17:怪物的な

 幼いころから、小原静は周りと比べてもどこかずれた子供だった。


 それは周囲の評価という以上に静自身の実感で、幼いころから静には、周りの子供と話していてどうしても理解できない感覚があったのだ。

 相手が何を考えているのかわからない、というわけではない。自慢ではないが、幼少期から静の頭はそれなりにいい方だったし、相手の態度や周囲の状況などで、むしろそのあたりの予想を付けるのは得意な方だった。


 わからないのは、だから心。あるいは気持ちとでも言えばいいのだろうか。

 これだけ聞くと、小原静という少女が無神経な人間のように聞こえるが、しかし静の場合はそれとも少し状況が違う。

 ある程度予想はつくのだが、その感情にどうにも理解できないのだ。共感できない、と言った方が適切かもしれない。

 たとえば、顔にボールが飛んできたときも、静は恐れることなくそれを受け止めることができてしまった。

 ゴキブリが出てきても他の子どもが騒ぐ中で冷静にそれを叩き潰すことができたし、理科の実験で初めてマッチを使った時も静は特にそれを恐れるような感情を感じなかった。工作の時間に同級生の少女がカッターで手を切った時も、平然と血を止めさせて、そのまま保健室へと連れて行った。

 それらはむしろ静にとってメリットと感じられるものだったわけだが、当然逆に困ったことも多々あった。ぬいぐるみを友達だと言い張るクラスメイトの気持ちをどうしても理解できなかったし、飼育小屋のウサギが死んだときも、仲の良かったクラスメイトが転校したときも、その事実を静は淡々と受け止めた。

 あまりにも平然と受け止めてしまったせいで他のクラスメイトの顰蹙ひんしゅくを買ってしまったが、本音を言うならばその時でさえ静は周りの反応の理由をいまいち理解できていなかった。ただ周りに合わせるという、そうした行為の重要性を学んだだけである。


 とは言え、静は中学に入るころまではそれが大した問題だとは思っていなかった。

 少々自分の神経が太いくらいの自覚はあったが、しかしそうした神経の太さはむしろ役に立つ場面の方が多く、実際静に対する周囲の評価も、物怖じしない堂々とした態度と、トラブルに対しても的確に対処できる勇敢さの“ようなもの”も相まっておおむね良好なものだった。


 静自身、感情表現についてもわからないなりに周囲の真似をするようになっていたことも相まって、特に摩擦を起こすこともなくなり、小学校の卒様式で同級生との別れを惜しむフリだけをしながら、親の勧めで受験した霧岸女学園の中等部へと入学するに至った。


 そんな静の自分に対する認識が変わったのは、中学に入ったその年の秋ごろのこと。


 中高一貫校である霧岸女学園に通うようになり、電車での通学にもすでに馴れきっていたころ、通学途中で静は一つの事件に遭遇した。


 否、事件を起こした、と言った方がよかったかも知れない。


 発端はある日の通学途中、電車の中で一人の女子生徒が痴漢に遭っているのを目撃したことである。

 同じ学校の、恐らくは高等部の先輩だったのではないかと思う。

 静の身長は当時の同学年の中でも平均的と言えるものだったが、年齢ゆえの視線の低さもあって、たまたまではあったがその決定的な現場を目撃してしまった。


 恐怖に顔を歪め、泣き出しそうに瞳を揺らす同じ学校の先輩と、その先輩のスカート越しに体に触れる誰かの手。

 電車内の他の人間の体の隙間からそれらを目の当たりにして、しかし静は恐怖も怒りも抱かなかった。

 それが犯罪行為であることは理解していたが、静にはそんな現場を見ても何一つ心を動かされなかった。

 周りに助けを求めることもなく、かといって手に対して抵抗するわけでもない。こちらが見ていることに気付かず、ただ悲嘆にくれるだけの先輩を見ていても、静は特に同情のようなものは覚えなかった。


 ただ、どうして何もしないのかとだけは思った。それだけ嫌そうにしておいて、なぜこの先輩は何も抵抗せずにいるのかと。

 そんなに嫌ならこうすればいいのにとそう思い、静は気軽に人垣の向うに手を伸ばし、


 痴漢を行っていたその手の小指をやさしくつまんで、一息に逆方向に曲げて圧し折った。


 狭い電車内で、男のものと思しき悲鳴が上がる。

 人の壁の向うで犯人と思しき誰かが蹲り、その反応を見た周囲が反応して、一時車内が騒然となる。


 その場の誰も、痴漢に遭っていた女子生徒でさえも、なにが起きたか理解できてはいないようだった。

 そんな事態が起きることすら、誰も想定すらしていない様子だった。


 痴漢を行っていた男も恐怖に駆られたのだろう。あるいは被害を訴えることで、自分の罪が露見することを予想したのかもしれない。

 次の駅への到着と共に逃げるように外へと飛び出していき、その後その電車の中では二度と姿を見なかった。


 結果だけを見れば、一人の悪質な犯罪者から同じ学校の先輩を救い出せた形になる訳だが、しかし当の静自身でさえ、流石にそこまで楽観的な受け止め方はできなかった。

 いったい何が起きたのかと、騒ぎ、そして恐れる周囲の人々の姿を目の当たりにして、静はようやく自分がとんでもないことをしでかしたのだと気が付いた。

 気が付いて、そして同時に静はようやく理解した。

 自分が、ただずれているのではなく、決定的に“外れている”のだというその事実を。

 小原静という人間が、自分で思っていたよりも、遥かに“ヤバい”人間だったのだということを。


 理解できてしまった。






「まさか――」


 信じられないという思いが口からこぼれる。

 竜昇が見上げるその先で、やられたと思っていた一人の少女が、長い髪をたなびかせ、華麗に優雅に飛び下りる。


(――まさか、あの一瞬で、扉を破壊して駕籠の中に飛び込んでたっていうのか……!?)


 竜昇はとっさに目をつぶってしまったため気付かなかったが、実際に起きた事態は言葉にするだけなら極めて簡単だった。


 駕籠によって殴りつけられたその瞬間、静はシールドを展開して駕籠の扉部分に自らぶつかり、入り口の引き戸を破壊して駕籠の中へと飛び込んだのである。


 大名の振るう駕籠は、振り回し叩き付けても壊れないとんでもない代物だが、それはあくまであの黄色いオーラに包まれているが故の異常な現象だ。

 当り前の話だが、本来の駕籠は武器として使われることなど想定されておらず、それゆえオーラが完全に消えた状態で叩き付けられれば、やはり当然のようにどこかに無理が出る。


 一応静も、駕籠の戸を壊せない可能性を懸念していなかったわけではなかったが、しかし結果だけを言うならば、シールドとぶつかった駕籠の引き戸は、壊れないどころか激突の衝撃であっさりと枠から外れ、振り回される勢いによって静の背後にあったジオラマの方へと猛烈な勢いで吹っ飛んでいってしまった。


 いっそ拍子抜けするくらいのあっけなさだったが、静の目的を考えるなら別に問題はない。

 扉と入れ替わるように駕籠の中へと転がり込み、同時に自身を守るシールドを拡大して駕籠の内側にガッチリとハマりこむ。

 まるで絶叫マシーンのように猛烈な勢いで振り回される駕籠の中にそのまま隠れ潜み、大名が駕籠を振り上げるその瞬間を、十手を抱え、息を殺して待ち受ける。

 そして実際にその瞬間がやってくれば、静に後の行動を迷う余地はない。


(―-今ですね)


 絶好のタイミングを看破して、即座に静は自身を駕籠の内側にはめ込んでいたシールドを解除。逆さまになった重力の中で畳を蹴りつけ、一気に真下へと己の体を射出する。

 駕籠の出入り口から零れ落ちるだけでは速度が足りないと、続く二歩目で駕籠の淵を蹴り飛ばし、右手の十手を背後に引き絞って己を一本の矢に変える。


「いけませんよ、殿」


 一声かける。まるで乱心する君主をなだめる姫君のような穏やかな声。

 しかし声に反応し、静の方を見上げてしまった影の大名にとって、それは死神に呼び止められたような、大名自身に自ら弱点を向けさせる致死への誘いに他ならない。


 次の瞬間、自身に向いた赤い核目がけて、静は優しささえ感じる鮮やかさで十手を突き出し、先がとがっているわけでもないその武器によってあっさりと大名の頭部を貫いた。

 突き刺した瞬間仕込まれた電撃が炸裂し、核をまっすぐに貫かれた大名がもはやなす術もなく、その体を薄れさせて空気に溶けるように消えていく。


 後に残されるのは、怪物よりも怪物的な少女がただ一人。


「ダメですよ、殿」


 落下の衝撃の大半を大名への一撃によって相殺し、空中で自由を得た少女は笑みすら浮かべてそんな言葉を口にする。

 自分があっさりと屠って見せた強敵に、まるでその敗因を教えるように。


「駕籠はそのように振り回すものではありません」






 なす術もなく跳ね飛ばされたと思っていた静が駕籠から現れ、真下に飛び下りて大名を討ち取るまでのその流れを、竜昇は呆然としてじっとその目に焼き付けていた。

 なぜそんな状態になったのかというそんな経緯も、自身が見逃した部分も含めて今の現状からどうにか予想を付けていた。


 そしてその上で、竜昇は目の前に舞い降りる少女の姿に己の中の動揺を隠せない。


(……こんな、こんなことって……)


 今まで竜昇は、静が何らかの格闘技や戦闘技術のようなものを習得しながら、それをひた隠しにしているのだろうと予想していた。

 彼女の強さは、何らかの技術的背景があるのだろうと、まるで疑うことなくそう考えていた。


 だがこれは違う。少なくとも振り回される駕籠に飛び乗るような、そんな動きを習得できる格闘技が、この世にあるとは到底思えない。


(こんな、こと……、けど、けど本当にそうだとしたら……)


 だがそうなるとこの動きはなんなのか。スキルでもない、技術でもないとするならば、残る彼女の力の源は、もはや一つしかありえない。

 ただの才能。彼女が生まれつき持ち合わせた、何ら後付されていないむき出しのセンス。


(ありうる、ものなのか……。ただの才能で、ここまでのことができる人間なんて……!?)


 竜昇が内心で抱くそんな疑問に、しかしその場で答えられるものなど一人もいない。

 誰に阻まれることもなく、怪物的な少女が優雅なままに、軽やかな足取りで戦場の床へと着地する。





互情竜昇

スキル

 魔法スキル・雷:8

  雷撃ショックボルト

  静雷撃サイレントボルト

 護法スキル:4

  守護障壁

  探査波動

装備

 再生育の竹槍



小原静

スキル

 投擲スキル:3

  投擲の心得

装備

 磁引の十手

 武者の結界籠手

 小さなナイフ


保有アイテム

 雷の魔導書

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