第22話 教会
顔の火傷はひりひりと痛んだ。
しかし、問題があるとするならば、治らないことよりも治ってしまうことのほうだ。
オリヴィニスへ、このまま帰れば五日ほどの行程になる。
急げばその限りではないが、旅程のほとんどをジクジクした痛みとともに過ごすのはあまり楽しいことではない。どこかで治療を受けたかった。
それで、二年前ほどだろうか。このあたりに来たときに、木立の合間に古い建物の尖塔を見かけたことを思い出した。
突然の予定の変更は、予期せぬトラブルを呼び込むもとだ。
しかし、メルは心を落ち着けて考えても、そちらのほうがいいと思えたら、そうすることにしている。
そのほうがのちのちの後悔が少ないからだ。
自分の愚かさのせいで危険な目に遭ったとしても、それが心のままにしたことならば、人は受け入れることができる。たとえ身が安らかであっても、心に背けば受け入れられず、あのときこうしていたら……と思い悩む。
それが人というものだ。
道端の岩に腰掛け、メルはゆっくり五秒数えて、自分の考えが変わらないことを確認した。
そこに寄ってみることにした。
~~~~~
雨が降ったのか、地面は湿って、木立を抜けると水滴が落ちてきた。
近づいてみると、それは思った通り女神教会の建物だった。
石造りの頑丈な建物でそれなりに立派だが、どうやら神官は不在のようだ。
窓がくもり、塀の一部が崩れている。
はずれ。――とメルは思ったが、落ち込みはしなかった。
それに、なにやら中から人の気配がする。
入口からのぞき込むと、かつての礼拝堂にたくさんの人たちが集まっていた。
「新しい患者さん? どうぞ入ってお待ちください」
思いがけず、祭壇の手前に、祭服を着た若い神官がいた。
治療を待っているのは近隣の村の人々のようだ。
ずいぶん遠くから来た人たちもいるんじゃないだろうか。石の床の上に敷物をしいて、泥だらけの靴を脱ぎ足を休めている人たちもいる。
神官は彼らの間を忙しなく動きまわり、手伝いの女性に手当の指示を出したりしながら、メルのところにやってきた。
「これはひどい。すぐに治しましょう」
「ひどいうちに辿り着けてよかったよ」
その一言に、神官は笑みを漏らした。
「治りきってしまうと、かえって痕が残りますからね」
「あなたがここの神官さん?」
「いえ、旅の途中なのです」
諸国巡礼の途中なのだろう。
女神信仰者の伝統的な修行のひとつだが、達成者が非常に少なく、あまり推奨されていないものでもある。
「ここは神官の方が去って長いようです。雨宿りに軒先を借りたところ、診てもらいたいと近くの村の方たちがたくさん来られまして……まだ見習いなんですけどね」
メルは目線で手伝いをしている若い女性を示した。
「彼女は娘さんかな」
「いいえ、とんでもない。人手が足りないだろうと来てくれた親切な方ですよ」
神官は懐から革張りの本を取り出し、その表紙に右手を、火傷の傷あとに左手をかざした。
メルもマントの内側に手を入れ、首から下げた女神の印に触れた。
「《まずはじめに全能の神があった。神は人々のために己の体を切り分けられた。右手は大地になり、左手は海となった。瞳は空となり、
神官は女神ルスタの聖典を暗唱する。
その指先が白く光り輝き、メルの傷の上に女神の聖印を描いていった。
光に熱はないが、浴びたところは熱を持つ。
輝きによって、傷は瞬く間に癒えてゆく。傷痕ひとつ残さなかった。
魔術にも癒しの技はあるが、神官たちが使うのは魔術ではなく、信仰と祈りの力に拠って引き起こされる現象、つまるところ女神ルスタの奇跡だ。もちろん限界はあるものの、女神の奇跡には人を癒す力があるのだ。
ただ、治りかけの傷は複雑だった。
人が本来、体内に備えている治癒の力は女神のものである。だから、すでに治癒したところに力は働かない。よって中途半端な治りかけの傷に癒しの力を施すと、どうしても痕が残ってしまうのだ。
とくに顔の美醜に執着はなくとも、目立つところに傷があるのを自慢にする冒険者だと思われるのだけはいやだ――というのがメルのゆずれないこだわりでもあった。
廃教会で、たまたま巡礼の神官に会えたのも何かの縁だろう。
謝礼は多めに支払っておいた。
すぐに出発してもよかったが、その前に一晩だけここにとどまり、教会を探検することにした。
めぼしいものはすでに持ち出されているものの、聖堂のつくりは田舎にしては立派だ。天井は高く、鋭利にすぼまっている。三つの尖塔は外からみるとハリネズミの背中のようだ。
古びた祭壇の上では女神像が微笑みかけ、奇跡的に割れていないヤマユリのステンドグラスから差し込む光が床の上で柔らかな陰影を結んでいた。
司祭は治療を求めて訪れた人々を集めて女神の教えを説いている。隣では、例の若い娘が熱心に話を聞いていた。
その距離がやけに近く、視線があうたびににっこりと微笑みかけ、熱っぽいまなざしを送るのが、不自然といえば不自然だった。
……まあ、下世話な話だが、こういうことはよくある。
医者のいない村にとって、神官は貴重な存在だ。
ご馳走責めにしたり、金品を与えたり、ひどいときは閉じ込めたり、あの手この手を使って土地に留まらせる。だから、巡礼の旅というのは成功し難いものなのだ。
彼がそのことを知っているか、なにも知らないただのまじめな神官なのかはさておき、明日になれば、この廃教会に神官がやって来たという話はあちこちに広まり、もっと大勢の患者が押しかけることになるだろう。
彼が心優しい青年ならば、当分は出発できなくなるはずだ。
こういうのも女神の導きというのだろうか?
メルはお節介にもそのことを教えてやるか、それともなすがままに任せるかをしばし思案していた。
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