雨に呼ばれて
宗谷 圭
雨に呼ばれて
ザァザァと、雨が降り続けている。
「こんな雨の日にさ、一人でいると……思い出しちゃうんだよね」
窓の外を眺めながら呟く幸子に、美咲は振り返った。それを、聴く体勢を整えた、と取ったのだろうか。社会人二年目の幼馴染は、頷き、言葉を口にする。
「ほら、うちってさ、両親が共働きじゃない? だから、毎日昼間は、おばあちゃんと過ごしてた」
美咲は、頷く。幼い頃、何度も遊びに来ていた家だ。幸子の祖母にも、当然何度も会っている。ただ、残念ながら五年前に他界してしまったが。
「五歳か、六歳くらいの時だったかな? こんな風に、どしゃ降りの日で。私、おばあちゃんに遊んでもらいたくって姿を探したんだけどさ。家の中にいなくて。それで……探しに行ったんだよね」
「探しに行ったって……雨の中を?」
「そう、雨の中を。傘も差さずに」
言ってから、幸子は肩をすくめた。苦笑いをしている。
「夕ご飯の支度をする、ちょっと前の時間だったからさ。きっと、近所のスーパーに行ったんだろうって思った。……実際、そうだったんだけど。ただ、その時の私は、まだ一人で道路を渡るのが怖くって」
言われて、美咲は記憶を辿った。そう言えば、幸子の家から少し行った場所。街道を渡った先に、スーパーマーケットがあったな、と思い出す。もっとも、十年前に潰れてしまい、今は存在しないが。
小さい頃の幸子は引っ込み思案で、怖がりだった。街道を一人で渡るなど、当時の彼女にとっては大冒険に等しく、街道の先は未知の世界のような物だったのだろう。
「どしゃ降りの中、信号機の前でどれぐらい待ってたのかな? あの時はまだ時計が読めなかったし、そもそも時計なんて持ってなかったし。頭の先からつま先までびしょ濡れになって、ずーっとおばあちゃんが帰って来るのを待ってた」
「待ってるなら、家で待ってても同じなのにねぇ」
「本当だよね。……多分、少しでも家から遠くに行って、「おばあちゃんをここまで迎えに来る事ができたんだよ!」って示したかったんだと思う」
また、苦笑いをした。そんな幸子に、美咲は「それで?」と続きを促す。
「おばあちゃんには、無事に会えたの?」
幸子は、「うん」と頷いた。
「びしょ濡れになって待ってたから、おばあちゃん、びっくりしちゃったみたい。次の日には風邪ひいて、熱出して。幼稚園を休んだっけなぁ」
「そりゃ、五歳や六歳じゃねぇ。体冷やしたら風邪ひくのも当然じゃない?」
「だよねぇ」
そう言って、ひとしきり笑ってから。幸子はフッと真顔に戻り、再び窓の外に目を遣った。雨は、止む気配が無い。ザァザァと、降り続いている。
「その事……大きくなってからはすっかり忘れてたのにさ。おばあちゃんが死んでから、時々思い出すようになったんだよね。……もう、五年も経つのに。今でも、こういう雨の日に一人っきりでいると、ついつい外に出て、おばあちゃんを探しに行こうって思っちゃう」
そして、幸子は口をつぐんだ。静まり返った部屋の中に、軒を叩く雨音だけが響いていた。
# # #
薄暗くなってきたところで、美咲は幸子の家を辞去した。美咲の空色の傘に雨粒がぶつかり、ボロンボロンと音を立てる。
周りが薄暗いからだろうか。それとも、幸子からあのような話を聞いたからだろうか。雨音がまるで、子どもの泣き声のように聞こえた。
おばあちゃん、おばあちゃん、どこにいるの、おばあちゃん。
傘を打つ雨粒が、涙であるかのように思えてくる。
「……幸子、おばあちゃん子だったもんねぇ……」
遊びに行くと、いつも笑顔で出迎えてくれたおばあちゃん。お菓子を出してくれて、夕方遅くになると、「もう帰らないと、お母さんが心配するよ」と注意してくれたおばあちゃん。
思い出して、美咲も少しだけ、寂しくなった。
しんみりとした気持ちになりながら、街道へと出る。渡るつもりの横断歩道は、残念ながら信号が赤だ。ぼんやりと、青色に変わるのを待つ。
ふと、横断歩道の向こうで、同じように信号待ちをしている人物が目に入った。ややぽっちゃりとした、歳を重ねた女性だ。
その顔に、姿に、雰囲気に。美咲は目を見開いた。見覚えがある、というレベルではない。美咲は、その人物の事をよく知っている。そして、今この場にいるはずがない人物なのだという事も。
「……話をしてたから、呼ばれちゃった……かな?」
信号が、青に変わった。女性が横断歩道を渡ってくる。美咲は、渡らない。
横断歩道を渡り終えた女性が、美咲に気付いた。「あらっ」という顔をしてから、嬉しそうに顔を綻ばせる。
つられたように顔を綻ばせ、美咲は女性に言った。
「早く、行ってあげてください。あの様子だと、また雨の中にあなたを探しに出て、風邪をひきかねませんよ」
すると女性は、驚いた顔をして。軽く会釈をすると、美咲の来た道を小走りで去って行った。その後ろ姿を、美咲は満足そうに眺める。
雨粒が傘に当たり、またもボロンボロンという音を立てる。
だが、子どもの泣き声は、もう聞こえない。
(了)
雨に呼ばれて 宗谷 圭 @shao_souya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます