第2話 洞窟見学
酒屋の棚には色々な形や色をした瓶が並んでいる。
店主がいろいろとみつくろって並べてくれた数本を前に、少年は眉間に皺をよせ、矯めつ眇めついろんな角度から観察している。
水色の瞳が、エメラルド色の分厚い硝子瓶のゆがんだ表面で大きくなったり小さくなったり……。
候補のうちから茶色くて瓶の首のところが長く、シンプルなラベルが貼られているものを除外する。候補は残り二本になった。
高いものと安いもの。
店主が三回目の欠伸をしかけた頃、葡萄のラベルが張られた緑の瓶を銅貨と一緒に差し出した。
「お使いごくろうさま、ぼうや」
店主が分厚い手で釣り銭と飴を差し出してくる。
金だけを受け取ってメルは荷物を背負って店を出ようとした。
小柄な少年にしては大きすぎる背負い袋だった。後ろからでは少年の姿はすっかり隠れてしまい、背負い袋しか見えないくらいだ。
「そろそろ日が暮れるよ。どこに行くんだい」
「オリオの門」と、短く答えると、店主は目を丸くした。
「夜の迷宮洞窟は危険だよ。夜目がきくエルフやドワーフだって近寄りたがらないくらいさ。それに、オリオの門は銀板以上でなければ入れない玄人向きの洞窟さ」
「知ってる。大丈夫、門の中には入らないから」
「いったい、あんなところに何をしに行くんだい?」
返事のかわりに、荷物の脇に括りつけられた銀色の小鍋と、カンテラががらんがらんと音を立てる。
酒屋を出て、次は果物を売る屋台に立ち寄った。
林檎と柑橘、それから黄色の房状になった南方の甘い果物をひと房、値切る時間も惜しんで急いで買い込む。
既に太陽は傾きつつある。
果物や酒を油紙にくるみ、荷物に納めて口を縛った。
瓶は大きすぎるので、荷物の上に乗せてロープで縛る。
買い物に思ったより手間取ってしまった。冒険者ギルドに立ち寄っている時間はないだろう。
メルは五つの鐘が鳴るのを聞き、町はずれの洞窟に向かった。
探索を終えた冒険者たちが街に、宿に酒場にと向かう流れに逆らい、オリオの門と呼ばれる場所に向かう。
ここ、オリヴィニスは冒険者たちの街だ。
そのそばにある未開の層を多く残した洞窟は、冒険者連中の主な稼ぎ場所だった。
酒屋の主が言う通り、オリオの門は三つある迷宮洞窟の入り口のうち一番難易度が高いと言われている。
現在到達可能な最下層までの距離は最短だが、洞窟そのものに難所が多い。たとえ剣の扱いが上手くても、鎧を着たまま垂直の崖を下りることができる冒険者はそう多くない、というわけだ。
なのでこの出入口は巨大な石の扉で封じられ、その両脇にギルド所属の衛兵が立って見張りをしていた。
メルが進むと、衛兵は彼の侵入を拒んだ。
「ぼうや、冒険者ごっこかな?」
参ったな。
どうしようかと困り顔で首を傾げていると、若者はにやりと笑った。
「なぁんて、悪かったな。あんたメルメル師匠だろう? 噂に聞いているよ。何しに行くのか教えてくれたら、通っていいぞ」
メルメル師匠――とんだ仇名が流行してくれたものだ。
知り合いのつけたとんでもない通称に溜息を吐きつつ、メルはわざわざ屈んでくれた衛兵の耳に語りかける。
「なんだってそんなところに? ――ほう、そりゃいいや」
衛兵はくつくつと笑い声を立てた。
「じゃ、オリオの門を通るわけではないんだな。いいぜ、鍵を開けてやるよ」
彼は腰の後ろから銅色をした鍵を取り出し、言った。
*****
六つめの鐘が鳴った頃だろうか。
オリオの門の脇の坂道を下って行ったところにある、鉄格子で扉がされた洞窟の最奥で、メルは白い息を吐いていた。
道中は暗闇も厄介だが、最大の敵は傾斜に溜まった水だった。
腰まで水に浸かりながら荷物を引っぱり、ようやく彼はここまで歩き着いた。
ただでさえ夜気に凍えるというのに、水の出る洞窟はなおさら冷える。
苦労してたどりついた最奥は行き止まりだった。
岩場に囲まれた円形の広場のような空間が広がっている。
休憩もそこそこに、メルは作業をはじめた。
地面を含めて岩場はほとんどの場所が湿った苔に覆われていた。
乾いた場所を探して火をおこし、拾った石を積んで小さな竈をつくる。
小さな鍋に赤紫色の液体を注いだ。酒屋で買ってきた安い葡萄酒だ。
そこに絞り汁をとり、刻んだオレンジと林檎を入れ、火の調子を見ながら沸騰するのを待つ。
今日は満月だ。天井に大穴が空いているおかげで、この洞窟もだいぶ明るい。
しばらくそうしていると、緑色の苔に覆われた岩壁にゆらりと影が踊った。
その影は小柄なメルよりもずいぶん背が高く、腹が出ている男の影に見えた。
光源はかまどとカンテラの二つしかないのに、影はどんどん増えて行き、最終的に六つになる。
影魔だった。
こいつは迷宮洞窟の内部で、夜だけにしか現れない魔物だ。
攻撃はしてこないし、魔法ならなんでもよく効くが、なめてかかると混乱の魔法が返ってくる。それで全滅したパーティはひとつやふたつではない。
影魔は葡萄酒を煮るメルに近づいて、耳元で呪文を囁いた。
巨大な男の影と、小さなメルの影が重なった。
だが、メルは平静を保ったまま鍋に乾燥ハーブと果汁の残りを入れ、味見をしていた。さらにはちみつと砂糖をたっぷり加えて、くつくつと煮立たせる。
そのうちに、魔人の影たちはすっかりメルに興味をなくしていた。
彼の両耳には特注の耳栓が入っていて、音や呪文を通さないのだ。
「よし、そろそろかな」
鍋の中身を器によそう。
あたりには果物の良い香りが満ちている。
「あち」
急ぎ過ぎたようだ。
スプーンでかき混ぜて、熱を飛ばす。
おそるおそる口をつける。
酒精をほとんど飛ばし、温めた葡萄酒が喉下って落ちて行くと胃の腑の底から小さな火が灯ったように体が暖かくなってくる。
よく煮た果物は口の中でそれぞれの感触でほどけていった。
林檎のしゃりしゃりとした感触は舌の上で心地良い。
メルはカンテラの光を落とした。
だが、あたりが暗闇に包まれることはなかった。
月夜だから、それだけではない。
地面や岩壁がぼんやりと輝いているのだ。
光苔だった。
大陸ではオリヴィニスでしか見られない稀少な種で、一時期冒険者たちに乱獲されて絶滅しかけていたものだ。
いつしか洞窟の入り口は鉄格子で封じられ、最近ようやく元の勢いがもどってきたと聞いている。
もちろん、苔の持ち出しはいまでも禁止だ。
荷物の上にじっと腰かけ、葡萄酒を楽しむ。
黄金色に輝く苔の周囲で、影魔たちが踊っている。
ゆらゆら、きらきら、しゃりしゃり。
じっと目を凝らしていると、あることに気がついた。
影魔たちが手に何か持っている。よく見ると、それはバケツであったり、じょうろであったり、水をすくう柄杓だったりした。
影魔たちはその影でできた道具で、水をすくって苔にかけ、さらに隣の岩を覆う苔にかけ……というしぐさを繰り返している。
水をかけられた部分の苔は水にぬれている。
何をしているのだろう?
見定めようと立ち上がりかけたそのときだった。
ふわ、と目の前に小指のくらいの金色の丸い光が舞った。
それに気がついた次の瞬間。
ぶわり。
洞窟の底を覆っていた光苔がふくらみ、いっせいに小さな丸い光を吐き出した。
メルの周囲は光に包まれた。
無数の光の粒たちはメルの体をすりぬけていく。
それには温度がなかったが、でも、触れたメルの体は熱を持った。
葡萄酒のせいか、それとも興奮のせいだろうか。
光の粒は月に吸い込まれるかのように、天に昇っていった。
全ての光が去ってしまうと、影魔たちの姿はあとかたもなく消え失せていた。
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