ショートショート「アウトサイダー」
なぜ塀の中にいるのか、もう忘れてしまっていた。
点呼で起き、作業をして、点呼で戻り、夜から朝へを繰り返した。
俺の作業は壁塗りだった。だだっ広い壁の一部を塗り終えるころには、どこかでペンキが剥げ落ちる。仕事が途切れることはなかった。
赤や黄色のペンキが余ったので、壁の片隅に花を描いた。
どうせ誰にも見られない花だ。出所が決まったのは翌日だった。
看守に連れられ建物を後にするとき、俺はふと、振り返った。
囚人が壁にペンキを塗っていた。片隅の花はもう無くなっていた。
光と音に満ちた世界を、俺はあんぐりと口を開けたまま歩いた。
楽器を弾く指の動き、色とりどりの料理、化粧品の臭い、同じもののない服装。 見るものすべてが目新しく、飽きることがなかった。
俺は歩き回った。それだけで十分だった。
絵を描いている老人を見つけた。
次々と色を重ね景色を作りだす工程に目を奪われ、ただただ彼を眺めていた。 俺の視線が気になったのだろう。彼は振り返った。俺は非礼を詫び、自分のことを話した。塀の向こうにいたこと、中での暮らし、つい先ほど出所してきたこと。
彼は少し沈黙し、何度か頷いた。そして、感慨深げに話し出した。
「わたしが随分幼いころに、法律上の罪がひとつ、追加された。
それが良かったのか悪かったのか、私には分からないがね。
確かなのは、本当に大勢の逮捕者が出たことだ。
その罪は、どうとでも解釈できる書き方で法律書に記載されたからね。
年月を重ねても逮捕者は一向に減らず、それどころか自首してくる者が増えた。 万単位の自首者が押し寄せ、司法は完全に麻痺してしまった。
自暴自棄になった政府は巨大な刑務所を作り、全ての囚人を無期懲役とした。 残された世代を徹底的に教育し、新法を遵守させようとしたんだ。
一方の囚人たちは、見放されたも同然だ。自分たちで暮らし始めた。
思う存分畑を作り、街を作り、歌を歌い、皆で協力しあってね。
そうやってできたのが、私が描いているこの風景だ。
あれから長い時が経ち、こちらと向こうの面積も人口も逆転したのだろう。 しかし、こちらが刑務所であることは変わりない。
つまり君は釈放されたのではない。塀の向こうで罪を犯し、収監されたのだ」
「だとすれば」
俺は呻くように尋ねた。「俺が犯した罪とは、何だ」
老人は微笑みながら答えた。
「花を描いたんだろ?自分の意志で。それがこの国では、罪なんだよ」
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