Scene07「襲来」
「大丈夫ですか?」
「問題ない」
与えられた個人の選手控え室内。
窓の無い無機質な部屋の寝台に座った少年をアイラが片腕に包帯を巻きながら見つめていた。
その顔にはいつもの薄い表情が張り付いているが、何処と泣く眉根が寄せられている。
第一回戦。
リング壁際に激突した際の衝撃はショック・アブソーバーなんて上等なものを積んでいないミーレス内で少年の体を周囲の機器に叩き付け、軽くとはいえ腕を打撲させていた。
内出血した箇所は紫色の痣となっている。
「それよりも三回戦の中継を」
「はい。定刻通りなら、後五分程で始まるはずです。第二回戦もまたライトニング級が勝ったと主催者側から受け渡された小型端末に報告がありました。内容を見ますか?」
「ああ」
少し薄暗い電灯の下。
小さな端末に少年の駆る同じディティールのグレイハウンドが登場した。
無論、ミーレスでは簡易化されている部分もしっかりと造られている為、その姿は何処となくゴツイ。
途中、追い詰められたかと思われたグレイハウンドはローラーダッシュで周囲に土埃を立てると瓦礫の合間を縫って廃墟の一つへと向かい。
其処でもまた土埃を立てながら、動き回っていた。
廃墟を盾にして時間を稼ぐつもりかと相手のクラッシャー級がプラズマの刃で視界ゼロの最中へと突撃し、レーダーと僅かな視界からの情報を元に近接攻撃を仕掛けていく。
が、その殆どは当る寸前。
スレスレのところで回避されていて、最後には挑発に対する怒りで震え出したクラッシャー級が猛烈な勢いで突撃をしていた。
その速さは正に格闘術を治めた練達の者が扱う歩方。
要は間合いの詰め方だった。
縮地というのは古代には仙人の技と言われた。
ただ、そんな迷信や超常とは別に戦う者達は己の技を磨いて来た。
科学によって魔法すら否定し切れなくなった昨今。
人間の技というのが、この現代戦の主役たるガーディアンにも生かされ、正に古に謳われた仙人の如く。
否、それ以上に大したものとして極められている。
それは人体を模倣する故に可能な動き。
擬音にするなら、ヌルリと言ったところか。
気持ち悪い程の人間臭い、非人間的な躍動感。
一瞬では何が起こったのか分からない土埃内の動きは対流する空気の流れから凡そ推測出来る。
鋭く。
型打ちよろしく。
身を低く迫ったクラッシャー級の腕が掌でグレイハウンドの下腹部打撃しようと伸びた。
見切るには視界が悪過ぎる。
其処を狙ったか。
横合いから絶妙なタイミングでワイヤーが一本伸びた。
本来ならば、攻撃モーション中に避ける事なんて普通のガーディアンには不可能だ。
が、クラッシャー級だけはその範疇ではない。
恐ろしい反応速度と人体を忠実に模倣する機構。
そして、格闘者としての長年の勘が合一した時。
ワザとそのまま機体が倒され、相手に頭部を見せながらも俯けとなってワイヤーの一撃が回避された。
体勢を崩した瞬間に襲い掛かれば勝機があるのかと言えば、答えはNOだ。
クラッシャー級の最も得意とするのは可動する人体の模倣。
しかし、それと同時に機体は人間よりも遥かに優れた能力を持っている。
まるで折り畳み式のナイフのような海老ぞり。
胸部の装甲が内部からパンプアップして俯けに倒れた機体を恐ろしい速度で跳ね上げる。
機体の転倒。
AL関連技術によって飛躍的に性能が高くなった現代では転倒そのものが完全なフルマニュアル時の操縦でも無ければ、中々起きないというのは当たり前の話だ。
高度なバランサーシステムはそれこそ最低ランクの能力しか有さないミーレスにすら積まれている。
だから、というわけではないが、仰向けや俯けから起きるという動作は実際のところ、ガーディアンメーカー各社にとって、然程重要視されない研究課題とされている。
それと言うのも仰向けや俯けで転んだ場合でも人体を無視した動きやオプションの回復機構で転倒を即座にカバー出来るからだ。
クラッシャー級は格闘戦における転倒が多い為、背面胸部が地面に付いていても素早く立ち上がる事が出来る。
その姿勢回復の機動を折りたたみ式のナイフに準えて、リンケージやミーレス乗りはジャックナイフ機動と呼んでいた。
仰向けから起き上がる時はジャック。
俯けから起き上がる時は逆ジャック。
そのような形で発言される。
人型でありながら等身が寸胴になりがちなライトニングはバランス的な問題でジャック機動が通常のものよりも遅い為、倒れた際は緊急用の脇辺りに据え付けた使い捨ての炸薬式パイルで直接接地面を叩く事により、姿勢を回復する事が多い。
機体を数mも跳ね上げるクラッシャー級のジャック機動はそれだけで強力な力だ。
起き上がり様に刃を持っていれば、逆手持ちで相手の機体を切り裂ける程の勢いがある。
勿論、全て承知しているのだろうライトニング級の操縦者は安易な攻めを行わず後ろに引いていた。
さて、此処からが本番。
そうクラッシャー級の操縦者が思ったのも束の間。
全ての方が付いた。
ジャックナイフ中の機体は無防備と言っても過言では無い。
さすがのクラッシャー級も勢いが付いたジャック中に無駄な動きをすれば、機体を自身の力で破損させかねないからだ。
人体模倣の極致であるクラッシャー級は副交感神経的な制御系を数多く持つ。
通常のガーディアンとはまるで違う機体は複雑な
フルマニュアルで操縦するとなれば、DLS《ダイレクト・リンケージ・システム》を使っていても、一度の動作に十以上の項目を操作する事にも為りかねない。
故に非人間的な動きをしている最中のクラッシャー級にはある程度、操縦者へのフィードバックに付いて感覚や時間が制限される。
そうでなければ、胸が弾け飛ぶような衝撃や背中が吹き飛ばされたような圧迫を受けて操縦者はまともに動けなくなってしまうからだ。
そんな理由で立ち上がるまでの0.07秒、クラッシャー級にも動きの鈍い間隙が生まれる。
無論、そんな事はクラッシャー級乗りには先刻承知だろう。
ミーレスがジャックナイフ中を狙うのならば、それはそれで好都合と相手が下がった方角に視線を向けていた操縦者は内心、何もしてこないライトニング級を嘲ったはずだ。
この臆病者め、と。
だが、起き上がるより前に先程とは反対側の土煙の中からワイヤーが飛んだ。
そして、猛烈なスパークがクラッシャー級の背後で発生。
伝送系の三割を焼き切り、活動不全に追い込んでいく。
何故、攻撃用のワイヤーが二本も別の場所から飛んできたのか。
クラッシャー級の操縦者は最後の瞬間、理解したに違いない。
土埃が薄らいだ最中を“両腕が無いライトニング級”が走っている意味を。
土埃を巻き上げて視界を覆ったのは腕が無い事を隠す為。
レーダーに掛からないよう、腕だけはステルス塗料でコーティングしていたのはほぼ確実。
クラッシャー級は外された腕が設置された場所に誘引され、二段構えのジャックナイフを誘うワイヤートラップにまんまと嵌ったのだ。
動けない機体がライトニングの勢いの付いたローラーダッシュによる蹴りで頭部を吹き飛ばされ、勝敗が決する。
『しょ、勝者グレイハウンドォオオオオオオオオオオ!!? こ、今回の大会またしてもライトニング級が勝ったぁああああ!? 近接格闘に特化したクラッシャー級を前にして歩く棺桶が勝つ等と一体誰が予想しただろうか!? ワイヤーによる二重トラップ!! 波乱、これは波乱だぁああああ!!!?』
「………」
端末の中で司会者が叫ぶと歓声が会場から上がった。
その様子を見終えた七士が同型のグレイハウンドの攻防に微妙に迷惑そうな顔となる。
同じような仕掛けは考えていたのだ。
こういう奇を衒った詐術は一度使うと警戒されて、使い物にならなくなる。
同型のグレイハウンド系列である以上、クラッシャー級や他のガーディアンと中近接武器だけで闘う術は限られるし、実際戦い方は似かよらざるを得ないのだろうが、それにしても同じような機体の対策を立てられてはグンと戦い方が難しくなる。
「七士様?」
「次は明日だ。ミーレスはあの女の雇った整備班が持って行く事になってる。帰って備えよう」
「分かりました」
コクンと頷いたアイラがイソイソと帰り支度を始める。
(三回戦はあの【
『これよりぃ~~~第三回戦を始めます!! 相対するはスーパー級ガーディアン【マリス・マキシマ】VSクラッシャー級ガーディアン【王竜】!!』
放送上の解説がさっそく二体のガーディアンに対して語り始めた。
『え~~始まりました第三回戦』
『始まりましたねぇ~~』
『やはり、本命は【マリス・マキシマ】でしょうか』
『そうですね~~イヅモでは馴染みが薄いでしょうが、裏のクラッシャー・バトル界では大御所として知られるマリス・マキシマはそもそもあの元祖スーパー級と言っても過言では無い【フラッシュ・マキシマ】を模倣して作られたワンオフの機体です。まぁ、パロディー系ってやつですね。開発元は現在吸収されて社名自体が残っていませんが、ローレンシアのコングロマリットに吸収されたとある軍需企業の一部門。裏のクラッシャー・バトルで技術を磨いたら、目を付けられてあっと言う間に喰われたとか。機体の方はさすがに本物と比べても数ランク落ちますが、その内燃機関の出力と当時から改修され続けてきた装甲の厚さは裏のクラッシャー・バトル界では有名です。かなり前の笑い話ですが、相手となったクラッシャー級の開発元が最新の装甲を増設したマリス・マキシマを屠る為にその装甲をぶち抜く近接武器を開発しました。しかし、戦ってみると最新装甲は切り裂けても三世代四世代前の装甲の一部がどうしても抜けず。結局、勝てなかった。正に長い年月を戦い続けた王者の戦歴そのものがマリス・マキシマを守ったわけです』
『強いですね~~』
『ええ、強いですよ。関節部を破壊しようと思ったら並大抵の格闘術じゃ不可能です。武器戦闘にしても分厚い装甲と歴戦の兵である操縦者の技術が相まって、急所関節を狙うのはとても難しい』
『【
『いや、まだ何とも言えませんねぇ。乗っているのはまだ十代の方だそうです。何でもえ~~聞いた事の無い流派ですが、イヅモに伝わる【柔ら】の一種らしいですね』
『おぉ~ヤワラ、ですか?』
『はい。イヅモ特有の武術ですね。達人になると相手の体格差が二倍近くあっても、ポンポン投げたり、転ばせたり、まるで八百長してるみたいだと言われる程度には他の大陸の格闘家達からは不可解なんだとか。でも、此処だけの話、彼等はマジですよ。ええ、昔にちょっとだけ見た事があるんですが……“あんな弱っちそうなジジイなんてボコボコにしてやるぜぇ~HAHAHAHA”と地下格闘大会に出てきたムキムキな100kg級ボクサーがポイーッと予選でヤワラ使いの老人に投げられたところを見た事があります』
『そ、それでどうなったんですか? 勝敗?』
『いや、それがですね。老人が“ぉお~~飯の時間はまだか?”とか呆けたもんだから、さぁ大変!! ボクサー君は怒り狂ってグローブ無しで突撃したんですが、またポンポン投げられる。あまりの投げられっぷりに八百長じゃないかと観客が騒ぎ出して、ボクサー止めろと警備員がワラワラ、最後には連邦の特殊部隊が雪崩こんで来て―――っと言っている間にもぉおおお!?! 何? 何が起こったの? カメラ! カメラさぁ~~ん!! リプレイして!!』
解説が脱線している間にも勝敗が付いていた。
マリス・マキシマが猪突猛進に突撃して、細い王竜を捻り潰すかと思われた時、あろう事か。
王竜が長物を捨てて素手になると、一瞬で迫ってくる巨体の腕を掴んで一瞬で勢いのまま投げ上げたのだ。
その瞬間に人間の動きとは掛け離れた超高速の椀部。
ドラゴンロットが引っくり返って飛んでいく背中に突きを乱打した。
無防備な背部への連続攻撃は的確にコックピット以外の重要機関を直撃。
どうやら装甲の隙間を狙われたらしく。
内部に浸透したダメージが一瞬で全身をオーバーヒートさせたのである。
この間、凡そ0.7秒。
もう誰の目にも煙を上げて沈むマリス・マキシマが動けないのは明らかだった。
それを悟ったか。
ウィィィッとコックピットブロックのハッチが開き、中から操縦者らしき十代。
精確にはまだ十代前半くらいだろう少女が出てくる。
丸く束ねられた後ろ髪は布で覆われ、短い前髪の中からは凜とした視線。
細い身体は歳相応のものでしかないが、格闘家らしく引き締まっていた。
「………」
その衣装はイヅモの伝統衣装ともまた違って独特の色合い。
ゆったりと脚を覆う丸みを帯びた裾の無い下穿きと膝を覆うようにして嵌った銀と玉石の
ピッチリとした衣装の胸元は大胆に開いているが、年齢にしてもまったく“寂しい”為か妙に寒そうだった。
そうして、一番最も観客が驚いたのはその小ささだ。
まるでまだ義務教育を初めて四年くらいしか経っていなさそうな身長。
全体的に言うと背伸びした○学生がちょっと変わった衣装のコスプレをしている、としか見えない。
『鋼・鉄・武・侠!!! 見参ッッ!!!』
バァアアアアアアアアアアンン!!!!!
そんな擬音が周囲の観客席に響いた(ような気がした)。
少女が役者よろしくポーズを取る。
『こ、こ、これはぁあああああああ!!!? は、ら、ん、だぁあああああああああ!!!!!』
一体、何が波乱なのかはさておいて。
会場から物凄い勢いで“うぉおおおおおお”だの“ちっちぇぇええええええ”だの“はぁはぁ、可愛いよ鋼鉄武侠ちゃん♡”だのと何やら不穏な声援が上がる。
「……帰ろう」
「はい。七士様」
少年は荷物をまとめ終ったアイラを引き連れて、端末を消すと静かに通路を歩き出した。
「………」
「………」
「ああいう子がお好みですか?」
「?」
いつものように沈黙したまま家に帰りつくものと思っていた少年が横を見るとアイラが静かな瞳で少年を見つめていた。
「………ああいった衣装が好きなのでしょうか?」
「どうして、そう思う?」
「ジッと見つめていたので」
「ただ、あの年頃で
「そうですか……」
再び二人の間に沈黙が下りたが、何か考え込んだ末にアイラが再び発言する。
「あのような衣装を着るべきでしょうか?」
「……そのままでいい」
「了解」
二人の間に微妙な空気が漂う。
そんな事があった夜中……彼女が大型端末を使用しているところを見てしまった七士が何も見ていない事にしたのは無駄に疲れそうな気配を察したからだ。
向学心と少年への献身に溢れたモデル体型少女は基本的に日常生活の何気ない事象を高じさせる才能があるらしい。
一緒に暮らしている内に倉庫内の大型端末には家事炊事の要点やレシピが載ったサイトの履歴が大量に増えていたり、料理そのものの腕が微妙にだが確実に向上していたりする。
他にも少年がいつも一人でやっていた仕事の雑務が軽減され、事務所兼寝室には花まで飾られるようになっている等、小さな変化は多い。
このまま行けば、少年の趣味に合せて衣装を変えてみましたと言われる可能性はかなり高いだろう。
情報収集のポイントが微妙にズレているのは透けて見える生まれや育ちのせいで仕方ないとしても、肝要な事が分かっていない為、冗談交じりに女性誌に書かれている事を実戦しようとして一悶着起きた時には顔を覆いたくなった。
男性は裸エプロン姿が何よりも女性には似合うものだと思っています(笑)等というふざけた言説を載せた出版社に訴訟を起こしてみたくなったのは白衣の女にも秘密の事柄である。
「………」
「お前は……そのままでいい……」
「了解」
そんな調子で二人は地下闘技場を後にした。
後に残ったのは試合会場全体のスピーカーから響く。
『鋼鉄武侠!! 此処に裏クラッシャー・バトル界へ新たな歴史の一頁が加わったぁあああ』
との解説の興奮した叫びのみだった。
*
―――???
闇の底に沈んだ小さな脚が突く池に立って。
男が一人演説していた。
彼の周りには遥か頭上から降る月明りだけが降り注いでいる。
しかし、それ以外の場所は完全に虚のような濃い紺の世界が全てを飲み込んでいる。
「ああ、何という愚かしさ。何故、人々は紛い物の光を求めるのか。嘆かわしい。非常に嘆かわしいと思わないかね? 諸子諸君」
『はい。同志』
何処からとも無く幼い声が一斉に唱和した。
「皇帝陛下の娘婿殿は何事にも果敢でおられる。しかし、しかしだ」
『はい。同志』
「全てを敵に回しても勝てる等という理想論を国民に説く姿は……あぁ、まったく滑稽ではないか」
『はい。同志』
「そうだ。ラーフが如何に偉大な奈落技術によって守られているとはいえ、だ。我々も一己の人間であり、自らの限界は心得ている。そうだろう?」
『はい。同志』
「皇帝陛下は今正に人類を救う為の研究中。娘婿殿の風向きに抗い、自ら傷付こうとする愚行は止めなければならない」
『はい。同志』
「それには彼等が邪魔だ。そう、幸福を嘯く者達。奈落は確かに危険だが、それは技術の進歩が未だ完全なる制御の段階に無いだけの話だろう。先に行けない谷には橋を架けるものだ。海の果てに漕ぎ出すならば、立派な船も用意しよう。人類はそうやって、一つ一つ用意した技術と智識を武器に世界を渡って来た」
『はい。同志』
「なのに、だ。彼等は決して奈落を越えようとはしない。馬鹿正直に谷を岩で埋め、海を干上がらせて先に行こうという大馬鹿者。それが自らの行いだとまだ知らないのだ」
『はい。同志』
「原始、自然とは神であった。だが、もはや時代は人の生み出した叡智によって動く“神機万能”へ至る階梯を昇っている。この流れを止めてはならない。奈落に掛かる橋は人々の希望である。偽りの光を持って、人民に谷を埋めよと囁く者達を教化し、皇帝陛下の御心に沿うよう改めようではないか」
『はい。同志』
「では、まず彼に連絡を取るとしよう。ああ、あの彼だよ。娘婿殿の親友である彼。近衛第十三艦隊司令」
『ランヌ・ルフェーブル』
「そうだ。諸子諸君。彼にまずは一言連絡を入れておこう。我ながら名案だ。巻き込まれてはいけないからね」
『はい。同志』
闇の中、不意に映像が映し出される。
その瞬間、映像の先が暗く赤い非常灯に切り替わった。
『何だと? 一体、どうした! 攻撃を受けたのか!」
私室なのだろう。
設えの良い調度品に囲まれた部屋の主がホットラインを繋いですぐ大型端末、男の方を向いた。
『何者だ?』
双方向通信が開放される。
現在、鳳市近海に身を潜めたラーフの近衛艦隊を率いる仮面の男。
ランヌ・ルフェーブル。
その顔が驚きに僅か固まった。
『貴様は―――』
『久しぶりと言っておこうか。覚えているかな? 君とは随分前に一度、話した切りだが』
『………アビテク研究所創始者、アビステクノロジストの一人だったな。確かコードは―――』
『“
『そうだ……貴様は陛下の片腕だった……だが、今更何の用だ? 祖国に墓でも立てたいと申し入れるのならば、吝かではないが、生きた貴様は単なる裏切り者に過ぎない。この艦をハックした手際はさすがと言っておくが、居場所が割れた時点で急襲させてもらう』
『若者よ。そう熱り立たないでくれ。あの頃の君は正しく英雄殿の片腕だった。しかし、今はどうだ? 片腕と言われながら、実際には君が君の業を全うする為にその地位は使われているだろう? 私も同じだ。まぁ、公式には死んだ事になっているが、我が心は皇帝陛下と共にある』
『……何が目的だ?』
『いや、単なる忠告だよ。ようやく……本当にようやく、鍵を見つけたんだ。人類を次の
『何を言っている……』
『これより我々は陛下の御心に沿う為、独自に行動を開始する。君が親友の為に動くように、私も私の心酔する者の為に働こうと思うのだよ』
『……狂人め』
『はははははは、それは叡智の探求者にとってこの上ない賛辞だ!!』
『居所が割れた。これで貴様はお終いだ。裏切りの妖精』
『いやいや、部隊は引き上げさせた方がいいと思うぞ? 司令官殿』
ランヌが仮面の下で瞳を細める。
『まず手始めに鳳市の防衛部隊を壊滅させる。巻き込まれたくなくば、近海から艦を退ける事をお勧めする。何せ―――』
ゴゥン。
男、家事炊事の妖精である“ブラウニー”を自称する彼の立つ池が揺れた。
『おお、これこれ。あまり暴れるな。これから幾らでも暴れさせてやるから』
男の声に揺れが治まる。
『貴様―――まさか……』
『制御は七割方終わっているが、さすがにこのレベルになると移動方向と自己崩壊させるので手一杯だからな』
『狙いは遺跡か……』
『聞いていなかったかね? 鍵だよ。今更、ALの発掘利権に興味など無いさ』
ドプン。
小さな池の真下から一本の漆黒の剣がせり上がってくる。
いつもそのような光沢を見ているランヌの表情が厳しいものとなった。
『どうやら、仕上がったようだ。さぁ、諸子諸君。謳え……ALの讃歌が響くなら、奈落の凱歌もまた響くように』
『はい。同志』
ブラウニーのいる周囲の明度が少しずつ上がっていく。
見え始めた物にさすがのランヌも驚きを隠せなかった。
池と思われた場所は巨大な水槽の真上。
そして、その周囲には……まだ小さな脳髄が無数の透明なポットに入れられ、浮かんでいた。
声が響き始める。
それはそれは綺麗な天使のような声変わりする前の幼子の声が曲名も定かでは無い詩を朗々と謳い上げていく。
すると、ブラウニーの真下で巨大な影が蠢いた。
映像が一部ではよく見えないが、少なくとも比較対象である男の何百倍かという巨躯が明らかな脈動を持って震え始める。
『さぁ、フーガの如く逃げ遂せるか。勇ましい国歌の如く戦うか。君はどうする?』
『私だ。現在、鳳市で行われている全ての作戦の中止を通達する。ディスティニー部隊のヴァンガード、彼だけには部下を絶対に鳳市から退避させろと伝えろ』
ランヌが端末のボタンを押すと司令所に向けて命令を発し始めた。
『賢明だ』
『……我々の任務に資するところがあれば、利用させてもらおう。防衛力が無いと見なした時点でそちらを急襲する事は変わらないがな』
『それでいい。それでこそ星々を見つめる者だ』
ブツンと双方向通信が途切れ、その代わりに夜中の鳳市が望遠レンズで観測され浮かび上がり、海上からの夜景が美しくブラウニーの前に映し出される。
『始めよう』
硬質な黒き剣。
アビスに汚染されたALの耀きが執られ、切っ先が鳳市に向けられた。
『アビスリアクター臨界。アビスシード開放。お前の銘は何と付けようか……その巨躯……そうだ。古の巨人は世界の天井を支えたという。ならば、お前はタイタニアス……夜の天井を砕く、暗き巨人だ!!』
ォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!
『そうかそうか。嬉しいか。生まれ出でるのが嬉しいか!! ならば、行け!! タイタニアス!! 手始めにイヅモの大地を防衛軍の血で染めるのだ!!』
『形状記憶解除。外殻装甲をプラグマ・モードで再形成』
ガチガチと男の姿が変わっていく。
それはホログラムが解けるというよりは元々の姿を取り戻すというのが正しい“変形”だった。
人間であったモノが、胸部に開いた拳大のアビスゲートを持つ何かへと変貌していく。
全身は暗いALの耀きに覆われた装甲。
顔はまるでカバリエ級。
その姿は正しく人型サイズのアビスガーディアンのように見える。
背後からエネルギー供給と情報伝達を行なう細いパイプが幾つも脳髄の浮かんだポットの詰まれた隙間、接続器に繋がっていく。
漆黒の剣が軽く上下に振れると下で蠢く巨獣も同様に首を振った。
『感度は良好だな。やはり、異世界の知識と言えど、解析可能ならば人類の技術に取り込める。メタガイスト……面白い素材だ』
アビス獣が海中にゆっくりと泳ぎ出す。
それと同時にハッチが閉じられ、巨大な……全長1kmはあるかもしれない蛸壺の如き形状の艦がゆっくり海上から遠ざかり、付近の海溝を目指して沈降していく。
そうして、鳳市は第一種厳戒体制が敷かれ、避難勧告と共に夜の静寂は破られた。
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