第22話 ナオの幸せ、俺の幸せ
さて、カレーができたら後は寝かせる間の時間は遊び放題だ。とは言え、流石音大生四人組、遊び方がフツーじゃない。ナオがピアノの蓋を開けると、彩音がヴァイオリンを出してくる。それを見て佐藤がチェロを、大熊が四角い箱をそれぞれ出してくる。こんなところにまで楽器を持って来てるのか?
何が始まるんだろうかと思っていると、彩音が何かの曲を弾き始めた。俺は聞いたことが無いがこの四人は知ってるんだろう、彩音のヴァイオリンに合わせて佐藤がチェロで低音を弾きはじめ、ナオのピアノが入る。大熊はまだ動かない。この四角い箱は何なんだ?
暫くすると曲調がガラッと変わった。それと同時に大熊が四角い箱に座ってその箱を手で叩き始めた。何だこの箱、中に何が入っているのか、カシャカシャと音がする。小気味良くリズムを刻む大熊に合わせてナオと彩音と佐藤が調子良くテンポを上げていく。
え? え? え? こんなに速くして行って大丈夫か? 凄まじい勢いでテンポアップしていくが四人ともとても楽しそうだ。聴いているこっちも楽しくなってくる。どうやら大熊が悪ノリしてわざと速くして行っているようだ、彩音が人間技とは思えないテクニックを披露してる。まるで千手観音だ。
あれよあれよという間に曲が終わり、知らぬ間に窓の外に集まっていた他のコテージの客から一斉に拍手を贈られる。彩音はソリストとして堂々とお辞儀をし、まるでコンサートさながらの様相になってきた。すぐにアンコールが湧く。何事かと集まって来た地元の人たちも交じって大騒ぎになって来た。
大熊が気を利かせてウッドデッキ側のドアをフルオープンにしてリビングをそのままステージにしてしまうと、ウッドデッキに彩音と佐藤が楽器を持って出てくる。
観客は大歓声だ。
大熊は四角いさっきの箱を持って来て観客に向かって一礼すると、マイクを持っているかのような仕草で挨拶を始めた。
「アンコールありがとうございます! 先程の曲はモンティの『チャルダッシュ』でした! 次にお送りします曲は~……えーと何がええやろか?」
会場がどっと沸く。
「リベルタンゴ行く?」と佐藤が小声で言うと、ナオが「じゃあ
「えー、ほんならピアソラの『リベルタンゴ』行きますわー」
俺はここに居るのが場違いな気がしてきて、観客側に交じってみた。観客として見ると、これがなかなか楽しい。カメラマンに徹するのも面白いかも知れない。
大熊が最初のリズムを叩く。そこにナオのピアノが乗り、彩音がヴァイオリンを入れる。しっかり下地ができたところで佐藤が弓を構える。
……なんかトロル佐藤がすんげーカッコよく見える。うわーこれはヤバいわ。
佐藤がそのぬりかべのような体でチェロを弾き始めた。
俺は全身に鳥肌が立った。
なんだこれは。
俺は四人の演奏を、写真を撮るのも忘れて聴いていた。これが人間界の音なのか。
佐藤は女を後ろから抱くようにチェロを構え、懐で彼女を転がしながら踊るかのように弓を滑らせる。その音はあのトロル佐藤が発しているとは思えないほど官能的だ。男の俺でさえも背筋がゾクゾクする。それにつられるように彩音のヴァイオリンも情熱的に絡んでくる。ナオと大熊が必要以上に移入せずに淡々と刻む事で、その効果は増幅されるのだろう。
俺が茫然としている間に曲は終わり、割れんばかりの拍手の中で佐藤が204㎝の巨体を折り曲げてお辞儀をしている。
そのお辞儀が終わらないうちに、相談も何も無くナオが心地良いリズムを弾きはじめる。大熊がそれに合わせて四角い箱を叩き、佐藤がベースを入れる。
自信たっぷりに彩音が笑顔を見せてヴァイオリンを構える。
「今度はボサノヴァのスタンダードナンバー、『イパネマの娘』いきまーす」
彩音が言うと可愛らしい。
てか今、相談しなかったよな? ナオがちょっと弾いたくらいでこの三人は何の曲かわかるのか? 俺は曲なんか全然知らないが、この四人が即興で合わせている事くらいは雰囲気でわかる。なんでこんな技ができるんだ? ナオと彩音は合図し合って、ソロを渡したり返したりしてる。つまりこれってアドリブって事じゃん? なんかちょっと凄くね?
彩音のヴァイオリンは安定感があって、聴いていてとても落ち着く。聴衆の中には踊っている人もいる。これは凄い事じゃないか? 知らん人同士がこうしてこの四人の音楽で結びつけられて、同じ空間で同じ時間を共有してる。
こうやって楽器を演奏してる時のナオはなんて楽しそうなんだ。佐藤も彩音も大熊も、なんて幸せそうな顔で演奏してるんだ。
俺は?
俺は何をしている時が幸せなんだろう?
俺の幸せって、一体何なんだろう?
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