第224話 冒険者の政治 ☆


 ザフィリに戻るフギンたち三人組を見送りつつ、メルは思案していた。

 メルがフギンの計画を知ったのはもちろんヨカテルを介してのことだった。

 この件に関してはヨカテルも当事者である。

 論文が世に出れば、オリヴィニスの老錬金術師もエミリアと同じく再び命を狙われることになりかねない。

 しかしながら彼もほかの仲間たちと同じく老境であるし、フギンが望んだものもエミリアという錬金技師ひとりの身の安全というちいさなものだ。

 身の丈にあったささやかな願いごとを叶えてやりたい気がして、思わず助力を求める声にうなずいてしまったが、起きていることは少々複雑だった。

 メルは予定を変更し、オリヴィニスには戻らずに足を街道の先へと伸ばした。


「え? フギンたち、今そんなことになってるのか? 帝国相手にずいぶん大胆なことやるなあ、あいつ」


 アトゥは急な斜面に立ち、ゴブリン二匹を剣のひと振りで斬りはらった。

 藪の中から急に飛び出してきたのをメルの投げナイフが迎え撃つ。

 メルはアトゥを探して暁の星団が受けた依頼先の山に入った。仕事が終わるまで待っていようと思ったのだが、さほど忙しくもなさそうなので声をかけたのである。


「助けてくれってお願いされたんだけどね。でも、ほら僕、政治のことってあんまりだから。そういう方面に強そうな冒険者を当たってるんだ」

「ギルド長はなんて言っているんだ、それは」

「こんなことマジョアの耳に入ったら止められるに決まってるよ」


 メルは飛び上がって木の枝をつかみ、後ろからきたやつの背中を蹴りつけた。

 体勢がくずれたゴブリンの首がアトゥの剣に斬り落とされて飛んでいく。


「はは、そりゃ間違いない」


 顔に向けて散った血を反対の掌で受け止めながら、アトゥはからからと笑う。

 近頃のマジョアは西からはレヴに小突かれ、東では帝国の影響力が増し、頭痛の種が絶えない様子だったからだ。


「けどなあ、メル。よく考えてみろよ、政治に強い奴がオリヴィニスで冒険者なんかすると思うか? 石を投げたら三男か四男に当たるって言われてるんだぜ」

「そういえば君は四男だったっけ」

「そうそう。あの街には政治に一度は負けたヤツしかいないのさ」

「じゃあ——この件は君には話さないほうがよかったかな」

「いや、面白そうだ。一枚噛ませてくれ。みみずく亭で合流しよう」

「ありがとう、恩に着る」

「なに、借りてるほうが多いさ」


 メルは気配を消して、アトゥから離れた。

 次に目指したのは戦士団のヴァローナのところだ。

 ヴァローナ戦士団は帝国国境の山岳地帯で蜥蜴人リザードマンの駆除に当たっていた。

 アーカンシエルで異常発生した蜥蜴人はあらかた討伐が終わったが、逃げた群れが白金渓谷に向かっている。道中には複数の集落もあり、機動力と人数のある戦士団がギルドの要請で殲滅作戦を行っていた。

 メルはその野営地におもむいた。

 時刻は夜明け間近になった。

 テントの近くで、誰よりもはやく起きて身支度をしている若い乙女がいる。

 戦士団の首領であるヴァローナだった。

 メルは出ていって声をかけ、彼女が長い黒髪を丁寧に編みこみ、甲冑を身に着けるのを手伝う。

 フギンたちの話をすると、ヴァローナはびっくりしたような顔つきになったが、やがては納得したように黒々とした瞳を細めてうなずいた。

 女性でありながら戦士団を率いる彼女にとって、どんな方法であっても強い敵と戦うということは不思議なことではないのかもしれない。


「ヴァローナって三女か四女だったりする?」

「女に生まれた時点で負けという説もあるぞ。さて、暁のとの待ち合わせ場所はどこだ?」

「みみずく亭だよ」


 ヴァローナは眉間に皺を寄せた。

 オリヴィニスにいる冒険者は二種類いる。

 みみずく亭で食事をする冒険者と、しない冒険者だ。

 彼女はもっぱら後者であった。


金糸雀カナリア亭がよかったな……」

「おごるよ」

「ま、君の弟子は酒の趣味は悪くないからな。ちょうどこの仕事も後から来る連中にまかせて引き上げようと思っていたところだ。戻りしだい、顔を出そう」


 そうしてメルは約束だけ取りつけ一足にオリヴィニスに戻った。

 ついでに魔術師ギルドに向かい、セルタスに会った。

 頭数は多いにこしたことはない。

 セルタスはコナに魔術を教える仕事のほかはヒマをしているようで、みみずく亭にも気楽についてきた。


「君って、政治には強いほう?」

「自分で言うのもなんですが、これだけの魔術達者で宮廷魔術師になっていない時点でお察しです。あとついでに魔物まじりですし」


 ……とはセルタス本人の言である。

 セルタスの鮮やかな黄緑色の髪や、時折、金色に輝く瞳はアトゥの「オリヴィニスにいる時点で政治に負けている」という説に信憑性を与えていた。


「実を言うと最初から期待してなかったよ。でもさ、魔法使いって結構ドロドロしてるだろ、普段から」

「権力者の下で働くことが多いですから。この街には権力者なんていませんけど」

「ナターレとかは?」

「あの人、私にはめったに話しかけてこないんですよ」

「たぶん、そういう政治もあるんだろうね」


 冒険者の待ち合わせは気が長い。ふたりは夜な夜なみみずく亭で酒を飲み、やがてそこに旅先から帰ってきたアトゥが加わった。

 さらに二日ほど経ってからヴァローナが加わり、相談事がはじまった。


「目のつけどころは悪くないと思うんだよな」


 アトゥは言った。

 右手には黄金色の発泡酒、左手にはバッタの串焼きを手にしている。

 みみずく亭の《本日の串焼き》には当たり外れがあり、今日は外れの日に当たったようだ。もちろん、蛹や幼虫にくらべればましだが……。

 アトゥはいつも最初に発泡酒を頼み、徐々に度数の高い酒を飲むタイプだが、どうやら今日は次の酒を注文するまでにかかる時間が長くなりそうだ。


「賢者の石や錬金術が帝国を支える屋台骨だっていうのはまず間違いないところだ。町によったら水の浄化まで錬金術でやってるんだろ? どんな町でも水は生命線だぜ。それが条件次第で石ころになったり、そうかと思えば魔物の異常な生態変化に関わってるっていうのは無視できない情報のはずだ」


 ヴァローナは食事や酒の肴は何も頼まず、葡萄酒だけを楽しんでいた。

 王国側でとれる品種のブドウを使った酒は紫というより緋色の赤がはっきりと出た色あいをしており、彼女はその色合いをうっとりと眺めたあと、飲みほした。


「その点は私もアトゥの意見に同意する。帝国側がフギンたちの行動に気がついていないというのは考えにくい。私ならとっくの昔に新手の殺し屋を送ってるところだ。問題は、帝国にとっては耳が痛くて仕方ないような話を大声でがなり立てているのに、なぜ相手がだんまりを続けているかという点だ」


 手酌で二杯目を注いでいるヴァローナに、セルタスが控えめに訊ねる。


「事実確認に手間取っているから……とかではないんですか」


 セルタスの手にはこの場の誰よりも強い無色透明の酒があり、肴はアトゥがよけいに頼んだ串焼きの皿である。


「いや、違うな。もちろん相手にとっては寝耳に水の話で、手間取っているというのはそうだろう。しかし事実確認なんてものは、うるさい相手を死体にしてからでもゆっくりと考えればいい話だ。なあ、暁の」

「ヴァローナの言う通りだ。今回の場合は、単純に面子めんつの問題だろうな」

「だな」


 アトゥとヴァローナは顔を見合わせて、なんともいえない苦笑を浮かべ、それぞれの酒器をまた一杯ぶん空にした。

 ふたりの間にだけある了解は、それはメルの理解をこえたところにあった。

 メルは、あまりにも長く王侯貴族や国といった存在から離れたところで暮らしてきた。もちろん影響は受ける。だが、当事者であると思ったことはなかった。


「アトゥ、僕にもわかるように話してくれる?」

「つまりな、メル。帝国としてはフギンたちと面と向かって話すわけにいかないんだよ」

「どうして? 事実だと認めるのが怖いから?」

「少し違う。——格が低いからさ」

「格?」

「ああ。フギンたちは、帝国と対話するには、あまりにも格下すぎるんだ。論文を公表したのはさほど有名でもない錬金術師の名義だけを借りた錬金技師で、しかも帝国が軽んじている女性だ。論文を発行したのもありふれた写本工房でしかない。帝国にしてみれば、どこの馬の骨ともしれない連中に頭を下げて《問題解決のためにお話してください》と頼むわけにはいかないんだよ」

「なるほど……そういう意味か。よくいるよね、そういう連中」


 オリヴィニスでも、階位が下の相手とは話さない、というような冒険者もいる。

 冒険者証を見せびらかしながら歩いているような連中だ。


「でも、フギンたちに身分がないのはどうしようもない。いまから王様を目指すわけにはいかないしね」

「そういうときは黙って待つよりも、ちょうどいい仲裁役を見つけて間に入ってもらうのが定石じょうせきだろう」


 アトゥが言うと、ヴァローナも心ここにあらずといった様子で頷いた。

 彼女は、もう話よりも葡萄酒に集中したいようだった。


「ちょうどいい仲裁役……かぁ」

「そうだ、相手と格が同じのな。今回の場合は帝国と同じくらいの規模の国か、歴史を持つ王族ということになる」

「それって今の大陸にはコルンフォリ王家しかいなくないですか?」


 セルタスが言うと全員が嫌そうな顔になる。

 ここにいる全員が、レヴがオリヴィニスに出したちょっかいの全容を知っているからだ。とくにアトゥとヴァローナは、野盗に姿を変えたレヴの親衛隊に追いかけられて大変な目にあったので真剣だ。


「レヴはダメだろ」とアトゥは言う。

「オリヴィニスに百害あって一理なしだ」と、ヴァローナ。


「うーん……そうなると、該当する人物は……」


 メルは頭を悩ませる。

 ヴェルミリオンは周辺諸国を潰して回って帝政を成立させた国だ。

 貸しのある相手はベテル帝がだいたい殺してしまい、まともに対話ができる王族がこれといって残っていないのだった。


「フギンの中にはグリシナ王家の正統な血筋が眠ってるよね。それじゃなんともならないの?」

「生きてりゃともかく、すでに故人だってんじゃあな……」

「要するに帝国よりも歴史が長くて、いざとなれば戦う力がある王家ならいいんだよね」

「それが難しいんだが……」

「あるよ、ひとつだけ。ハイエルフ王を呼んでくればいい!」


 煮詰まりきった空気の中、メルがパチンと指を鳴らす音が、やけに軽快に響く。

 その場にいたメルをのぞく全員があぜんとしていた。


「……ハイエルフ王?」


 ハイエルフとは、冒険者ギルドの受付にいるエルフ二人組とは違う。

 人間が暮らす物質世界と、精霊たちの住む精神世界の境界上に存在する高位のエルフたちのことである。竜が生まれたときに地上を支配していた種族であり、ふつうの人間には知覚することすらできない。ほとんど神話上の存在である。


「ハイエルフの王なら帝国が生まれる前から生きているし、いまなら英雄くんが紹介してくれるよ。そうでしょう?」

「紹介って言ったって、なあ……」


 アトゥは何かしら文句を言おうとして、考えをまとめるために酒を飲んだ。

 泡の心地よい感触が舌を抜けていき、こんがらがった問題を流し去るようだ。

 すると、とくに口にすべき言葉がないことに気がついた。

 メルはむちゃくちゃを言っているようでいて、しかし何の足掛かりもないというわけでもない。英雄・青薔薇がオリヴィニスに留まっているいま、その存在は架空の神話のものではない。第一アトゥがいま話しているメルという存在も——彼は伝説の勇者たちの魂を宿した不死者である。

 もう一杯酒を飲むと、さらに神話と現実の境界は限りなく薄いように思えた。


「——まあ、そういうことなら、段取りってもんがいるよな」


 ヴァローナも葡萄酒色に染まった頬で「うん」と頷く。


「誰か飼育舎テイマーズギルドに使いをやってロジエを呼んでこようぜ。ここから先は政治というより実務だ。あいつならマジョアの名代ってことにもできるしな」


 ——一時間ほどして飼育者ギルドから連れて来られたマジョアの孫、ロジエはメルたちの話を聞いてひとしきり爆笑してみせた。


「ふむふむ……つまり、このロジエめに、帝国と神烏とハイエルフ王の歴史的、いや超神話的会談の場をしつらえよと言うわけですね。なるほど! 皆さま酔っ払ってらっしゃる!」

「本気だよ、本気!」


 酔っ払いの政治家たちは好き勝手である。

 しかしながら、それぞれ真剣ではある。

 この何ともいえずおもしろそうな三者面談が実現するなら、当面のあいだ、自分たちの冒険はお預けでも構わない——顔つきがそう言っている。

 長年オリヴィニスのために影ながら腐心してきたロジエも、そういう冒険者の気性がわからないでもない。

 それに、この話がこのタイミングで聞けたのはオリヴィニスにとって僥倖ぎょうこうでもあった。

 ロジエは酔っ払いたちの空いた杯にめいめい酒を注いでやりながら、メルに耳打ちをする。


「メルメル師匠、フギンさんて交渉がうまいタイプじゃないんですよね?」


 メルは不思議そうな顔だ。


「マジメと頑固が服を着て人間になったみたいなヤツだよ。どうして?」

「いえね、なんて言ったらいいのやら……」


 ロジエは思考をめぐらせる。

 確証はないが、もしもメルがフギンに手を貸すと言わなければ、フギンはいずれコルンフォリ王家に同じ依頼をしただろう。

 アンテノーラ宮はフギンの絶対の味方だし、聖女リジアはすでにお抱えの騎士をひとり、フギンのもとに送りこんでいるのだから。

 しかしそうなれば、レヴ王が素直に帝国との折衝なんぞするはずない。野心と野心のはざまにあるオリヴィニスはまた面倒事に頭から突っこむことになる。

 その前にオリヴィニス側から提示できる折衷案がないか、どうか——フギンの「お願い」はその探り針だったように思えてならなかった。


「そうですか……てっきり社交的で、時勢を読む力にけ、立ち回りの上手いタイプだと思いましたよ」

「まるで正反対のタイプだね。……まあ、そういう友達も、いるのかもしれないね」


 誰かが旅を続けているんだろう、とメルは静かに言った。

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