吾輩は使い魔である

琴里和水

第1話

 吾輩は使い魔である。名前はもうある。

 どこで生まれたのかとんと見当がつかぬが、吾輩が名づけられた時のことはよく覚えている。







 そもそも、この『目指せ日刊奇々怪々ジャーナル』電子版を御購読下さっていらっしゃる奇特な怪異紳士淑女それ以外の皆々様にとっては周知の事実だが、『名前』というのは吾ら怪異――『怪異』とひとくくりにされることに異論反論のあるかたもいらっしゃるだろうが、ここはとりあえず汎用性の高い言葉を使っておきたい――にとっては非常に、いや、異常なまでに重要なものである。それは、吾輩のように、そもそもはごく普通の『猫』としてこの世に生を受けたものであってもなんら変わるところはない。


 吾輩が如何にして敬愛する御主人とその御母堂との世話になることになったかという経緯に関しては、聞くも涙、語るも涙――かどうかはわからぬが、ともかくまあ、今思い出しても身の毛のよだつような紆余曲折があったということには間違いがない。いや、実際、その『紆余曲折』があってくれてよかったと、吾輩は思い出すたびに冷や汗をかき、尻尾の毛を逆立てて吾輩自慢の尻尾を通常の2倍の太さにふくれあがらせ、そしてしかる後に、気持ちを落ち着かせるための毛づくろいに入るのが常だ。ただの『猫』から『使い魔』に成り上がった――もしかしたら、吾輩の動物としての同胞、すなわち、猫族の諸賢においては、『成り下がった』と評する者達ももしかしたらいるのかもしれないが――吾輩とて、やはり、恐ろしいものは恐ろしい。自らの幼児期に骨身と魂に刻み込まれた命の危険、死の恐怖を思い出すのは、さすがに苦痛である。これは、人間の言うところの『心的外傷(トラウマ)』もしくは、『心的外傷後ストレス障害(PTSD)』というやつであるのやもしれぬ。


 恐らく読者諸賢は、吾輩の幼児期における奇禍について詳しく知りたいと思っていらっしゃることであろうが、実を言うと、吾輩自身、あの時に何があったのかは詳しく語ることが出来ぬ。別段口止めをされているというわけではない。ただ単に、あの時まだ幼かった故か、吾輩があまりはっきりと思い出すことができないというのと、そもそもあの時の吾輩は、事の中核にはまったく、一歩たりとも足を踏み入れなかったからというのがその理由である。先ほど吾輩は、『紆余曲折』があってくれてよかった、と言ったが、もしもその『紆余曲折』がなければ、あるいは、吾輩がただの一歩でも事の中核に足を踏み入れていたとしたら、吾輩の行く手に待ち受けるのは、名状しがたい恐るべき怪物の飢えた顎門であったであろうことを吾輩は確信している。


『名状しがたい恐るべき怪物の飢えた顎門』というのは、比喩表現でもなんでもない。単なる事実の明示だ。まあ、このサイトを閲覧して下さっていらっしゃる諸賢においては、吾輩がこう述べたところで今さら驚くようなかたがたもあまりおるまいが、しかしまあ、そもそもが単なる猫であった、しかも、その奇禍に襲われた当時はまだヨチヨチ歩きでミィミィ泣いている子猫であった吾輩にとっては、やはりそれなりに天下の一大事であったのだ。


 実を言うと、吾輩は、その『怪物』を直接見たわけではない。吾輩が見たのは、というか、捕らえられたのは、『怪物』を飼っていた、怪物のような、いや、もしかしたらある意味怪物以上の、人間の女である。吾輩に人間の美醜はよくわからぬが、しかしまあ、美醜はともかく二度とお目にかかりたくはない御仁である。幸い、あの一件以来吾輩は、一度もあの女に会ってはおらぬ。まことに喜ぶべきことである。


 その女の家には、吾輩の動物としての同胞、すなわち猫族が大量に捕らえられていた。どうも、近所ではその女の家のことを『猫屋敷』と呼んでいたらしいが、冗談ではない。あれは『屋敷』ではなく、死刑台への直滑降一方通行の通路でしかなかった。


 ああ――今思い出してもおぞましい。なにが一番おぞましいといって、あの場所に捕らえられていた同胞達は、すべからく、魂が抜かれていたということだ。この『魂が抜かれていた』というのが、比喩表現なのか単なる事実なのか、吾輩にはいまだにもってよくわからぬ。


 わからぬままでいたい、と願う自分も、どこかにいる。


 とにかくまあ、あの場において正気を保っていたのはただ吾輩のみであった。あの女も含めて。吾輩が何故正気を保っていることが出来たのかどうかは、これまたいまだにもってよくわからぬ。吾輩が現在、曲がりなりにも使い魔を務めているということから鑑み、もしかしたら吾輩には生来、なんらかの怪異的素質のようなものがあったのやもしれぬが、そこらへんのところは明言を避けたい。吾輩、今だ未熟非才の身である故。







 吾輩が敬愛する御主人と出会ったのは、あの女の家、すなわち、地上における地獄の出店の中であった。吾輩思うに――いや、思うにも何もない。御主人はどう考えてもあの時、他ならぬ自分自身が怪物の餌としてあの女にさらわれてきたのだということがわかっていなかった。まことに遺憾ながら、御主人には生来『天然』の気がある。いや、気があるどころではない。完全に天然である。どうも御主人はあの時、あの女にあの場所に引きずり込まれたことを、単なる御近所づきあいの一環と考えていた節がある。


 しかし、それでも御主人は、吾輩が泣いていたことに、泣きわめいていたことに気づいてくれた。


 ああ――そうだ、吾輩は怖かったのだ。恐ろしかったのだ。どんなに泣いても、どんなに叫んでも、どんなにもがきあがいても、周りに無数にいる同胞達は吾輩を一顧だにせず、あの女に至っては吾輩の狂態を見て悦にいったニヤニヤ笑いを浮かべるだけだというあの状況下において、吾輩は刻一刻と、絶望の度合いを深めていっていたのだ。


 どんなにどんなに叫んでも、誰にもその叫びが届かないというのは、叫びが届いても、誰もその叫びを受けとめてくれないというのは、本当に恐ろしい、本当に悲しい、本当に切ない本当に腹立たしいことなのだと、吾輩はあの時思い知ってしまった。


 だが、御主人は、吾輩の叫びを受けとめてくれた。


 実のところ、受けとめてくれたからといって、御主人が吾輩のために何かしてくれた、というか、何か出来たというわけではない。

 だが、御主人は、吾輩を見て、しっかりと見つめて、あの女にこう言って下さったのだ。


「この子だけ、どうして縛ってあるの?」と。


 あの女はこうこたえた。


「ああ、この子だけ嫌がるからよ」と。


 御主人は、目をしばたたき、小首を傾げ、真面目な顔で吾輩をジッと見つめてこう言った。


「確かに、この子だけ、すごく嫌がってる」と。


 ああ――わかってもらえたのだ、と、吾輩は泣きたいくらいに安堵した。


 別段、わかってくれたからといって、吾輩の、というか、吾輩達のおかれた状況がいささかなりとも好転したというわけではない。吾輩達は御主人が、吾輩の嘆きを受けとめてくれた前とまったく変わらず、目前に迫る生命の危機に瀕しつづけていた。


 それでも吾輩は、あの時御主人に救われたのだ、間違いなく。







 吾輩が名づけられた時のことを語ろうと思っていたら、予想以上に前置きが長くなってしまった。自分の構成力の無さというものに、どうもいい加減嫌気がさす。


 しかしまあ、一応一区切りついたはついたような気がするので、今回のコラムはこれにて筆をおくこととしたい。お付き合い下さった諸賢に心よりの感謝を捧げる。願わくば、次回もまたお付き合い下されば幸いである。吾輩が名づけられた時についてのあれこれは、また次回ゆっくり語らせていただくこととしよう。




 そうそう、さすがに、これくらいは書いておかないといけないだろう。




 吾輩は使い魔である。

 そして。

 吾輩の名は、凛太郎(りんたろう)である。

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