第4話

 穴の中は、外から見た通り真っ暗でした。それでも初めのうちは、外から入ってくる光で何とか辺りを見る事はできました。しかし、穴は次第に小さくなり、最後には穴のあった場所は完全な壁と化してしまいました。こうなると、光は一切入ってきません。真の闇と化した穴の中で、ティグは悔しそうに呟きました。

「何だ、これは……。まさか、罠!?」

「たわけ! 誰が既に袋の鼠になっているような奴を罠になんかかけるかね」

「!? 誰だ! ……痛っ!」

 突然下の方から聞こえてきた声に、ティグは驚いて後ろに飛びのきました。勢いのあまり、壁に思い切り頭を打ち付けてしまいます。

「あー、あー。ちょい待ちぃ。今明るくしてやるに」

 全く慌てていない様子の声と共に、一瞬だけシュッという音がしました。すると、穴の中にほんのりと明るい火の玉が出現し、辺りの様子を目で確認できる程度に明るくなりました。

 ティグが明りの方を向くと、そこには一人の少女が立っていました。年の頃は、十五、六。小柄で、少しぽっちゃりしています。薄紅色のローブを羽織ったその少女の右手には細長い杖が握られていて、その杖先にはほのかな明かりが灯っています。どうやら、光源はこの少女の持つ杖のようです。ローブを羽織って杖を持っており、更にその杖が光っているという事は……恐らく、この少女は魔法使いなのでしょう。

「あらー、遠目でもカッコ良かったけど、近くで見ると更に男前だがね。お兄ちゃん、名前は?」

 妙な訛りのある言葉で物おじせずに問う少女に、ティグは思わず後ずさりました。そこで、またも壁に頭を打ちつけます。

「痛っ!」

 ティグが思わず呻くと、少女は口元に指を立てました。そして、小さな声で「シーッ!」と鋭く言います。

「お兄ちゃん、声が大きいがね。自分が魔法騎士に追われてる身だって、わかっとんの?」

 少女の言葉に、ティグはハッと口元を手で押さえました。そして、元は穴だった壁に耳を当ててみます。外は、静かなものです。どうやら気付かれなかったのでしょう。

 自らの身の安全を確認し、ティグはやっと緊張を解きました。ホーッというため息とともに、筋肉が弛緩していくのがわかります。そして、ずるりと床に座り込むと、改めて少女の方を見ました。そして、少しだけ表情を緩めて言います。

「助けてくれて、ありがとう。僕は、ティグニール・ジン・クリア。……君は?」

 ティグの問いに、少女は胸を張って答えます。

「自分は、パルペット・セレ・ゼクセディオンだがね。聞いた事あらせんの? 世界一番の魔法使いって」

 少女――パルペットの名前を聞いて、ティグは少しだけ考えました。そして、何かに思い当ったのか、ぽん、と手を叩きます。

「パルペット……ああ、そう言えばどこかでちらっと聞いた事あるな。世界一番の強欲放蕩風来じゃじゃ馬魔法使い、って」

「その噂は作り話だで! 即刻頭から捨てやー、お兄ちゃん」

 ティグの記憶を渋面を作りながら即座に否定し、パルペットは言いました。

「自分は確かに、魔法使いをしながら商人めいた事もやっとるがね。けど、強欲と呼ばれるほどあくどい商売をした覚えは誓ってあらせんわ」

「……商人?」

 パルペットの言葉に、ティグは問い返しました。すると、パルペットはニッと笑って言います。

「そう! 魔法の力で作った魔法薬。これが案外良い値段で売れるんだがね。特に今お勧めなのが、この傷薬。普通の魔法薬なら一瓶飲まなきゃ治らない傷が、この薬なら半分も飲めば治るがね。とってもお値打ちお買い得で、お勧めしとるに」

 そう言って、パルペットはローブの内側から青い液体の入った瓶を取り出して見せました。そして、ふと何かに気付くと、ティグの方をまじまじと見詰めました。

「な……何?」

 少し引き気味にティグが問うと、パルペットは何故か嬉しそうに瓶を振りました。中で、青い液体がちゃぷんと揺れます。

「お兄ちゃん、肩に怪我をしとるがね。どう? この薬、買やぁ?」

「……いや、大丈夫だから……」

 早速商売する気満々なパルペットから極力視線を逸らしつつ、ティグは言いました。これだけ自信満々で勧められると、逆に心配になってきます。それでなくても、相手は強欲で有名な魔法使いです。即決で買う気にはなれません。すると、パルペットは暫くの間考えます。そして、一旦瓶をローブの内側にしまったかと思うと、今度は別の瓶を取り出しました。先ほどよりもずっと小さい瓶で、中にはやはり青い液体が入っています。

「本当はこれはお得意さんにだけあげとるモンだがね。けど、お兄ちゃんがここで意地張って怪我を悪化させても後味が悪い。だから、今回は特別にサンプルをあげるがね」

「……サンプル?」

 ティグが問い返すと、パルペットはこっくりと頷きました。そして、更に言います。

「今回だけだに? お代は良いから、早く飲みゃー」

 言われて、ティグは瓶を受け取りました。そして、瓶の中を見詰めます。中には、相変わらず青い液体がゆらゆらと揺れています。清々しいほどに青です。こんな瑠璃のような青色をした飲み物は、未だ嘗て見た事がありません。飲むのを暫く躊躇っていると、痺れを切らしたらしいパルペットが睨みながら言いました。

「男なら、覚悟を決めてさっさと飲みゃー! どうしても飲めんのなら、自分はもう知らん。さっさと死にゃーええ」

 そこまで言われたら、ティグも男です。何となく退く事はできません。彼は無言でパルペットから瓶を受け取ると、コルクの栓を抜きました。ぽん、という心地よい音が響きます。瓶の口から中を覗いてみました。やっぱり、空よりも青い液体が入っていて、ちゃぷんと揺れています。

 ティグは、大きく深呼吸をしました。思い切り空気を吸い込み、そして吐き出します。そして、腹から空気を出し切ったところで瓶を自らの口へと運びました。覚悟を決め、一息に中身を飲み干します。甘苦い液体が喉を一気に通り過ぎて行き、飲んだ後にはスッとした冷たい空気が感じられました。薄荷を齧った後よりもスッとしています。爽快を通り越して、空気が冷た過ぎるくらいです。

 胃の中までスースーしたような気分を味わうと、今度は体中が熱く火照り始めました。特に、傷を負った左肩が熱いようです。

「熱っ!」

 思わず、ティグは顔をしかめて左肩に手を遣りました。すると不思議な事に、手で直に触れているというのに、傷が全く痛みません。見れば、いつの間にやら傷は消え、肩にはただ血の跡が残っているだけとなっています。

「すごいやらー。これが薬の効果だがね」

「……凄いな……」

 息をのみ、ティグは呟きました。先ほどまで痛んで仕方の無かった肩が、今ではもうすっかり治っています。これなら、剣を握って戦う事も充分可能です。

 キツネにつままれたような顔をしながら左肩を回すティグを見ながら一頻り満足そうに頷いた後、パルペットは笑顔を絶やさないままティグに問いました。

「ところでお兄ちゃん、これからどうすんの?」

 妙に「ど」の部分を強く発音していて、訛りが際立っています。一瞬何を問われたのかわからなかったティグは、少しの間考えると口を開きました。

「……僕は、姫様を助けたい。それはきっと、僕だけじゃなくて元ツィーシー騎国領の民全ての願いだと思う」

 そう、ティグはきっぱりと言いました。しかし、すぐに顔を曇らせて言葉を続けます。

「けど、姫様は待っている人がいるから王宮から出ない、と言っている。……だから、僕はその人を探そうと思う」

「探すって……当てはありゃーすか?」

 パルペットが、首を傾げて問いました。それに対してティグは、ふるふると首を横に振ります。

「全然。姫様が待っているのが男なのか、女なのか……それすらわからないんだ。けど、何もしないよりはマシだと思う。まずは街に出て、昔の事を知っている人を探して話を聞いてみようと思うんだけど」

 ティグの答えに、パルペットは暫く顎に手をあてて「う~ん……」と唸りました。そして暫くすると、納得したように勢い良く首を縦に振ります。

「よし、わかった! だったら、自分がお兄ちゃんにとっておきの人を紹介したるわ!」

「とっておきの人?」

 今度は、ティグが首を傾げました。すると、パルペットは胸を張って言います。

「そう! きっと、街の人達から虱潰しに話を聞くよりも成果がありゃーすよ。何せその人は、件のツィーシー騎国が滅びたその瞬間、お姫さんの最も近くにいたって人だがね」

「姫様の最も近くに!? ……という事は、当時の護衛騎士の……!?」

 思わず出したティグの大声に気圧されつつも、パルペットは曖昧に笑って見せました。そして、ごほんと咳払いを一回すると、再び商人の目付きになってティグに言いました。

「その様子だと、行く気は満々だがね。だったら、話は早い。自分が案内したるわ。……自分の作った道具の説明をしつつ」

「……それが目的だろ、パルペット……」

 呆れたように、ティグが呟きました。すると、パルペットは照れたように後頭部を掻きながら言いました。

「聞くだけじゃなくて、買ってくれれば嬉しいがね。あ、嬉しいと言えば……」

 思い出したように、パルペットがぽん、と手を叩きました。

「……今度は何だよ……」

 身構えるようにティグが問うと、パルペットはニカッと笑いながら言いました。

「パルペットなんて堅苦しい呼び方せんと、パルって気軽に呼びゃー。その方が、自分も嬉しいがね。自分もお兄ちゃんの事、ティグ兄ちゃんって呼ぶに」

 言われて、ティグは虚を突かれたように固まりました。そして、暫く硬直した後にぷっ、と吹き出しました。軽い笑いを堪えながら、ティグはパルに言います。

「わかったよ。それじゃあ、案内を頼むよ、パル。けど、商品の説明はまた今度にしてほしいな」

 すると、パルは嬉しそうにその場で飛び上がりました。そして、そのままスキップでも始めそうな勢いで歩き出します。

「任せときゃー。すぐにフィル爺ちゃんの処へ案内したるに。しっかり自分に付いて来やー」

 そう言って、穴の奥へとずんずん歩き始めます。思わぬパルの足の速さに、ティグは慌てて後を追いました。しかし、数歩もいかないうちにパルは足を止めました。そして、にっこりと笑いながら振り向くと、ティグに言いました。

「けど、商品の説明はちゃんと聞いてちょーよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る