第8話
「失礼します……」
いつものように、私のクラスに動物たちの飼育当番が回ってきた。当然のごとく、他のクラスメイトは全員教室から消え、私一人が全てを託されることとなった。そのような状況を作った女子生徒たちは、励ましや感謝の気持ちが一切こもっていない笑い声を静かにうつむく私に送り続けた。
今までは、いくらからかいや嘲り笑いを受けても、この時間だけはとても嬉しいひとときだった。ずっと大好きだった動物たち――学校で飼育されているカメや小鳥、そして大きなブタさん――に会えることで、学校で溜まったストレスを発散し、心を癒すことができた。
でも、この時の私は、その時間すら苦痛に感じていた。先生から動物たちの餌を貰うときも、いつものようなはきはきとした言葉を出すことができなかったのだ。
「あら、どうしたの?元気ないわね」
クラスの担任の先生でさえも、私の様子がおかしいと言うことに気づいているようだった。心配そうに声をかけてくれた先生だけど、そのアドバイスはとても素っ気無いものだった。
「誰かに代わってもらったら?」
クラスの中で私がどのような状態にあるのか、先生は全く気づいていないか、もしくは見てみぬ振りをしている様子に思えた。数日前に起こった出来事ですら把握していないのは間違いない、私にはそうしか見えなかった。
この学校に残されていた、私が心を癒すことのできる数少ない場所であった、動物たちの飼育小屋。その場所にやってきた女子生徒から、私はあらゆるからかいや嘲りの言葉を受けた。必死に無視しようとし続ける私を見ながら、『ブタ子』が『ブタさん』とデートをしている決定的瞬間と言いながら女子生徒たちは腹を抱えて笑っていた。
あの時のショックは、ずっと私の頭を埋め尽くし続けるほど大きかった。ブタさんを含む飼育小屋の動物たちのことを考えただけで、私は人間以下のただの『ブタ子』になってしまうような気がした。動物が必死に勉強をやって結果を残しても、他の皆と会話をしようとしても、結局は動物園のチンパンジーと同じ、興味本位の目線を浴び、からかい混じりの喜びを受けるだけ。何をやっても無駄だ、そう思い込んでいた私は、既に勉強すら手につけなくなっていた。授業の内容も、耳に入ってはそこから抜け出るばかり、一切頭の中に入らなくなった。
あまりに思いつめていたせいか、女子生徒たちのからかいの言葉や様々ないじめも無視することができた、と言うのはたった一つの不幸中の幸いかもしれない。でも、一体これからどうすれば良いのか、私には全く分からなかった。
「……!」
早くこの場から逃げたい。彼らと一緒にされたくない。
その一心で、私はブタさんの餌を乱暴にばら撒き、逃げるように飼育小屋を後にした。背後から聞こえたブタさんや小鳥たちの寂しそうな鳴き声にも、私は耳を塞いで聞かないように必死だった。
そして、学校生活から開放される休日が、また私の元に巡ってきた。
「はぁ……」
それなのに、晴れやかな空の下で図書館の前に立つ私の心は、どんよりとした雲で覆われていた。
あの時飼育小屋で受けた出来事を、お父さんやお母さんに打ち明けることはできなかった。
元気が無い、一体どうしたんだ、と二人は心配してくれていた。それでも結局、私はなんでもないの一点張りだった。このときにはっきりと言っておけば、その時点で私に対するいじめは終わっていたかもしれない。でも、真実を話す勇気を、私はこの時も持ち合わせていなかった。
言っても分かってくれないだろうし、もし言ったとしてもお父さんやお母さんが悲しんだり泣いたりする様子なんて見たくない。誰も私の味方なんていない。ずっと私はその考えで凝り固まっていたのかもしれない。
でも、そんな状況でもお父さんやお母さんはいつもと変わらず、私に優しく接してくれた。そして、自分の部屋で落ち込んでいた私に、図書館に行って気分転換してくるようにアドバイスをしてくれたのだ。
本当にそんな事で、この億劫な気持ちは変わるのだろうか。行ったとして、私が『ブタ子』である事実なんて覆るのだろうか。そんな疑問を抱き、大好きだったはずの図書館から目を背けようとした、その時だった。
「おーい!」
私の耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。ミントのように爽やかで、太陽のように明るく、そして大好きな動物たちのように、私の心の憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれるような、そんな響きだった。
図書館の近くのベンチに座っていたのは、あのイケメンさんだった。少し長めの茶色の髪の毛、健康的な肌色の顔、優しそうな瞳に整った顔つき、ブランド物のような靴や鞄、そして格好いい服装。ドラマやテレビ番組の中から飛び出したアイドルのようなその姿を見た途端に、私の心の中の何かが弾け飛んだ。
「……う、う……」
「……お、おい……どうしたんだ……?」
「い、いえ……な、何でもない……です……!」
眼鏡の内側から溢れる涙は、私が必死に止めようとしても流れ続けた。イケメンさんにまで迷惑をかけてしまう、そんなことは絶対にしたくない、そう思い続ければ続けるほど、真逆の行動を私は取り続けてしまっていた。
そしてふと気づいたとき、私の小太りの体は、着ている服とも私の体温とも違う、別の暖かい感触に包まれていた。
「よしよし……」
眼鏡越しに見たイケメンさんの顔には、優しげな笑顔だった。私の涙に対する心配の心も、突然の行動に対する戸惑いや怒りも、一切感じられない、純粋な優しさの塊のようだった。
そして、その涙の理由も一切聞かないまま、イケメンさんは私の体を抱きしめ、慰めるように頭を撫でてくれた。少しだけ力強い乱暴な感触だったけど、それだけで私の心の中の感情が不思議と収まっていった。
「ご、ごめんなさい……」
「気にしない気にしない」
やがて、私の涙が収まったのを見たイケメンさんは、いつもの通りベンチに座り、一緒に色々と話そうかと誘ってきた。私からの答えは、肯定の頷きだった。
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