黒剣使いの革命者

木成 零

プロローグ

「お兄ちゃん!」

 妹の呼ぶ声がする。その声はいつもサクヤを呼んでいるような声ではなく、助けを求めるような、悲鳴にも似た声だ。

 その表現は間違っていない。実際に今、妹はサクヤの目の前で、見るからに悪っぽい白髪混じりの中年の男によって捕まっているのだから。

 何もない、コンクリートの壁で周りを囲まれた少し大きめの部屋。殺伐とした部屋が俺の憎しみを増幅させる。

「メグ!」

 くそっ。俺にもっと力があれば。

 自分の無力さに悔いながら、サクヤは両手で持っている黒剣の柄を握り締めた。

 あんなやつに妹を盗られてたまるか。ここで手を尽くさなければ取り返しのつかないことになる。

 だから。

 サクヤは地を蹴って男に斬りかかる。

「はああぁぁぁぁ!」

 しかし、男の顔が一瞬笑った気がした。次の瞬間、サクヤは何の飾り気もない部屋の壁にめり込んでいた。

 朦朧とする意識の中で、サクヤはゆっくりと何が起こったかを理解する。

 ――たった一振り。それも片手で軽い一振り。それだけのことで俺は一瞬にして壁まで飛ばされたのだ。でも、まだ立てる。

 剣を杖にしてゆっくりと立ち上がる。正直この動作だけでも今の俺はきつい。

「お兄ちゃん! もういい。もういいからやめて! これ以上はお兄ちゃんが!」

 自分が捕まっているにも関わらず、最愛の妹は自分のことではなく兄であるサクヤに対して悲痛な叫びを上げる。

 妹よ。兄とは妹を見捨てることのできない生き物なのだよ。妹の前で、逃げ出すなんてことできるはずがない。それに、助けるのは今しかないんだ。もし連れ去られるようなことがあれば、その時は。

 自分の思考が最悪の方へ向かっていることを自覚して頭を振る。今は考えてもしかたない。行動を起こすことのみが、唯一残された方法なのだから。

 少しふらつきながらもサクヤはもう一度剣を握り直す。

 上から優越感に浸りながら嘲笑うかのように見下す男が憎い。妹を束縛する男が憎い。男を倒せるだけの力がない自分が憎い。どうすることもできないこの現状が憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。

 だから。

 心のどこかでどうしようとも男に勝てないことを悟りながらもサクヤはもう一度男に挑む。そんなサクヤの様子を見て男は不敵な笑みを浮かべた。

「この妹がそんなに大切か? 自分の無力さを知り、その体になってもまだやるのか?」

 挑発するように見せつけながら男は妹の体を触り始めた。それでもメグは俺に弱音を見せまいと必死にその恥辱に堪えている。

「メグに触れるなあぁぁぁああ!」

 サクヤはもう我慢の限界だった。これ以上メグが辱めを受けるところを見てはいられない。

 足に力を込めて全力で地面を蹴った。地面に転がった壁のコンクリート片が部屋に乾いた音を響かせる。

「無駄だ!」

 男の叫びとともに、次の瞬間には目の前に剣が迫っていた。サクヤは何とか自らの剣を男の振られる剣の軌道に合わせて防ぐ。それにより直撃は避けられたものの、圧倒的な力量差のせいで新たに壁に穴を空けた。

「がばっ」

 サクヤの口から血塊が吐き出る。どこか器官がやられたかもしれない。

 さっき以上に朦朧とする意識の中で、サクヤは口の中に広がった鉄の味に眉を寄せた。身体が悲鳴を上げているせいで眉が実際に動いたかは分からない。

「お兄ちゃん!」

「だい……じょうぶ……だ。まだ……やれる」

 限界を感じながらも、サクヤは全身の力を使って意地と気力で立ち上がる。

 この身体の痛みよりも、妹がこうして悲しそうな顔をするのが兄としては辛い。今のサクヤの中にはそのことと、妹をそうさせた男への憎悪だけが渦巻いていた。

「しつこいんだよ!」

「がっ……」

 立ち上がることもままならない状態で、サクヤの腹部に強烈な膝蹴りが入った。身体がくの字に曲がり、周囲の骨が何本か折れた嫌な音が耳に届く。

 サクヤが倒れ込むのを見て満足そうに男は身を翻してメグの方へと向かう。

「や……めろ……」

 サクヤの掠れた声はしっかりと発音できていただろうか。言葉を発せようとしてもサクヤの口から出るのは弱った吐息ばかり。そろそろ本当に限界が来ているらしい。

 腕を必死に伸ばし、尚も抗おうとするが、どんどん意識が薄れていく。

「お兄ちゃん! お兄ちゃんしっかりして! お兄ちゃん!」

 ――ごめんなメグ。こんな兄で。

「助けたければ来い。いつでも待っている」

 最後に男が残した言葉をうっすらと耳にしながら、遂にサクヤの意識は完全に途絶えた。

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