第32話

 またまた時は流れ、あっという間に次の日曜日がやって来た。

 

「へぇ、そりゃ良かったな!」

「はい……金曜も偶然帰り道で会いまして……」


 最近の私は、今までよりも時間が経つのを早く感じるようになった。多分その一番の要因は、学校生活が楽しいものに変わり始めたからかもしれない。真剣に授業を聞き、図書館で本に没頭する以外にも、星野さんを始めとするクラスメイトとの会話や、一緒の登下校、そして互いにお弁当の中身を見せ合ったりするという日々が、私の中の時計の針を早く進めていたのだろう。イケメンさんとこうやって話すのも、つい先日のように感じてしまっていた。


「そっか、友達か……」


 私が学校にようやく打ち解けた事を知ったイケメンさんは、私のお父さんやお母さんとよく似た、安心した表情だった。両親に嬉しい報告をしたときも、お父さんもお母さんもとても喜んでくれた後、似たような顔になったのだ。まるで今までの疲れや心配が取れたかのように。

 私の事を想ってくれる人たちがそのような和らげな表情をしているのを見ると、私本人も嬉しかった。


「それでも、勉強とかはしっかりやってるんだろ?」

「ま、まぁ……はい、凄いねって言われると、やっぱり頑張らないとって……」


 勿論、私自身の持つ夢を忘れ、浮かれていると言うわけではない。大学の先生になって、もっと生物の神秘に触れたい、と言う気持ちはそのままに、私は授業をしっかりと受けたり、予習や復習もこなしている。ただ、月日が経つにしたがって、授業の内容も難しくなっていて、私でも少し悩んだり困ってしまう事もある。それに、どう頑張ってもやっぱり体育だけは苦手だ。それでも踏ん張りながら努力をする事が出来るのは、学校生活や日常が楽しい、と感じるからかもしれない。


 イケメンさんや事務の先生、お父さんにお母さん、そしてブタさん。今はそれに、星野さんたちクラスの友達も加わっている。色々な人たちと交流する日々を、私は満喫していた。



 そして、たっぷりと話が盛り上がった後、いつもの通り別れの言葉を交わそうとした時だった。イケメンさんが、突然真剣な面持ちになり、私の方をじっと眺めたのだ。

 今までにも、イケメンさんがこういう顔になった事があった。初めてのデートの時、偶然流れていた映画の予告編を見たとき、イケメンさんは真剣な、そしてどこか悲しそうな顔をしていたのだ。映画のツルのような、動物が人間へ与える『恩』の事を語りながら。まるで捨て台詞のようなあの時の言葉は、私の心に強く残っていた。


 一体何故、その時と同じ顔をしたのだろうか。それを尋ねる間もなく、イケメンさんの潤った綺麗な唇から、私に向けて声が発せられた。


「……来週の日曜日、夕方まで時間を空けることが出来るか?」


 それは、いつもと同じような言葉だった。来週は会えるか、いつまで時間が取れるか、イケメンさんはいつも私の都合に合わせて予定を組んでくれていた。でも、今回ははっきりと、そして真剣な言葉となって、私に投げかけられたのだ。

 あまりに突然の事で緊張しながらも、私は大丈夫だ、と答えた。土曜日は家族で出かける予定があるけれど、日曜日なら時間もあるし、友達と遊びに行く、といえば両親も納得してくれる、と。しどろもどろの返事になってしまったけど、その言葉を聞いたイケメンさんの顔は、真剣な表情からいつもの優しげなものに戻ってくれた。


「……そうか、サンキュ。あ、後、午前中も大丈夫かな?」

「は、はい……お昼より少し前なら……」

「お、マジ?いやー、この機会だから、また一緒に昼飯食べたくてさ」


 それから、一緒に街を歩き回りたい、要はデートをしたい。勿論、その願い事を私が断るはずはなかった。

 だけど、イケメンさんの言葉には妙に引っかかるものが多かった。真剣な表情もだけれど、どうしてわざわざ『この機会』だから、と言ったのだろうか。勿論、私としては疑いを入れたくはなかったし、隠し事を無理やり暴くというのはどうしても出来なかった。でも、一度心の中に浮かんだ疑問は、簡単には拭い去れなかった。

 そして、一体何があったのか、と尋ねた私に、イケメンさんは笑顔を見せながら言った。


「……そろそろ、伝えないといけない、って思ってな」


 じゃあな、と普段通りに爽やかに去るイケメンさんに、私は返事をする事が出来なかった。大きくも逞しい、その綺麗な背中を、呆然と眺めるしか出来なかったのだ。

 イケメンさんから伝えなければいけない事――その候補は、余るほどあった。イケメンさんの名前、イケメンさんの過去、イケメンさんの住所、そして……。全てが頭の中に溢れ、私は言葉を声に出せなかったのだ。嬉しさは、あっという間に不安と僅かな恐怖に変わってしまった。一体、来週の日曜日に何が起こるのだろうか。私とイケメンさんは、このままの関係でいられるのだろうか、と。

 でも、そのまま断る、と言う選択肢は私の中には無かった。どこに住んでいるのかも分からないイケメンさんにその事を伝える手段が無かったこともあるけれど、ここで逃げる訳にはいかなかった。


 今までずっと、色々な事を受け止めてくれたイケメンさんからのメッセージ。それがどんな事であろうと、私は全て受け止めてみせる……。

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