第42話:世界より産み堕とされし神の獨生の子

―――――――― 栄光頌(グローリア) ――――――――




 トクントクントクントクントクントクントクントクントクントクトクトクトクトクトクトクトクトクトクトクドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドク……、ドックンバクドックンバクドックンバク。


 心臓の心拍音がうるさい。


 冷や汗で背中はべしょ濡れだ。


 手汗でナイフが滑り落ちそうになる。


 息が苦しい。


 一歩ずつ地面を踏むたびに底のない大きな沼に浸かってしまいそうだ。


 髪がかゆい、搔きむしりたい。


 唇が乾く、するとピッと切れ薄く血がにじむ。


 手が震えている、手の中で禁域(クラウズーラ)の鍵が振動し続けている。


 鍵穴へ鍵を押し込む。

 確かな手応えとともに、右に静かに回す。

 カチリっ、という金属音に心臓が再び跳ね上がるが必死に抑える。


 マリサが寝てから、もう 1時間ほどが過ぎた。


 静かに扉を開ける。

 案の定マリサは寝静まっていた。


……気持ちよさそうだ。


 ふと、机の上に置いてある手記に手を伸ばす。

 シファン教では毎日の生活を記し、神への報告とするらしい。


 小窓から落ち着いた光が差し込む。

 少しだけ……、興味本意でそのノートをめくる。

 だが、書かれていた言葉はまるで一言一言が害虫であるかのように俺の心を蝕んでいった。



――――


 どうして私があんな子たちのうるさ静かにしくさい言うこと聞かな笑顔も飽きいつも同じ話ばっあと1年すれば売ってお金がもらえ我慢すめんどくさ手伝うなら変わっ惨め死ねばいいの殺した早く終わまた喧嘩ばっかしてどっちかが死ぬまでやれなんで死ね私が自費でいつまで続く地獄だ気持ち悪キャーキャーうるさ寄ってこなダルい起こすうるさあんなの金のための家畜早く肥えあの子達は私の私利私欲の為の道具でし黙れ汚見せるふざけな死ねそれくらい自分でや何で反抗してん鬱陶しその顔がむかつ1日が長私の好きなこと出来な早くこいつらから離れ早く来四人ともリーダーぶる死ね全部お前らがや修道院を焼けば全て終わキモ死ね一々報告に来るハズレくじ引いた終われ早く終わ大嫌いだあんなガキどもに何で私の時間をこうなるはずじゃなかっ……。早く、死んでよ。


――――





 


……。


………。


……………クソ。


…………………何で。


…………………………何で、涙が流れるんだよ。



 裏切られるって、こんなに張り裂けそうになるのか?


 シスター……、マリサ。

 頑張ってたんだな。

 あんたのその慈母の笑顔、忘れない。

 あんたのその偽善、忘れない。


 パタン、と手記を閉じる。

 これは……、あいつらには見せられないな。


 マリサの側に忍び寄り、しゃがむ。


 寝息が聞こえる。

 幸せそうな顔をして眠っている。

 呼吸に伴い動く胸に一瞬だけ視線を奪われる。

 こうして見ると……、美人だ。

 マリサ……、キツかっただろう。


 今……、楽にしてやる。


 俺たちに偽善を見せ、惑わし続けた断罪と共に。


「マリサ……、愛してたよ」


 ゆっくりと、だがどこか手慣れたように頸動脈(けいどうみゃく)にナイフを垂直に立てる。


 そして、手が震える間もなく何も考える間もなく……、押し込んだ。


 喉が美しく、純血の花が蕾(つぼみ)を膨らましたかのように咲かれる。


 そして俺の手には赤い花が咲いていた。

 汚く美しい、黒い一輪の大輪が。


 俺は、人を殺した。

 待っているのは飾り立てられた賛美や彩りに根ざす賞賛などではない。

 これは……、厳格の象徴だ。


 はぁ……。

 息が苦しい。


 この世界はまるで杯に満たされた泥水のようだ。

 たった一滴でも、天から雫が齎(もたら)されれば溢れ出してしまうような。


 禁域(クラウズーラ)は時を置いて静かに佇む。

 汚濁をそのままにして。


 もしもこの先、俺たちに邪を撒(ま)く物があれば……。何度でも、何度でも排斥(はいせき)する。

 溢れ出る無作為に自身が絡め取られていた、選び取られていた。






――陰謀渦巻く世界の只中、静かに決意し人を弑(ころ)した少年は、あまりにも幼い子供であった――





 立つ。

 マリサを見下ろす。

 まだ、表情は幸せそうなままだ。


 開いた傷口から、

 シュバッ、シュバッ、と定期的に血を吐き出す。


 心の蟠(わだかま)りが鋼鉄の重しのようにのしかかる。

 人を殺した実感が湧かない。

 これがダメなことだとも思わない。


……ただ、これが俺のやるべきことだ。

 それだけだった。


 罪悪感も背徳感も何も感じない。

 心が冴え渡っている。

 自分を殺した、心はなかった。


 立ち去ろうとする。

 だが、その前にマリサの顔にペッ、と唾を吐く。


 そして、ゆっくりと歩き出す。

 禁域(クラウズーラ)から出るその時、振り返り死したマリサに声をかける。


「最後に……、一言だけ言わせてくれ」


 ギリッ……と、歯ぎしりをする。





「……反吐(へど)が出る。」





 月明りは、今日も綺麗だ。





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





「全員、聞け」


 みんなの目線が俺の腕に集まっている。

 返り血を見る。

 言葉を発するものはいない。


「今から一切喋るな。喋らず、あの底なし井戸まで走れ」


――――底なし井戸。

 かつて、俺たちが見つけた塞がれた井戸。

 近くの木の根元の折れた金属の枝に発火させることで蓋が内側に開くようになっている。

 マリサもこれが何かは分からないと言っていた――――


 あの井戸の中に入るしか今は逃げ出せる方法がない。

 少しずつ外が騒がしくなってきていた。

 何かが起こっているのは確かだ。


 悲鳴や崩壊音。

 青く静かだった光はいつの間にか橙色の激しい光に変わっている。


「フルールとユウが先導してくれ、ユウは付いたらすぐに蓋を開けろ。マーニア、ヒスワン、マグド、小さい奴らを頼む。俺とミサで後ろから追う」


 心臓が弾け飛びそうだ。

 心の内から何か邪悪な物が飛び出してきそうだ。


「みんな、心配するな。絶対助かる。だから、もう……、泣くな」


……俺は、泣いていた。

 止めどない涙が溢れ出る。

 止められない。

 指示を出してる俺がこんなのじゃ、ダメだろ。


「ゥグッ……、行けっ」


 フルールとユウが走り出し扉を開ける。

 それにつられるように他の子達も走り出した。


 全員が立ち上がり走り出す、心は落ち着いているように見える

 俺も……、いかないと。


「ルナート……」


 強く抱かれた。

 こんな時に何をやってるんだミサは!

 だけど俺の心が溶けていくような感覚を覚える。


「……気負いすぎ」


 そう言って俺の腕についた返り血をミサは自分の手で拭う。

 そして、その手を人殺しの俺に向ける。


「ほら、見て。私も……、ルナートと同じよ」


 その顔は涼しい。

 涙のあとさえ伺えない。


 そんなミサだからこそ……、感じてしまう。

 離れたくない、と。

 不安が押し寄せてくる。


「行きましょ」


 そう言って走り出した。

 扉を出ようとする、が。

 一番扉に近い会衆席にネヘミヤが座っていた。


「おいネヘミヤ! 行くぞ!!」

「……」

「どうした?! 早く!!」

「僕、いいよ」

「何で……っ!」

「だって、もう生きたくないもん」

「そんなこと言ってないで早く!」

「ルナートには関係ないだろ! 僕はここにいて、お母さんのとこに行くんだ!」


 マリサか……。

 まだ、飲み込めていないんだ。

 マリサが……、俺たちがずっと見てきた笑顔のマリサは偽物なんだと。


「早く行けよ。ルナート。僕、もうどうでもよくなった」

「ネヘミヤ……」

「ルナート、構ってないで行くわよ」


 グイ、と引っ張られる。

 肩を落としたネヘミヤが振り返って俺を見る。

 その目は、強く俺を睨みつけていた。


 どうしてお母さんを殺したのか、と。


 そのまま、ネヘミヤが視界の先から消えた。






 辺りは赤い。

 修道院は壊れ、どこからか火事が起こっている。

 喉がかわいた。

 だけど今はこの足を止める訳にはいかない。


「ガキどもォ待ちたまえよお!」


 どこから嗅ぎつけたのか、さっきの黒コートの男が追ってきていた。

 剣を片手に持ちながら。

 その切っ先は白く、赤はない。

 拭ったのか。


 怖い。


 走っていた。

 最後尾に追いつく。

 修道院の外壁には聖典を題材とした多種多様な浮き彫りが施されており、そこに俺たちの影が映り込みデコボコな黒いシルエットを写す。


 子供の走りでは精一杯だ。


 後ろから迫ってくる。


 目の前のナタンの足がほつれている。


 すると、目の前でバタッ!! と転ぶ。


「ナタン!!」

「ルナートっ、助け――ッ」


 必死に手を伸ばそうとする。

 泣きじゃくった顔でナタンは必死に手を伸ばそうとするが。


「ルナート! 一人くらい捨てなさい!!」

「バカ言うな!!」


 引っ張られる。

 ふざけるな。

 あんなに助けてほしそうな目をしてるんだぞ。

 そんな家族を置いていける訳が――





 赤い。





 また、この赤色だ。



 追いつかれていた。

 全員、殺す気だ。


 また一人失った。

 ナタン……。何で、あんな顔をする?

 あんな顔をされたら、一生忘れられないじゃないか。


 黒コートの男の後ろから何人もの男が追いかけてくる。


 早く――早く!!


 井戸が見えた。

 一人飛び込んだ。

 また一人、飛び込んだ。

 もう何人も飛び込んだのだろう。

 残りも少ない。


 そして、また飛び込む。


 井戸に辿り着いた。

 あと四人!!


 すると、今にも飛びこもうとしていたマラキが突然吐いた。

 その内にスララが飛び込む。

 ミサは吐いているマラキをチラリと見ながら飛び込む。

 俺の手をつないだまま。


 だが……、俺はその手を離す。


「え……?」

「悪いな、先に行っててくれ」

「バ――っ!!」


 ミサが視界から消えた。

 俺はマラキへ歩み寄る。


「大丈夫か?!」


 すると恐怖に歪んだ形相でマラキが俺の後ろを指をさす。

 振り返ったその瞬間、咄嗟にマラキを押し付け転がる。


「おやおや、交わしますか」


 黒コートの男が言う。

 剣を持っている、その切っ先は赤い。


「あなたたちは私の大切な金ヅルです、逃げないでいただきたい」


 断る! そう心の中で返し井戸へ飛び込もうとするが男が遮る。


 剣を向けられる。

 マズイ……。


 追っ手が来ていた。

 早く、何とかしないと!


 どうする?

 井戸の前には男。

 今にも剣を突き出さんと構える。

 視界の先からは追っ手。

 隣にはマラキ。

 武器はナイフ一本。

 だが、やりあって殺せる可能性は……、ゼロ。

 早く……、何とかしな――




――目を、見張る




――視界の先から、マラキが貫かれていた




――自分から走り出したのを視界の端で捉えるのが限界だった




「もう……剣、使えないだろ?」


 マラキは勝ち誇ったように男に向かって言った。

 男は必死に剣に刺さったマラキを引き抜こうとする。

 その間に、マラキは俺に言う。


「ルナート、早く行けよ!!」


 マラキ……!


「俺はもう見ての通りだ、助からない!! 早く行け! あいつらが待ってる!!」


 そして、血を吐きながら俺を見る。

 涙を振り絞り、剣に胸を貫かれたままマラキは思い切り男に体当たりをする。


 不意をつかれたのかそのまま倒れこむ。


 そして、マラキは……、叫ぶ。





「お前がいなきゃ……、誰があいつらまとめんだよッッ!!!!」





 足が動いていた。

 飛び込む。

 迷いは捨てた、いや捨てさせられた。



 飛び込み、落ちていく。

 井戸の底につかない。

 急降下する感覚。

 視界の先は真っ暗だ。

 底から冷気が吹き上げる。

 みんなの声も、着地した音もしない。


 本当に……、底なしだったとはな。


 頭が冷えていく。

 一気に色んなことが起こりすぎた。

 何だったんだ、あれは。

 何が起こっていたんだ、この街に。


 まだ、着かないのか。

 黒い。



 本当にこの井戸は底なし井戸だったのか。

 いや……。だけど、もしかしたらこれは死への入り口なのかもしれない。


 そう思うと、何かが吹っ切れたような気持ちになる。




 そして俺は……、静かに息を引き取る覚悟を決めた。











――後に、この夜の事件は[背教徒ユリハヌスの争乱]と呼ばれるようになった――





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





 ンフフフ。

 今日は気分が良いですねえ。


……まさか洗零者(ボス)が囚人の処刑を全てワタクシに一任してくださるとは。


 まだウズウズしている。

 あの快感は中毒性が高くて非常に困る。


 すると、ワタクシの屋敷の側で何やらで可笑しな野次馬達が群がっている。

 事の余興に野次馬共を嬲(なぶ)り殺しにして今夜のシチューの具材にでもしようかとも考えるが、一応何が起こったか見るとしよう。


 緋色(カーディナルレッド)の長いローブが足にかかる、この服は着づらいが今まで楽しんだ何人もの人間の血を吸っているから手放せない。


 ンフフフ。

 それにしてもやはりこの街の空気は美味しい。

 絶えず血の香りがする、死の香りがする。


 やはりここはワタクシにとっては天国ですねえ。


「あなたがた、少しおどきなさい」


 すると「イスラル様」と、野次馬達が頭を垂れる。

 毎度毎度、彼らはワタクシに首を差し出しているのか。

 だが昔、実際に全員の首をもぎ取っていると洗零者(ボス)に軽く怒られてしまった。


 全く、死ぬ気のないものが首など下げるものではないですよ。

 そんなことを思いながら野次馬をのけ、彼らが見ていたものを見る。


「オヤオヤ、これはまた珍しい落し物で」


 目の前には何人もの子供が山のように積み重なっている。

 せっかく敷いておいた藁の山も台無しだ。

 しかし、意識を失っているものが多い。


 それにしても嬉しいですねえ。

 ワタクシの食材取りにあの井戸と開通したのに、ここ2年ほどだれも落ちてこなかった。


 確か最後に来たのは自殺しようと飛び込んだ少女でしたねえ。

 あの少女は……、極上の美味でした。

 あの光景を思い出すと未だに快感に浸れます。

 あの恐怖の表情……、一枚一枚、毟(むし)り取り剝(は)ぎ剥(む)き抉(えぐ)り抜き切り刻んだあの少女。

 腕を煮込み目玉を揚げ舌を蒸し局部を刻み串焼きにし腸と臓物を炒め髪の麺を浸し太腿をダシに指と皮を菜にしたあの血鍋の味が忘れられない。

 6時間もかけじっくりと堪能(たんのう)しながら料理した時の記憶はワタクシの人生の中でも最高級の一品。


 ンフフフ。

 さて……、彼らをどうしようか。

 やはり今夜のシチューの具材にしよう。

 そこらの腐ったような男どもでは味が不味くなる。


「ど……、こだ、ここは?」


 一番上に乗っていた少年が口に出す。

 全身血まみれだ。

 これはまた……、良いコクを出しそうな顔をしている。


 そんなことを思っていると、少年は状況を把握し出したのか困惑したような口調で口に出す。


「あんたたちは、誰だ?」


 他の子供達が起きだす。

 少年は「悪い悪い」と言いながら子供達の山を崩す。


 そして他の子供達が起き上がり現状を把握しだす。

 すると、再び少年が口にする。


「もう一度聞く。ここは、どこだ?あんたたちは、誰だ?」


 オヤオヤ。

 涙が出てますよ、また怯えたような顔をして。

 死ぬ予定だったのでしょう……、こんなところに来てしまうなんて、哀れな子羊達ですねえ。


 フムフム。

 取り敢えず彼らは生かしておきましょうか。

 今は人手不足ですし、子供がもっとも生粋の力を発揮できると導祖(ボス)も言っておられたことですし。


 判断は、洗零者(ボス)に任せるとしましょうか。


 イヤイヤ。

 ワタクシからすると彼らは卵、育て方によっては鬼にも化ける。


「ンフフフ。教えて差し上げましょう。

 ここは地下都市インペルダム。ワタクシは枢忌卿(カルディナーレ)・イスラル」


 ハテサテ。

 この何とも警戒心の強い子供達は中々使い物になりそうですねえ。

 一体、どんな経験をすればあんな目に。


 ンフフフ。

 そそられますねえ。

 いい素体にまで育ちそうです。


「ンフフフ。ワタクシはあなたがたを歓迎しますよ……」


 そして、ニッタリと子供達に笑いかける。




「よーっうっこっそ……っ。

 我らが暗殺ギルド≪零暗の衣≫へっ」




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