ショートショート「樹海」

 どうしてこうも重いんですかね。登山靴ってのは。

 山中のキャンプに関しては素人でね。テントを張るのも一苦労です。

 私ですか。これでも学者なんですよ。深海生物の研究をしています。

 驚いていらっしゃる。それはそうだ。

 海は海でも、ここは樹海ですものね。



 あちこち看板が立ってるの、見ましたか。

 元来この公園は、自殺の名所だそうでね。

 毎年いちど、捜索隊が山狩りをして、無縁さんを回収していた。

 ところが近年、様子が変わってきたんですって。

 遺品が、見つからないんですよ。

 ふらっと森へ分け入った人が、何も遺さず、消えてしまう。



 ここは実に静かですね。葉擦れの音も、鳥の声もしない。

 なのに何かいる気配が、濃密に漂っている。

 深海魚が感じる世界ってのは、こんな雰囲気でしょうね。

 海の底はね、ハードな環境なんですよ。強い水圧と少ない餌、光もほとんど届かない世界で、生物は実に多様な進化を遂げます。

 目を巨大化させる、ヒレを足にして歩く、合体して暮らす。

 その生命力には驚かされますよ。


 

 生命力。

 死にに来たあなたには、耳の痛い単語ですかね。

 


 向かいの木の枝に、真新しいロープがぶら下がっていますね。

 先が輪になっているあれを、あなた、見つけたのでしょう?

 私が横槍を入れなければ、あそこにぶら下がる気だったでしょう?

 一直線にこちらに向かってくるあなたは、鬼気迫る表情でしたよ。

 どうして止めたのか、ですって?私の好奇心のためですよ。

 もう少しすれば分かります。ただ静かに待っていればね。 


 

 ねえ、もう少し、焚き火の傍に寄って下さい。

 ほとんどの海洋生物は、赤い光を感知できないから。

 さっきから何を言ってるのか、ですって?先程の話ですよ。

 深海で食っていくにはね、二通りの手段があるんです。

 自分から食いにいくか、それとも、食われに来るのを待つか。

 あなたも知ってるでしょう?アンコウの狩りの仕方くらい。



 腹を空かして狩り場を変えるのを、ずっと待っていたんです。

 ほら、いま、見えましたか。

 絞首索をぶら下げた樹木を模した疑似餌の真下。

 枯葉のような体表に埋もれた大きな二つの眼が、鈍く、光るのを。


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