第14話:世界が変わってしまう前に

 


 風が頬を撫でる。


 冷たいその風は薄い茶色の長髪を吹き抜けていき、前に進む足は青く生えた丘を踏みしめ登っていく。


 こっそり覗いた部屋に、ルナートはいなかった。

 そして、私が目指したのはルナートのお気に入りの場所。街の外れにある、小さな丘だった。

 ここに時々ルナートが行っていたのは知っていたし、私も後をつけて行こうかと、偶然を装って話をしようとしたことが何度もあったけど、結局一度も来れていなかった。

 ルナートならきっとここにいるはずだ。


 丘を登りきる。だけど、そこにはルナートはいなかった。

 ガックリと項垂れ、落胆してしまう。

 どうしよう。もう私……、ルナートの行きそうな所なんて分からないよ。

 もし見つからないんじゃないかと、結局何も言えずルビンちゃんの元へ帰ることになるのではと思うと、不安で胸が押しつぶされそうになる。


 丘の頂上には一本だけ生えている大きな木がある。

 私はそこで、少しだけ息をつこうと、その木の根元にゆっくり腰掛け、なんとなく夜空を見上げてみる。

 とても……、きれいだ。


 暗い夜空に所々白い綻ぶ。星と言われるそれと強く光る満月は私を照らし、夜空に吸い込まれていきそうな感覚になる。


「革命……、かぁ」


 ふいに呟く……。


「誰か、いるのか?」


 すると突然、背後から声が聞こえた。

 そしてその声を聞いた途端に心臓が跳ね上がる。


「ル、ルナート?!」


 う、裏にいたのっ?!

 う、嘘……。どうしよ、どうしようっ!!

 思考回路が言うことを聞かず、何だか自分の飼っているペットに全員逃げられたような気分になる。

 だ、ダメよ……。落ち着いて、落ち着いて……!

 胸を押さえながら必死に心臓に呼びかけるも、激しく動き出した心臓は言うことを聞かない。

 すると、私の意図を知ってかしらずか、ルナートが話し出す。


「ここ、いい場所だよな」

「そっ、そう……、よね」


 テンパりながらも何とか言葉を返す。

 ルナートの声はどこか哀愁に満ちていたような気がする。 

 もっと話したい。

 話しかけて言いたい言葉がいっぱいあるのに喉に何かがつっかえたように声が出せない。

 儚げな私の恋情が泡沫うたかたのように浮かんでは夜空に霧散していく。


「にしても寒いなぁ。もうかえでの季節も終わったんだよな」


 少し落ち着き始めた心臓に感謝しつつ渇いた喉を懸命に絞る。


「そっか。もう、みぞれの季節だもんね」


 短い言葉を必死に返す。

……正直、革命なんて起こさずにルナートと逃げ出したい。

……だけど、その言葉もつっかえて言葉に出来ない。


「ねぇ……。ルナートは、怖くないの?」


 口にした言葉は、全く違うものになってしまう。

だけど、ルナートがこの革命をどう感じているのかも知りたい。


「怖い……か。確かにそうかもな。だけど、俺は自分の命を捨ててでもやり遂げるって覚悟はあるよ」


 フッ、とルナートが笑ったような気がした。


「ルナートが死んじゃったら、みんな悲しむよ」


 考えてしまう。

 ルナートには死んでほしくない。

 本当に死んでしまったら悲しむどころの話じゃないだろう。



……だからこそ今、この世界が変わってしまう前に伝えなきゃいけないことがある。




 ルナートを好きだという、この気持ちを。




 だけど言葉は喉まで来ているのになかなか出ない。どこか息苦しさを感じる。

 再び心臓が激しく高鳴り出す。


……どうしてなのよ。


 心の中で必死に嘆願する。もう少しの勇気が出せず、胸が張り裂けそうになり涙が溢れてしまいそうだ。

ただでさえ、ルナートが側にいるというだけで逃げ出したいのに……、こんなの。

 でも、この機を逃したら一体いつになっちゃうのかなんて、考えたくもない。

 この気持ちを伝えようと決意してからもう1年以上も経っちゃってるし。


 やっぱり、私ってダメだなぁ……。


 その気持ちを知ってか知らずかルナートは再び声をかける。


「大丈夫、ミアは死なせないさ。いや……、レジスタンスのみんなは誰も死なせない」


 その声は強く私の心に響いた。

 私はそっと右手を斜め後ろへと差し出した。カサッ、という草の音が聞こえる。

 ルナートはそれに気づいたのかその手を……、繋いでくれた。


 柔らかいけど、どこかゴツゴツした男の人の手。だけどそれは、どこか優しくて温かい。

 もしも、この木がなければルナートの温もりをもっと感じられただろうか。そう思うと、この木が少しうとましく感じてしまう。

 するとルナートの手が小刻みに震えているのに気がつく。


「ルナート……、どうかしたの?」


 そう言って、心臓の脈動を抑えながら声をかける。


「いや……。なんでも、なっ……」


 泣いて……、いるの?


 声が震えていた。

 駆け出してルナートを正面から抱きしめてあげたいという衝動に駆られるが、奮い立たせようとした勇気はすぐに空気へ消えちゃう。


「はは……っ。みんなの前では弱いとこ見せないって決めてたんだけどな……っ。ごめんな、ミア、、、やっぱり怖いんだ。みんなに……、死んでほしくない。俺の、俺のわがまま、、、で」

「ルナート……」


 涙が落ちる音が聞こえる。

 センチメンタルになってしまっているのかな。でも、そんなのは、私も同じだし……。

 だけどやっぱりルナートが涙を流すのは、私の身体を裂かれるように痛い。

 私と出会ってからルナートが涙を流すのはこれで二度目だ。


 ルナートが初めて流した涙。あの日のことを、まだ私は鮮明に覚えている。

 そして、ゆっくりと思い出す。

 私が一人の人間としてこの世界に生まれた日。

 名前のなかった私を助け出して、名づけてくれた……、あの日のことを――





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





 私は、子供の時から、ずっと奴隷だった。


 私は、生きているのか死んでいるのかさえ、分からなかった。


 私は、どこに居て何をされているのかも、何も分からなかった。


 ただただ、毎日が過ぎていった。


 覚えているのは、苦しかったことだけ。


 死にたいなんて、思わなかった。

 死んだって、今と変わらないんだろうと、思っていたから。



 だけど、その日、私は奴隷から解放された。

 いや……、買い取られた。

 私を買い取った男の人は、いつも見る人たちの顔とちょっと違って見えた。



 私と男の人は無言で歩いた、連れられた場所は今いる丘と同じような所だった。

 そこに私と男の人は二人で座っていた。


 それから私は、一番大きな疑問をぶつけた――


『どうして、私を買ったの?』


――と。


 その質問に男の人はバツが悪そうに頭を掻きながら言った。


『助けたかったから、かな。君が……、似ていたから。昔死んでしまった俺の大切な……、大切な仲間に』


 その時、ルナートの頬に、二筋の涙がこぼれるのを見た。



 そんなに大切な人だったのだろうか?


 私はその人の変わりなのだろうか?


 私だけ助かっていいのだろうか?



 たくさんの疑問符が私の脳を行ったり来たりした。

 だけど、男の人はうつむいていた顔をあげて私を見た。


 その目が私の視線と合った。

 強い……。だけど、どこか助けを求めているような目だった。


 男の人はまた、話し出した。


『俺はルナートって言うんだ。君の名前も教えてくれないか?』


 男の人……、ルナートはそう聞いてきた。



 私の、名前は――


『18……、18番』


――言いたくなかった。



 だけどこの名前しか私だと証明するものはなかった。

 ルナートは少し驚き迷った表情をした後、静かに夜空を見上げた。



 私も、それにつられるように夜空を……。




『……ミア。君の……、名前だ』




……夜空に一筋の星が流れた。


 ルナートを見た。

 ルナートも私を見て無邪気に、夜空に輝く星のように……、笑ってくれた。



『ミ……、ア……』



 何度も、何度も口にした。

 名前……。私の、名前……。


 私は名付けられたの?


 私とルナートを優しく照らす、あの”星”たちと同じように?


 そう思っていると、ルナートはゆっくりと口を開いた。


『こうやって空を見上げてたらさ、俺たちがちっぽけな存在だと思えてくるだろ? それでも……、どれだけ小さくても輝いてるんだ』


 ルナートは堂々と言い、再び夜空を見上げた。


『そのことは、空を見上げたときにしか分からない。だからミアはみんなにそれを気づかせて思い出させてくれるような……、そんな人になってほしいんだ』


 恥ずかしげもなくそう言う。


 だけど不意に込み上げてくるものがあった。


『フフッ……。ァハハッ』


……笑った。久しぶり……、いや生まれて初めて笑った。何だかちょっとくすぐったいような気がして、不思議な気持ちになりながら、笑った。


『ちょっ……? そこ笑うとこじゃないだろ?!』


 ルナートは焦って照れながらそう言う。


『だ……、だって。ルナート、いきなりそんなこと言うんだもの』


 気持ちがよかった。心が夜空に吸い込まれていくようだった。

 ルナートは更に恥ずかしがりながらだけどどこか真剣に言った。


『ま、まあさ……、ミア。これから一緒に生きていくんだ、だからミアは一人じゃない。もしもミアが自分の心の在り処に迷ったときは――』


 その言葉を聞いた途端……、涙が込み上げた。

 そして、その瞬間からルナートを見ると胸が熱くなり激しく動き出すようになった。


 それからルナートは優しく私の肩をとり自分の方へ引き寄せた。



『……ありがと、ルナート』


 その声が届いたかは分からない。

 だけどそこから、この世界にいないも同然だった私は。ルナートに名付けられて、存在するこもを実感して。……ミアとしての人生が始まった――





⌘  ⌘  ⌘  ⌘





――もう、ルナートの涙は見たくない。いや、流させたくない。


 そっとルナートが手を離す。

 寂しさが胸をうつ。

 再びルナートとの過去が頭に流れる、と同時に――



――立ち上がっていた。



 気付いた時には、ルナートの目の前に立……。



……抱きしめた。




……温かい。




……迷いは、なかった。




 ルナートは驚いた顔をするも私を抱きしめ返してくれる。

 ルナートの胸に顔を埋める。

 心臓は激しく動き緊張感や恥ずかしさはピークになり頭は真っ白に……。





「好きよ……、ルナート」




……口にする。




「出会った時からずっと、ずっと。ルナートのことが、好き」


「ミア……」


 ルナートは呟く。

 

 もう、胸の鼓動なんて意識から消えてしまった。


……言えたっ。

やっと……、気持ちを伝えられた!


 心の中で達成感が踊って、満足感が噴水のように溢れ出す。


「私ね、ルナートがみんなの前に立って引っ張っていってる姿にすごく惹かれたの……。それに、ルナートのことなら私は心の底から信じられる」


 それが、私の気持ち。

 言いたいことなんてもっとある……。けど、今はこれで充分。



「だからね、ルナート。私と……、私とずっと一緒にいて?」




 その言葉にルナートの表情が……、変わった――







⌘  ⌘  ⌘  ⌘






……突き放した。



 抱いていたミアの表情は驚き、悲しみ……。そして、絶望へと変わる。


 好き……、だって?


 そんな……。

 信じられない、ミアがそういう風に俺を見ていたなんて。


「ル、ルナート?」


 今にも泣き出しそうな目で俺を見る。

 その目が過去の弱い自分と同じように映る。

 頭の中で何かがプチッという音を出し入れ替わったような感覚になる。


「違う、お前は代わりなんだ。……お前が好きになったルナートは、存在しないんだ」


……口に出す。

……抑えられなくなる。

 ずっと、ずっと言いたかった心の声が……、一気に噴火するように言葉に出てくる。


「あれは……、あんなものは本当の俺じゃない! ただ気飾って善人ぶった偽の顔だ! 本当の俺はもっと醜く惨めで弱い……!」


 ミアの目から涙が流れ落ちる。

 だが俺は立ち上がり見下ろすようにして言う。


「あんな言葉はただの建前だ! 革命なんて俺のただの復讐だ! それにみんなを巻き込んで……、それで――っ!!」



……続かない。

 言いたいことはもっとあるのに。

 けど、再び込み上げてきた言葉は脳で口に出すのを止められない。

 そしてそれは、き止められていた瀑布ばくふが決壊したかのように溢れ出す。



「……分からないんだ。もう、本当の俺は何なのか! どうして分かってもらえない! 嘘なんだ! 偽物なんだ、全てがっ!!

 仲間も本当の俺を知らない分かろうとしない!! 偽の信頼は次から次へと俺にのしかかっていく! 世界を変えることに意味はあるのか! 何度も思った! 変えるべきは世界なんかじゃない!自分自身なんじゃないかって!!

 狂ったんだ! 世界が滅んでから消えたんだ失ったんだ、俺の心が!!!

 あの、レピア崩壊さえなければ……! この街に来さえしなければ……!!」




 涙と嗚咽が混じる。

 訳が分からなくなり思考がぐちゃぐちゃになる。


 ミアはそんな俺を静かに見ていた。

 だけどその目はあの日の彼女の目と違って見えた。



「ルナートは……、いつも一人で抱え込みすぎなのよ」



 そう言うミアの声は優しかった。その言葉は……、遠い昔、どこかで聞いたことのある懐かしい響きだった。

 そして、ミアは立ち上がり再び俺を抱きしめる。



 温かい……、のか、これは。



「私は……。ルナートが満たされるなら、あなたの大切な人の代わりだっていい。それに、言ってくれたでしょ、一人じゃないって。それに……」



 真っ直ぐ俺の目を見つめる。


 そして思い出す。

 俺が昔言った言葉を。


 そしてミアも言葉を紡ぐ。



『もしミアが本当の心の在り処に迷ったときは――』

「もしルナートが本当の心の在り処に迷ったときは――』




――『「私の心に全て預けて俺の心に全て預けろ」』――





 ミアの言葉と俺の心の記憶が流した言葉が、同調する。

その言葉は、俺の本当の心に深々と突き刺さった。



 そうか……。俺がずっと求めていたのはあの日失ってしまった”心のり所”だったのか……。


 嘘かもしれない。

 けど、ミアにだけなら。ミアにだけなら……俺の全てを預けても――


 そう思った時、ミアとの視線が交わる。何度目だろうか。


 まだ言いたいことがたくさんある……。けど……っ。



 俺はミアに心を預けてもいい……、いや、預けたい――





ーー不意に、顔が近づく




ーー気付いた時にはお互いの唇が優しく淡く重なっていた



ーーこれが心なんだな……、ミア




ーー目を閉じる












 俺とミアを照らす夜空の光は……、いつまでも輝き照らし続けていた





















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