第2話

 屋敷に着くと、庄屋は馬を厩につなぐ様に勧めた。


「有り難いね。だけど、この村じゃ馬どころか牛もいない様だけど、何で厩が?」

「役人が乗って来る事があるでな。各村に厩を用意しておく様、触れが出ておるんじゃよ。飼い葉もあるから、食わせてやるといい」


 馬を厩に繋ぎ終えると、庄屋は屋敷に女を通した。

 庄屋の屋敷とはいっても、村の寄り合いが出来る程に広い他は、他の家々とさほど変わらない簡素な造りである。

 女は、庄屋に勧められるまま、囲炉裏ばたに腰を下ろした。


「どれ、とりあえず落ち着いたねえ」

「この前に来た薬売りは、違うもんだったがのう。行商の縄張りは厳しく仕切られておるんじゃないのかね?」

「伊勢で一揆があった事、知らないかい?」

「聞いておるよ。前の薬売りは巻き込まれたのかね?」

「さあねえ。あたしが鑑札を受けた時、与えられた庭場がこの辺りだったってだけでね」

「今の伊勢はどうなっておるのかね?」

「一揆があったという事は知っているのだろう?」

「前に話を聞いたのは二月程前じゃったか、それから村の外との行き来がなかったからのう。顛末を聞いておらんのじゃ」

「下克上が成ったのさ。今は、一揆勢が伊勢を治めてるね」

「まさか!」

「本当の事さ。それで神宮が免状を出していたこれまでの薬座は潰されて、あたしは一揆勢が興した新しい薬座から鑑札を受けたんだよ」


 一揆とは、治世に不満を持つ民衆の蜂起の事だが、大抵の場合はただ鎮圧される。

 交渉により要求が通ったとしても、見せしめとして首謀者は処刑されるのが慣習だった。

 一揆側が完全に領主を武力排除した例は殆ど無い。


「伊勢は、他州がどうせ攻めてこないとたかをくくってたからねえ。あそこの衛士は他州の侍に比べて、数も質も貧弱だったのさ。それに、今の幕府に、伊勢に援軍を出せる力が残ってると思うかい?」


 和国には現在、幕府と呼ばれる、君主である皇家に任じられた統一政権が存在する物の、その支配力は弱い。

 幕府の任命を受けていない、非公式の武装勢力に実効支配される地域も数多くあり、実質的な小国分立状態となっている。

 その為、皇家に縁の深い伊勢で一揆が発生しても、その鎮圧に幕府が援軍を出せる状況ではなかった。


「お伊勢さんが潰されちまうとは世も末じゃあ…」


 単に”伊勢”と言うと勢州を指すが、”お伊勢さん”と言う場合は、和国の神社を総括する伊勢の神宮の事となる。

 伊勢の民衆にしてみれば圧政者だったが、他地域の住民にとって、神宮は信仰の対象である。

 それが排除されたというのだから、暴挙に思えても当然だろう。


「末なもんか。百姓から搾り取るしか能のない強欲な神主に、龍神様の罰が下ったんだよ」

「龍神様?」

「ああ、一揆勢の頭目は、天竺から来たっていう龍神様が加護しててね。頭目にすっかり惚れ込んでて、夫婦の契りも交わしてるんだよ。おかげで、一揆側の討ち死には一人も出なかったのさ。いくら伊勢の護士がへっぽこだっても、龍神様がいなきゃ、そこまで圧勝は出来なかっただろうね」

「信じられん…」


 庄屋も、龍という聖獣が実在し、彼等を祭神として崇拝する地域もある事は知っていた。

 だが、龍は生贄を要求し、対価として作物の生育に適度の雨を降らせる他は、人間の治世に不干渉であるという。

 その龍が百姓一揆に荷担して、和国の信仰の中心である伊勢の神宮の転覆に関与するとは信じがたい事だった。


「そうかい? まあ、あたしも人間じゃあないんだけどねえ」

「法螺も大概にしてくれんかね?」

「これを見てもそう言えるかい?」


 女の頭からはいつの間にか二本の角が生え、口からは長い牙が覗いていた。

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