第64話 戦争 △


 それはまさしく不気味な勝利であった。

 王弟ルグレの居城、アルーヴォレ城は確かに軍勢に取り囲まれたはずだった。

 攻めているのはコルンフォリ王家王太子レヴの軍勢である。

 絢爛で知られるアルーヴォレ城だが、その実、戦いに備えて堅牢でもあり、軍備は十分に整っていた。籠城は長く続くだろうと思われた。


 だが、ルグレはたった一晩で城門を開け放ち、投降してしまったのだ。


 城は一矢をも受けず無傷のまま、それはレヴの側も同じである。

 居城から連れ出された公爵はというと、よほど恐ろしい目に遭ったのか遠目からもどこか気が触れた様子で、髪が老人のように白く染まっていたという。

 レヴはこれを女神の加護として勝利を宣言し、王都へと帰還した。

 いったい何が起きたのか不思議に思った人々がこっそりと城へ忍び込むと、そこには……。


「――なんと、城に詰めていた兵や騎士たちがみーんな物言わぬ死体になってたって話さ!」

「ひえーっ!! なんだいそりゃあ、おっかねえ!」


 ヴリオは大袈裟に声を上げた。

 それから、隣で仏頂面のまま酒を舐めている男をちらりと見る。

 机の下で膝を叩いて合図をすると、鉄の板に真面目で頑固と彫り込んだような顔を申し訳無さそうに歪めた。


「……な、なんと恐ろしい話だと驚嘆していたところだ」


 ヴリオはすぐさま「悪いね、真面目なやつなんだよ」と明るく言って愛想笑いを浮かべた。

 酒場の主人は苦笑を浮かべる。


「いやいや、あんたらが嘘だと思うのもしょうがねえ。ここだけの話な、その城に忍び込んだのは俺の従兄なんだよ。なんでも城ン中の死体はみんな綺麗なもんで、みんな傷ひとつなく眠るように亡くなってたんだと……それは確かだぜ」


 ヴリオは隣の相棒と顔を見合わせ、机の上に銀貨を置いた。


「面白いハナシを聞かせてもらった。釣りは取っといてくれ」

「毎度。――にしても、兄さんたちも間が悪かったねえ。も少し早く来ていたら兵士相手に商品を捌けたかもしれないのにな」

「全くその通り。だがこれも女神の思し召しってやつだろう。それじゃ、元気でな」


 軽く片手を挙げて挨拶し、ふたりは酒場を出て、足早に村を離れた。



*****



「すまないな。ああいった場面はどうも苦手で……」

「なぁに気にするな。嘘がつけないのと愛想笑いが苦手ってなぁ、いいことだ」


 ヴリオはそう言って、ノックスの鋼鉄の板みたいな肩を軽く叩いた。

 ノックスは最近、仲間を連れてオリヴィニスにやってきた新米冒険者だ。どんな手練れでも優遇しないギルドのやり方らしくまだ銅板だが、元傭兵で腕っぷしが強いともっぱらの噂である。

 二人は特別な依頼を受け、行商人を装い、石鹸や薬を馬に積んでルグレ公爵領までやってきた。

 依頼の内容はルグレ領内の偵察である。普通、冒険者は触らぬ神に祟りなしで情勢の不安定な土地には近寄らない。ただ、メルが絡んでいるなら話は別だ。


「それに、冒険者ってやつは戦場を知らないからな。あんたが来てくれて本当に助かってるよ」


 行商人を装うことや、城を偵察してからこの村に来るとき、一旦迂回してあたかもこれから城に向かうかのように装うなど、ノックスはいろいろと知恵を働かせてくれたのだった。


「しかし、ここで起きていることは妙だ。あまり役には立てそうにない」


 ここを戦場と呼ぶには、いささか語弊がある。

 春を待つ村々はあまりにも穏やかで、取り立てて変化はみられなかった。

 レヴは無用の略奪を行わなかったようだ。ルグレが企てたのが反乱であることを考えれば、破格の処遇である。


「城のほうも変な雰囲気だったしなあ……。さっきの話、どう思う?」

「根拠はないが、嘘を言っているようには思えなかった。魔法の仕業としなければ説明がつかない」


 先々で耳にした噂によるとレヴは遠征中ずっと、正体不明の女魔術師を傍に連れていたという。名前はベロウ。

 彼女は魔術を使う姿を誰にもみせなかったが、領内のあちこちで変わった出来事が起きていた。

 墓が荒らされたり、その近くで幽霊をみたり、声をきいたという者が後を絶たないのだ。ある者は先祖が夢枕に立ち「レヴこそ真の王である。行く手を阻むことなかれ」と告げたのだとまことしやかに語った。

 それで、皆がルグレを見限ったのだ。

 今回の勝利は魔術師の力が多分に絡んだもののようだった。


「まあでも、あれだな。思ったよりも酷いことになってなくてよかった。このあたりはコルンフォリ有数の穀倉地帯だ。畑が荒れるのを見るのは辛い」


 なんとなく過る侘しい空気を振り払うように、ヴリオはお喋りを続けていた。

 それを遮るようにノックスが片手を挙げて合図を送った。

 ヴリオの表情に緊張が走る。


「どうした、敵か?」と、荷物の中の剣の柄に手をやりながら聞く。

「ものが焼けるにおいがした」と静かに言う。


「そうか? なんにも感じないけど……」

「確か、この先にも村があったはずだな」

「行ってみよう。何かあったらたいへんだ」


 まもなく、ふたりは次の村を探しあてた。

 だが、ヴリオは固まったまま動けなかった。

 目の前にあるのは無惨にも焼き払われた村であった。

 黒焦げになって倒壊した家屋や納屋から、微かな臭いが風に乗って届く。その前に呆然としたまま座り込む女性がいた。いつからそうしているのか、着ている服は焼け焦げたまま、髪は乱れたままといった風体である。

 助けがいるだろうと、無意識に体が動いたヴリオを止めたのは、後から追いかけてきたあの酒場の主であった。



*****



「レヴ様からひと月の間、この村には手出し無用とお達しが出ているんです」


 そう言った隣村の男はやるせない表情をしていた。

 村はルグレと親交が深く、レヴたちに従わなかったため、見せしめのために燃やされたのだという。


「村の人たちは?」

「みんな逃げちまいましたよ。逃げた者までは追いませんでした。でも……」


 村長とその息子は捕まって戻って来ず、奥方だけが残され、ああして家の前から動こうとしない。助けてやりたいがどこかに斥候が紛れているかもしれず、夜陰に乗じてこっそりと差し入れをするのが精いっぱいだ、とのことだった。

 男の話は辛すぎて、ヴリオには聞いていられなかった。

 今回の道中、レヴの悪い噂を聞くことは一度たりとも無かった。みんなが彼の賢さを讃えていた。だが、それは自分たちが報復を受けないように振る舞っていただけに過ぎないのだ。


「これを……。すまないが何か必要なものに替えて、あのご婦人に持っていってやってくれないか」


 ノックスはそう言って馬から荷を下ろした。

 酒場の主は、荷から立派な剣が出て来たことに驚いていた様子だが、何かを察したのか黙って受け取ってくれた。

 ふたりは一旦南側の、コルンフォリの影響が少ない地域に進路を取って帰路についた。

 村が見えなくなっても、ヴリオの沈んだ気持ちは治らなかった。


「近く、クロヌで王太子の戴冠式が開かれるらしい」


 ノックスが不意に言った。

 ひとり先を行くノックスは緊張を途切れさせることなく周囲に注意を払っている。

 ヴリオは言葉の意味をしばらく考えた。


「……ああ、もしかして恩赦があるってことか!」


 ノックスは前を向いたまま頷いた。

 戴冠式のような祝い事では、習慣として、罪人が解放されることがよくある。

 村は焼けてもやがて家族は帰ってくるのだとすると、気分は多少楽になった。

 かわいそうな女性のために荷物を渡してやったことといい、この不器用な男には見かけによらない優しい心があるようだ。


「無事に帰り着いたら、あんたに一杯奢らせてくれよな」


 そう声をかけながら、ヴリオは気合いを入れてノックスを追い抜いた。

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