Scene02「ラーフの方から来た少女」


 トレーラー及び付属品の賠償請求。


 〆て[×××××××××Cr]也。


 請求書にはそう書いてあった。


「……ふぅ」


 もしも、少年がただの学生ならば、生涯掛けても払い切れないだろう大金。


 しかし、今は七士ななしと呼ばれる彼も“特殊な運送業”でそれなりの儲けを出している為、半ば二か月分の仕事を無料で引き受ける程度で白衣のオバサンとは話が付いている。


「七士様。こちらはベーコンエッグとサラダ。焼き立てのパンとオニオンスープです。バターとジャムもありますが、言って頂ければ、最適な厚さでお塗りします。如何でしょうか?」


 そう切り出したのはアイラ・ナヴァグラハと名乗った170cm後半と少年より身長が高いモデル体型の少女だった。


 涼やかな目元。


 細い眉。


 薄い唇。


 卵型の小さな顔は言葉とは裏腹に無表情。


 脱色されたような微かに薄い金髪がサラサラと音を立てる度、フリル付きのエプロンが揺れる。


 一言で表すならば、まるで新妻が健気に朝餉を用意した図、であろうか。


 前日、通販で買い揃えたワンピースを着た少女の行動は違和感が強い。


 とりあえず、指摘するべきかと七士は少女アイラに“元ネタ”を尋ねてみる事とした。


「参考資料は?」


「はっ!! イヅモ特区内で購入した『新妻の極意36選』及び『メイドかくあるべし』を熟読しました」


 敬礼で応える姿はまったく本気だ。


 絶対的に自分がやっている事の本質を理解していない。


 が、別にそれで今までは問題無かったのだろうし、それを指摘する者もいなかったのだろう。


 ただ、人手に困るような仕事はしていないし、業務を拡大しているわけでもない七士にとって、彼女が大きな厄介事であるのは間違いなかった。


 “存在しない人間”一人を養うというのはそれなりに大変なのだ。


 偽造パスポートの準備から始まって表側で活動する為の身元の捏造や現地社会に溶け込む為の訓練までやる事は多い。


 調べられても襤褸が出ないように海外の遠隔地に存在した証、ダミー情報を幾つか作っておかなければならないし、移民や入国管理を管轄している機関の目を騙し遂せるだけのカバーストーリーも必要だ。


 鳳市での大規模テロから二日。


 それらを揃える為に少年は大急ぎであちこちに連絡を入れ、仕事を依頼し、入金していたのだ。


 学校へロクに通っている暇もない。


 少女が海外で戦時難民となり、留学でイヅモにやってきたという背景を生み出すのに使用された金額は彼の稼ぎ一か月分にも等しく。


 人並みに疲れた彼は半ば少女に待機命令を出した後は倒れるように眠った。


 テロで負傷者が出た事を利用して、闇医者にカルテ諸々を書かせたのが一日前。


 未だ市民生活に混乱が残っている内は休んでも怪しまれないだろうと今も静養している。


「どうかされましたか? お加減がよろしくないのでしょうか?」


 ラーフのテロリスト部隊が自らのガーディアン補修用の“ALTIMA”と同等の価値があるとして支払った少女は間違いなく軍属の類だ。


 だが、ただのテロリストが多量の“ALTIMA”と同価値なわけもない。


 何かしらの特別な技能か能力を持っていると見て間違いないのだが、それを聞く機会はついに今まで無かった。


 生憎と本来受け取っているはずの白衣の女は『お手伝いが出来てよかったじゃないのさ』と我関せずで、引き取る気が無いのは明白。


 都合二日。


 アイラはほったらかしにされていた事となる。


 マジマジと倉庫二階の仕事場兼寝室兼応接室内で少女の用意した朝食を見つめた少年はとりあえず……用意された分は食べようと眼前のナイフとフォークを取った。


「食事が終わったら、技能スキル能力アビリティーを見せて貰う」


「はッ!! 了解しました。家事、炊事、軍事、どのような要望にもお応えするべく、誠心誠意尽させて頂きます」


「後、食事は一緒にしろ。時間は効率的に、だ」


「了解ッ」


 新妻とは掛け離れたキリッとした表情で少女は敬礼した。


 その後、倉庫内の一角で格闘戦の実技、地下室内で実物に近い改造モデルガンでの射撃能力計測、応接室で智識の確認、等々を行った七士が一息付いたのは昼を過ぎた頃合。


 そんな時だった。


 一本のメールが来たのは。


「………」


 ザッと小型端末から内容を読み取った七士が現在の雇い主たる白衣の女からの指令(おつかい)に使いっぱしりにする気満々のようだと溜息を一つ。


―――研究中に付き。


―――指定する日用雑貨を買い求め、研究所に届けられたし。


―――費用請求は次回の依頼に上積みの事。


 ズラリとメールの続きには食料品から医療雑貨まで幅広いラインナップが載っている。


 これを一人で運ぶのは大仕事に違いないと七士は意地の悪い女の顔を思い浮かべた。


 まだ学生で公的身分においては車両の免許が取得出来ない彼の移動手段は専ら徒歩か自転車だ。


 原動機付きの二輪の類は罠の類が仕掛けられる可能性が排除出来ない為、使っていない。


 裏仕事ならば、違法に車両を運転し、佳麗に決めてみせるのも楽勝だろう少年であったが、高々生活雑貨の為に警察へ捕まる危険は冒せない。


「………」


「何でしょうか。七士様?」


 直立不動の置物。


 エプロン姿の少女はマネキンよろしくキリッと踵を揃えて主の視線に尋ねる。


 世の中には家族サービス。


 もとい依頼者へのサービスを欠かさない会社が五万とある。


 客への信頼もまた商品である事は言うに及ばず。


 あまり乗り気ではない雑用も結局断り切れないというのが、如何にも雇われの悲哀に違いなかった。


「これから出かける。三十秒で仕度しろ」


「了解。これより警護任務に当ります!」


 敬礼する少女のズレた様子に溜息を一つ。


 少年は出かける準備を始めた。


 誰かを伴った初めての外出。


 傍目には学校をサボタージュしてのお忍びデートという何ともあり難くないレッテルだろう事は想像に難くない。


 その日、不良学生が二人量産された。


 *


―――鳳市繁華街路地裏。


 鉄宗慈くろがね・そうじは至って真面目な学生と評判の好少年だ。


 鳳市高校の一年で名前を知らない者は無いだろう。


 天才科学者の祖父に育てられ、今は学生の身分でありながら、ロボット工学。


 つまりは“ガーディアン”の研究を天城ロボット研究所のワンルームを貸り切って行っている。


 と言えば、彼の事を大抵は眼鏡を掛けた知的でクールな相手だと思うかもしれない。


 が、本人は至って熱血と正義と無鉄砲を絵に描いたような性格の為、生傷が耐えない。


 気の強そうな眉。


 悪には屈しそうもない顔。


 喧嘩っ早く、実際腕っ節も強い。


 一年で大型バイクの免許を取得しており、高校にやってくる姿はもはや名物の類だ。


 主に黄色い声の上級生と下級生(主に女生徒のみで構成されている)が少し背の低い彼のワイルドさ。


 凛々しくも何処か微笑ましく肩肘を張っている姿にメロメロなのだ。


 端的に表現すると、野性味溢れる小犬を見ているような気分、らしい。


「さぁ、まだ続けるか?」


 路地裏の奥まった一角。


 少年は一人の少女を背後にして如何にも不良ですと言わんばかりに学生服を着崩している三年……たぶん、大先輩や超先輩と世間一般で言われる留年してそうな髭面やモヒカン頭の男達を前にして声を低く訊ねた。


「く、噂以上じゃねぇか。チッ、行くぞテメェら。やってられっか」


 ゾロゾロと周囲に死体の如く倒れていた一団がムックリ起き上がると、ボスらしい大柄で厳つい顔の青年に付き従ってスゴスゴと逃げ出していった。


「……ふぅ。大丈夫か? 璃瑠りる


「ええ、貴女が挑発してなかったら、私の有意義な休日はもう少し長かったわね」


「はぁ、感謝くらいして欲しいぜ。おかげで仕立て直したばかりの学生服が埃だらけだ」


「それは貴方が手加減しながら戦ってるからよ」


 宗慈の後ろにいた少女が肩を竦めた。


 透き通るような銀髪。


 少年と同じくらいの背。


 妙に視線が鋭く。


 整った顔立ちは表情に乏しい。


 ただ、ジト目で自分を守った少年を見る様子は心を許しているようではあって。


 二人が並んでいるとお似合いという言葉がポロリと周囲から発せられるだろう。


 璃瑠(りる)・アイネート・ヘルツ。


 数ヶ月前に転校してきた帰国子女。


 鳳市高校で宗慈と同じクラスに通う少女は無礼者が消え去った路地をスタスタと進んでいった。


「あ、ちょっと待てよ!?」


「助けてもらった事には感謝するわ。でも、女性のプライベートにこれ以上立ち入るのは感心しないわね」


 クルリと振り返った璃瑠の言葉に宗慈がウグッと何も反論出来ずに止まった。


「そもそもどうしてこんな所にいるのかしら? 貴方、今日は研究所の方に行くって言ってなかった?」


「そりゃ、ええと、その、あれだよ。あれ」


「あれ?」


「予定が急遽変更になったんだ」


「そう……それで?」


「それで? なんつーか。いや、その……ジャンクパーツ屋を回ってたら、偶然見掛けて……如何にもお嬢様っぽい容姿の人間が路地裏歩いてたら目立つだろ? そういう事だよ。そういう事」


「……一応、筋は通ってるわね。でも、別に貴方が不良に絡まれた私を助ける必要は無かったでしょう?」


「そりゃ、お前の強さは知ってるけど、義を見てせざるは勇無き也ってやつだろ?」


「何それ?」


「つまり、いつも助けられてる人間がピンチなのに何もしないのは意気地が無いって事さ」


「……そう」


 宗慈の言葉に丸め込まれたような気はしたものの。


 自分への感謝。


 そして、危機を救った事には変わりない。


 此処で事を荒立てる必要も無いだろうと少女が溜息を一つ。


「分かった……もう、この件は追求しないわ。でも、休日を一人で愉しみたいって言うのも本当なの。だから、此処からは分かれて行動しましょう」


「おいおい?!! また絡まれるぞ!?」


「どうして? あんなに盛大な喧嘩だったんだから、此処らでまた騒動を起こそうなんて輩はいないんじゃない?」


 心底そう思っている様子の璃瑠に宗慈が世間知らず全開過ぎるとガックリ頭を落とした。


「はぁ……あのなぁ? 此処は繁華街なの!! そして、お前は物凄い美少女で、これはもう鴨が葱背負ってる状態なんだよ!!? ヤバイ連中も多いんだから、とにかく此処からさっさと離れた方がいいわけ!! OK?!」


 一瞬、璃瑠の眉がピクリと動いた。


 本来ならば、言い返すところだったが、彼女は自分の前で何処か怒った風な同僚から……視線を少し外した。


「そ、そう……貴方が其処まで言うなら、この一帯から退避するのも吝かじゃないけど」


「ああ、もうじれったい!!? ほら、行くぞ!!」


「あ、ちょっ―――」


 少女の頑固さに痺れを切らして。


 宗慈が手を取るとズンズンと進み始めた。


 いつもなら『何してるの?』と冷たい視線を送るところだったが、生憎と彼女の視線は自分と少年の結ばれた手に釘付けで……的確に相手の急所を付く鋭い舌は威力を発揮しなかった。


「女の子がこんなところにいたらダメだろ!? 文句なら後で聞いてやるから、とにかく此処を離れるぞ!!」


 有無を言わさぬ行動力。


 少年は自分がとても大胆な行為をしているとも気付かず。


 繁華街の中を丸っきり隠れもせずに進んでいった。


 これは一種の嫌がらせではないかと璃瑠の思考は空転しながら憤(いきどお)ろうとしたが、シオシオとそのような感情は萎えていき。


 何とも言えぬ手の温もりだけが彼女の心を掴んで離さなかった。


 それから数分後。


 繁華街からようやく抜け出して、健全なエリアまで戻ってくると。


 宗慈が手を離して後ろを振り返る。


「行くなら、こういうトコがいい。映画館だってあるし、ショッピングモールもある。そこそこの値段で大抵のものは揃うから普段の買い物にも便利だし」


「……」


「どうかしたのか?」


「べ、別に……」


「……なぁ、何であんなところに居たんだ?」


「それは……任務だから……」


「任務?」


「現地の地理を自分の目で確かめておかないともしもの時に対応出来ないって、訓練されてきたから……」


「何だ? お前まさか、休日なのに仕事してたのか?!」


 驚いた様子になった宗慈に璃瑠が嘘がばれて、罰が悪そうな顔をした。


「わ、悪い?」


「……はは、何だよ。最初からそう言やぁいいのに」


「きゅ、休日に任務の準備をしてるなんて……減点ものよ……」


 何処までも真面目に呟く璃瑠があまりにも真面目だったから、宗慈は大きく溜息を吐いた。


「な、何? 呆れた?! 笑いたいなら、笑えばいいわ」


「笑ったりしないさ。ただ、休日は休むべきって偉い神様も言ってる。此処は素直に任務の準備じゃなくて、自分の趣味や日常的に出来ない事をして遊ぶとか。そういうのがいいんじゃないか?」


「―――遊び方なんて訓練されてないもの……」


「ああ、そうかい。なら、オレが教えてやるよ。ほら」


 宗慈が処女に手を差し出した。


「?」


「教えるぜ? 休日の過ごし方ってやつ」


「……貴方はどうするの?」


「オレはもう十分愉しんだからいいんだよ。ほら、行くのか? 行かないのか?」


 もう相手のペースに巻き込まれている。


 そう知っていながら、その手の魔力のようなものに璃瑠は抗えない自分を感じた。


 ゆっくりと小さな手が少し大きな手に重ねられる。


 その指には操縦桿を握っている人間にしか出来ない特有のタコが出来ていた。


「……貴方の手、見かけに寄らず逞しいのね……」


「見かけに寄らずは余計だっつーの。さ、まずは映画でも見るか。言い出したのはオレだし、今日はおごるから、何か見たいものがあったら言えよ」


「ぁ……」


 なし崩しにグイグイと引っ張られていく自分を感じながら、それでも悪い気はしなくて。


 璃瑠はこんな休日も偶にはいいかと己からも手を握り返した。


 二人の手が離れるのはそれから二時間後。


 映画のエンドロール中。


 いきなりの緊急出動要請。


 フォーチュン本部はラーフ帝国が擁するテロリスト集団ディスティニーの突発的な小規模遺跡占拠に対し、コスモダインとヴォイジャーX(クロス)の出動を要請。


 両パイロットは速やかに出撃し、遺跡の奪回に成功した。


 敵勢力の撃墜こそ無かったものの。


 二人は息の合ったコンビネーションで仕掛けられていた罠の尽くを掻い潜り、敵主力部隊に大打撃を与える事に成功したのだった。


 その際、何故か妙にヴォイジャーXの挙動が不審であったと報告されているが、誰も些細な事だと気にする者は無かった。


 *


 フォーチュンが慌しい空気の中にあった頃。


 夕暮れ時の市街地をテクテクと少年少女が歩いていた。


 補給物資輸送任務もとい雑用の帰りである七士とアイラである。


 彼等の手にはもう買い物袋は下がっていない。


 全ての日用雑貨が市街地の一角にある小さな研究所に送り届けられた為だ。


 顔を見せた七士に白衣のオバサンはニヤニヤと笑みを浮かべ、自分で受け取るはずだったアイラとのツーショットを冷やかすと感謝の一つもせずに研究室という名の塵箱へ戻っていった。


 ミッションコンプリート。


 イソイソ帰路へ付いたのは主に精神的な疲労を感じた七士の発案だ。


 途中、何処かに寄って自分達の食料や入用なものを買うという案もあったのだが、依頼者からの虐めは思っていた以上に精神の磨耗を招いた為、致し方ない。


「……」


「………」


「…………」


「……………」


「………………」


「…………………」


 終始無言。


 二人の間に会話は無い。


 夕暮れ時に相応しい喧騒。


 学校帰りの学生達に公園帰りの子供達。


 スーパーから帰ってきたばかりの母子に定時上がりのサラリーマンが行き交う。


 平和な日常と呼べるものが、彼等の前にはあった。


「………………………」


 周囲の気配を探りながら歩くアイラにしても何処か景色の一部になっているようにも見える。


 七士は外出中観察していた少女が今、気を抜いてこそいないが、何処か頼りなさげな、見知らぬ土地で置き去りにされた子供のような顔をしていると思った。


「アイラ・ナヴァグラハ」


「何でしょうか。七士様」


 ピタリと止まって、キリッと応える少女に少年は親指で休憩にしようとそろそろ無人になりそうな人の掃けた児童公園を指差した。


 疲れ気味の少年がベンチに腰掛けると、その横でアイラがマネキンよろしく歩哨のように佇む。


「……出生地は?」


「ラーフの方から着ました」


「生年月日は?」


「2月8日です」


「カバリエ級ミーレスの高難度マニューバーは出来るか?」


「現在、最高難度までを完璧にこなせます」


「リンケージ能力は有るか?」


「申し訳ありません」


「ヴァラーハ級機動巡洋艦の弱点は?」


「アビス・ステルス航行中及び潜水モードにおける浮上時の撃墜率が高いとのデータがあります」


「両親はいるか?」


「おりません」


「家族はいるか?」


「おりません」


「信頼出来る人間は?」


「信頼の意味は分かりますが、そのような意味での人間関係は構築しておりません」


「……昔の記憶はあるか?」


 何故か。


 その最後の質問にだけは答えられない様子でアイラが僅かに視線を落とした。


「昔とは具体的にどれくらい過去の時点を指すものなのでしょうか?」


「お前の一番旧い記憶は何時からだ」


「………申し訳ありません」


「そうか……そろそろ飯の時間だ。今日は外食にしよう」


 そう言って立ち上がった少年の後ろ姿を見つめる視線は何処か揺れていた。


「そう言えば、好物はあるか?」


「食料の摂取における好悪の感情はありません」


「なら、今日は近場のカフェで適当に頼もう」


「了解しました」


 二人が暮れ掛けた公園を後にして、付近にあるカフェに向かう。


 そんな後姿を暗視装置の付いた双眼鏡で見る影が独り。


『18:54。記録者F。監視対象者とAは居住地には向かわず迂回ルート上のカフェに入店。夕食を取るものと思われる。本日も動き無し。交代する為、一端帰還する』


 カチリとレコーダーのスイッチが切られ、ホステス風の化粧をした女が公園に植えられた植木の陰から出てくるとスタスタ歩いて公園内のトイレへと向かった。


 数分で出てきたのはホステスではない。


 何処かボンテージ風の露出度の高い衣装を着た二十代前半くらいの女だった。


 その大胆に開いた胸元にはパズル状のアクセサリが一つ妙に浮いている。


 蒼み掛かった髪をポニーテールにした彼女の顔は何処か険しく。


 笑えば、それなりの美人だろうに剣呑な雰囲気を醸し出している。


「こんな任務を何時まで私は続ければいいのだ……く」


 苛立った様子で呟いて。


 女がスタスタと公園を後にする。


 その背中には何処か大きなものが背負っているような悲壮感があった。


『……監視対象者の撤退を確認。更に続けて“出入り口”の確認へ入る』


 監視者たる女を見ていた更なる監視者。


 二重尾行の主が市街地の物陰でひっそり定時連絡を入れた。


「やれやれ。こういう地道なのはオレの仕事じゃねぇんだがな」


 肩を竦めて愚痴ったのはグラサンを掛けた中年太りの腹を揺すった四十代程の男だった。


 無精髭を生やし、日に焼けた精悍な顔立ちと鋭い視線はとても一般人には見えない。


 現在着ているグレーのスーツ姿よりも戦場で野戦用装備を身に付けている方が似合うだろう。


 今も捕捉する女の行方をバイザーに映った発信機の信号から追って、男はこれも金の為、金の為とブツブツ呟きながら歩き始めた。


「正規の軍人に傭兵、か」


 そんな二人の尾行者達が自分達から離れた音を公園周辺に予めばら撒いておいた盗聴器から拾って、骨振動式の極小インカムのスイッチを少年が切った。


 氷が音を立てたアイスコーヒーがストローで啜られ。


「どうかしましたか? 七士様」


 テーブルにウェイターがピザを一皿運んでくる。


「何でもない。とりあえず、食べよう」


 本格的な石釜があるカフェの名物は薄らと焦げ目を付けた小麦の香ばしい香りで二人を包み込んだ。


「はい」


 そうして、宵闇の時間は穏やかに過ぎていく。


 何が鳳市で起りつつあるのか。


(面倒事はごめんなんだがな……)


 気にするだけ無駄と言わんばかりにピザへ歯型が付けられ。


「……あち」


 アイラの初めて上げた少女らしい声を聞いて。


 少年は少しだけ唇の端を歪めたのだった。

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