第3話

 それから、幾度も季節は巡りました。

 ある日、元ツィーシー騎国の王宮――メイシア王女が幽閉されている部屋に、一人の騎士がやってきました。青年と言うには、まだ顔立ちが少々幼いかもしれません。年は十九か二十くらいでしょうか。引き締まった体躯に黒い瞳と髪を持ち、明け方の空のような色のマントを羽織っています。その身に纏った銀の鎧と腰に帯びた銀の剣には使い込まれた跡があり、それだけでも彼が若いながらも腕の立つ騎士である事がわかります。

 彼は扉の前で数度ノックをすると、そのまま部屋の中でと足を踏み入れました。そして王女の前で跪き、低い声で言いました。

「お初にお目にかかります、姫様。本日より姫様の監視役を仰せつかりました、ティグニール・ジン・クリアと申します。どうぞ、お見知り置きを」

「ティグ……ニール?」

 恐る恐る、呟くように王女は名を呼びました。すると、ティグニールは言います。

「親しい者の中には、ティグやニール、などと呼ぶ者もいます。お好きな名前でお呼びください」

 彼の言葉を聞くと、王女は少しの間だけ考えました。そして、軽くかぶりを振って少しだけ微笑むと言います。

「それでは、私はティグと呼ばせて頂きましょう。今後、よろしくお願い致しますね、ティグ」

「はっ!」

 王女の言葉に、ティグは畏まって返事をしました。その様子に、王女は少しだけ考えると問いました。

「ティグ……貴方はひょっとして、ツィーシー騎国の……?」

「……はい。元ツィーシー騎国領で生まれ、育ちました。幼い頃より剣を習い、国一番の騎士となるべく励んできた所存です」

 王女の問いに、ティグは淀む事無く答えました。そして、少しだけ考えると、更に言葉を続けます。

「僕は……ずっと姫様を守る護衛騎士になりたいと願っていました。ですが、今はマジュ魔国に雇われ、姫様が王宮より逃げ出したりしないよう監視する役目……。これほど悔しい事はございません!」

 半ば叫ぶように、ティグは拳を握りしめました。そして、真剣な眼差しで王女を見つめ、言いました。

「姫様、僕にお命じ下さい! 姫様を連れて、この王宮から逃げるように、と。僕が絶対に、姫様を守ってみせますから!」

 その言葉に王女は、今度は考える事無くかぶりを振りました。

「そのお気持ちはありがたく受け取っておきましょう、ティグ。ですが、私はここから逃げるわけには参りません。私がここから逃げ出せば、きっとマジュ魔国の王ヘイグは怒り狂い、今度こそツィーシー騎国の民を皆殺しにしてしまう事でしょう。貴方の家族も殺されてしまうかもしれないのですよ」

 言われて、ティグはグッ、と言葉を詰まらせました。しかし、大きく深呼吸をすると、感情を押し殺した声で問いました。

「姫様、貴方は……民の為に、自らが永遠に犠牲になると……。そう仰っているのですか?」

 すると、王女はにっこりと微笑んで言いました。

「それに私は……人が来るのを、待っているのです」

「……人?」

 王女の言葉に、ティグは思わず首を傾げました。そんな彼に、王女は更に言葉を続けます。

「ええ。その人はいつかきっと、私の元へと来てくれます。それまで待つと、約束しているのですよ」

 そう言って、王女はくすりと笑いました。その笑顔に、首をかしげたティグは、ふと何か思い付いた顔をすると、王女に言いました。

「なら、僕がその姫様の待ち人を探してきますよ!」

「え?」

 ティグの提案に、王女はきょとんとしました。たたみ掛けるように、ティグは言います。

「姫様は、その人がここに来ないからずっとここにいようと決意なさったんですよね? だったら、僕がその人をここに連れてきます!」

 ティグが意気込んでそう言うと、王女は苦笑しながら言いました。

「無理ですよ、ティグ。貴方は、その人の顔を知らないでしょう? それにその人は今国内にいるのか、国外にいるのか……それすらわからないのですから。第一、見付けたとしてもどうやってここまで連れてくるのですか? この王宮には貴方以外の監視の騎士や魔法騎士が山のようにいるのですよ?」

「けど、そんな事を言っていたら、その待ち人が姫様のところに来るなんて、一生できないじゃないですか!」

 必死の形相でティグが言うと、王女は静かにかぶりを振りました。そして、落ち着いた声で呟くように言います。

「心配しなくても、あの人なら大丈夫ですよ」

 そう言って、再びにっこりと笑いました。そして、ティグに続けて言います。

「さあ、随分と時間が経ってしまいました。貴方のお仕事は私の監視なのですから、あまり長い間私と話していると怒られてしまいますよ?」

 そう言われたら、ティグは退散せざるをえません。腑に落ちないままもう一度首をかしげ、そのまま部屋の外へと向かいました。

 するとそこには、大勢の魔法騎士達がティグの退室を待っていました。

「ティグニール・ジン・クリア、随分と長い謁見だったな」

 魔法騎士の一人が、皮肉めいた口調で言いました。その言葉の棘に気付いたティグは、思わず身構えます。すると、それに合わせたかのように魔法騎士達も各々腰の剣に手をやり、身構え始めました。

 これはただ事ではない――そう感じたティグは、眼だけを動かし、辺りの状況を確認し始めます。見ればティグはほぼ魔法騎士達に取り囲まれている状態ではありますが、その囲いには所々薄いところがあるようです。ティグは、魔法騎士達に気付かれぬよう、少しだけ足の向きをその囲いの薄い方へと向けました。

 魔法騎士は、剣の柄に手をかけたまま言葉を続けます。

「扉の外で話は聞かせてもらった。貴様、メイシア・リル・ソーデシア元王女の逃亡を企てたな?」

 先ほど王女に提案した脱出計画が、どうやら魔法騎士達に聞かれていたようです。ティグは元ツィーシー騎国領の出身ですからメイシア王女が逃亡する事は寧ろ民や王女の為にも良い事であると思っていました。ですが、魔法騎士達はツィーシー騎国を滅ぼしたマジュ魔国の出身であり、マジュ魔国に忠誠を誓う身です。マジュ魔国を脅かす元王女の逃亡を許すはずがありません。

「……だとしたら?」

 これはもう、誤魔化す事は不可能だ――そう察したティグは開き直り、半ばやけっぱちになって魔法騎士達に問い掛けました。

「確かに僕は、メイシア姫殿下の逃亡を企てました。ですが、姫様ご本人はそれを拒んでおられます。僕の計画は、貴方達にバレる前に頓挫したわけです。そんな僕に、貴方達はどういった処罰を与えるつもりです?」

 不遜な態度をとるティグに、隊長らしい魔法騎士は頬をひくひくと痙攣させながら言いました。眉が、吊り上っています。

「死刑に決まっているだろう! 例え今回は頓挫していたとしても、貴様が今後同じ事を考えないとも限らない。次は、拒む元王女を無理やりにでも連れ出して逃亡する可能性とてある! そんな危険因子を野放しにしておけるか!」

 そう言って、魔法騎士隊長はスッと右手を高く掲げました。それが合図であったのか、周りの魔法騎士達は一斉にすらりと剣を抜き放ちます。

 二十もの刃が白く輝くのを視認すると、ティグはチッと軽く舌打ちをしました。そして自らもすらりと剣を抜くや否や、先ほど少しだけ向きを変えていた足に力を入れ、一気に駆け出したのです。ティグの顔の向きから最初に斬りかかるであろう方角を予測していた魔法騎士達は、突然のティグの方向転換に慌てふためきました。剣を構える者、自らに強化の魔法をかけようとする者。ティグはそれらに向かって一息に剣を薙ぎ払いました。一度に三人の魔法騎士が倒れます。それを横目で見ながら、ティグは穴のあいた防壁を一気に駆け抜けました。

 一息遅れで反応した魔法騎士達は、急いで剣に魔法をかけます。ある者は炎を宿らせ、ある者は雷を纏わせ、またある者は吹雪を舞わせました。ティグを追う魔法騎士がその剣を振るうと、炎の宿る剣からは炎が、雷を纏う剣からは雷が、吹雪が舞う剣からは氷の飛礫が吐き出され、全てがティグへと向かっていきます。ティグは上体を伏せ、時には飛び上がってそれらの攻撃を避け続けました。しかし、避ければ避けるほど逃げる足は遅くなり、次第に追手との距離が縮まっていきます。

「くそっ!」

 ティグは、毒づきながら走り続けました。顔は、前だけを見る事にしました。後からの攻撃を気にしていたら、追いつかれてしまうからです。左肩に激痛が走りました。肉が焼けるような臭いと血の臭いが混ざったような、嫌な臭いがします。どうやら、炎か雷の攻撃が当たってしまったようです。

 それでも、ティグは走り続けます。左肩の痛みはどんどん激しくなり、段々意識が朦朧としてきました。

 更に悪い事には、前方からわあわあと声が聞こえてきました。顔を上げて目を凝らしてみれば、大勢の魔法騎士達が自らのティグの行く手に立ち塞がっています。どうやら、他の魔法騎士達にもティグの造反がバレてしまったようです。

 ティグは思わず、廊下の角を曲がりました。ここで曲がっても、外に出る事はできません。寧ろ、王宮内に追い込まれてしまいます。ですが、前からも後ろからも敵が迫って来ている以上、一度姿をくらまして追手を撒く他に道はありません。ティグは細くて暗い廊下を、必死に走りました。そして、時々考えも無く角を曲がります。

 そうして、五回は角を曲がった頃でしょうか。ティグは遂に肩の痛みに耐えきれなくなり、壁にもたれて座り込んでしまいました。遠くから、魔法騎士達の声が聞こえてきます。捕まるのは、時間の問題です。

「ここまでか……」

 思わず、ティグは呟きました。その時です。

「お兄ちゃん、こっちに来やぁ」

 突然、ティグに声をかけてきた者があるのです。のんびりとした、それでいて高い少女の声でした。

「……誰だ?」

 ティグが警戒しながら問うと、声はのんびりとしたまま言います。

「良いから、早くこっちに来やぁ。このままだと捕まっちまうがね」

 警戒を解かないまま、ティグは辺りを見渡しました。すると、すぐ近くの壁にぽっかりと、大きな穴が空いています。穴の中は真っ暗で、中に誰かいるのかすら確認する事ができません。

 ティグは、更に辺りを見渡しました。今のところは、誰もこの場にはいません。しかし、遠くから聞こえてくる魔法騎士達の声は、確実にこちらに近付いてきています。

「……一か八か、だな」

 そう呟くと、ティグは穴の中に駆け込みました。すると、不思議な事に穴は徐々に縮んでいき、最後には穴のあった場所はただの壁となってしまいました。壁となった穴の前を、多くの魔法騎士達が通り過ぎていきます。誰一人として、穴の存在に気付く者はいません。後に魔法騎士達は、ティグがこの王宮から見事に消え失せた事に揃って首を傾げたという事です。

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