第81話 真夜中の秘密 -6△


「お前たちがかつて仲間と呼んだ人間をあっさりと殺したんじゃないか。夜魔術を恐れ、排斥し、そのはてに足を切り裂いて崖から突き落としたんだ。そして、つぐないも無しにのうのうと生きている……」


 ヨカテルは衰え負傷してなお鋭い眼光をベロウに向けていた。


「なにが夜魔術だ、貴様はただの魂を弄ぶ外法使いだ。マジョアたちの肩をもつわけじゃないがな。メルにかけた術を解いてとっととこの街から去るんだ」

「いやだ、と言ったら? もうメルの居場所はわかった。この距離なら十分だよ。途切れていた術の続きがはじめられるし、止めてなんかやらない。きみたちのせいで、じきにメルは死ぬんだ」

「もう一度言うぞ。やめるんだ、ベロウ」

「これはお前たちがおかした罪のつぐないだ。過去に起きたすべてのことを、その魂で償うがいい!」


 ベロウは叫んだ。

 その唇から怨嗟の声とともに濃い闇色のなにかがあふれ出すのが見えた。

 それは低い唸り声のような、煙のような、とてつもなく深くて強い呪文というより呪いのようなものだった。人間の知覚ではこの世のどこにもない音や言葉をとらえることができず、ただの闇として現れているのだ。


 ヨカテルはベルトに装着した装置のレバーを引いた。

 一瞬、魔術ではない紫の光芒スパークが弾け、空中に転送用の魔法陣が開く。

 その向こうにはとんでもない大きさの強弓を引く機械式の弓矢の姿が一瞬だけ見えた。

 不意打ちで放たれた鉄矢が、ベロウの胸をねらう。


 しかしその鏃が薄い胸を貫く寸前、矢はたちどころに地面に叩き落とされた。


 軽装鎧をまとった《影》が、七英雄の魂が、夜魔術師を守ったからである。


「クソッ。応急処置で手入れしてきたから、切れる札ってもんがねえ」


 奇襲が失敗したのを見てとり、アトゥがヨカテルのもとに駆け付ける。錬金術師としても、ブランクがありすぎる冒険者としてもヨカテルは身を守る術を持たない。そのままだと軽装の戦士が突進してきて殺されてしまう。ほとんど裸のアトゥのほうが、剣を二振り手にしているだけましだった。


 敵は案の定、素早い動きで切りつけていた。

 技を受け止めて力任せに剣を振る。

 小柄な影は大きく飛び退り、距離をとった。

 深手を負いながらもヨカテルはその様子をつぶさに観察している。


「アイツ……《魂抜き》を使わなかったな。短時間ではできないか、一度に大勢の人間にはかけられない魔術なんだろう。アトゥ、加勢しろ。名前がバレてないあとのふたりはメルを守れ」

「どうするつもりだよ、あんたたちの過去に大勢を巻き込みやがって」

「もうこれは内輪だけの話じゃない。大量の悪霊を連れて外をそぞろ歩かれたら、それこそどうなるかわからん」


 夜魔術師たちと距離を取るためにアトゥが前に出ると、地面からもう一体、長剣を携えた人影が現れた。

 どこをどう見ても隙のない戦士の立ち姿だ。


「シビルさん、どうか、師匠をお願いします」


 ルビノが手の中の荷物を床に降ろす。

 めくれたシーツの端から、眠るメルの体が転がり出した。

 シビルがその体を抱え直す。呼びかけても反応がなく、呼吸は限りなく浅い。

 死体と間違えられてもおかしくない、ひどい状態だった。


「いったいどうしたっていうの、体がこんなに冷たくなって……」

「今朝からずっと、こんな風なんです」


 七英雄たちの影のもう一体は、両の拳を守る武具を身に着けているのみで、武器らしいものを所持してはいなかった。

 影は軽い足取りで後ろに下がる。

 逃げたのではなく誘うような動きだ。

 ルビノの視線は先程からずっとその姿を追って、吸い込まれたように離れない。

 精悍な横顔には闘志がある。

 水棲竜討伐のときと同じだ、とシビルは直感する。


「あいつがメルメル師匠の魂なんだとしたら、その実力がわかるのは自分だけっす。ほかのふたりだけでも厄介なのに、アレが混ざったらアトゥさんたちが押し負けちまう」

「行くのね、メルを置いて」

「俺は、師匠の弟子だから」


 それだけ言って、ルビノは何の執着もなく風のようにその場を離れた。 

 闇の中に二つの炎が灯るのをシビルは不思議な気持ちで眺めていた。

 メルのことが心配ではないのだろうか、という疑問もすぐに消えてなくなった。

 何かを深く考えている時間は、誰にも、とことんまで無くなってきていた。


 アトゥは前線に出てヨカテルを守っているが、新しく現れた敵の剣士の攻撃は鋭く重すぎる。

 ぎりぎりで防いでいるものの、いつその均衡が崩れるかわからない。

 ヨーンはシビルを守りながらの立ち回りしかできず、シビルの魔術も軽戦士や邪魔な幽霊たちを遠ざけておくことしかできないでいた。

 そして肝心の夜魔術師は離れたところから高みの見物だ。


「そろそろ、時間切れだよ。七英雄の魂はすべて頂いていくよ」


 ベロウの掌が傍らの闇に黒い砂を落とした。

 魔術の触媒なのだろう。砂が形を取り、神官の祭服らしいベールをまとった影と弓を手にした若者の姿の二つが同時に現れた。


「いったい、何体目だ? 起きろ、メル!」


 ヨカテルが振り返る。

 シビルは蒼白な顔でその瞳を見つめ返した。

 メルの鼓動はますます小さくなって、今にも消えそうだったからだ。


「無駄だよ、もう彼は目覚めない。だって、メルは七英雄の魂の器でしかないんだから……魂のない肉体なんて無力だもの。わたしも、きみも、彼も、どこにもありはしない人格をメルと、友と、師と呼んでいたに過ぎないんだもの」


 夜魔術師は新たな従者を迎えて、勝利を確信したのだろう。

 自信に満ちた表情を浮かべる。

 

 相手は七英雄のうち四人に守られ、対する冒険者側は深手を負った老人と装備の不十分な戦士がふたり、魔術師がひとりという貧弱さだ。彼らをひねりつぶしたあとはオリヴィニスの連中を端からひねり潰していけばいい。


 虐殺だ。


 最悪のシナリオが完成されつつあるのを、翻弄されるままの四人も理解していた。

 だが打てる手がなかった。

 視界の端に松明の炎が複数ちらついたときも、極度の緊張状態がもたらした錯覚かと思ったくらいだった。

 しかし、幻などではなかった。

 じきに足音と、呼びかける声が聞こえてきた。


「おおい、お前たち!」


 路地をやってくる先頭は盗賊ギルドのトワンだ。

 元傭兵のノックスもいる。


「遅くなって悪かったな、救援を呼んできたぞ! 半数は、門のほうの援護に行ってるが――こっちはこっちで、めちゃくちゃヤバそうだな!?」


 すかさずノックスがアトゥを助けようと大ぶりな仕種で戦斧を振りかぶった。

 砂の剣士がそれを避ける。

 ノックスが前に出て、代わりに下がったアトゥが二人に率いられた他の仲間たちから装備などの支援を受け取っている。


「ギルドに近い北の拠点が襲われて、防衛が無理そうなんです。これは逃げてきた商人たちが無償で貸し出してくれた装備なんで、どうぞ」


 魔法のかかった上着を睨み、アトゥはむずかしい顔をしていたが、背に腹は代えられないと思ったのかおとなしく袖を通した。

 さらに神官戦士が駆けつけ、ヨカテルの治療をはじめた。

 真魔術師が時間がかかる呪文を紡ぎはじめ、重戦士が盾を連ねて敵の攻撃に備える。

 あまり顔の知らない相手ではあるが、呼吸は同じ冒険者のものだ。

 あっという間に守りが固まり、反撃の態勢を整えはじめた。

 それでも、夜魔術師は焦りもみせない。


「雑魚が、わざわざ出てきてくれたみたいだね。《      》」


 夜魔術師が再び聞き取れない声を発する。

 七英雄の名を呼んだのだろう……。


 弓術師が弓に矢を番えた。


 それは魔法がかけられた矢だった。放たれ、盾に刺さる瞬間に風の魔法が発動し爆風が起きた。衝撃が守りを揺るがす。

 戦士たちはすんでのところで踏みとどまったが、夜魔術師の呪文が敵のふたりに更なる力を与える。

 効果はすぐに現れた。

 剣士が振るう刃がノックスの鎧をまるで紙のように易々と切り裂いたのだ。


「――後退! 後退だ! 英雄劇とはくらべ物にならんぞ!!」


 ヨカテルが喚く。だが敵わないと知っていても、うかつに後ろを見せれば斬られてしまう。

 ならば魔術による遠距離攻撃で、とシビルが杖を掲げる。

 だが、路地のむこう……ふたりの英雄に続いて、今度は巨大な狼が現れた。

 狼は前足で地面を削りながら、牙をみせて獰猛な唸り声をあげている。


「あれは狩人が連れてたとかいう、伝説の狼か!?」

「会えてうれしかったよ、ヨカテル。次は、軍団の一員とその主として会おう」


 狼は夜魔術師を背に乗せると屋根の上へと駆けあがり、夜の向こうへと消えて行った。

 夜魔術師が撤退していっても、七英雄たちの影はまだとどまっている。

 普通は攻撃の届かない後方に控えるはずの弓使いは、路地の真ん中に立ち、無造作に矢を番えている。

 矢をひとつ放てば、万の雨となって矢が降り注いだ。


「さっきより、もっと強くなってないか?」とは、誰の言葉だったか聞き取れない。


 さらに、剣士が空中を舞った。

 剣は誰もいない見当違いのところを斬ったはずだが、見えない衝撃波のようなものが頭上を駆け抜け、土壁を横一文字に切り裂いていく。

 これもまた、武器にこめられた魔法のようなものだろう。

 あるいは女神の加護が未だに英雄を守護しているのか、亀裂が走った壁が崩壊し、瓦礫がバルコニーごと崩れ落ちてくる。

 土埃があがり、敵の姿も仲間の姿も見失う。

 その間にも剣戟の音がするのは、連携が崩れた隙に視界に構わず敵が突っ込んできたせいだろう。


「態勢を整えろ!」

「切られた、痛い!」

「助けて!」

「後衛を守れっ! 明かりを絶やすと幽霊に近づかれるぞ!」


 さらに瓦礫が降り注ぎ、ひどく混乱する中。


「いてっ!」


 ふいに、聞き覚えのある声がした。



*****



 黒狼は夜魔術師を古びた建築物の上に降ろした。

 広場を挟んで向かいには教会の尖塔がみえる。

 そこは冒険者ギルドの屋根の上だった。


 ギルドの職員たちはほとんどが撤退している。

 教会に避難した人々も、骸骨たちの攻勢が激しすぎて守りきれないと判断したのか一般人を南の神殿へと逃がす最中だった。


 空には数多の亡霊が舞っている。


 オリヴィニスの風景は一目で異常なものに変貌してしまった。

 それでも、冒険者たちの抵抗は止まない。

 あちこちで攻防が続いている。

 街の門は未だに七英雄と魔法使いたちの攻防が続いていて、雷光や光の白鳥が岩巨人とぶつかりあっている。街の中央部では炎の精霊が舞い、みみずく亭のあたりも松明の火が途絶えていない。


「くそっ、しぶとい奴らめ……!」


 ベロウは自分の勝利を確信してはいたが、見通しの甘さも感じていた。

 冒険者といえば聞こえはいいが、しょせんは金で雇われているような連中だ。敗北を知れば自ずと白旗を上げるだろうと高を括っていたのだ。


 そして、どうしてそうしないのだろうと不思議に思った。


 敵は七英雄なのだ。かつて誰にもできないことを成し遂げた者たちに、勝てるとでも思っているのだろうか。

 ベロウにとってそれは不可解な行動だった。同じ人間でありながら、生まれつき彼女には他人の心がわからないところがあった。


「無駄なこと。いずれみんな滅びて、わたしのものになるのに……」


 視線を下に降ろすと、住民たちが教会から出てくるところだった。

 教会の神官たちは離れたところで幽霊や骸骨を引きつけている。

 人々は亡霊を避けるお守りを身に着けているようだが、それでは生者である夜魔術師の目を欺くことはできなかった。


 ひとりの若い娘が幼い少女とともに教会の入口から出てくる。

 老人に手を貸しながら、夜を恐れながら、気丈に、優しく。


「あそこに降ろしておくれ」


 夜魔術師の痩せ細った指が、狼の体を撫でる。

 不服そうに鳴いたあと、狼は命令に従った。

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