第76話 真夜中の秘密 △
イストワルの湖の底からいくつかの文献や資料を引き上げた帝都の学者たちによると、湖底都市ロトロは古代文明の残り香であるらしい。
かつてのロトロには真魔術でも精霊魔術でもない魔法が存在しており、王宮と思しき建造物には王家の墓があることも突き止められている。
名前を知られると魔術師に魂を盗まれるという考えにのっとり、墓からは王の名前が削り取られていたが、数からして千年以上は栄えたようだ。その血筋は現在のコルンフォリ王家へと受け継がれているとも言われている。
彼らの高度な文明が廃れてしまったのは魔法の力が女神ルスタの怒りを買ったからだというのが定説ではあるが、それはあくまでも後世になって女神教会を中心に作られたおとぎ話だろう。
いま、防寒着を着込んだ若い男が謎と秘密に満ちた荒野に辿りついた。
分厚い靴底が凍りついた野草を踏み抜く。
脆く崩れ落ちた枯れ草は細かな砂になって雪まじりの風に乗り、遠くへと去っていく。
荒涼としたそこはイストワル北端の廃村だった。
数年前までは人が住んでいたようだが今は見る影もない。
男はまだ辛うじて形を残している小屋に入っていく。
一階は荒らされてほとんど何も残っていないが、二階にはまだ衣服やカーテンなど住人の痕跡が遺されていた。
古びた衣装入れを開くと、そこには子供用の衣服やボロボロの本が遺されている。そして小さな紙切れも。
「……」
その紙切れは半分に切り取られた小さな絵だった。画家が筆をとって描いた絵画ではなく、錬金術師のひとりが生み出した《寫眞》というもっと精巧な写し絵だ。
写っているのは孤児院の廃屋のような風景と幼い子供の姿だった。黒々とした髪と瞳の色、表情には大人になっても消えない寂しさの影が見え隠れしている。
その手は隣にいる誰か、他の子どもの手を握っている。
「アラリド……必ず見つけてやるからな。待ってろ」
頬まで覆ったマフラーの下で呟くと、ヨカテルはそれをそっと胸ポケットにしまい廃屋を後にした。
~~~~~
ひばり亭は女性冒険者専用の宿として有名だ。
風呂やトイレといった施設も清潔で長く部屋を借りると宿泊料金を安くしてくれる。暁の星団のシビルもその快適さを気に入って常宿にした多くの女性冒険者のひとりであった。
なにしろ女性だけだから気がねすることがないし、女性ならではの困りごとについての情報交換も簡単にできる。
夜になり、いつも通りシビルの部屋には同じ宿に滞在する仲間達が集っていた。
勉強会とは建前だけで、持ち寄った甘い菓子や飲み物を食べたり飲んだり、あたらしい衣装を自慢したりするだけの者もいる。でも、危険に満ち緊張が続く日中のことを考えれば息抜きの時間が必要だとシビルは黙認することにしていた。
「ね~え、シビル。聞いたぁ? 共同墓地が荒らされたみたいよ」
「共同墓地?」
シビルは手に入れたばかりの魔術書から顔を上げた。
声の主は魔術師ギルドに所属する銀板の女冒険者だった。
「なんでそんなところに……。副葬品は禁止されていて金目のものなんてないでしょ?」
「そうなんだけど、夜な夜な怪しい人影が出ては何かしているらしいのよ。それから幽霊を見たって人もいるみたい」
「それは、ものすごく厄介ね……」
オリヴィニスの北側に共同墓地があることはシビルも知っていた。
何しろ仲間たちが死ぬとかならずそこに埋葬することになるのだ。遺体を焼き灰と骨を埋める一連の儀式をこれまで何度か間近にしたことがある。
憂鬱な場所だ。
おまけに幽霊が出るようになったなんて、はっきり言ってぞっとする。
心理的な面もあるがこれは冒険者としての性だった。
冒険者たちの間では《幽霊》は魔物の一種と捉えられている。
人は死ぬと《死者の国》に迎え入れられる。それは夜魔術を排除してしまった現在の魔術界では、どこにあるのかよくわかっていない世界のひとつだ。
そして強い念を残して死んだものや死んだことを理解できないものたちが現世に留まると幽霊となり、生者を呪う。
憑りついて生気を奪い命を枯らしてしまうのだ。
一体ならどうということはないが、逃げ場のない洞窟なんかで出くわすと厄介だ。しかも連中には弓矢や剣といった武器は効果がない。
魔法や神官の聖句でしか退散させることができないのだ。
「まさかピスティ、墓荒らしの正体はあんたじゃないでしょうね」
寝台を占領し、菓子を食べながら物語を読んでいた少女がわざとらしい動きではね起きた。
「あ、あわわ、わたし!? 違うよ! そんなわけないじゃないよ!」
「ほんとかな~?」とシビルは疑わしい顔を向ける。「あんたナターレにあれだけこってり絞られてもまだ諦めてないわけでしょう」
その騒ぎを知らない者は、この街にはいない。
幸か不幸かピスティは師であるナターレに可愛がられ(?)ており、十分な研究資金を与えられているため仕事には困っていないらしいが……。
「や、やだなあ! 人間の死体なんて使ったら重罪だし、だいたい骨や灰しかないんじゃなんにもできないんだよ?」
「ほんとなの? 王都では《魂抜き》なんていう恐ろしい魔術を研究してるって聞いたわよ」
「アレは生きた人間にやるものであって、いったん死者の国に迎え入れられた魂は完全に支配できないのでして!」
「ちょっと、なんでそんなに詳しいのよ」
「あはははのは! もう遅いし、あたし部屋帰るわ!!」
気まずくなったピスティが退散する。
「あれ、絶対やってるでしょ」
居合わせた全員が無言で頷いた。
怪しむ視線を向けるのはほかの面子も同じだった。
いつか徹底追及せねばなるまいという決意も新たにそれぞれが自室に引き上げ、静かになった部屋でシビルはさらに深い溜息を吐いた。
ピスティは街に来た時期が同じで、なんとなく見捨てられないのである。
あれは悪い娘ではない。だが好奇心が強すぎるところがあり、そのくせ警戒心がないので危なっかしいのだった。
憂鬱な気持ちでシビルは魔術書を片付けて、敷布の上を整理する。
そのとき開け放った窓からヒヤリとした風が滑りこんできた。
「……今夜はなんだか冷えるわね」
季節は夏だ。シビルも夜間は薄着で過ごしている。
明かりを落としてベッドに入った。
寝具にもぐりこめば大したことはないだろうとたかを括っていたが、冷えは部屋全体に広がっていく。
むき出しの腿や腹部がまるで真冬のような冷たさだ。
眠気を訴えていた目がいつのまにか醒めてしまっている。
しかたがない。起きて窓を閉めよう。
シビルは杖を手繰りよせ、雑に呪文を唱えた。
「《光よ》!」
その瞬間、煌々と照らされた室内に骸骨の顔が浮かんだ。
横たわったシビルに覆いかぶさるように顔を覗き込んでいる。
シビルは動きを止め、眼窩の空洞を見つめていた。
そして数秒ののち。
「ギャ―――――――――ッ!」
強烈な悲鳴を上げて魔法を放った。
滅茶苦茶な術式で放たれた魔術は爆発と雷と轟音になり、ひばり亭の一室を吹き飛ばし、オリヴィニスに変事を告げたのだった。
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