妖し乃商店街をよろしく

ものまねの実

第1話 妖し乃商店街

世界には様々な不思議がある。

伝承や空想に代表される存在の多くは人の目に触れられず、ある日突然現れ、突然姿を消す。

そういったものを人は不気味なものとして恐れ、日常の有り難さを覚えていった。


だが果たして本当に怪異は闇に潜んでいいるだけの存在だろうか?

人が怪異に興味を持つように、怪異もまた人の世へと興味を持っていると考えられないだろうか?

そんな存在がもしも人間社会に溶け込んで暮らしていたとしたら?


世の中ではあることの証明よりありえないことの証明の方が遥かに難しい。

そしてその事を信じるかどうかは受け手側に完全に委ねられることになる。


これからご覧いただくのは、どこかにあるかもしれない一見普通の商店街の日常なのだが、この商店街、実は少し変わったところがあった。








「ありがとうございましたー。……ふぅ。」

閉店間際の最後の客が帰り、店を閉めようかと外へ向かう。


自動ドアを抜けると目の前には夕暮れに染まる商店街の通りが映る。

この商店街の一角に店を構える俺は一応この商店街の自治会長補佐という肩書を持っている。

会長補佐とはいうが、実際は単に時折発生する商店街の運営にまつわる雑用や共用施設の管理を適当に任されているだけだ。


遠野大角とおのだいかく34歳、今でこそこうして働けているが、少し前までは仕事を首になって路頭に迷う寸前だった。

この商店街の管理・運営を任せる求人を見た時は、まさに藁にも縋らんとしていたもので、働きだした今では後悔している。


俺に与えられる仕事は、この妖し乃商店街の入り口にある酒屋の店主をしながら、商店街の窓口となって問題を捌いていくものだ。

商店街の全体に関わる話や、個人では解決できない問題を一手に引き受け、それらを消化していく。

酒屋の仕事自体はきついが学ぶことが多く、やりがいを感じている。

商店街の住人も悪い人達ではなく、何くれとなく気を配ってもらっており、毎日が過ごしやすい。

ではなぜ俺が後悔しているのか。

それは―


「大角君、お疲れさま。もう店仕舞かしら?」

声の方へと向くと着物姿の女性が立っていた。

「こんばんわ、佳乃さん。さっき最後の客が帰ったところですよ。」

彼女は白井佳乃しらいよしのといって、この商店街にある呉服屋の店主だ。

しっとりと濡れ羽色の髪を三つ編みにして右肩から前に流し、垂れ目のおっとりした雰囲気に母性があふれている。


そんな美人に話しかけられればテンションが上がるものだが、実際はそうはいかない。

話しかけてきたタイミングとなんとなく感じる雰囲気で問題の発生を予感させる。

「佳乃さん、まさかまたですか?」

頭を抱えそうになるのをぐっと堪えて対峙して問う。

すると佳乃は破顔して俺の右腕に自分の腕を絡みつかせてきた。

「そうなのよぉー。ハナちゃんと圭奈ちゃんがいつものあれで揉めてね。大角君におねがいできないかしら?」

上目づかいで俺を見ながらお願いをするが、実際は命令されている気分だ。

とはいえ、問題が起きたのなら俺が動かなければならない。


「わかりました。じゃあ案内を頼めますか?」

「流石は大角君。こっちよ。」

俺の腕を引く佳乃に案内されていく。

しばらく進むと、居酒屋の明かりの前で言い合う人影が2つ見えてきた。

大声で喚いているが、その内容はわけのわからないものだ。


「絶対クジラが勝つね!」

「はん!これだから馬鹿は嫌ね!勝つのはゾウに決まってるわ!」

そこににいたのは、この町ではトラブルの常連の2人の女性だった。

片方は茶髪のポニーテールにクリっとした目が可愛らしいが、ジャージ姿で歯を剥き出しにして言い争う姿はチンピラのようだ。

もう片方はおかっぱ頭のゴスロリ姿にキリっとした目がキツイ印象を与える。

クールそうな見た目を裏切り、相手を罵る言葉は冷静さの欠片もない。


ギャーギャー言い合いながら、どちらも酔っぱらっているようで、時々呂律が回らない時がある。

立ち止まってまだ俺の腕をつかんでいる佳乃に喧嘩の理由を尋ねる。

ここに連れてきた張本人だけに、それぐらいは知っているだろうと思ったからだ。

「今日は何で争ってるんです?」

「クジラとゾウはどっちが力持ちか、ですって。」

滅茶苦茶くだらねぇな。


ポニーテールの女の方が里見さとみハナといい、普段はペットショップで働いている、ガサツだが元気が取り柄の健康的な女性だ。

ゴスロリの方は久喜圭奈くきけいな、商店街の中に開業医という貴重な存在で、物静かで丁寧な人当たりにこの辺りでは中々評判のいい医者だ。


この2人はしょっちゅうこういう騒ぎを起こすことでこの界隈じゃ有名だ。

普段は仲は良くはないが、顔を合わせるだけでこんな喧嘩を起こすほど考えなしな奴らではない。

だが酒が入ると一気に仲の悪さが加速し、言い合いから殴り合いになるほど。

その言い合いも喧嘩のための口実としか思えない位に下らないものばかりだ。

周りの連中もそれを面白がって煽るから、俺が出てくるころにはヒートアップが済み、メルトダウン寸前となっていることも少なくない。


佳乃の腕をほどいて2人に近づく。

「おい、お前ら。いい加減にしろ。これで通算何回目だよ。さすがに堪忍袋―」

「あーもう限界だ!今日こそぶっ殺してやるかんな!」

「それはこっちのセリフよ!いい加減、あなたの存在を許せるのも限界だったんだから!」

俺の制止に気付かず、2人は掴み合いへと移行した。

この瞬間、俺は一気に後退して佳乃を避難させるために、物陰へと引っ張る。


ただの女性の掴み合いなら俺の行動は腰抜けの一言で済んだだろう。

だが、この2人は範疇に収まらない。


両手を掴み合った一瞬の硬直。

そして次の一瞬で2人の姿が変わる。

ハナは体の筋肉が盛り上がり、体毛がドンドン濃くなり、顔も徐々に口周りが前に出始めると狼のそれへと変わっていき、着ている服がパンパンになるほど体は大きくなっていく。

対して、圭奈の方は見た目に大きな変化はない。

だが白目の色が血の様に赤くなり、食いしばっていた歯から犬歯がどんどん伸びると、筋肉の張りを増しているようなギチギチという音が辺りに響き始めた。

大きさこそ変わらないが、ハナの力に対抗できていることから、見た目以上の力を持っていることがわかる。


『グルゥ…。そんな見た目でゴリラみてぇな力しやがって。』

「誰がゴリラよ!…言葉は無粋、本気で来なさいよ駄犬がぁっ!」

『犬じゃねぇ!あたしは狼だっ!』

罵り合いながら掴み合っていた手を弾くように離し、互いに後方へと飛び下がる。


ダンッという音を鳴らした重量感のある着地のハナとは対照的に、圭奈は羽根が舞うようなフワリとした降り方だ。

そのまま睨み合いながらの僅かな均衡の後、双方が示し合わせた様に一気に飛び掛かっていく。

獣の唸り声と陣風の音、交通事故を彷彿とさせるほどの衝突音が響く薄闇の商店街だが、辺りに住む住民は騒ぎなどせずにどこまでも冷静だ。


最初こそ大きな音に反応し、窓を開けたり家の中から顔を出したりして様子を伺うが、騒ぎの原因を見つけるとすぐに何事もなかったかのように戻っていく。

中には見物を決め込み、酒を用意して囃し立てる輩もいる。

実際彼らにはこの2人の喧嘩はいつもの日常の光景なのでその反応は珍しくない。


狼の化け物と、それと対峙しながら互角に殴り合っている少女という異様な光景だが、この商店街では取り立てて騒ぐような異常ではないのが住民たちの反応からもわかるだろう。


なぜならこの商店街は怪異や人外が集まり住む、『妖怪商店街』なのだから。

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