ラビュリントスの街
宗谷 圭
第1話
ひと気が無く、薄暗い街があった。
その街を、街一番の高さを持つビルの屋上から眺める人間が一人。見た目からでは、男かも女かもわからない。細身で、黒のベストとネクタイを身に着けている。
ふと上を見上げ、臭いを嗅ぐように鼻を鳴らす。そして、やはり男かも女かもわからない声で、楽しげに呟いた。
「おや……また誰かが迷い込んだようですね。生と死の狭間、この世の出口とも、あの世への入り口とも言われる、ラビュリントスの街に……」
# # #
「う……ここ、は……?」
ひと気の無い広い場所で、蓮見聡一は目を覚ました。視界がぼやけたまま上体を起こし、辺りを見渡す。首を巡らせるうちに、視界はクリアになってきた。
「ここは……公園? 俺……何でこんなところに?」
視界以上にぼやけた記憶をはっきりさせようと、朝からの出来事を順番に思い出していこうと試みる。
「……たしか、良哉と一緒に親父の見舞に行く途中で。横からトラックが突っ込んできて。……! 良哉。良哉は!?」
自分に起きた事も気になるが、それ以上に。共にいたはずの弟の安否が気にかかり、聡一は大きな声で弟の名を呼んだ。すると、近くの茂みからガサリという音がする。
「ん……あれ? 兄さん……」
寝惚けた顔で、高校生の弟は茂みから這い出してきた。次第に記憶が鮮明になってきたのか、顔が不安げに歪む。
「良哉、無事だったか」
「兄さん、ここは? それに、僕達……トラックに……」
「わかんねぇ。どっかの広場みてぇだけど……トラックどころか、人っ子一人いやしねぇ。一体、何がどうなってんだ……?」
聡一がため息を吐いた時。少し離れた場所の茂みが、大きく揺れた。ガサガサと、派手な音がする。
「! 兄さん、そこ! 何かいる……!」
「……何だ? 誰だ!」
すると、茂みの中から女が一人姿を現した。化粧がやや派手で、聡一達よりも年上と思わしき女だ。茂みの中でできた擦り傷を気にするように、腕をさすっている。
「人……だ」
良哉の声に、女が気付いた。いきなり喧嘩を売るように、聡一達を睨み付けてくる。
「何よ、アンタ達?」
年上らしい女に睨まれ、良哉が思わず口を開いた。
「え? あー……僕は蓮見良哉って言います。こっちは兄の、蓮見聡一」
「おい、いきなり知らない奴に名前を教える奴があるか!」
迂闊な弟を叱り付け、聡一はため息を吐く。
「こっちは名乗ったぞ。あんたは?」
名乗った事で警戒を解いたのだろう。女は、聡一達を睨むのをやめた。しかし、顔は未だに不機嫌そうだ。
「園原明美よ。……というか、ゆかりは? どこ行ったのよ、あのアバズレ! 人の男寝取って、タダで済むと思ってんじゃないでしょうね!? 蓮見君達、見てない!? 紫の服着た、髪の長い女!」
詰め寄ってくる園原に、聡一達は揃って一歩退いた。良哉が慌てて言葉を返す。
「しっ……知らないよ! 僕達、気付いたらここにいたんだから!」
「さっきの言葉からして、三角関係か? その形相じゃ、そのゆかりって女を刺し殺しかねねぇな。殺人の片棒を担ぐのはごめんだ。よって、例え知ってたとしても教えねぇよ」
「刺し殺す? 何言ってんのよ、あっちが先に……?」
急に押し黙った園原に、良哉は首を傾げた。聡一も、訝しげに園原を見る。
「どうしたんだ?」
すると、園原が急に震えだした。
「そう、よ……私、ゆかりに刺されたのよ……! なのに、何で私……こんなところにいるの? 何で刺されたところに、傷一つ無いのよ? ねぇ……何で!?」
たしかに、園原の体には茂みでできた擦り傷こそあれ、大きな傷は一つも無い。次第に興奮していく園原に、聡一と良哉は困ったように顔を見合わせた。
「何でって言われても……」
その時だ。大地が、小刻みに震え始めた。どこからか、ズン、ズン、という音が響いてくる。
「何だ……? 地震……とも違う。足音……?」
足音のような地響きは、次第に大きくなる。良哉が、不安げに聡一を見た。
「兄さん……この音、段々こっちに近付いてくるよ……!?」
「何!? 何なのよ、一体!?」
場が混乱に包まれる中、音はどんどん近付き。そして遂に、音の主が姿を現した。
それは、ヒトの体を持っていた。ただし、普通のヒトより二倍も三倍も大きい。
それは、牛の頭を持っていた。ただし、普通の牛とは違い、肉を噛み切る事もできそうな鋭い歯を持っている。
それは、一糸まとわぬヒトの体に牛の頭を持った、化け物だった。
化け物は聡一達の姿を認めると、雷を思わせる大きな雄叫びをあげる。空気が、震えた。
「なっ……何よあれ!?」
「身体は人間だけど、頭が牛。あれって……」
「ごちゃごちゃ考えるのは後だ! どう見てもアレはやべぇ! 逃げるぞ!」
聡一に促されると、良哉は頷いた。二人は一斉に走り出し、園原だけがその場に残される。ハッと我に返った園原は、慌てて聡一達の後を追う。だが、聡一達はそれを待つ事はしない。
「ちょっと! 待ちなさいよ! かよわい女を置いて逃げる気!?」
「俺達は別に体力自慢ってキャラでもねぇんだ。何で見ず知らずの女のために、てめぇの身を危険に晒さなきゃいけねぇんだよ!」
振り向く事無く発せられた聡一の言葉に、園原は目を剥いた。甲高い声で、ヒステリックに叫ぶ。
「何よ、最低男! アンタ達なんか……」
その言葉が、最後まで紡がれる事はなかった。めしゃりと、肉が叩き潰される音がする。
「兄さん、今の音……!」
「駄目だ! 見るんじゃない!」
振り向く事無く、二人は走る。背後から、生肉を咀嚼するクチャクチャという音が聞こえた。
「兄さん……!」
「振り返るな! 走れ!!」
そのまま二人は、一度も振り返る事無く走り続けた。クチャクチャという音を、背後に聞きながら。
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