第70話 水棲竜討伐


 泉のそばの空気はひんやりと凍てついていた。

 どこに行っても逃げようがない、全身をくまなく包み込むような寒さだ。

 山の頂はうっすらと積雪の冠をかぶり、すっかり春を忘れたかのようだ。

 陽光に恵まれた昨日に比べると、各段に冷える。どれだけ着込んでいても風が吹けば体が震えた。

 集まった冒険者たちは、ひそやかに最後の会話を交わしていた。


「懐炉がぜんぜん暖かくならない……もう帰りたい……」

「今日、寒すぎじゃないか? こういうときは、やっぱアレだな」

「いいっすね」

「え? あれって何?」

「こういうのもあるけど、シビルは好きじゃない?」


 たき火の周りに集まり、ごそごそと何かし始めた冒険者たちのベースキャンプに偵察を終えた斥候が現れた。



 ******



 泉の背後三方は崖に囲まれていた。

 手前には崩れた石組の塔がある。壁は全て崩れ落ちていて、真っ白な支柱のみが残る。

 泉の底に揺れながら怪しく緑に輝くのは、水棲竜のふたつの眼であった。

 竜は泉に棲んでいた水棲生物を食らい尽くした後、三日ほど底に沈んだまま捕食を行っていない。空腹が頂点に達しているはずだ。通常なら、囮を用意して食らいつくのを待つところだが……。


 はじまりの合図は泉に投げ込まれた火薬が告げた。


 水中でも燃える炎を曳きながら水底に落ちて行き、爆発音と鋭い閃光が走る。

 衝撃で、というより激しい音響と閃光に責められ、金切り声を引き連れて巨大な質量が水底から急速に浮上してくる。

 盛大な水飛沫を上げながら、竜が蛇体を水面から勢いよく引き出した。縦に割れた瞳孔が地上を睨みつけ、金属質の鱗が滑って輝いた。

 青く半透明に輝く胸鰭を広げ、怒りに吠え猛ろうとするその首元に銀の矢が走って深く突き刺さる。

 瞬間、矢に取りつけられた包みが爆発し、金属片を撒き散らした。

 雄叫びが絶叫に切り替わる。

 塔の最上部に陣取った若手の射手・ヴィテスが手にした自動弓クロスボウに次々に矢を番える。放たれた矢は胴体、下腹部、尾を正確に抉り取り、鉄片を混ぜた火薬の衝撃で鱗がはじけ飛び、桃色の地肌が露出――それと同時に反撃があった。

 竜の周囲で渦を巻いた水の塊が、魔力によって細い弾丸となって撃ち出されたのだ。

 ヴィテスは微塵も顔色を変えず、足場を放棄しており始めた。

 怒り狂った尾の一撃で、それまで足場にしていた塔の最上部を吹き飛ばした。

 ヴィテスはひと息に地上に降り、降り注ぐ瓦礫を躱して叫んだ。


「今です! アトゥさん!」


 合図とともに発射音が響いた。竜は逃げようと空に昇ったが、遅い。

 地上に設置されたバリスタから射出された鏃が喉笛に食らいつき、鎖が地上に縛りつける。

 鎖の先は滑車を利用した巻き上げ機につなげられている。

 姿隠しの真魔術が解け、二振りの剣を携えたアトゥと鎖を巻き上げるヨーンの姿が現れる。


「よし、畳みかけるぞ!!」


 しかし――その瞬間、水棲流が激しく身悶える。鱗が剥がれるのもかまわずに地面に身体をうちつけ、鎖を引きつけたままのたうち回り始めた。

 鎖の先の装置に向けて撃ち出される水の矢を、ヨーンが盾で弾いて守る。

 そのとき、鉄鎖が勢いよく切れた。

 瞬時に危険を悟ったアトゥは仲間たちに指示を飛ばした。


「ヴィテスとシビルは下がれ! ヨーン、二人の補助を頼む! 一回退避して体勢を立て直すぞ――あっぶね!」


 アトゥはその場に残ったまま、凄まじい勢いで地面を滑ってきた鉄鎖を跳ねて避ける。

 蛇竜が苦しげに巨体を揺らす度、鎖は凶器となって塔の残骸を打ち据え、細木を薙ぎ払い、瓦礫を吹き飛ばして敵を近づけさせないのだ。

 そうして、水棲竜は再び泉の中に戻ろうとしているようだった。

 アトゥは逃げ回りながら、時折近づく水棲竜の体に刃を浴びせかける。

 水中に逃げられれば、追えなくなってしまうからだ。

 再び鎖がアトゥを襲う。それを正面から受け止めたのは、紅の篭手だった。ルビノが篭手に鎖を巻き付け、暴れ回るのを防いでいる。


「おいルビノ、無茶はするなよ!」


 屈託のない笑顔をみせて親指を立てる、その唇には透明な鱗を咥えていた。水中で呼吸を可能にする魔法の道具だ。

 まもなく、ルビノを引きずったまま、水棲竜は元いた泉に飛び込んでいった。

 泉の底で炎の精霊魔術が二、三度弾ける。ヴィテスが撃ち抜いた箇所以外では格闘士の拳はろくに効果がないが、わかっていて飛び込んだのだ。


「あ~あ……、なんの躊躇いもなく行きやがった。酒の席でだって言ったのは撤回だな!」


 頭から水を浴びたアトゥは忌々し気に呟くと背後を振り返る。

 シビルはまだ姿を現さず、作戦通りの位置に待機中。ヴィテスが大急ぎでバリスタを修理し、発射できるよう立て直していた。

 水底の戦いは激しくなっている。そのうち、金切声を上げて、水面に赤い血が漂いはじめた。


「上がってくるぞ!!」

「再装填終わりました! もう一発、撃てます!」


 ヴィテスが叫ぶのと、再び水竜が泉の上空に姿を現すのが同時だった。

 振り回されたルビノが呪文を唱え、篭手に巻き付いた鎖を焼き切って落ちてくる。

 竜の目蓋ごと、刃の先が白銀に光る小さなナイフで縫い止められている。

 続け様に、ヴィテスの放った鏃が胴体を貫いた。鎖を巻き上げる装置は破壊されたため、鎖を引くのはヨーンとヴィテスのふたりだ。

 水中の戦いでよほど疲弊したらしく、力は案外拮抗している。竜の頭が徐々に地面へと近づいていく。

 ただ、ときどき襲ってくる水の矢がヨーンの構える大盾を叩き不穏な音響を立てた。何度も攻撃を受けるうち、鋼鉄が内側にへこんでいくのがわかった。


「ヨーンさん! この戦いが終わったら、装備を一新することをオススメします!」

「そのときは是非キミの店に頼むよ!」


 盾が抜ければ串刺しである。ふたりとも涙目になりながら鎖を引く。

 そうしなければいけない理由があるのだ。

 竜の体の下に、ぼんやりとした光が灯る。


「《サブルの祈りによって始め、到来を待つ》……」


 竜の頭の先に、赤いフードを翻して現れた真魔術師のシビルが詠唱をはじめた。

 金色の杖と、反対の手には分厚い魔導書を手にして呪文を紡ぐと、泉とは反対の側から予め仕掛けられていた魔法陣が次々に姿を現していく。

 竜はねらいをシビルへと変えようとしていた。


「そのまま耐えててくれよっ」


 すかさずアトゥが駆けつけた。

 尾のほうから鱗が剥がれた側面に回り込み、剣を鞘から引き抜き、強く踏みこんだ。右足で勢いよく踏み切り背中を地面に向けて倒しながら、回転の軌道で両手の刃を下腹部に叩きつける。二つの剣は二筋の血の筋を引きながら、左足で着地。

 金切り声が大気を震わせる中、さらに胸部へと向かう。

 のたうち回る巨体の下を巧みにかいくぐり、舞い上がる鳥のように切り上げ、竜の体側面を蹴って背面跳びのように翻る。落下の勢いに従い、右手に握った刃が縦に亀裂を入れていく。

 さらに喉元を一文字に切り裂き、オリヴィニスで一、二を争うと謳われる剣技を披露しながら、アトゥは駆け抜けていく。


「《マジュドの叡智により贄をくべ、第一の門よ開け! エヴェイユの叫びによって第二の門よ開け! エモニの光輝によって解法を得、第三の扉よ開け。都よ灰へと還れ》!」


 詠唱が終わり、地面が不吉に鳴り、揺れ動く。


 おおおおおん!


 地面が衝撃とともに弾け、激しく土と岩を撒き散らす。紫色の雷光が迸り、第二の大蛇となって竜の全身に絡みつき焼き焦がし、苛む。

 全てが止んだとき、そこには竜の顎下から剣を突き入れるアトゥの姿があった。

 頭上まで貫通した刃を引き抜くと、竜は絶命し崩れ落ちた。



******



 ギルド代表による水竜討伐の確認を以て、大会は無事に終了した。

 竜の比較的傷のない角などの部位は、今回は冒険者ギルドの預かりとなるので、回収の手間もない。

 一戦を終えた冒険者たちはたき火を囲んでいた。

 頭から濡れそぼったルビノとアトゥは頭から毛布をかぶって、卵色の色の飲み物に口をつけていた。琥珀色の蒸留酒、ラム酒、ホットミルクに卵を加えてつくった卵酒だ。

 酒を好まないほかの三人は、ココアを手にして、砂糖とバターをまぶした林檎がじわじわ果汁を染み出させながらいい具合に焼けるのを待っている。あたりにはほの甘く、林檎のすっぱい香りと、桂皮の芳香が漂っている。


「お前たち……いつまでも挨拶回りに来ないと思ったら!」


 様子を見に来たマジョアギルド長は、寒空の下、のんびりくつろぐ冒険者たちを発見して眉を顰めた。

 今回の水棲竜討伐は、通常の依頼とは異なり冒険者の技能を披露するための技能展覧会である。終了後は、集まった関係者たちへ精々いい顔をして、ギルドの立場を高めておきたい、というのがマジョアの狙いなのだ。

 アトゥが意地の悪い笑みを浮かべる。


「貴族連中の相手なんてしてらんねえぜ。どうせ、崖の上の分厚い天幕で火に当たりながら一部始終を御高覧してくださったんだろう?」

「ふん、さっさと片づけて一杯やるために計画を変える輩に言われとうないわい!」


 アトゥたちは事前に水棲竜を餌を使っておびきだす、とギルドに届けていた。だが、あまりに寒すぎて、なるべく早く片づける作戦を事前に立て直したのだった。


「バレてたか。一杯やって人心地ついたら、新品の上着に袖を通しますよっと」


 マジョアは渋い顔で黙り込んだ。

 昔は《剣の鞘を抜くときは勇気で抜け》と教えたものだ。怯えや蛮勇でなく、誇りのために戦うようにと……。

 全てが変わったわけではないが、冒険者の風景も変わった。

 それとも、そう感じるのはマジョアの騎士としての性格が抜けないだけなのか。

 

 冬に舞い戻ったような冷えの中で、アトゥは仲間たちを見つめている。

 焼き林檎を、シビルとヨーンがうまそうに頬張っている。ルビノはじっと思索に耽り、ヴィテスは暖かい飲み物を手にバリスタの改良案を考えていた。

 この中でいちばんの若手である射手がどこか嬉し気なのは、自分の作った武器が上手く働いてくれたからだろう。これがはじめての竜討伐だという緊張感は、どこか知らない空を吹く風になっていた。


 暖かな湯気が立ち昇る。

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