34:先へと進むその前に

 竜昇が再び立ち上がれるようになるまでには、やはりと言うべきか一定の時間を要した。

 当然のことではあるが、竜昇はこれまで魔力が切れるという感覚を味わったことが無い。そもそも魔法などという力に縁が無かったのだからこれは当たり前だ。そもそもこの魔力という奴が、ビルに入る前の竜昇の身に宿っていたのかさえ現状では定かではないのだ。

 生まれて初めて味わう、全身の虚脱感。しいて言うならば、風邪などで高熱を出して動けなくなるあの感覚に近いだろうか。それでも、動かずにいれば風邪などよりはよっぽど早く回復するものなのか、二十分もするとどうにか立ち上がれる程度には体の調子も戻ってきた。


 ふらつく体で、同じように倒れた静の元へと歩み寄る。

 彼女は彼女で、先ほどの最後の投擲の際には相当に無理をしていたらしく、槍を投げ放ったその後、そのまま倒れ込む形で土の地面に身を伏せていた。


「互情さん、ですか……?」


 てっきり意識を失っているのかとも思ったが、どうやらそう言う訳でもないらしい。

 寝返りを打ったのか仰向けに寝転がり、力なく五体を投げ出しながら、しかし近づく竜昇の姿はきっちり認識して、ちゃんとこちらに声をかけてくる。


「……どんな感じだ、……その、気分は?」


「正直まだ万全とは言えませんね。頭がグラグラしていていまだに平衡感覚が定まりませんし、起き上がれるようになるまでにはもう少し休ませていただきたいです。……ふふ。今襲われたら私、何の抵抗もできませんよ?」


「そう言う冗談は、シャレにならなくなるかもしれないから勘弁してくれ」


 竜昇が顔をしかめてそっぽを向いて見せると、静が倒れた状態のまま妙に楽しそうに『おや、それは気を付けないと』と、そんな言葉を返してくる。

 吐息を一つ、とりあえずいつまでも地面に寝かせておくのもどうかと思い、まずは静の体を起こして少しでもましな場所に運んでやろうかと、そんなことを考えて、ふと竜昇は、横たわる静が見慣れぬ何かを握っているのに気が付いた。


「……なんだ、それ?」


「……それとは……、おや?」


 竜昇の様子を見て初めて気が付いたのか、横たわる静も左手を持ち上げてようやく首をかしげる。


 いったいいつからそこにあったのか。

 いつの間にか、竜昇の目の前に座る静の左手には、まるで夜のように透き通った黒さを持つ、奇妙な色合いの石刃が握られていた。


「これは、石器でしょうか?」


 いつの間にか手にあったそれを持ち上げて、握っていた左手を開いて竜昇にも見えるようにしながら、その石器の存在にわずかに首を捻る。


 開いた手の中にあったのは、全長でも二十センチ前後というナイフ程度の大きさの石刃だった。大きさ的には先ほどのマンモスが飛ばしてきたものと大差はないが、前述のようにその色合いが灰色だったマンモスのものと比べて、静の手にあるそれはまるで夜の闇を固めたように異様な黒さを竜昇たちへと見せつけている。

 黒い石器ならば黒曜石か何かかとも思ったが、どうにも教科書などで見た色合いとも違う気がするし、よく見れば石器の表面に幾つか赤いラインのようなものが走っているのが見えていた。


「なんでしょう、これ。いったいいつの間に……」


「そうだ、鑑定アプリを」


 アプリで解析すれば、とりあえずその正体はわかるだろうとそんなことを思い出し、竜昇はすぐさまスマートフォンを取り出して静の持つ石刃へと向けてみる。

 アプリが石器を認識し、画面が切り替わって石器の正体を表示する。

 アイテム名とあるならば特殊効果の説明書き。いつも通りにそういったものが表示されるだろうと考えていた竜昇たちは、しかし直後に表示された画面に盛大に首をかしげることになった。


 表示されたのは、あまりにも短いたったの三文字。


 意味すらよく分からない、【神造物】という文言だけだった。






 恐らくはボスドロップにあたるものなのだろう、【神造物】なる不可解な石刃にはいろいろと思うところがあったが、しかし竜昇も流石にそればかり注視してもいられなかった。

 いや、石刃についてだけではない。考えるべきことは他にも山ほどあったが、しかしいかにボスを倒したとは言っても、この部屋がいつまで安全であるかは全く見通せないのである。

 ゲーム的に考えるなら、ボスを倒した以上この場所はしばらくは安全ではないかとも思うのだが、しかしこの不問ビルがどこまでゲーム的システムを順守してくれるかは今のところ未知数だ。部屋の外から新たに敵が踏み込んでくる可能性は捨てきれないし、それ以前にグズグズしているうちに時間経過で新たなボスがポップしないとも限らない。

 敵が絶対に出ないと保証できる場所がない以上、万全を期すならば敵が出なさそうな場所よりも、出た時に身を守りやすい、迎え撃ちやすい場所を探して身を潜めるべきだろう。


 幸いというべきか、その行く先に関してだけはきちんと示されていた。

 最初にこのフロアに入ってきた入り口の真下、ちょうど最初にマンモスの骨格標本が置かれていた場所のその向こうに、先に進むための扉がまるでここから進めと言わんばかりの、少しだけ扉の開いた状態で発見されたのである。


 開いてみると案の定、その先にあったのはこの博物館に通される前に見た、先すら見通せない暗闇の中、足元にだけは光源となる光の足場が階段状に続いている、そんな場所だった。

 見覚えのある光景に、ようやく竜昇もこの階層の終わりを実感する。恐らくこの暗闇の回廊こそが、階層と階層を繋ぐつなぎの空間になっているのだろう。

 先に何が待っているかわからない以上あまり気は進まないが、とりあえずこの後進むべき道は提示された形になる。


「とりあえず全部拾ってきたよ。オハラさん」


 土の地面に横たわっていた静を壁際まで運び、竜昇は彼女が動けるようになるまでの間にあちこちに放置されていた荷物や装備を拾い集めていた。

 幸いなことに静の武器である【加重の小太刀】と【磁引の十手】、そしてあちこちに散らばっていた【永楽通宝】は無事で、竜昇が静のそばに放置していたカバンもそのままの状態で残っていた。

 とりあえずもっとも武器が必要な静のメインウェポンはすべて無事に回収できた形になる訳だが、問題だったのは後衛である竜昇の武器である竹槍の方である。

 結論から言えば、竜昇の竹槍はその先端が木端微塵に吹き飛び、焼け焦げていて、二度と元には戻らなかった。


 なにしろ中に火薬を詰め込んで爆発させたのである。そのダメージたるや甚大で、竹やりは火薬を入れられなかった端の三割程度が残骸として残っていたものの、一応魔力量に余裕があった静が魔力と水で再生を試みても、【再生育】の機能は一向に働かず、竹槍の再生は成功しなかった。


 破壊の規模が許与量を超えてしまったのか、それとも再生をつかさどる心臓部が破壊されたのか。

原因はわからなかったものの、結局【再生育の竹槍】という再生・修復能力を持った竹槍は、最後の最後に強敵を屠るのに使われてその役割を終えた。


 とは言え、それによって竜昇が完全な丸腰になってしまったかというと実はそう言う訳でもない。幸いというべきか、マンモスが消え去った後のフロア内には、とりあえず武器として使えそうな代物が大量に転がっていたのだ。


「とりあえず、持って行く武器はこれだけで十分かな」


 言いながら、竜昇は回収して来た石槍一本と、石斧二本を壁際に座る静に対して提示する。

 幸いというべきか、マンモスの核が消滅した後でも、この部屋に元々あったマンモスの骨格標本と、マンモスの一部として使われていた大量の石器はあたりに散らばる形で残されていたのだ。

 骨格標本については電撃と爆発でほとんどが黒く焦げて至り、砕けて粉々だったりしたのだが、大量の石器のはあちこちに撃ち込まれて距離が離れていたせいか無事なものも多く、竜昇はその中から使えそうな武器を自分の分、とりあえず回収してきたのである。


「小原さんは、特に石器の武器は持って行かなくてもいいよな?」


「そうですね……。私は一応武器に関しては足りているので、特に持って行くものはないでしょうか」


 予想通り、十手と小太刀を持つ静は石器の武器には必要ないと判断したらしい。

ただ一つ、その正体が知れない、【神造物】なる石器だけは持って行くことにしたが、しかしそれとて今は石斧と一緒に竜昇が肩にかけた鞄の中だ。

 そして荷物の準備が整い、静がある程度動けるようになりさえすれば、それで二人の出発準備はとりあえずは整ったことになる。


「さて、準備も良いようですし、そろそろ先に進みましょうか」


「ああ、ちょっと待ってくれ」


 寄りかかっていた壁に手を突き、立ち上がろうとする静を制して、竜昇は一度だけ深呼吸をして己の中で気持ちを切り替える。

 先に進むにしても、とりあえずこれだけは先に済ませておかなければならないからだ。


「……その、悪かった」


「はい?」


「いや、さっきまでのことで」


 不思議そうにこちらを見上げる静に対し、竜昇は頭の中でうまく言葉をまとめながら頭を下げる。


「……態度が、悪かった。小原さんがあまりにすごい立ち回りをするものだから、嫉妬して、依存して、いつの間にか、頼るのが当り前みたいに思ってた」


 頭を上げて訳を話して、竜昇はもう一度『だから、ごめん』と、そう言って静に深く頭を下げる。

 対する静は座ったままわずかに目を見開き、少しだけ驚きの表情でそのポーカーフェイスを崩したが、すぐにいつもの表情に戻って天井を見上げながら口を開いた。


「私はですね、互情さん。たぶん、かなり異常な人間なんです」


「……」


「人の心がわかりません。一応、理屈ではわからないわけではないのですが、どうにも何か決定的なところが欠けているのか、他人に同調するということができません。

 躊躇がありません。過激な行動も、酷い暴力も、私はまるで躊躇なくできてしまいます。正直こんなビルの中だから役に立っているというだけで、ビルの外で普通に暮らす分には危険でしかない性質でしょう。

私は多分、普通に誰かと暮らすには危うすぎる人間です。私はそんな自分がとても、そう、とても嫌いでした」


「……」


 静の言葉に、竜昇は何一つ言葉を返さない。

 ただ黙って静に向けて視線を注ぎ、彼女の言葉に耳を傾ける。


「このビルに入ってきたのも、実はそれが理由なんです。私しか疑問に思わないビルを見て、自分が他と違うんだということをわざわざ突きつけられてような気がして、それが我慢ならなくて、気付いたら私はこんな罠にみすみす引っかかっていました」


 初めて聞く、静がこのビルへと入った理由。

 ビルの前で見た時に、竜昇自身彼女の後姿に、何やら彼女が怒っているような、そんな雰囲気を感じていた訳だが、どうやらそれは全くの間違いというわけではなかったらしい。

 実際彼女は怒っていたのだ。こんな罠にみすみす飛び込んでしまうほど、そんな危険に、考えが及ばなくなってしまうほど。

 小原静という少女は、それほど自分の素養と性質が、異常なものに見えて嫌いだった。


「ねぇ互情さん。私はそう言う人間です。確かに互情さんが私に抱いた感情は、きっと褒められないものだったのかもしれませんが、けれど私は私という人間がそう言う感情を抱かれてしかるべき人格の持ち主だと知っています。正直怖がられて、避けられても仕方がないのではないかと思っていました」


「……それは――」


「――けど、それでも私は、誰かと共に歩きたい。誰かに隣を、歩いて欲しい。

 互情さん、互情さんはそれでもいいですか? こんな私と、それでもこの先共に歩いてくれますか?」


 座り込んだままこちらを見上げての、彼女にしては随分と弱気な言葉。

 強すぎる少女の弱い部分を目の当たりにして、だからこそ、竜昇は自分の中の弱気な部分で静に対して問いかける。


「その相手、かなり情けない奴かもしれないけど、それでもいいのか? 正直釣り合っているとは言えない組み合わせかも知れないけど」


「それは少し困りものですね。これまであまり意識したことはなかったのですが、どうやら私はかなり理想が高いタイプのようですから。

ですが互情さん、そう自分を卑下したものではありませんよ。先ほどの互情さんはなかなか素敵でしたから」


「……ハハ。なるほど。そりゃ頑張らないと」


 照れくささと厳しさに苦笑して、すぐさま竜昇は、自身の手で静に伸ばして、彼女の右手をつかみ取る。

 ここで引いたらそれこそ男が廃ると、そんならしくないことを考えながら、竜昇はそのまま静の体を引き寄せて、立ち上がる彼女にわずかながらも力を貸した。


「それじゃあ、せいぜいこの先頑張らせてもらうとしますか。どのみちこの先地上までは、一人で進むには少し長すぎる」


「そうですね。ともに地上を目指すとしましょう。不束者ですがよろしくお願いしますよ、互情さん」


 起き上がった静とそんな言葉を交わして、凡庸な少年と異常な少女は手を握ったまま笑い合う。


 どちらともなく扉へと向けて歩き出し、わずかに開いた扉の先の、その先の苦難へと向けて歩き出す。


 強くなろうと密かに誓った。

 自分より強いそんな彼女と、それでも共に歩けるように。

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