32:記憶の糸

 意識を覚醒させた静が最初に抱いたのは、なぜ自分が生きているのかという疑問だった。


 自分が気絶していたのだと気づき、まず最初にそんな疑問が頭に浮かんだ。

 すぐに起きなければと体に力を込めて、頭を持ち上げたところで強烈なめまいに襲われる。


「……っ、ぅ」


 すぐに立ち上がることを断念し、静はとりあえずあおむけの状態からうつぶせに転がることにする。

 視界が定まらない。強烈な気持ちの悪さと頭の痛みが自分の状況の悪さをたっぷりと語り聞かせてきて、同時に静は自分がなぜ意識を失っていたのかをようやく思い出した。

 思わずこめかみへと手をやり、どろりと手を濡らす出血をその感触で確認する。


(なにが、起きているんでしょう……。意識を失って、なぜ、私はまだ……)


 自分が気絶していた時間はそんなに短かったのだろうか。それにしたところで早く起き上がらねばすぐにでもあのマンモスが来てしまうと、朦朧とした意識で急ぎ周囲に視線をやって、そうして初めて、静は自分が竜昇に預けていたカバンを枕にしていたことに気が付いた。


 見れば、そのそばには彼が持っていたはずの竹槍も落ちている。

 荷物も武器も放り出して、では一体それを持っていたはずの少年はどこに行ってしまったのだろう。そんな疑問と共に唯一まともに動く視線を動かして、直後に静は、見逃しようもないくらいはっきりとした、その答えを視界にとらえた。


「ウジュォォォオオオオオオ」


 ノイズが混じったような雄叫びが耳へと届き、同時に静はその声の主が、今現在激しい破壊をまき散らしながら戦っているのを見咎める。


(……あれ、は……)


 見れば、荷物や竹槍を持っていたはずの少年が、今は二本の石槍をその手に掴んだまま、巨大なマンモスと決死の交戦を繰り広げていた。

 石斧を投げつけ、それに怒ったマンモスの突撃を全力の疾走によってどうにか攻撃範囲から退避してやり過ごす。

 お返しとばかりに電撃を放ってマンモスの意識を自分に差し向け、再び突撃しようとするマンモスから全力の疾走で逃げ回る。


 次の瞬間にも無残に叩き潰されてもおかしくないようなギリギリの攻防。一度でも判断を過ち、足をもつれさせるだけで終わってしまう、そんな決死の綱渡り。


(どう、して……)


 強い疑問が頭をよぎる。なぜあの少年はああも必死に戦っているのだろう。そういえば階段をつぶされて逃げられなくなっていた。それが理由だろうか。相手を倒さなければ生き残れない状況だから、だから彼はああも必死の形相で、死にもの狂いの攻防を続けているのだろうか。


 頭がうまく回らない。ただ混乱した思考のままで、静は視線の先で竜昇がくぐる死線の数を指折り数える。


 そうこうしているうちに、竜昇が自身に向けて走るマンモスへと正面から挑みかかった。

 接触の直前に地面に向けて魔法を放ち、それによって舞い上がる土煙に紛れて一気にマンモスの元へと接近する。


『ここで、無茶ができなくて――』


 命がけのギリギリの状況で――。


『――この先、隣を歩けるかァッ――!!』


 ――やたらと胸に響く、そんな言葉を叫びながら。


「………………フ、……フフフ、ハハ……、フ、フフ……」


 驚きに目を見開いて、直後に笑いがこみ上げる。


「あは、はははは……。あはは、フフフフフ……」


 こみ上げる笑いが止まらない。

 手足に力が入らない。頭痛は続いているし、頭を持ち上げるだけでもめまいがしてクラクラする。

体長は間違いなく絶不調。立ち上がるどころか這いずることも難しい。

 それなのにどういう訳か、今の静はやたらと気分がいい。

 いや、実際のところ静は、自身の上機嫌の理由をきちんと自分で理解していた。


(素敵ですよ、互情さん――!!)


 心の中でそう呟いて、静は全身に赤い魔力を纏わせて、目の前にある竹槍へ手を伸ばす。

 自分も随分と現金だと、そんなことを思いながら。

 今の自分ができる唯一のこと。切り札となる武器を作るべく、静の手が【再生育の竹槍】をつかみ取る。





 竜昇がその攻撃に気付いて、とっさにシールドでそれを防御したのは、マンモスの転倒に巻き込まれないようとっさにその側面に移動した、その直後のことだった。

 展開した透明な壁に石斧二つと石刃が激突し、激突箇所からシールドに蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


「――ぐッ!!」


 とっさにその場を飛び退き、倒れたマンモスから距離をとる。

 なにが起きたかはすぐにわかった。先ほど電撃を込めて投げ返した三つの石器、こちらが【静電撃】による攻撃手段に使ったそれを、マンモスがこちらの電撃にやられる直前撃ち出していたのだ。


(悪あがきを――!!)


 直前にゼロ距離で撃ちこんだ三倍電撃によって今マンモスは動けない。

 その体を構成する黒い煙はすでに当初の半分ほどにまでその密度を減少させていて、その足は自身の体重を持ち上げようとしてうまく駆動せずにいた。


(今がチャンスだ――!!)


 核を狙うなら今しかないと、竜昇は周囲に視線を走らせ、先ほど放り出した石槍の位置をすぐさま確認する。

 敵の体から射出された武器だが、今の竜昇にはそれしか武器が無い。静が使っていた十手や刀はもちろんのこと、自分で使っていた竹槍もすでに静のそばに放り出してきてしまっていた。わざわざ取りに向かっている暇などない以上、奪った武器をそのまま使って核を狙うよりほかにない。

 幸い、毛皮と頭蓋骨に守られているとはいえ、敵の赤い核は頭部の眼窩からのぞき込める位置にある。遠距離からの攻撃で狙うのは難しいが、顔に近づいて直接眼窩から槍を突っ込めば狙えない位置ではない。


(今仕留める――!!)


 すぐさま動き出し、竜昇は蹲るマンモスの、ちょうど目と鼻の先にある槍の元へと全力で走り寄る。

 すでに先ほどからの全力疾走続きで体力も限界だ。敵が動けない今トドメを刺せなければ、もはや次に暴れ出したマンモスから逃げきれる保証はない

 そう判断し、あと数歩で槍を拾える、そんな位置に竜昇が差し掛かった、まさにその時。


「――!?」


 背後で気配が膨れ上がる。このビルに入ってから感じられるようになった、そして先ほどから戦闘中に感じていた魔力の気配。

 マンモスが突撃する時と、石器を操るときに使っていたのと同一のそれに反射的に振り向けば、地面にうずくまっていたマンモスの、その頭部だけが切り離されて、その頭部が竜昇の目の前で野太い鼻を振り上げていた。


「――なっ!?」


 シールドを張る暇もない。とっさに激突から身を守ろうと腕を構え、直後に体の横で構えた左腕に、強烈なマンモスの鼻の一撃が直撃した。


「――ぅ、げぁぁあッ!!」


 足が地面から切り離され、たまらず竜昇の体が真横に吹っ飛ぶ。腕を盾にしたため、どうにかあばら骨を折られる事態は避けられたが、しかし空中へと放り出された竜昇の体はその後重力に引かれて土の地面へと叩き付けられ、そのまま大地を転がって強烈なダメージと共にようやくその運動エネルギーを使い切った。


「――ぐ、う、ああ……!!」


 呻きながら、同時に竜昇は理解する。

 目の前に見える光景をもってして、今マンモスが何をやったのか、そしてこの敵が持つ、その能力と特性の正体を。


(そうか、こいつって……!!)


 マンモスの体が持ち上がる。

 立ち上がるというよりも、まるで上から摘み上げられたかのように四本の足が宙に浮き、それが直後に地面についてそんな胴体部に切り離されていた頭部が接続される。

 明らかに超常の力が働いたとみられる胴体の浮遊。その光景は魔法というよりも、むしろ超能力で持ち上げたかのようなありさまだった。


(……これは、性質としてはどっちかというと念力に近い……。さっきからの突進も、こいつ、この力で自分自身をブッ飛ばしてたのか……)


 これまでの使い方から考えて、かなり大雑把な使用法しかできないようだったが、しかし先ほどの頭部の切り離しなども考えれば少々危険な可能性も思いつく。

 実際、おぼつかない両足でどうにか立ち上がった竜昇に対して、マンモスがとった選択は、まさにその直前に竜昇が予想した通りのものだった。


「ジルルルル――!!」


 マンモスの口元、そこから生えた二本の牙が切り離され、それら二つが魔力を纏ってマンモスの頭上の宙に浮く。

 次の瞬間に放たれるのは、どうにか立ち上がった竜昇に対する、さらなるダメ押しと言っていいい攻撃だ。


「――ッ、シールドォッ!!」


 逃げきれないと判断して張ったシールドに、二本の象牙が同時に着弾する。

 まるでブーメランのように回転しながら襲ってきた二本の象牙が、激しい回転の中で連続で外から防壁を殴り打つ。


(威力は、さっきの石器ほどじゃない。これまで使ってこなかったのはそれが理由か……!!)


 シールドの拡大でそれを弾き飛ばしながら、しかし直後に竜昇は己のその油断を呪うこととなる。

 マンモスの鼻に集中する魔力、そこから想定される威力が、直後に現実のものとして竜昇のシールドへと炸裂する。


「――ぐ、ぉぉ……!!」


 着弾したのは、マンモスの鼻から放たれた、その鼻を構成していたらしき鼻の骨。一発目で先ほどからの立て続けの攻撃に弱っていたシールドにヒビが入り、続くダメ押しの二発目で竜昇の張るシールドは、その耐久限界を超えて粉々に破壊された。

 そして、続けざまに放たれた三発目と四発目の鼻骨弾が、衝撃のフィードバックでよろめく竜昇の体を容赦なくふっ飛ばす。


「――ぐ、ぉぉゴァァアッ!!」


 直撃したのは腹と肩。まるで野球の剛速球を直接体にぶち込まれたような衝撃が全身を駆け抜けて、たまらずふっ飛んだ竜昇の体が背後の壁へと激突する。

 ずるずると、壁伝いに体がタイル張りの床へと落ちる。どうやら土が敷かれた地面の敷地からは放り出されてしまったらしい。そうしている間にも痛みと呼吸困難でせき込む竜昇の耳に,『バチッ』という電撃の炸裂音が立て続けに二度響く。

 見れば、よろめくマンモスの背中に先ほどまで竜昇が保持していた二本の石槍が突き刺さっていた。


(こいつ、自分が感電するのも構わずに……!!)


 最大威力の攻撃手段を、自身のダメージもいとわず選択したその判断に戦慄する。

 否、あるいは竜昇自身が、このマンモスをそこまで追い詰めたと考えるべきなのか。

 見れば、マンモスの牙と鼻の骨が収まっていたはずのその場所からはわずかではあるがマンモスの肉体を構成する黒煙が絶えることなく漏出していた。どうやら体を構成する骨をこれまで使用してこなかったのには威力以外にも相応の理由があったらしい。


 そしてその場合、その捨て身の判断は悔しいことに正解だ。


(まずい……!!)


 焦りを覚える竜昇の目の前で、二本の石槍がマンモスの体から引き抜かれて宙に浮く。魔力を徐々にみなぎらせての発射準備態勢。魔力充填の速度が明らかに鈍っている様子だったが、その切っ先は間違いなく竜昇と、そして遠くで倒れる静の方を向いていた。


(――の、野郎……二人同時に狙う気か……!!)


 背筋を冷やす危機感にどうにか立ち上がろうともがく竜昇だったが、しかし先ほどからのダメージが予想外に効いているのか、叱咤する手足には思うように力が入らない。

 そうしている間にも槍に魔力がたまる。竜昇と静、倒れて動けない二人を同時に仕留めるための、目の前のマンモス、最大威力の貫通攻撃が。

 防御できないからと、竜昇が先ほどまで必死に保持していた、マンモスが持つ現状最大火力の一撃が。


「――く、っそぉぉおおオオッ!!」


 左手でポケットから呪符を取り出す。【雷撃】の魔法を放つための、手元に残った最後の一枚。

 同時に己の右手に魔力を集め、自前の術式でも魔法を構築して、両手に用意した二つの【雷撃】を重ね合わせるようにして同時に発動させる。


「【雷撃】―-!!」


 流石に先ほどゼロ距離で撃ち込んだ三倍電撃には劣るものの、それでも同じ魔法を二つ同時に発動させての二倍の電撃。

 竜昇が今出せる最大火力が地面を抉りながらマンモスを貫き、それによってマンモスが盛大に全身から煙を噴出させるが、しかし魔法が発揮することができた効果は結局のところそれだけだった。


(――ッ、これでも……、まだ……)


 二つの魔術を同時に発動させることで、どうにか威力を上乗せしたその一撃を受けても、なおもマンモスが空中に浮かべた石槍がそのまま力を失わない。

 今までは【静雷撃】の一発でも石器の回収を解除できていたが、どうやら事ここに至って、マンモスも死にもの狂いで石槍の発射に力を注いでいるらしい。

 そして電撃で防げないとなったなら、もはや竜昇に打つ手は何も残されていない。


「……く、そ……。クッソォォォオオオオオッ――!!」


 動けないままに竜昇が叫ぶ。地面に両手を突き、どうにか立ち上がろうともがくが、しかしダメージを重ねた体は短い時間ではなかなか回復してくれなかった。

 魔法を撃ちこんで邪魔するという手段も、もはや効果は見込めない。なにしろ、二倍の【雷撃】でも決定的なダメージならなかったのだ。思念符がもうない以上、【雷撃】を一発ずつ撃つしかない今の竜昇では、一瞬槍の発射を遅らせられる程度で、完全に槍の射出を阻止するには決定的にその威力が足りていない。


(威力……、そうだ、こんな魔術じゃあいつ相手にはパワーが足りない)


 なんとか威力を上げられないかと、竜昇自身スキルによって与えられる知識を脳内で必死に探る。

 だが今の竜昇の持つ知識の中にも【雷撃】の威力を決定的に上げるような手段は一つもありはしなかった。

 これ以上の威力は望めない。つまりはそれこそが、竜昇の持つ魔法の限界点。


(――いや、そんなはずはない。あったはずだ。【雷撃】は、あの魔法はあくまでもただの初級術だ。あれより威力のある魔法だって、実際に“あったはず”なんだ……!!)


 焼けつくような焦燥と危機感の中で、竜昇は脳裏の奥底から、そんな知識を呼び起こす。

 “あるはず”ではなく“あったはず”。その言葉の持つ意味の決定的な違いを自分ではまったく自覚しないままに、竜昇は脳裏で必死にか細い記憶の糸を手繰り寄せる。


(――そうだ、あったはずだ。あったはずなんだそんな魔法が……。こんな初歩の初歩とは比べ物にならない、もっと火力の高いそんな魔法が――!!)


 脳裏に少しずつ、しかし急速に術式の断片がよみがえる。まるでパズルのピースが埋まるように次々と記憶の奥底から術式の記憶があふれ出す。

 まるで糸の先につながっていたロープを引っ張って、さらにその先につながる何かを引きずり出すようなそんな感覚。

 己の中から魔力を絞り出す。次々と穴の埋まっていく術式の知識がその魔力に形を与えて、伸ばした手の先に雷光の輝きとなってあふれ出す。


(――そうだ、思い出せ――!!)


 最後に脳裏に蘇るのは、己が放つ雷の、魔法が冠するその名の記憶。


「――【迅雷撃フィアボルト】」

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