第4話 未来しか見ていないような、そんな燃えるような瞳から

「お願いがございます、ゴッドファーザー」

 老猫の言葉に、ビトが答える。

「私はただの指揮者コマンダトーレですよ。ですが、まずはお悩みをうかがいましょう」

 老猫は震えながら、話し始めた。

「ドン・カルデローネ、あなたがベルッチをやっつけてくださったことに感謝しております。私の息子、ボナセーラは、ベルッチに殺されました。あの事件で、孫娘はいたく傷ついたのです」

 言いながら、老猫は目に涙を浮かべる。

「孫娘は……孫娘は、それは美しい娘です。そして、父親を深く愛していました。その娘に、やつは甘言をもって近づいたのです。父親の仇を討ってやると……」

 言葉を詰まらせる老猫に、ルカがハンカチを差し出す。

 老猫は涙を拭き、鼻をかんで、言葉を続ける。

中原なかはら組の若頭、ともすけです。やつは、孫娘をだまして連れ出すと、事務所に連れていき、さんざん暴行を加えた上、彼女の貞操を奪いました。孫娘は、それでもせめて父の仇が討てればと待ったのですが、とも助は動く気配もなく、今ものうのうと恵比寿の街を歩いているのです」

 ビトが、老猫に聞く。

「それで、私に何をしろと?」

 老猫は立ち上がって答える。

「制裁です! 失われた娘の貞操は戻ってきません。それでも、私たちにも名誉というものがあります。とも助が生きている限り、私たちの名誉は、泥を塗られ続けるのです」

 ビトは少し首を傾げ、考えている。

 老猫が、再び涙を溜めて言う。

「ドン、正義を」

 ルカが、ビトに耳打ちをした。

「ビト、中原組は、土井組の傘下だ。手を出せば、土井組とぶつかる」

 ビトは、ルカにうなずくと、ゆっくりと口を開いた。

「ご老猫、あなたの話を聞いて、私は初め、断ろうと思った。あなたの娘は生きている。私たちは殺し屋ではない」

 老猫が身を震わせて、何か言いだそうとするのを制し、ビトが言葉を続ける。

「だが、あなたは、名誉という言葉を口にした。イタリア猫たちは、これまでずっと名誉に泥を塗られ続けてきた。この土地で、誇りをもって生きていくことは困難だった。だが、これからは違う。カルデローネがイタリア猫の誇りを守る。これを侵す者は、誰であろうと許さん」

 ルカは黙っている。老猫は、ビトの前にひざまずき、その手にキスをする。

「感謝いたします、ゴッドファーザー。このご恩は、私の命にかけてお返し申し上げます」

 老猫を送り出すと、ルカがビトに問う。

「やるのか?」

「ああ、やる。いつか必ず来る対決だ」

 ビトの答えは明確だった。

「組織同士の戦争になれば、今のおれたちは負けない。問題は戦う理由だ。何の大義名分もなく仕掛ければ、今はおれたちに協力的な組織も、離れていく。まず中原組を叩いて、土井組を引っ張り出すんだ。中原組の若頭を殺せ」

 ルカがうなずいて言う。

「クレメンザにやらせよう。彼なら、うまくやるはずだ」


 ……。

 3日後、山手線の線路で、ぼろきれのような姿で殺されている猫の死体が発見された。


デデーン(効果音)

中原組 若頭

とも助 死亡


 報せを受けて、中原組組長中原ともじが抱いた感情は、怒りよりも恐怖であった。

 中原は、夜の闇に紛れ、わずかな部下とともに土井きよしの元を訪れ、訴えた。

「土井の兄貴、わしを匿ってくれ。息子の仇はいい。やつらァ、間違いなくわしを殺す気じゃ。わしを助けてくれ!」

 土井きよしは、不敵な笑みを浮かべて、これに応える。

「中原の。あんたがそんなじゃあ、わしらも助け甲斐がないのう。もっとどしっと構えとれや。やつらのことは、わしも気にかけておったんじゃ」

 そう言って、土井が手を叩いて言う。

「客人、お入りくだせぇ」

 事務所の奥から、異様な殺気を放つ老猫が一匹、顔を出した。

平田ひらたむにさいと申します。……どうぞお見知り置きを」

 むに斎と名乗る猫は、そう言って、中原を見る。

 中原は、まるで射すくめられたように、身動きができない。

 むに斎は小柄な猫だ。

 とても危険な猫には見えない。

 しかし、中原の全身の細胞が、この老猫への恐怖で凍りついていた。

 猫の本能が、この猫は危険だと告げている。

「どうも、やつらァ、ニャクザを舐めすぎたようじゃのう。中原、この戦争、降りることァ許さんぜ。今日からむに斎先生がおめえんとこの用心棒につく。おめえが堪えとる間に、むに斎先生が、やつらを一匹残らず刈り取るんじゃ」

 土井の笑い声が、夜に響いた。


 ――……。

 翌日、とも助とまったく同じ姿で、山手線の線路の同じ場所に、3匹の猫の死体が並べられた。


デデーン(効果音)

カルデローネ・ファミリー 組員ソルジャー

アントニー ビアージョ ブラスコ 死亡


 クレメンザが、ビトの事務所を訪れて言う。

「彼らは、とも助をった組員ソルジャーです。間違いなく報復だ。しかし、誰が殺ったのか、まるでわからない」

 ルカが加えて言う。

「おれの部下にも調べさせたが、目撃者が見つからない。ただ、中原組が殺し屋を雇ったって情報が入ってる」

 ビトが顔をしかめる。

「殺し屋か」

 ルカが言う。

「これでは、組織対組織の戦いに持ち込めない」

 ビトは、少しの間、何かを考え込むように黙り込んだ。

 ルカも、クレメンザも、微動だにせず、彼の言葉を待つ。

 しばらくして、ビトが口を開いた。

「ルカ、その殺し屋が何者なのか、徹底的に洗い出すんだ。急げ。クレメンザは、すべての幹部カポを集めて、これ以上犠牲者が出ないように対策を立てろ。夜間、絶対に一匹だけで行動するな。幹部カポは必ず10匹からの護衛を立てろ。ここで幹部カポられれば、弱みにつけ込んで離反する組織が必ず出る」

 ルカとクレメンザは、その命令を受けて、すぐに事務所を出た。

 すぐ後に、ビトの部下が来客を告げる。

「ボナセーラの娘だと言っています。ボスに会いたいと」

「……通してくれ」

 そうしてビトの前に連れてこられると、娘は、ビトの前に跪いた。

「ドン・カルデローネ。お会いできて光栄です。ボナセーラの娘、ジュリアと申します」

 ビトは無言でうなずき、手振りで座るよう勧める。

 ジュリアは跪いたまま、顔を上げて言う。

「祖父の不躾ぶしつけな願いを叶えてくださり、感謝しております。また、父の仇、ベルッチを討ってくださったことも。あなたは、私たちイタリア猫の誇りです」

 ビトは何も言わず、ジュリアの目を見ている。

 ジュリアは、勇気を振り絞るように胸に手を当てて、言葉をつないだ。

「ドン・カルデローネ。どのようなことでもかまいません。私にお命じください。誰かを殺してこいというなら、必ず殺して参ります。私の命をお使いください」

 ビトが、ジュリアの手を取る。

「ジュリア、私はあなたを知っている。あなたは、お父上が亡くなったとき、その亡骸を抱いて泣いていた。あの涙は、あなただけの涙ではない。イタリア猫すべての涙だ。私はこの恵比寿を、イタリア猫が、殺し、殺されることのない街にしたいと思う」

 その時、猫たちの悲鳴が響いた。

 ビトの部下が、駆け込んでくる。

「ドン! お逃げください!」

 次の瞬間、その部下の背が、ぱっくりと割れた。


デデーン(効果音)

カルデローネ・ファミリー 組員

ドナテッロ 死亡


 死体を踏み越えて、一匹の老猫が近づいてくる。

「初めまして、ドン・カルデローネ。おれは平田むに斎。お会いできて光栄です。そして、さようなら」

 むに斎の爪が閃く。

 ビトは、わずかに身を引いて、その爪をかわした。

 ビトの頬に、赤い血の筋が走る。

「ほう、いい目をしている。おれの爪をかわした猫は、ここ10年見なかった」

 ビトは、ジュリアを後ろに守りながら、むに斎に言葉を投げる。

「入口の護衛はどうした」

 むに斎が、ナイフで一文字に裂いたような口をいっぱいに開きながら、笑う。

「殺したよ。5匹だったかな? 6匹だったかな? もう忘れてしまった」

 言うと同時に、爪が振り下ろされる。

 ビトは、頭を狙う爪を両腕で防いだ。

 その瞬間、ビトの腹に、深い裂傷が刻まれた。

「ああ……いい! お前のような若い猫を殺すのは気分がいい。最高の愉しみだよ。未来しか見ていないような、そんな燃えるような瞳から、光を奪ってやるのはね」

 むに斎が、酔ったようにつぶやく。

 膝を突くビトを、ジュリアがかばいながら、大声を上げた。

「誰か! ドンを助けて!」

「おお、お前が問題のジュリアさんかね。たしかに美しい娘だ。ドン・カルデローネも、この美貌にだまされなければ、もう少し長生きできたものを」

 むに斎が、下卑た笑いを浮かべて、ジュリアに迫る。

 遠くで、ルカの声が聞こえる。

 猫たちが向かってくる足音がする。

「おっと、どうやら時間をかけ過ぎたようだ。今日はここらで失礼するよ。またお会いしよう、ドン・カルデローネ」

 むに斎は、そう言い捨てて、散歩にでも出るように、カルデローネ・ファミリーの事務所を出ていった。

 ジュリアは、ビトの腹の傷を押さえながら、必死に叫ぶ。

「お願いです、助けて! ドンが、ドン・カルデローネが死んでしまう!」

 ビトの腹から流れた赤黒い血が、床を浸した。

 ビトは、意識が遠くなるのを感じながら、なぜか懐かしいような、寂しいような、奇妙な感覚を味わっていた。

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