見事に貫かれて、小さなネズミの体はほとんど真っ二つになった。


「――ッ、あ――!!」


 だが次の瞬間、真横で石槍を突き出し、ネズミを仕留めたらしい静の口から短い悲鳴が上がる。

 見れば、石槍を突き出した態勢の静の体がびくりと跳ねて、膝立ちの姿勢だった彼女の体が竜昇の方へと倒れ掛かって来るところだった。

 慌てて竜昇がその両腕で倒れ込む静の体を受け止める。


「なんだ? 小原さん、いったいどうした――!?」


「……、う、く……、し、痺れ、ました……。このネズミ、なにか、電気のようなものを、宿していたみたいで」


「電気……?」


 言われて、竜昇は慌てて今しがた静に仕留められたばかりのネズミの死体へと視線を向ける。

 動いていた時から生気を感じなかったネズミは今は完全に沈黙していて、少し見ただけでもそれ以上動く様子はない。よく見れば少し手前に何やら勾玉のようなものが二つに割れて転がっている。

 と、そこまで確認したところでようやく気が付いた。自身の背後、保健室の扉のその向こうから、蹄が勢いよく床を叩くような、何やら重い生き物が迫ってきているような、そんなけたたましい音が猛烈な勢いで迫っていることに。


「――くッ、あの牛――!!」


 慌てて静を抱えて扉の前から退避する。

 直後、全身を雷光で輝かせたたくましい雄牛が、その重量にものを言わせて閉ざしたままの扉を体当たりで突き破り、その身の光で暗い室内を照らしながら保健室の中へと飛び込んできた。

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