Scene17「新たなる依頼」


「雇われさん。そろそろ終るから、帰っていいよ。これであの子に良いもんでも食わせてやんな」


 鳳市の繁華街を少し行ったところに小さな白い壁の建物。


 外側からは旧い医院のような研究所がある事を知る者は少ない。


 看板は掛かっていないし、表札も出ていない。


 しかし、其処に出入りするのは少年と白衣を着たオバサンの二人のみ。


 近所の奥さん連中は古くからある家は資産家であり、ALの採掘利権を持つ富裕層であると知ってはいるが、その内実は殆ど知らない。


 町内会には所属しているのだが、何分時折寄付金を出すだけで一度も家主は出た事が無い。


 その代わりに毎年毎年、祭りや催しのスポンサーとして名乗りをあげてくれている助かる存在であった為、多くの人々は白衣の女の噂はすれど、その内実に迫る事は無かった。


 別にゴミ出しで問題を起こした事も無いし、近隣住民とのトラブルも抱えていない。


 いつも街の為に資金を提供している名も知らぬ名家。


 白衣姿の彼女を知る殆どの人間はそういう事で納得している。


 市役所に家族が勤める者から、超高額納税者である旨は広まっているが、だからと言って、妬まれるような話でも無い。


 ALの採掘で成り立っていると言っても過言では無いイヅモにおいて、そのようなAL成金はそれなりの数いる。


 その中に人とあまり接触したくないものの、お金は出してくれる富裕層とやらがいても、然して不思議ではない。


 故に彼女の本名を知る者も殆どいない。


 町内会のリストにすら苗字に家を付けて○○家としか書かれていないのだ。


 だから、○○家の奥さんというのが近隣の奥さん方の白衣の女に対する呼び方だった。


「……今更、何を調べた?」


「いやねぇ。ちょっとあの子の身体情報が必要になったもんで」


 女(オバサン)と少年は研究所の奥。


 リノリウム製の廊下にあるベンチで缶珈琲を啜っていた。


 女がそっと使い捨てのプリペイドカードを七士に押し付ける。


「ああ、そうそう。今後の仕事に付いてなんだが、今夜いつものあの子が受け取りに来る事となってる。車両は運び入れておいたから、またいつもの場所で頼むよ。それと今回はあっちからキャッシュの代わりにメモリーを貰ってきて貰いたい」


「メモリー?」


「ああ、あの子にも頼んでてねぇ。二つ返事で了承してくれたよ。持つべきものはお得意様ってやつだ」


「ワルモンヌ・ワルシュタインか……」


「まぁ、フォーチュンの連中にしても、前々からやってる運び屋家業に文句は言うまいさ。現場指揮官はあれで清廉潔白を地で行くらしいけれど、グレーを無理矢理、黒にするリスクは弁えてる。あんたがフォーチュンと契約する時も何だか出来過ぎなくらいに聞き分けが良くて、拍子抜けしたくらいだからねぇ」


 いつも彼に無茶振りを振ってくる酔いどれ支部長の顔と一升瓶を思い出して、七士が溜息を吐いた。


「分かった。いつも通り振り込んでおいてくれ」


「はいはい」


 二人が珈琲を啜り終えたとほぼ同時。


 彼らの前。


 扉が開いて検査を終えたアイラが薄い背中を紐で括るタイプの上着だけを着て出てくる。


「全ての工程が終了しました」


「帰ろう」


「本日はお疲れ様でした」


 ペコリと頭を下げたアイラに女は苦笑するも、初めに来ていた服を取りに隣室へと歩いていった。


「七士様。これからのご予定は?」


「夜になったら、仕事がある。いつも通り、バックアップに回ってもらう」


「了解しました。では、本日の夕食は早めに作りましょう。付きましては繁華街での買い物の許可を」


「許可する。だが、一ついいか」


「何でしょうか?」


「近頃、買出しの回数が多くないか? 昨日も行ったばかりだと思ったが」


「はい。それに付いては申し上げようと思っていたのですが、学術的情報を得ましたところ、生鮮食品というのは店頭に並んだ時点でかなりに日数が立っている事も儘ある為、出来るだけ、その日食べる分を買うのが、健康上は望ましいとの―――」


「もういい。分かった。好きにしろ。ただ缶詰と軍用レーション類は定期的に頼む」


「了解しました。七士様」


 近頃、新妻の極意とメイドの極意が極まり始めたモデル体型少女は日常生活というものを保全する為に地道な情報収集に余念が無い。


 そのまま、妥当性と合理性を小一時間程語られそうだと遮った少年は近頃の太ってしまいそうなご馳走の数々と日々綺麗……花すら生けられるようになった寝室兼食堂兼仕事場の事を思い出して……女性の適応力の怖ろしさを思った。


「さ、着替えたらとっとと行っとくれ。こっちは仕事が立て込んでてね。忙しいんだ」


 白衣の女がアイラの服と下着を持って来ると手渡し、その足で廊下の奥へと歩いていく。


「珍しいな」


 ポツリと呟いた少年に女は振り返りもせずに答えた。


「大口の仕事と検体が入ってねぇ。諸々、大変なのさ」


 二人は廊下の角を曲がる背中を少しだけ見つめていた。


「では、すぐに終らせますので、しばし、お待ちくださ―――」


「服は其処の部屋で着替えろ」


「……分かりました」


 妙な間の後。


 アイラは何処となく視線を彷徨わせて、イソイソと服を持って部屋へと戻った。


 *


 少女が二人。


 互いに息を切らして走っていた。


 一人は小さななりで金髪のゴシック・ロリータな衣装を身に纏っている。


 もう一人は繊細な器量を持ち、クリクリとした二重の瞳に桃色の髪をした少女だ。


 共に走る片割れとある意味同類。


 胸元や肩が大胆に露出される紅の衣装を身に纏っている。


 黄色いリボンで髪をツインテールに結わえ、星型の髪留めをした姿は正にアイドルのよう。


 あどけない容姿は幼さを強調するが、それでも彼女は歴とした十五歳。


 共に走るゴスロリ少女と一つしか違わない。


 そんな彼女達の最も大きな違いは目付きだろうか。


 黒いゴシックの金髪少女は何処と無く邪悪な感じである。


 逆に桃色髪の彼女は温和で柔和で守ってあげたくなる系統な……敢えて例えるなら、まだ生後間もない子兎のような目付きをしていた。


 埠頭を走る彼女達はもう走れないとばかりにハァハァ息を切らして、一端立ち止まる。


「ふぅふぅ―――っ、本当に心底しつこいわい!! なんじゃ!? あのしつこさは!!? アレか!! よくホラーゲームで出てくる早いゾンビか!? いい加減、諦めれ!!」


 ゴスロリ少女が物凄く嫌そうな顔で背後にまだ見えない追跡者の姿を思い浮かべた。


「はぁはぁはぁはぁ……っ、む、無理じゃないかと思い、ます、よ?」


 桃色髪のアイドル少女が何とか言葉を紡ぐ。


「どうしてじゃ?」


「お、お父様が言ってました。近衛はお前がいるならば、それがアビスゲートの中だろうと駆け付けるだろうって」


「コノエって何じゃ?」


「え? 近衛は近衛、ですよ?」


「むぅ。会話にならん。助けたのは失敗だったかのう。ぅぅ、今日は取引もあったというのに」


「な、何かお仕事のお邪魔をしてしまいましたか?」


「馴染みのAL問屋から現物を受け取る日だったのじゃ。それを何がが悲しくて、お主のような“アイドルに憧れてるの☆”みたいな格好した一般人の為にあんなバケモンから逃げなければならんのか。ああ、十五分前の自分を張っ倒してやりたいのう!!」


「?」


 桃色髪の少女が首を傾げた。


「む、その姿と容姿でアイドル好きではないと言い張るつもりか? はッ!? まさか、自分は本当のアイドルなんて言うつもりでは?!」


「そ、その……アイドルだと何か不味いのですか?」


「不味いも何も!? 目立ち過ぎじゃ!? 逃げているのに聞き込みされたら一発じゃ!? そもそも、アイドルなんて今やバーチャルに取って変わられる運命なのじゃ。近頃はリンケージアイドルどころか。ガーディアンがアイドルしとるからのう。皺は増える。煙草は吸う。男と寝泊りする。世の男達が夢中になる姿は哀れよなぁ」


「そ、そういうものなんですか? アイドルって……知りませんでした」


「お主。何だか世間離れしとるのう。それともアレか? アイドルは花を摘みに行かないとか信じとる口か?」


「え?! アイドルだって、お花を摘みには行きますよ!! ええ!? お花摘むの楽しいですよね!!」


「む、そ、そうか……色々と近頃の若者は複雑な性癖なんじゃな。悪かった……聞かんかった事にしておこう」


「?」


 噛み合わない二人が頓珍漢な会話を繰り広げたのも束の間。


 彼女達の遥か背後でサーチライトのが空に向かって何度も振られ始めた。


「とにかく、じゃ。このままでは吾の身が持たん。お主を押し付け、げふんげふん。お主の望みを叶えてくれそうな輩が居ればいいんじゃがの―――おおう。いるではないか!? 今回の取引でALは諦めよう。ふふ」


「あ、あの?」


「お主、名は何と申す?」


「はい。ソフィアと申します」


「そうか。では、ソフィア。お主が先程、吾に言った事は本当じゃな? 天地神明に誓って真(まこと)と言えるか?」


「は、はい!!」


 ゴスロリ少女に訊ねられてアイドル少女が大きく頷いた。


「んむ。では、吾がお主の願いを聞き届けてくれる輩を手配しよう。その者に引き渡した後はその者に事情を話して協力して貰え」


「出会ってまだ間もないのにこれ程親切にして下さるなんて!? 感謝の念に絶えません……っ」


 感動した様子でアイドル少女がゴスロリ少女を見た。


 その純真無垢な瞳の色にウッと詰まったものの。


 其処は悪のカリスマとして、時にはこんなちっぽけだが、個人にとっては重要なのだろう悪事も良いと。


 彼女は全てを丸投げする相手のいる場所へ少女の手を取って再び走り出した。


 ブラック・クライシス団二代目頭領ワルモンヌ・ワルシュタインはその夜の出来事を後にこう部下達へ述懐する事となる。


 あの日、“小さな悪事”を己の手で行なおうとしていたなら、きっと自分は今頃世界征服を完了させていたに違いないと。


 二人の少女が夜を駆けた翌日以降。


 表立った鳳市に対するテロ計画の尽くが打ち切られ、または潰される事になるが、それはまだ明日の話。


 アイドルみたいな少女の夜は未だ終ってはいない。


 *


―――鳳市高校前さくら屋店内。


「おかみさ~ん。日替わり定食とお銚子一本熱燗で~」


「は~い。日替わりと熱燗一つ~」


 独身のフォーチュン隊員達の憩いの場は色々とあるが、支部からも程近い高校前の店舗“さくら屋”はその筆頭に上げられる事が多い。


 吉野スミレ。


 34歳。


 一児の母。


 常に割烹着姿で店内を回る店の主。


 彼女の人柄と朗らかな笑みが人気の秘訣というのは常連からしてみれば、当然の話だ。


 本日は高校の“バイト戦士(本物)”がフォーチュンの任務も終ってシフトに入っていた。


「はい。では、読み上げます。日替わり定食3、日替わり小鉢3、ビール3、枝豆と唐揚げの盛り合わせが1、以上で間違いないでしょうか」


「ああ、璃琉ちゃん。よろしくな」


「では」


 ペコリと頭を下げて璃琉・アイネート・ヘルツは支部のシフト明けであるフォーチュン隊員達のオーダーを厨房に伝えに行く。


 その姿は制服の上に割烹着といういでたちだ。


「ふふ、璃琉ちゃんも慣れて来たわね……」


 バイト三ヶ月目である新人の卒ない仕事に微笑みつつ、自分は複数の卓からオーダーを取っていたスミレは……まるで我が子を見るような心地で、成長しつつある璃琉の背中を眺めた。


 最初の頃はオーダーこそ取れていたが、無愛想の極みだったのだ。


 それが今では愛想笑いこそしないが、頭を下げるまでになった。


 仕事ぶりは堅実で問題も無く。


 料理を持っていく時も下げる時も効率的。


 後はシフトを多く入れてくれれば、店としては言う事無いのだが、璃琉を初めとしてフォーチュンに所属する高校のリンケージ達は基本的に数日に一回程しか来ない。


 まぁ、器量良しが多いので常連達にはレアな日替わり美少女アルバイターとして定着しつつあるが、彼女にしてみれば、もう少しスキンシップが欲しいところである。


 しかし、そこで無理を言わないのがスミレの良いところだと、アルバイトとしてさくら屋に所属するリンケージ達は思っている事だろう。


 フォーチュンの活動に付いて、それなりに理解のある彼女はリンケージ達の日常的な出動の際にさくら屋のバイトという事にして高校から支部に向かう口実作りをサポートしているのだ。


 彼女がいなければ、歳若いリンケージ達は今よりも過酷な学生とフォーチュンという掛け持ちするにはあまり向かないだろう二重生活の板挟みで身体を壊す者だって出ているに違いない。


 支部長チトセ・ウィル・ナスカが彼女をフォーチュン影の立役者とベタ褒めするのも無理からぬ事だった。


 バイト中のリンケージ達の体調を気遣ったり、悩みの相談や余った料理のお裾分けなど、彼女がいないと生活に支障がある者も多い。


 さくら屋のおかみさんはフォーチュンのおかみさんとリンケージ達はスミレを呼ぶ。


 その度に気恥ずかしいながらも、この街を守ってくれている自分の子供と同年代の少年少女達に彼女は感謝するのだ。


 この日常があるのは君の貴方達のおかげなのよ、と。


「あ、おかみさん。こんばんわ。璃琉の奴、今日シフト入ってるか?」


「こんばんわ。宗慈君。璃琉ちゃんなら、ほら」


 スミレが視線を向けた先で銀髪少女は細い身体には不似合いな定食を両手に二つも抱えてテーブルへと置くところだった。


 小奇麗な店内は一般客もそれなりにいて、賑わっている。


「そっか。此処紹介して正解だったな。じゃ、オレはこれから任務があるから、日替わり弁当だけ貰おうかな」


「はいはい。分かってるわよ。日替わり一つ~」


「今日の中身は?」


「秘密よ。お肉を使ってるから、学生さんには食べ応え十分だと思うけど」


「そっか。そりゃあ、楽しみだな」


 その食い気にニカリと笑う少年へ色気の方はどうかと彼女がそっと尋ねる。


「ふふ、それにしても……璃琉ちゃんとは上手くいってるの?」


 スミレが余計なお世話とは思いつつも、僅か女の強かな笑みを浮かべる。


「上手く? ああ、あいつならもうオレがいなくても大丈夫だ。近頃は単独任務を任せようかって話まで出てるくらいだし」


 その何も分かっていない宗慈の受け答えに『まだまだ道程は長そうね……』と内心で璃琉に同情しつつ、スミレは厨房からいつの間にか上がってきていた日替わり弁当の袋を手渡す。


「はい。お弁当。任務、頑張ってね」


「はい。璃琉の事、これからもよろしくお願いします。おかみさん」


「うふふ、分かってるわよ」


 頭を下げた宗慈がそうして玄関から出て行くとようやく気付いたらしく。


 膳を下げ終えた璃琉がスミレの傍に近付いてくる。


「今の……宗慈でしたか?」


「ええ、璃琉ちゃんがバイトを頑張ってるのを見て、帰っていったわよ」


「そ、そう、ですか」


「ねぇ、璃琉ちゃん」


「何ですか? おかみさん」


「宗慈君。良い子よね」


「え? ええ、宗慈は優秀ですし、学業もフォーチュンの業務も近頃は凄く認められてて……近々、単独任務にも出して貰えそうだって話ですから」


「そういうのじゃないわ。個人的にって話よ」


「個人的に……いつも、お世話になっているのは否定出来ません」


「そう、ならこれからも傍で支えてあげて。ああいう子は真っ直ぐだからこそ、いつかポッキリ折れた時、凄く立ち直るのが大変だから」


「……はい。そのつもりです」


 何処か視線を泳がせて、少し早口に頬を隠すように俯いた少女の呟きに『何だ。心配要らなかったみたいね』とスミレは微笑み。


 再び、業務へと戻った。


 もう背中も見えない“相棒”の背中をフォーチュン支部のある方向に想像しながら、璃琉が呟く。


「頑張って……宗慈……」


 そんな様子をフォーチュン隊員達が生温い視線で見つめている事に彼女はまだまだ気付く様子は無かった。


 良くも悪くも鈍感な二人の日常は続く。


 その裏で始まりつつある大きな事件を彼らはまだ知らない。


 *


 フォーチュン支部に戻った鉄宗慈はいつものようにガーディアン格納庫内に出入りしていた。


 すぐ近くに待機部屋と呼ばれるリンケージ達の個室が置かれているのだが、彼は其処で静かに待つという事がどうにも苦手で、何もせずにウズウズしているよりは少しでも後学の為にとガーディアンの整備を手伝いがてら、メカマン達の頭領である“おやっさん”東江タカオに師事しているのである。


「おう。来たか」


「あ、今から整備か? 手伝うぜ」


「いや、今日はお前さんの意見を聞きたいと思ってな。ちょっと、こっち来い」


「?」


 いつもとは違い。


 人気の少ない格納庫端のハンガーまで来ると宗慈にもタカオが何を聞きたいのか分かった。


 そのハンガーには七つの刀剣を治めたケージと剛刃桜が収められていた。


「おやっさんが何を聞きたいのかは分かったけど、何かあったのか?」


「ああ、こいつはフォーチュン支部長様から直々に口止めされてる件なんだがな。ま、お前さんには喋ってもいいってな許可も取ってある」


「何だか、物々しいけど」


「じゃあ、こいつを見てくれ」


 タカオが小型端末を宗慈に渡す。


 その中には映像が映し出されており、破損した剛刃桜が寝かせられていた。


 主に片腕の一部が完全に崩落しており、内部の駆動系が見えているはず、なのだが……其処にあったのは有機的な色合いの鉱物繊維のような束だった。


「これがこの機体の駆動系。無機質と有機質の中間みたいな感じなんだな……それにかなり人体と近い」


「いや、問題は其処じゃない。こういうのはまぁまぁ、今の世の中にもある。何せ、データで出来た機体すらあるご時勢だからな。この後だ。少し早送りしてくれ」


「う、うん」


 映像が倍速で勧められると瞬間的に剛刃桜の腕が元の形を取り戻していた。


「うん? 途中、止めて修理したのか?」


「いいや、そうじゃねぇ。映像ファイルのBを見てくれ。この映像を解析したもんが入ってる」


 言われた通り、新しい映像を開いた宗慈がすぐに驚いた顔になる。


「これって……一瞬で復元された? 修復でも無い。一番近いのは加護のイドゥン辺り……でも、それにしたって、この速度は……」


 ファイルの中では瞬間的に何の脈絡も無く、凡そ0.03秒以内に剛刃桜の傷が元の健全な状態に戻る様子が映し出されていた。


 それはもういっそ、空間転移で装甲を付けましたと言われた方が頷けてしまうような光景。


 現実が書き換わったのではないかと錯覚する原理不明の事象だった。


「ちなみに前々から教えてある通り、こいつはALで動いてない。また、動力部らしいものも機体には無い。ただ、ブラックボックスというか。無駄な伽藍堂な部分があるのは分かってた。それがどう使われるのか判明してな。映像ファイルのCを開いてくれ」


「あ、ああ」


 驚きながらも宗慈が新たな映像を再生する。


 それはどうやら剛刃桜の戦闘中、外から取られたものらしく。


 すぐ、それが敵のガーディアンが記録していたものだと宗慈には理解出来た。


「これって……この間、璃琉のヴォイジャーXが重整備になった時の敵か?」


「ああ、ノイエ・ヴォルフの機体から回収されたもんだ。事情聴取の結果があまりにも特殊なんで、フォーチュン支部内でも一部の人間しか知らない。このフェイス部分の奥。丁度コックピットの真上辺り。此処に見えるだろ?」


「ああ、緑炎の塊……でも、検査じゃ何の為の空洞かも分からなかったし、炎を溜めておく場所なのか?」


「伽藍堂はたぶん炎を全身に供給する為の一時的なプール場所なんだろうな。それと……この映像を詳しく解析した結果、この伽藍堂の内部には何か文字が書かれてる事が分かった」


「文字?」


「ああ、詳しくは判別出来なかったがな。少なくとも使用上の注意とかじゃ無さそうだ」


 笑えない冗談に不気味さを感じて。


 宗慈が映像を凝視する。


「他にも分かった事が幾つかある。映像の三分五十六秒辺りを見てくれ」


 フェイス部分から吐かれた緑炎が攻撃の一切を消し去っていく様子に宗慈が唖然となる。


「……一体、この緑炎何なんだ……それにこの戦闘映像……攻撃どころか。加護も……」


「ああ、そうだ。これが情報統制の敷かれた理由。剛刃桜……こいつはAL粒子を起点とした諸事象を全てキャンセルしてる可能性が出てきた」


「ちょ、ちょっと待ってくれ?! おやっさん!!」


「何だ?」


「それって、質量やエネルギーの保存法則を……」


「今、本部の解析班がスパコン使ってどうなってやがんのか解明中だ」


「まさか、そんな……事象そのものを消去してるとでも?」


 タカオが肩を竦めた。


「こいつが普通じゃねぇのは最初から分かってた。だが、状況やパイロットからの報告書からしても、異常としか言えねぇ。もしも、こいつに使われてる技術がそういう事を可能にするとしたら、その危険性と価値は測り知れねぇだろうな」


「……アビス・ゲートを閉ざした能力がもしもそういう“消去”なら、一応の説明は付くのか……平行次元空間から漏出する情報を全て消し去れるなら、理論上はアビスそのものを葬れる。だけど、それはもう……」


 宗慈の言いたい事を理解して、タカオが頷く。


「そうだな。現在の人類が創れる域の代物じゃぁ無い。それに十一次元の情報であるアビスを消し去るだけに留まらず。ALや加護まで消滅させられるとすれば……まぁ、ヤバイのは言わなくても分かんだろ」


「この機体の所有権は今も?」


「ああ、フォーチュンには無ぇ。上層部はどうやら事の重要性に気付いた様子で交渉中らしいが、オレが所有者なら手放さねぇわな。東亜連邦の変態科学者共はどうやって、こんな代物を生み出したんだか。そっちの方がオレには怖ぇ……時代だったのか。それとも狂気に取り付かれてたのか。最も懸念すべきはこいつが量産されてるかどうかだ。今の話を聞けば分かる通り、下手をすれば、既存の科学技術大系が引っくり返る。あるいは奈落以上にヤバイ事になるかもしれねぇ」


「……良かったのか? こんな子供に教えて?」


「はは、そうだな。だが、こいつはお前さんにだから、話したんだ。奈落やALにまつわる智識・技術は現代科学を基礎とした理解出来る範囲の事象を置き換えたものに過ぎない。だが、こいつは……ハッキリ言って、解明出来るのかどうかも分からない“何か”だ。そして、そういう未知ってもんを超えていくのはオレ達みたいな老人じゃねぇ。お前さんみたいな若者だ」


「おやっさん……」


「覚えておけ。技術も智識も今まで未知を切り開いてきた奴らの残した遺産だ。そして、そいつをどう使うのかはいつだってこれからを担う連中の肩に掛かってる」


「……うん」


 タカオの真面目な瞳に宗慈が頷いた。


「それで、パイロットの、ええと……七士さんだったか? その人は機体の事に付いて何か言ってるのか?」


「あいつはまぁ……何つーか。淡々と報告しててな。剛刃桜の能力は何かしらの特別なコアと呼ばれるものを封じた末に発現してると言ってたな」


「コア?」


「そうだ。それがこいつの何処かにあるらしい」


「中枢部品、あるいはリアクターの類?」


「さぁ、な。機体から脳裏に映像が流れてきたらしいんだが、研究者共はコアを制御する為に神霊結界?だったか。まぁ、そういう何かしら超自然的な技術っぽいものを使った云々と」


 妙に要領を得ないタカオの言葉に宗慈が納得した。


 ファンタズム級のような“魔法”“魔術”“魔導”と呼ばれるような技術に付いて歴戦のメカニックであるタカオは現在、手を焼いている最中なのだ。


 その筋の教本をレムリアから輸入して日夜睨めっこしているそうだが、何分まったく科学とは違うアプローチ方法を取る“技術”なので苦戦しているとか。


「それって、ファンタズム級の話みたいに聞こえるんだけど」


「そうだな。だが、こいつは間違いなく大暗黒期前の機体だ」


「じゃあ、その当時から、ファンタズム級に使われてるような高度な魔導の技術がこの世界にも在ったって事?」


「可能性は無くもないとは思うが、少なくとも一般的では無かっただろう事は想像が付く」


「……超自然的な力、か。神霊……本当に神様でも使ってるのかもしれないな」


 ポツリと呟いた宗慈にタカオが目を瞬かせて、僅かに思案する。


「そう、だな。そういう可能性もあるのか……」


「え、おやっさん?」


「お前さんはまだ知らねぇだろうが、レムリアにはファンタズム級の上位機体が存在するらしい」


「本当に? 初耳なんだけど」


「レムリアの話は中々入ってこねぇからな。一般的にも軍事的にも情報は少ねぇのは仕方ない。だが、アーテリアが前に言ってたんだよ。そういう機体はどうやら本当に精霊や神様みたいなものを機体に入れて使ってるとか何とか」


「神様……」


「まぁ、とにかくそういうファンタジー的な存在がいて、それが力を貸してくれてるんだと」


「俄かには信じられないけど、アーテリアさんの話なら、本当にそうなんだろうな……」


「そういうお前の機体だって相当だぞ? 神にも悪魔に成れるのがスーパー級だ。フラッシュ・マキシマを初めとして、スサノオーΩだって、使い次第じゃそこらのアビスガーディアンなんか目じゃねぇ性能だ。スーパー級に時々冠される魔神の異名は伊達じゃねぇんだ」


「心得ておくよ」


「ああ、そうしろ。オレも少し、コイツに付いて思い付いた事がある。お前のおかげでな」


「?」


「じゃ、今日はあっちの方で機体のアクチュエーターの交換を手伝って来てくれ。将来のガーディアン開発者様」


「はは、いつかお爺ちゃんが残してくれたみたいに自分で機体は開発したいけど、まだまだだし。その名前はもう少し後で言ってくれると嬉しいぜ」


 ニヤリとタカオが笑う。


「ほう? もう少し、か?」


「ああ、もう少しさ。おやっさんが引退する頃にはコスモダインをもっと強くしてリンケージとしても成長して、ディスティニーをこの鳳市から追い出してやるよ」


「ははは、大きく出たな。だが、生憎と生涯現役が近頃の目標だ。オレが天寿を全うする頃にはお前だって一端いっぱしのおっさんになってるぞ」


 バンバンと肩を叩いて、タカオは用事を足しに出かけると大笑いしながら格納庫を後にした。


 残された宗慈は一目後ろに鎮座する剛刃桜を見つめてから、作業を手伝う為、年上のメカマン達の間へと走り出していく。


 反応の無い機体のモノアイが薄らと僅かな光を帯びた事にまだ誰も気付いてはいなかった。


 *


 リンケージ達の夜が各々過ぎていく夜更け。


 七士は本日遅刻してきた取引相手の姿に僅か驚いていた。


 と、言うのもワルモンヌ・ワルシュタインの姿がボロボロだったからだ。


 致命傷や擦過傷こそ無いものの、衣服は所々焦げているし、小さな穴や破けた部分からは黒い下着が覗いている。


 ようやくと言った感じでハァハァ息を切らしながら彼の下にやってきたワルモンヌは七士の手を取ると懐からスティック状の記憶媒体と一枚のカードを差し出した。


 いつもの倉庫街。


 その中でも奥まった場所にある取引現場はアイラがやってきた日、ディスティニーの襲撃にあった傷も見えない程に回復している。


 トレーラーに満載したALには目もくれず。


 ワルモンヌはバッと横に連れて来た同行者を七士に押し付け、キリッとした顔で言った。


「ALは要らん!! その代わり、そのカードの残金でその子の願いを叶えてやって欲しい。カードには一応、足の付かない金が一流プロ野球選手の年収分くらい入っとるから、心配するな。確かに仕事は頼んだぞ!! ネームレス殿!!」


「ま―――」


「去らばじゃ」


 瞬間的にALの耀きを纏って、ワルモンヌがヘルモードの転移で消え去った。


 残された七士がとても微妙な顔で押し付けられた少女を見やる。


「……状況E」


「了解しました」


 七士はとりあえずALが満載されたトレーラーに乗っているアイラに幾つかある指示の一つを告げた。


 Eはエマージェンシー。


 緊急事態。


 とりあえず、その場からとっとと撤収する事を意味する。


「よ、よろしくお願い致します!!」


「こちらこそ」


 ペコリと頭を下げたアイドルも裸足で逃げ出しそうな容姿の少女。


 その立ち振舞いに高貴な血筋である事を瞬時に看破した七士は……面倒極まりないが、放り出すわけにもいかなそうな相手をトレーラーに誘導する。


「……このイヅモには一体何を?」


 ドアを開け、トレーラーの後部座席まで引っ張り上げ、着席させた後。


 走り出した車内で七士が尋ねる。


「は、はい!! そ、その!! お、お忍びで社会見学をッ!!」


「……社会見学……普通、そういうのを社会見学とは言いません」


 一体、貴女は何の社会を見学しに来たのかと七士が訊ねなかったのは裏社会の黒い部分を大抵見てきた彼にしてみれば、すぐその“社会見学”の内容に見当が付いたからだ。


 世の中には時折、そういう世間に疎く、“本当のところ”を知りたがる金持ちがいる。


 良い意味でも悪い意味でも、興味の為に裏社会へ不用意な接触を試みる輩は後を絶たない。


 それがスリルの為か。


 あるいは自らの見識を広める為か。


 健全か不健全かという差はあるにしても、七士にしてみれば、然程代わらない。


「え?」


 一瞬、少年がどうして自分の見学の内容を知っているような口ぶりなのか分からず。


 アイドル少女がポカンとした。


「“戦い”の現実を見るのは情報媒体の画面越しで十分だと言う事です」


「そ、そのどうして?! わ、分かったのですか?!!」


 驚きに目を見張った彼女を前にして、七士は本当に面倒事を押し付けてくれたとワルモンヌの顔を思い浮かべ、溜息を吐いた。


(……分かってて、これは連れて来たな……あの一代目にも劣らないトラブルメイカーだな)


「わ、わたくし、お話していませんよね?」


「貴女の衣服を見れば分かります」


 七士も最初は分からなかったが、少女の“装備”は常識的な範疇では無かった。


 パッと見はまるでただのアイドル衣装としか常人の瞳には映らないだろう。


 しかし、よくよく観察してみれば、色々とオカシイ。


 衣装が仄かに光っているのだ。


 それはALの燐光。


 更に布地かと思われていた服のあちこちに薄い幾何学的な模様まで奔っている。


 ALは自立型金属細胞。


 つまり、無機質でありながら、最小単位は細胞という複雑な構造体だ。


 ならば、最小単位の細胞を再配置し直せば、塊から様々なものに変化させられる。


 その一つがALを布地のように薄くして作られる衣服。


 要は元々軍用技術の一つとして数えられた強化服である。


 一般的には出回っていないし、軍事用もパワードスーツなどの方が利便性が高いので現実にはあまり出回っていない技術だが、世の中にはパワードスーツやガーディアンの類が持ち込めない場所というものもある。


 そう言った場所で警護対象を最後に守るのがALの強化服だ。


 防弾や防爆の為に簡易の力場を張るなら、持ち運び出来る大きさの機械で事足りるが、それだって万能ではないし、嵩張る。


 AL製の衣服は防弾、防刃性能に優れ、着用者がリンケージならば、単独で力場だって張れる代物だ。


 少女の衣装は無駄に肩などが露出しているので防御力絶無のように思われるだろうが、そういう威圧感を与えない事もAL強化服の利点とされる。


 布地のような薄さでありながら、十分な防御性能を誇るALは暗殺を怖がるVIPにはお誂え向きの素材。


 見た目は簡単に殺せそうだと狙う者の油断が誘えるし、重要な会談や会合でも着用者の話し相手を安心させられる。


 ただ、解決出来ない欠点もあるにはある。


「そんな重い服を普段着には出来ない。また、こんな安全な国でそんな服を着用しなければならないとしたら、過剰過ぎる……自ら危険へ飛び込んでいく以外にその服は着込む理由が無い」


 少女が視線を揺らがせた後。


 視線を七士に向けて、何か覚悟を決めた様子で声を高くした。


「あ、あの……お願い致します!! わ、わたくしを奈落獣との戦闘現場に連れて行って下さい!!」


 それが少女の願い。


 狂人も驚くような、正しく正気の沙汰ではない話だった。


「理由は?」


「……わたくしは知らなければならないんです!! 祖国が、本当は何をしているのか!! 奈落が本当に夢のエネルギーなのか!!」


 七士は少女の顔にようやく見覚えがある事に気付いた。


「名前は?」


「ラーフ!! ソフィア・ラーフと申します!!」


 その夜、イヅモの地で小さな依頼が【完全平和パーフェクト・ピース】貸し倉庫に舞い込んだ。


「………はぁ」


 深い溜息の後。


 少年はアイラと車両の運転を変わるとこう命じた。


 服を脱がせて投棄しろ、と。


(……また、厄介事か……近頃、多いな……)


 イヅモより南方にある大陸には現在、世界の敵と目される国家がある。


 奈落の力を身に纏い、世を暗黒に落すくにの名はラーフ。


 【奈落技術アビテク】を信奉する科学者にして皇帝の姓を取って、ラーフ帝国と言った。


―――あぅ!? な、何で服を脱がすのですか!? や、止めて下さい~~~(泣)


 ラーフ帝国皇族付近衛護衛隊。


 皇帝直属の近衛師団より選抜された生え抜きのエリート達がイヅモの海辺で見つけたのは発信機の付いた重さ14kgの慰問用アイドル衣装。


 そして、『しばらく、探さないで下さい。家出します』というシンプルなメモ帳の走り書きだけだった……。

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