第13話 湖にて





 うとうと……。


 うとうと……。






 そのまどろみは、いつかにんげんたちが言っていた「うとうと」という言葉にぴったり。もうどれくらいねむっているのか、いつからねむっているのか、はたしてほんとうにねむっているのか、そんなことも、もうどうでもいい……。


 昔はにんげんたちがとてもうるさくて、おきていることもあったような気がするのだけど……でもねむっているかおきているかなんて、わたしたちにとってはどうでもいいこと。


 おきているか夢をみているのか、どこからがげんじつでどこからが夢なのかってもんだいは、にんげんが決めること。


 長い長いあいだ、どちらなのか、だれにも決めてもらわなくてもいい。

 それがわたしたちのありかただから。

 そういういみでは、にんげんっていうのはわたしにはじゃまなもの。いらないもの。よけいなものなのかもしれない。


 だって、とつぜん。


 どどーん!!


 っていう大きな音がして、あたしのおうちにだれかがとびこんでくる。

 そういうものだから。


 この音、しってるわ。

 たたかいの音。

 にんげんたちの音。

 めずらしい夢なんじゃないかと思っていたけれど、そうじゃない。

 それはなん百年ぶりかに耳にするにんげんの声だった。


「おい、セルタス。お前のせいだぞ! お前が寄り道しようって言ったから、敵の群れのど真ん中に飛び込んじまった!」

「口を動かすより手を動かしたらどうですか……あ、あなたの武器じゃ届きませんね。失敬失敬」

「うるせえ! お前が魔法を撃てよ!」


 いらいらしている若いおとこの声と、ひょうひょうとしすぎていて、にんげんがいうところのげんじつかんがないおとこの声がした。


「怒鳴らないで。傷の治療をして、体勢を整えましょう――幸い、この遺跡……かしら、石造りで頑丈だわ」


 それからそれから、れいせいなおんなの声。


 いくらわたしたちでも、おんなの声とおとこの声のちがいくらいはわかるってものよ。でも、正直にいえば、いますぐにでていってもらいたいわ。どっちもね。


 ここはイセキではなく、わたしのおうちなんだから。


「幸いここは小高い丘の上で、周囲は開けていて見晴らしがいい……じきに日がなくなるね。アトゥ、シビルと追っ手をたのむ」


 小人の種族かとおもうほどちいさいぼうやは、みごとな弓にをはって、矢筒をせおった。

 まるでいちにんまえのかりゅうどみたい。


「背後はまかせて。敵がまわりこむのを思いつかないうちに、罠をしかけてみるよ」


 かれらの仲間のうちひとりは、声をださずにぐったりとしてる。


 けがをしてるみたい。

 にんげんはけがをするとしんでしまうのだものね。


 すこしのあいだなら、わたしのおうちで休ませてあげなくもないわ。

 どうせ、にんげんのすこし、なんてわたしたちにとってはほんのちょっぴりなんだから。


 まあ、そう思ったのが《おおまちがいのもと》ではあった。

 あとからかんがえればだけど。


「わあ、見てください!」


 おんなとあとぅとかいうおとこ、それからちいさいぼうやがでていって、誰がきいているわけでもないのに……そう、せるたすとかいうおとこが、おおきなこえをあげて、わたしをみつめた。


 きらきらかがやく緑のかみのけ……そうなの……このにんげんはどちらかというと、わたしたちにちかいみたい。


 こえはきこえるかしら?


 ねえ、ちょっと。

 そこのひと。


「このエンブレム……これは古代の祠か、祭祀場だったみたいですねえ。興味深い。やっぱり、寄り道して正解だったなあ……ふむふむ? この意匠は三千年前、このあたりが聖クルエル帝国領だった頃のものですね。帝国はパノルゴス人の領土を征服し、両者の文化がまじりあって、聖クルエル教が誕生したと言われています。これはパノルゴス人の原始的な宗教観に、独自の意匠を加えたものなのでしょう」


 ……だめみたい。

 おまけになにをいっているのか、さっぱりわからないわ。


 かれはわたしのりんかくをそっとなぜて……くすぐったいわ。

 ほこりをおとした。

 それからその下の石の鉢をのぞきこんだ。


「知っていますか? パノルゴス人は乾期を迎えると、水乞いの儀式を行ったんだそうです」

「……なあ、セルタス、おしゃべりはそれくらいにして、傷の手当てを手伝ってくれないか」

「そうでした、そうでしたヨーンさん。思い出しましたよ……水乞いの儀式ってどうするかしっていますか?」

「おい、セルタス!」


 せるたすは、なかまのおこったこえにもしらんかお。すごいわ。

 耳がついてないんじゃないかしら。

 このひと、わたしたちのわるいところと、にんげんのわるいところをちょうどぴったりはんぶんずつにしたみたいね。


「いろんな方式があるんですけれどね、一番有名なのは金貨やニンニクを供えるってものなんです。水の精霊は金気やくさい匂いを嫌うのに、不思議だなって思うでしょ? 私もですよ」


 よーんというけがした男は、ためいきを吐いて、じぶんの傷に包帯をまきはじめた。ええ、いっときでもはやく、そうしてね。

 わたしはにんげんの血がだいっきらいなの。

 鉄のにおいがするし……おうちがよごれちゃう……。

 せるたすとかいうにんげんのできそこないは、えんえんと話しつづけている。


「――そして、とうとう、私はみつけたのです。あの儀式は水の精霊を喜ばすのではなく、その逆。わざと怒らせて、その奇跡の力を発揮させるためのもの」

「えっ?」


 せるたすは、血をながしているおとこのうでをがっちりとつかんだ。

 よーんはいじょうな気配をさっして、めをまるくする。


「金貨やニンニクといったやりかたは、帝国の文化がはいってきて正されたもの。本来は、精霊族にとってもっとも侮辱的なやり方をしていたんです」


 どこからどうみても、もう、うえからみてもしたからみても、あたまのおかしいせるたすは、明かりのない薄くらがりでにやりと笑い‥‥‥よくとがれたナイフをすらりと抜いた。


「本当は、しぼりたての山羊や牛の生血を捧げるんです。つまり――生贄ですよ」


 呆然とするよーんのうでをぎゅうっとひっぱって、まないたのうえのさかなみたいに、石の鉢におしつけ、せるたすはナイフをふりあげた。


「おい――何をするつもりだ?」


 それは、どっちかっていうとこっちのせりふ!


「なにって……血を抜くんですよ? いい年をした大人なんですから、怖がらないでくださいよ」


 うそでしょ。


「馬鹿言え、やめろ! やめないか! おい、だれか――!!」


 やだ、やだやだやだ。

 ここはあたしのおうちなのよ!?

 よごしたらただじゃおかないんだから!



 やだやだやだ――っ!!!!



     *****



 長過ぎる夜が明けた。

 石づくりの祠に腰かけ、目の下に濃いくまを作ったメルメル師匠はぼんやりと朝もやに包まれた風景を眺めていた。

 ときどき強弓が撃ちこまれ、それをアトゥが力なく掲げた盾が弾いた。


「……まさか、こんなことになるなんてね」


 メルメル師匠がぼやく。

 長い冒険者人生だが、こんなことははじめてだった。

 祠のある小高い丘の周囲……見晴らしがいい、と形容したそこは、見渡すかぎりの《湖》と化していたのだ。

 冷たく、澄んだ水が、いっぱいに湛えられている。


「ああ。まさか、セルタスの水乞いの儀式が成功しちまうとはな……」


 アトゥはいかにも《うんざり》といった表情だ。


「儀式ではなく……弓矢に毒が含まれている可能性を考慮して、血を抜いておこうと思っただけだったんですけどね……?」


 セルタスはアトゥの盾のうしろに隠れながら、不思議そうに首をかしげる。

 紛らわしいことをするんじゃない、と注意する気力はもう誰にも残っていない。


 儀式が成功しても、この周辺で農業をいとなむのはせいぜい高い知力を持つ魔物たちばかりで、湖の恩恵にあずかる人類は、ここにはいない。

 大量の水が発生しても敵がいなくなるわけではないし……メルメル師匠がはりめぐらせた罠も、今や水の下である。


 対岸に渡るのも一苦労で、むしろ、状況はより悪くなったといえる。


「わたしは水中でもそれなりに息が続くんですけど、皆さんはむりでしょうね」

「落ちろ!」


 一言叫んだメルメル師匠が、セルタスに背後からするりと組み付いて首を締め上げようとする。


 それを止めながら、仲間たちは一様に微妙な表情を浮かべている。


 祠の中では、壁にはめこまれた蛇のレリーフが、朝日をあびてまるで生きているかのようにと輝いていた。

 

 

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