Scene04「食む者達」


―――鳳市フォーチュン支社。


 秘密裏に組織されたPMCとはいえ。


 実態がある以上、ガーディアンの整備と補給、情報の統括と分析を行なう基地というものが大規模に必要となるのは道理だろう。


 彼等は表向き民間の軍事アドバイザーというのを生業にしているが、そこそこ稼いでいる程度の儲けでどうしてあんなにも巨大な社屋が建てられたのかと訝しがる者もいる。


 万能高機動戦艦ユリシーズ。


 フォーチュン支社の社屋。


 その本当の名前である。


 元々、鳳市に大規模な軍港があるわけではない為、戦艦に類する機体を常駐させておくには無理があった。


 故に外部装甲を偽装し、社屋として密かに組み立てられたのが、基地機能を全て網羅した戦艦ユリシーズなのである。


 その整備ドックに今複数のガーディアンの手によって運び込まれた機体が中央で寝かせられていた。


 装甲表面に繋げた管から内部に音声を送っているが、一向に内部からの応答は無い。


 機能停止している故なのか。


 または単に操縦者が外部との交信を拒絶しているのか。


 それとも操縦者自身がそのような行為が出来る状態には無いのか。


 どれにしても装甲版を引っぺがして中身を見ようとするわけにも行かない。


 と言うのも、装甲内部へ続くハッチ、内部へ乗り込む為の搭乗口が機体に存在していなかったからだ。


 様々なフォーチュンのガーディアンを整備して来た基地の整備班長。


 東江あがりえタカオは禿げ上がった頭に所々抜けた歯、薄汚れた作業着姿で周囲の部下達に内部検査用の機器を持って来るよう指示すると、ドック端に現われた酔っ払い。


 フォーチュン支社の支部長の下へ歩いていった。


「あ~タカオさん。そっちはどう?」


「そっちも何もあるか!! またケッタイなもん持ってきやがって」


「ん~~?」


 目をショボショボさせながら、チトセ・ウィル・ナスカはきっと死んでも離さないに違いないと基地所員達から言われている酒瓶越しに剛刃桜を胡乱に見つめた。


「ありゃ、第一次大戦のワンオフ機だ。しかも、ご丁寧に今までにない未知の金属で出来てやがる」


「未知? “ALTIMA”じゃないの?」


「似てはいる。が、似てるだけだ。簡易検査で構造を見たが、あれはどっちかと言えば“ALTIMA”よりも鉱物科の奈落獣の結晶体、あるいはアビスシードみてぇに見える」


「本当~~? なら、中の人間はもうアビスに侵蝕されて生きてないかもね~」


 チトセの微妙に胡散臭げな表情にタカオも自分で言っておいて胡散臭いと思わざるを得ない。


「あの戦いの映像はもう見た?」


「ああ、あの数百mはあるだろうアビスを叩き斬った事といい。アビスゲートを塞いじまった事といい。あの機体、見かけはライトニング級だが、特殊装備を備えたスーパー級だと思った方がいいな」


「ふむ。で、中の搭乗者と未だにコンタクト出来ないの?」


「音声、信号、その他試せる限りの方法で今やってる最中だ。ただ、材質はともかく。搭乗口ハッチの類が無いのが致命的だな。抉じ開けるなら機体を破壊するしかない。そうなれば、どう動き出すか」


『班長!!?』


「何だ!? 今、大事な―――」


 振り返ったタカオとチトセが剛刃桜の機体表面が薄らと光るのに目を見張った。


「離れろ!! 待機ガーディアンは戦闘準備!!」


 チトセは離れるように言ってくる部下達の声も聞かず。


 豪胆なのか。


 何も考えていないのか。


 距離は取っているものの、その様子を真直で見つめた。


 装甲表面からヌルリと気持ち悪い程簡単に人影らしきものが排出され、薄緑色の耀きに包まれて機体の前へ寝かされた。


 どうやら搭乗者らしいと拳銃やら小銃やら構えた男達が遠巻きにする中。


 チトセがカツカツ歩いていく。


『支部長!?』


 止めようとした部下多数。


 だが、意にも介さず。


 彼女は出てきた人物のすぐ傍まで行くと顔を覗き込んで「ん~」と小首を傾げる。


「可愛い寝顔。だけど、どっかで見たような……」


「だ、大丈夫なのでありますか!? 支部長!!」


「あんた達、ビビッてないで医療区画に運びなさい。どうやら危険はなさそうよ。意識が戻ったら、報告して。出向いていくわ」


『わ、分かりました!!』


 すぐに駆け寄って来た部下達が少年を慎重に担架へ乗せて運んでいく。


「あ、お疲れ様。今日はもう待機に戻っていいわよ」


 周囲のガーディアン達にそう告げるとチトセが千鳥足でよろよろと元来た通路へ戻っていこうとする。


 すると、その背中に外部スピーカーで声が掛かった。


「あの、支部長。よろしいですか?」


「ん~~何かしら? 璃瑠ちゃん」


 ちゃん付けに僅か沈黙したものの。


 ヴォイジャーXの中から璃瑠りる・アイネート・ヘルツが報告を開始する。


「その機体の搭乗者に付いてなのですが、もしかしたら前に出会っているかもしれません」


「ホント? それじゃあ、身元の特定が遣り易くなるわね。で、一体何処で出会ったの?」


「それが……」


 璃瑠とチトセが話す横で傷付いたコスモダインをハンガーに戻した宗慈がハッチを開きながら、剛刃桜をジッと見つめていた。


 *


 一時間後。


 昏睡しっ放しになるかと思っていたチトセに搭乗者の意識回復が報告され、彼女はイソイソと医療区画へと出向く事になっていた。


 区画の中でも犯罪者や重拘束が必要な患者を運び入れる拘束室。


 何かあったら事だと心配する部下達をよそに実弾とナイフを外させて護衛に付けたチトセが部屋の頑強な扉が開いたと同時に躊躇無く足を踏み入れる。


 寝台の上ではもう既に身を起こして座った少年がいた。


「おはよう。ご機嫌如何かしら? グッドボーイ」


「……尋問か?」


「いいえ、此処の支部長との楽しい楽しい会話よん♪」


「……まぁ、いい。オレの処遇に付いて話を聞こう」


「ふ~~ん。見掛けよりも歳は食ってそうね」


「どう取るかはお前等次第だ」


 酒瓶を部下に預けてチトセが七士の前に立つ。


「顔認証で照会を掛けたら、あっさり学生の中に貴方の名前が見付かったわ。七士君」


「一体どうするつもりだ?」


「どうって? そうねぇ……あの機体を渡せって言ったら、渡してくれるのかしら?」


「無理だな。契約は果たされていない。仕事は最後まで遣り切るのが信条だ」


「契約? あの機体の開発者の事かしら?」


「いいや、あの機体との契約だ」


「機体との? それって意思を持ってるって事?」


「具体的なものじゃない。その力の指向性と演算素子の出した結果が意思と呼べるかどうかはオレが判断する事でもない」


「ふむ……じゃあ、あの機体は元々貴方のものじゃなかったのね? やっぱり、遺跡から?」


「そうだ。オレはそもそもあの遺跡の調査をしていた研究者達に雇われていた。だが、そこに来てアビスの出現、逃げ出す時間を稼ぐのに戦った結果。アレからオレの方へ接触を図ってきた。契約内容はただ一つ。命と引き換えに機体へ搭乗し、敵を倒す事」


「なら、もう契約は終了じゃない?」


「いいや、契約内容は更新されていない。あの化物は再びやってくると警告を受け取っている」


「腕を斬った相手、ね」


「そうだ。それを倒すまで契約は続く。そして、それを反故にする気はない」


 それらの発言を全て聞き終えた彼女が僅かに考え込んだ。


「ちなみに身辺調査の結果、君は限り無く黒に近いグレーって結果になってるんだけど」


「脅す気か?」


「いいえ、そんな事しても無駄でしょう。保護者さんに引き渡すよう街のお偉いさんからさっそく圧力が掛かったわ。他にも色んなルートで貴方の拘束を解除するようにって話が来てる。貴方が街を破壊するような存在ではないと確認出来た以上は此処へ拘束しておく事も出来ないわね」


「なら、開放してくれ」


「おっと、それは貴方に付いての処遇よ。あの機体に付いてはまた別」


「……生憎と取引する材料は……無いな」


「偶然手に入れた巨大アビスすら倒す機体。フォーチュンにとってはそんなのが公の管理にも属さず動くとなれば、放っておけないのが道理よ。機体を没収するって言ったら、貴方思いっきりウチに喧嘩売りそうよね」


「分かっているならば、どうする? それでも機体を回収するか?」


「ふふ、聞くところによれば、貴方フリーランスで運送・護衛を請け負ってるらしいじゃない」


「………」


「さっき貴方のボスにも連絡を取ったわ。快く貴方がOKすれば、仕事を増やしてもいいそうよ」


「―――チッ」


 思わず七士は白衣の女を思い浮かべて舌打ちしていた。


 その様子に話は決まったとチトセが嬉々として胸元から丸めた資料を取り出し、膝へ置き始める。


「無論、正式な隊員じゃないから、フォーチュンの規律に縛られる事はない。簡単な守秘義務と遵守事項さえ守ってくれるなら、機体を此処に置いて活動してくれて構わないわ。ああ、お給料は要相談ね。こっちも正義の味方なんてしてると台所事情が厳しいのよ」


「任務の頻度は?」


「ん~~そうね。大物が出てきた時に救援を頼むくらいかしら。それ以外はこっちも貴方へ連絡は入れないわ」


「オレの仕事に付いてフォーチュンからの干渉は無いと理解していいのか?」


「微妙なところね。さすがに真っ黒な犯罪に手を染めるようなら、サクッと敵対する事になると思うけど。貴方、そういうタイプには見えないのよね」


「分かった。いいだろう。契約書は後程、指定の私書箱に送ってくれ。三日以内に持参する」


「此処にあるんだから、別に要らなくない?」


「仕事が済んでいない。まだ仕事中だ」


「あら、これはごめんなさい。じゃあ、行っていいわよ。機体はこっちで調べて、後で報告書を作っておくから、次来た時にでも見て頂戴」


 チトセが七士の前から退くとどーぞどーぞと片腕を扉の方へ向ける。


「……随分と見違えたな」


「え?」


 それ以上、何も言わず。


 七士は渡された上着を羽織ると着の身着のままフォーチュンの外へ歩き出した。


「………」


 しばらく、そのままドアの中で固まっていたチトセに部下がどうかしたのかと声を掛ける。


「いや、何でもないのよ。何でも……何処で、会ったのかしら……」


 珍しく真面目に考え込む支部長はしばらくそのままでいた。


 *


「迷ったか……」


 明らかな失態。


 そもそも普通の建物と思って歩いていたのだが、さすがに秘密組織の通路か。


 攻め込まれた時の事を想定してなのだろう。


 全ての区画が単なる記号で表されており、出口への道筋が見えなかった。


 入り組んでいる構造といい。


 外壁までの通路が見えてこないのといい。


 迷路にでも迷い込んだ気分で七士は微かな音や擦れ違う人員の服装や会話を頼りに内部構造を把握していく。


 そのまま人員に出入り口の場所を聞けばいいのではないか。


 と、普通はそう思うだろう。


 そっちの方が彼にとっても楽ではある。


 が、その前に一度でもいいから剛刃桜を見なければとの思いに駆られていた。


 秘密組織のドックはどちらですかと部外者丸出しの彼が聞いても、あまり良い受け答えは期待出来ない。


 そもそも何でもトップダウンでやっていそうな支部長とやらが少年の事を既に言い触らしているとも思えない。


 となれば、痛い腹を探られるより自分の足で探す方が彼の性には合っていた。


 歩いて数分で工具や金属の立てる喧騒が近付いてくる。


 七士が角を曲がると其処は戦場のように忙しく立ち働く技術者達で溢れ返っていた。


 その中央には車両の荷台に剛刃桜が寝かせられている。


 彼が近付いていくと機体の横でルーペを持ったタカオが機体を熱心に見つめていて、木槌でコンコンと叩いて反響を確かめてはフムフムと何やら頷いていた。


「………」


「こいつは魂消たまげたな。やはり、駆動用のバッテリーどころか。内燃機関の類を一切積んでねぇ」


「………」


「となると、やっぱり怪しいのはあっちか。おーい。結果はどうだー」


『おやっさん!! やっぱ、ダメだわ。調べてみたが、既存の“ALTIMA”を検査する機器じゃ歯が立たないってよ!!』


「剣の種別は全部別々なんだなぁ!!」


『そうそう。何だか、珍しい形状ばっかりなんだよな。後、やっぱ何か波動みてぇなもんを出してる。そっちの機体とおんなじにー』


「はは、今時まさか、内燃機関無しのロボなんぞ見る事になるとはな。見えないコンセントでも刺してやがんのか? おめぇ」


 剛刃桜に話し掛けるタカオは後ろの七士に気付く様子も無い。


「………」


「やっぱ、今の状況から推測するに……こいつの動力源はアレか」


 視線が戦闘時は剛刃桜の背後に浮かんでいた七つの剣を見つめた。


 その周囲では光学観測にX線照射による透視、音響観測に至るまで幅広く検査が行なわれている。


「するってーと。何だ? あの剣にはこいつのあの無茶苦茶な動きや内部から吹き上げてた炎を出力させるだけのエネルギーが存在する事になるな。構造自体は剣で間違いないが、剣自体が何らかのエネルギーを発する機構の一部なのか? おいおい。どんな魔法使いやがったんだ。東亜連邦の技術者連中は……」


 ブツブツと独り言を呟きながら、数値と睨めっこしている後ろで諸々聞きたい事を知り、機体の安全を確認した七士は最後まで声を掛ける事なく、立ち働く技術者達の城を後にした。


 それからしばらくして。 


 機体の表層を調べていたタカオの背後に声が掛かる。


「おやっさん」


「お? 何だ。宗慈か。何か用か? コスモダインなら後四日はメンテが必要だぞ」


「いや、そうじゃないんだ」


「あん?」


 ようやく振り返ったタカオは学生服に着替えた宗慈が剛刃桜を見つめているのを訝しがった。


「何だ? この機体に興味があんのか?」


「一応、これでも人型機械の研究者だからな」


「今、調べが付いた分だけでいいなら教えてやるぞ」


 ヒラヒラと小さなメモ帳が振られた。


「じゃあ、見せてもらっても?」


「ああ、後学の為に前途ある若者へのプレゼントってやつだ」


「さすがおやっさん。話が分かる」


 笑みを零してメモ帳を受け取った宗慈がザッと書き込まれた専門用語や数値に目を通して、僅かに驚いた様子となった。


「内燃機関無しであの機動と出力を?」


「ああ、そうだ。テラネシアの連中の機体も得たいの知れない部分が多いってのはお前にも分かると思うが、こいつはそれ以上に特殊だ。機体を構築してる素材の話だけじゃねぇ。機体のコンセプトや武装、その他の能力。どんな目的の為に作られたのか今のところ分かっちゃいない。コレがあった遺跡はフォーチュンの後詰部隊が調べる前に土地の所有者に封鎖されちまってな。結局、詳しい事は調べられなかったらしい。ただ、逃げ出した研究者達は後日また調べる為に出発するそうだ」


「………おやっさん。アビスゲートを強制的に閉じる、なんて能力があるとしたら、それって凄い事だよな?」


「まぁ、な。だが、フォーチュンが把握している情報にはそういうのも前々から報告されてる。アビスを加護で閉ざしたリンケージの話とかな」


「だけど、もしも開き切ったアビスを強制的に閉ざし得る装備が開発出来るとすれば……」


「まだ、何とも言えねぇさ。何せ、こいつの所有権はフォーチュンに無いそうだからな」


「な!? この機体はフォーチュンが接収したんじゃ?!」


「チトセ。おっと、支部長様の決定だ。どうやら政治ってもんらしんぞ。何でも操縦者のバックにいるのがフォーチュンの出資者とも繋がりがあるとか何とか。まぁ、仮の所属と機体の解析を進めるのを条件にして認めたらしいが、一体どうなるやら」


「あの人は何考えてんだ……」


 ポツリとぼやいて宗慈はメモ帳を返すとタカオに挨拶して、その場を後にした。


 未だ工員達の只中で調べられる剛刃桜はアビス獣と戦っていた時の迫力も無く。


 まるで置物のように車台の上で停止している。


 これからどうなるやらと頭を掻くタカオはまた機器の数値と睨めっこを始めた。


 *


―――鳳市繁華街ファーストフード店二階窓際。


 其処を集合場所に指定したのは何もフォーチュンの場所を教えない為ではない。


 単に後ろを巧妙に付いて来る尾行の耳から会話を遠ざけるBGMが欲しかっただけだ。


 七士は学校近くのフォーチュン支部から出るとその足で公衆電話を探し、もう連絡が言っているだろうアイラに連絡して、着の身着のまま合流地点へと辿り着いていた。


 先に来て待っていたアイラは都市迷彩。


 ワイシャツに紺のスラックスという何処かのキャリアウーマンのようないでたちだった。


 買い与えておいたのは彼だが、あまりにも場にそぐわない姿はまるで男役の劇団員のようにも見える。


「お待ちしておりました」


 何処か沈んだ様子で彼を見る視線には護衛としての任務を全うし切れても、少年の警護は出来なかったという後悔、あるいは単に任務失敗への憂鬱のようなものが見て取れる。


「構わない。研究所の人員は?」


「全員を無事研究所まで送り届けました」


「上出来だ」


「……申し訳在りません」


「謝罪する必要はない」


「ですが」


「いいんだ。今回の仕事はもう終わった。それよりもよく聞け」


「はっ」


「ミーレスを二機に増やす。今後は必要な時に備えて連携訓練を実施する」


「え……」


 思わずアイラが目を見開く。


「不満か?」


「い、いえ……」


「それと気付いていると思うが、後方に一人。この店を出たら帰宅するまで不用意な言動は避けるように」


「了解しました」


 今にも敬礼しそうな勢いのアイラが何処か活き活きとしているのを見て。


 現金なものだと苦笑一つ。


 軍事で貢献する気満々の新兵を伴って、彼は丁度もう無い食料の調達をアイラと共に行なう事とした。


 その背後にはまったく誰もいるようには見えない。


 風景へ完璧に溶け込んでいる尾行者は二人の後ろ姿を常に確認しながら、歩き続ける。


 繁華街の中の輸入雑貨店で一頻り、端から端まで軍用レーションと大きな缶詰を買い漁った七士とアイラが自宅へと帰ったのは六時過ぎ。


 繁華街から人通りの無い道へと向かう途中で尾行者は追うのを止めた。


 それ以上人気が無い場所で尾行を続けても気付かれるとの常識的な思考からだ。


(……これ以上の尾行は不可能ね)


 璃瑠・アイネート・ヘルツ。


 七士の事を覚えていた彼女はチトセからの軽いスニーキングミッションをこなして、七士の同行者たるアイラをしっかりバイザーの記録装置で盗撮し、情報を暗号化して送り終えた。


 あまり留まっていてもいい事は無いとすごすご繁華街の方へと戻っていく彼女はまったく自分が気付かれていたとも思わず。


 また、尾行されていたとも知らず。


 ひっそり、自分の部屋がある学生寮へと戻っていった。


 璃瑠を見つめていた瞳。


 それは本来、七士を監視していたOL風の女だった。


 数日前からいつもいつもアイラとの行動を見ていた彼女は遠くから遺跡付近で起った戦闘も監視していた。


 その後、フォーチュンへと連れて行かれた彼がまったく問題なさそうに出てきたところを再び尾行しようとして、自分以外の尾行者に気付き、二重尾行へと切り替えたのだ。


 二人以上の人間に気を配りながら監視するのは骨が折れる作業で、彼女はそもそもそういう訓練は受けていても本業の人間ではない。


 それならば、二人を尾行する少女を後ろから尾行していた方が事は容易だ。


 七士にしてもアイラにしてもたぶん彼女の事には気付いていない。


 尾行者が尾行されるのは裏社会では儘ある事だ。


 自分の仕事を相手にさせて、その相手の成果にただ乗りするというのも手法としては有りだろう。


 だから、彼女もまた自分が尾行されているという事態に思い当たっても良さそうなものだったが、人間の盲点というのは中々にして奥が深い。


 まさか自分が。


 そんなはずはない。


 この思考を頭から取り去るのは熟練の間諜でも難しい。


 マインドセットという意味ではまだまだ甘い彼女は近くの公園で普段着であるボンテージファッションに身を包むとその足でイソイソ自分のセーフハウスへと向かった。


 繁華街の近くにある分譲マンション。


 それも借主は別人という一室。


 ガチャン。


 ドアのオートロックが掛かってようやく彼女は気を抜いた。


 その胸に掛かる正方形のパズルが内部で自動点灯した灯りを彼女の顔に照り返す。


「まったく。いつまでも続ければいいんだ。こんな任務を……」


 思わず愚痴が出たのは彼女にとっての任務はこんなちんけな代物では無かったからだ。


 軍人であり、それなりに誇りを持ち、また己の技量に見合うだけの任務に従事する。


 それこそ軍人にとっての幸せだろう。


 ディスティニー部隊。


 巷ではテロリストとされる彼女とて、ただ無差別な都市民達への攻撃を行っているわけではない。


 彼女の故郷は幼少期、恐ろしく荒廃していた。


 その場所に灯りが点くという事の何と偉大な事か。


 それはそれだけで素晴らしい事なのだ。


 闇の中で行われる人とは思えない獣の所業。


 人畜に差の無い世界で夜が来る事の何たる恐怖。


 それを取り払うのは人の人智が生み出した光のみ。


 ラーフ帝国の成立後、国内での犯罪率の激減はそれだけで人々にとって天恵にも等しかった。


 確かにラーフ帝国は対外的には恐ろしいアビステクノロジーを保有する巨大な悪の国家という体で見られているが、その中で暮らす者達は単なる普通の民に過ぎない。


 その民にとってアビスの力は恐ろしいものであると同時に生活の糧を得る唯一の手段でもあった。


 それだけの話だ。


 自分達を滅ぼすのが奈落の力なら、自分達を救うのもまた奈落の力だと多くの国民は納得している。


 そうさせたのは現在の世界を、ラーフ帝国の領土となったエルジア大陸を粗末に扱った者達の責任だ。


 彼女は政治家ではない。


 科学者にもなれなかった。


 けれど、奈落の力を用いて戦い、故郷に光を齎す事は出来た。


 その善悪を判断するのは彼女ではない。


 無用に都市の人々を虐殺するような事は彼女の本意では無いし、また故郷の火を絶やさぬ為に敢えて悪を被るのは彼女の責務だ。


 故に彼女は誰よりも憎まれるだろうディスティニーのパイロットとして任官し、その他国でアビスゲートを開くという凶行に手を染めて来た。


 彼女の行いは人倫に反し、国際法に違反し、多くの国の多くの民に憎まれる災厄そのものだろう。


 だが、それと同時にその憎まれた分だけ、故郷の何処かに明かりが点く。


 食料に困る者が減る。


 軍事に傾倒し過ぎていると帝国内部は意見が分かれ、現在一枚岩ではなくなって来ている。


 彼女だってそう思うが、それでも自分に出来る事を軍人として精一杯に行ってきた結果をただ否定したくはない。


 其処には疑問の余地は在るが、悔恨の念は存在しないのだ。


 だからこそ、現状の彼女の待遇。


 任務の内容は納得出来るものではなかった。


 彼女一人の戦力があれば、数多くの任務が達成出来る。


 なのに誰でも出来るだろう監視任務を与えられているのだ。


 これが非効率で無くて何なのか。


 フリーダ・ヴェロニカ中尉。


 その名前に戦慄する者は多い。


「………私は一体何をしているのだ」


 自嘲が零れて。


 彼女は、フリーダは洗面所で己の顔を見つめた。


 日がな一日監視任務。


 相手がラーフの機密と密接に関わっていると部隊長からは言われている。


 が、それにしても動きが無い。


 いや、大きな動きこそあったが、その場に参戦していない事を彼女自身がおかしく思い始めている。


 もしも、あの時、監視任務だからと置いていかされた機体があれば、アビス獣を鹵獲して戦力にも出来ただろう。


 自分が舞台に上がっていない。


 自分の手の届く場所で自分が必要な場面に自分がいない。


 その齟齬が今や内部からフリーダ・ヴェロニカという女を蝕んでいるのは当の本人が一番よく分かっていた。


「そうだ。報告……報告しなければ」


 何とかそう呟いて。


 彼女は部屋の奥、念入りに仕込んでいたセンサー類を袖の内部に隠していたスイッチで切った。


 すると、彼女の前でゆっくりと壁面がスライドして、設置型の高度な通信機器を解放する。


 操作はすぐに終わった。


 今日の報告を全て電子情報を送るだけだ。


 それ以外は隊との暗号通信で現在の状況を画面表示から幾つか知っておく程度。


 そろそろ食事にしようと彼女が再び、通信機器を壁の内部へ収納しようとした時だった。


 ピッと特秘回線での通信が来ているとの表示。


 思わず。


 ついに自分の居場所へと戻れるかもしれないとの期待が湧き上がって、慌てて機器が操作された。


「こ、こちらフリーダ・ヴェロニカ!! 特秘回線を開きます!!」


『久しぶりだな』


「あ、貴方は!?」


 彼女が目を丸くしたのも無理は無い。


 その相手が自分の遥か上の人物で数回共に戦った事があるものの、雲の上の人間だという事には間違いなかったのだから。


「ルフェーブル大佐!?」


『はは、そこまで驚かれては申し訳なくなってしまうな」


「す、すみません……」


 紅のスーツ。


 目元を覆うシルバーの仮面。


 その金糸のような髪と穏やかだが、底冷えするような声。


 師団長クラスの権利を与えられ、独断であらゆる任務を発する事の出来る唯一の存在。


 ラーフ近衛第十三艦隊司令。


 ランヌ・ルフェーブル。


 大戦時の功績は彼女のものを遥かに上回る。


 あらゆる敵対リンケージから畏怖された真のエース。


 彼を前にして生き残ったリンケージは極僅かとされ。


 実際、その戦果は本当に人間の為した事なのかと科学全盛の時代に噂される当代切っての艦隊司令。


 それが戦果こそ出したが、一兵士に過ぎないフリーダに特秘回線で申し入れてくるなんて言うのはもう天地が引っくり返るような事に違いなかった。


「ど、どのようなご用件でしょうか!!」


 思わず直立不動で敬礼したフリーダの律儀さへ好ましそうに笑んで。


 艦隊司令でありながら、未だに前線で戦い続けるスーパーエース級の仮面男はひっそりと呟いた。


『彼はどうしているかね?』


「はっ、彼とは誰の事でしょうか?」


『ああ、済まない。君が今監視している者の事だよ』


「はい!! 荒那七士あらな・ななしの事でしたら、今日の報告分を既に部隊へと送っております。こちらから直接お送りしますか?」


『いや、それには及ばない。報告は報告としてもう受け取っている。そうではなく。君の、君個人としての意見が聞きたいんだ』


「私の?」


『ああ、そうだ。君から見て、現在の監視対象は一体どんな人物なのかと、ね』


「わ、私の個人的な見解でよろしいのですか?」


『構わない。そちらの方を聞きたくて、今日は連絡させて貰った』


「で、では……そうですね。監視対象は……簡単に言ってしまえば、とても奇妙だと思います」


『奇妙、とは?』


「はい。それがその……何と言うか。普通、なのです」


『普通?』


「監視対象が高度な兵士の技能を持った存在であるのは私にも分かります。ですが、彼はそれを使っていながら、何と表現すればいいか……我々、いえ……兵士という者が持つ特有の気配を出していないのです。とても抽象的だとは思うのですが……それが、私の正直な感想です」


『空気、か……』


 少し考えた素振りでランヌが再びフリーダへと視線を向ける。


『それはつまり、兵士的な素養はあるが、兵士としての気概に欠けるという事かな?』


「今まではそう思っていました。ですが、今回お送りした情報にも書かれているでしょうが、監視対象の操縦技術は超一流です。遠くから確認していますが、彼がミーレスから脱出した時、自らの命の危機にあった時、冷静さを失っているようには見えませんでした。それどころか。とても冷たく恐ろしい瞳をしていた」


『君が恐ろしいと感じたと?』


「言い方に問題はあるでしょうが、その瞬間……何だか人間を見ている気がしなかったのです」


『言い得て妙だな。普通でありながら、人間には見えない。さて、相手の正体が気になるところだが、どうやら時間のようだ』


 画面に映る彼の後ろで誰かがノックする音がした。


『今日はこの辺にしておこうか』


「あ、あの!! お役に立てたでしょうか?!」


『ああ、とても貴重な意見をありがとう。今後も時折こうして君に尋ねる事があるかもしれない。自らの使いどころではないと思っているかもしれないが、たぶん……私の予想が正しければ、今後のイヅモの趨勢は君の任務に掛かっている。君には私の方から単独での任務を発する事もあるだろう。ヴァンガードには悪いが、君にはこれからも頼る事になるかもしれない』


「そ、そんな!? 私などは……」


『そう謙遜しないでくれ。これでも君の能力は高く買っている。今後の状況も鑑みて、近くに君のガーディアンも配置させよう。危険を感じたら、あるいは任務中に戦闘となる事があれば、遠慮なく使ってくれ』


 ランヌの言葉にフリーダが思わず震えた。


「あ、ありがとうございます!!」


『何、ジョーカーを引かせている人間からのささやかな配慮だ。では、今後の働きに期待する。フリーダ・ヴェロニカ中尉』


「はッ!!!」


 最敬礼したフリーダの前で頷いたランヌの映像が途切れ、画面が黒く染まった。


 通信機器を下に戻した彼女は今までは打って変わって何処か明るい表情となって、今日は久しぶりに手の込んだものを作ろうと台所へと向かっていく。


 鼻歌交じりに部屋の換気扇から流れたボルシチの匂いに外でコンビニおにぎりを齧っていた最後の尾行者たる中年太りの四十代は何処か切なげに己の少し出てきた腹を撫でた。


「金の為、金の為、金の為……く、綺麗なネーチャンに酒でも注がせて、肴を食うまでの辛抱だ……はぁ……」


 いつも酔っ払い全開でツマミと酒瓶を手放さない女の姿を思い浮かべて。


 男はひもじさを何とか耐え凌ぐ事とした。


 フォーチュンの仕事事情は実際、酔いどれ支部長のおかげで随分とハードスケジュールなのだった。


(………)


 蒼い月が出た夜。


 夕食にボルシチが出た七士は自分達を尾行していた人間は今頃何を食べているのだろうかと雇われや末端兵士、傭兵の悲哀を僅かに思い、何も言わずに厚切りの肉へ齧り付いた。


 その品が今までのものより美味しく感じられた事がたぶん彼にとって、激動の一日の中で最も重要な事だったのは言うまでも無い。

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